羅刹鬼譚 第7話 投稿者: ARM(1475)
第10章 鬼哭

 隆山署内にある資料室の端末に向かっていた柳川は、先ほど斃した伊勢が検索していた情報ファイルを見つめ
ていた。

「……ふむ。『室町時代に、侍の次郎衛門が、雨月山近隣で暴れ回った鬼の一党を討伐した時に使った刀の鞘……
20年前に、それが保管されていた雨月神社から刀ごと盗まれたが、盗難された一週間後に、鞘(さや)だけが、
隆山海岸の北側で発見された……刀のほうは未だに発見されていない』……か」

 柳川はそこまで読むと、部屋の向こう側にある瓦礫の山をみた。

「……ちと、やりすぎたか。せめて、この『鞘』に何があるのか、聞き出してからにすれば良かったか」
「警部……」

 横から端末を覗き込んでいた早田は、表示されている報告書を目で追いながら訊く。

「この次郎衛門の刀、って、伝承では確か、雨月山の鬼のお姫様が裏切って次郎衛門に与えた、鬼の妖刀なんで
すよね」
「良く知っているな」

 柳川が感心したのは、この隆山が出身地ではない早田が、次郎衛門の伝承を知っていたコトにあった。

「いえ、先月、小出由美子って新人作家が、この雨月山伝承をモチーフに描いた伝奇小説が出版されたんです。
――その人、あたしの出身高の先輩で、昔一度あったコトがあるのですが……?」

 早田がその名を口にした途端、柳川は何か考え込むように小首を傾げた。

「……どうか……されました?」
「その小出某なら、俺が住んでいる柏木家の当主の大学時代の友人だ。4ヶ月ほど前、一週間ほど滞在していたぞ」
「ええっ?!」

 早田は思いっきり驚いた。

「何でも、取材とかで……な。恐らく、その時得たネタで描き上げたのだろう」
「そ、そうなんですか…………!」

 酷く驚く早田の様子に、柳川はそれとなく気づいたらしく

「……ファンなのか?」
「あ――あ、は、はい!」

 早田は、上擦った声で応えてから、あっ……、と慌てて口元を押さえた。意外とミーハーなタチらしい。

「……今度来る機会があったら、サインでも貰っておこう」
「……す……済みません…………!」

 柳川が素っ気なく言うモノだから、余計に早田は恥ずかしかったらしく、顔をこの上なく真っ赤にした。

「さて。この有り様をどうしたものか……」

 柳川は瓦礫のほうをみて肩を竦めた。
 その背を、早田はじっと見つめていた。

 本のタイトルは、「羅刹鬼譚」。雨月山の鬼の血を引く、二人の男の哀しい物語であった。
 主人公の青年は、荒れ狂う鬼の血に暴走するもう一方の男との超絶した闘いの果てに、愛する女性を失うとい
う筋書きだった。
 <鬼哭>。
 それが、最終章のタイトルだった。
 主人公が、愛する女性の亡骸を抱きながら、満月に吼えるというラストシーンが、早田に強い印象を残してい
た。それを感動というのなら、そうなのかも知れない。

 本当のところ、早田が、その小説が読後も印象深く残っている理由は、その小説の主人公に、柳川の姿をダブ
らせていたからであった。
 キャリア組の柳川が、こんな地方の警察で未だに警部――しかもエリートが勤める最前線の職場ではない防犯
課の、である――である理由を、早田は噂でそれとなく聞いていた。大切なひとを殺され、その怒りで相手を殺
害したからだという。他の署員は柳川を苦手としているために詳しい話は訊けていないのだが、そのようなトラ
ブルを起こして、出世コースから脱落したと言うコトまでは知っていた。

 そして今、柳川が、とても人間の仕業とは思えぬ動きで、しかも素手であの怪物を葬り去った所業を目の当た
りにして、早田はあの小説が、実話を元にした話だったのでは、と思い始めていた。
 鬼神。まさに、先ほどの柳川はそう呼ぶに相応しい男だった。
 小説の鬼神は、愛する女性を抱き抱え、月に向かって咆吼していた。
 柳川が血涙を流しながら、大切な女性を抱き抱えで咆吼する――早田は、そんな幻視を覚えた。

「――警部」

 早田が切なそうな顔をして柳川を呼んだ。すると柳川は早田のほうを向いて――

 ――ピッ。早田の頬に、朱色の飛沫が掛かった。

 柳川の胸から、鮮血が迸っていた。

「――――」

 早田は、胸から凄い勢いで血を吹き出している柳川を目の当たりにして硬直していた。ゆっくりと思考が真っ
白に――いや、真っ赤になっていた。

「カカカカカカカカ――――っ!」

 そのけたたましい笑い声は、部屋の向こう側にある瓦礫の下から聞こえた。

「柳川ぁっ!綱糸を操っている心臓を潰す、って考えは正解だ。――だがな、肝心の心臓が動いている理由にま
で頭が回らなかったようだなぁ!」

 がらり。瓦礫の上積み部が崩れ、そこから再生の途中と思しき無惨な姿の伊勢が顔を出した。鑑識と言う仕事
柄、こういう手合いの遺体には慣れている早田に言わせるなら、高層ビルから墜落死した遺体が、むくり、と起
き上がった、そんな光景であった。しかし遺体はこんな奇天烈な笑い方は絶対にしない。早田は気絶こそしなか
ったが、その場にへたり込み、失禁していた。

「どうだぁ、柳川ぁ?俺の血管を流れる綱糸の塊をまともに喰らった感想は?油断していなければ、きっと避け
られたのになぁ、カカカカカカっ!」

 伊勢の見えざる一撃の正体。それは、伊勢の全身を走る血管内に、血液の代わりに通っている超々極細の綱糸
によるものであった。それは、血管を通して全身の肉を繋ぎ止めているばかりではなく、先ほど早田の身体の自
由を奪ったように、相手の身体に綱糸をくくりつけその動きを支配し、そして、体細胞の隙間からそれを高圧力
で放出し、その先端を鞭のようにしならせて目標物を打つ攻撃も可能なのだ。打ち出される綱糸は千本前後。か
なりの束の量に思えるが、一本当たり500分の1ミクロンというあまりにも細さゆえに、それだけ束になって
打ち出されても、たとえ鬼の超知覚能力を持ってしても、目で知覚するコトは不可能に近い。柳川が避けられた
のは、綱糸が空を切る音を聞き分けられたからである。しかし鬼とはいえ、僅かでも油断していれば、このよう
に避けられないものである。伊勢の笑い声が聞こえる中、柳川は膝から崩れ落ち、咳き込む口から大量の吐血を
した。

「まだ、おっ死んでいねぇだろうなぁ、柳川?――教えてやるぜ!俺の心臓は、レイシェル様の血を与えられて、
それだけ『不死なる一族』と同じ力を持っているんだぜ!だから潰されても、直ぐに再生する。心臓が潰れたら
お終いってゆう対策は、ちゃんと講じていたのさ!」
「……そう……かい…………ゾンビ野郎」

 柳川は咳き込みながらも悪態を吐いた。

「まぁ、ここまでボロクズにされちゃあ、身体を再生するのに時間がかかっちまうが、お前をブッ斃すにはこれ
でも充分過ぎるくらいだ。――足んねぇくらいだ」

 そういって、伊勢はニヤリと――不敵な笑みを作るには少々パーツの足りない顔で、早田のほうを見た。

「糸は切れちまってもう操れないが、――この距離なら、いい置きみやげが出来そうだ」

 それを聞いて、早田は自分が狙われているコトを察知した。しかし驚愕のあまり、腰が抜けて立ち上がること
が出来なかった。

「は…………やたぁぁ…………っ!…………に……げろ……!」

 柳川は這い上がろうとするが、大量に出血している所為で四肢に力がまったく入らない。じわじわと再生して
いる感覚はあるのだが、最低限のレベルに達するにはまだ時間を要する。無論、鬼の血の加護のない常人ならと
うに死んでいる酷いダメージである。
 伊勢は柳川の拳打で夜の隆山市内が一望出来るほど大きく空いてしまった後ろの壁を見て、そして痙攣してい
るような動きの柳川に一瞥をくれると、

「こいつをぶっ殺して、俺はとっととここからおさらばだ。――――悪く思うなよ」
「そう言うことだ」

 次の瞬間、伊勢のボロクズのような身体は、凄まじい銃声音に押されるように、夜空へ呆気なく吹き飛ばされ
ていた。

「――長瀬課長!?」

 いつの間にか、資料室の入り口前に、硝煙を吐くショットガンを構えていた長瀬が立っていた。

「クマ狩り用に用意させたショットガンが役に立ったみたいだな。――生きているか、柳川?」
「……何とか」

 そういって柳川は、咳き込みながら嘆息した。本当、いつも美味しいところを持っていく人だよ、と。

「……あのバタリアン野郎、あんなぐらいで死ぬタマとは思えンが、どうする?」
「……ヤツの行き先は……判ってます……早田」

 俯せの柳川に振られ、呆然と長瀬の顔を見ていた早田は、はっ、と我に返った。

「……そこの……端末を」
「え――あ、はいっ!――そうか、隆山海岸の、次郎衛門の刀の鞘が見つかったこの場所ですか!」

 慌てふためく早田は、長瀬に、端末に映し出されている次郎衛門の刀の盗難事件に関する報告書を指してみせた。
 銃声を聞きつけて署員たちがようやく資料室へ訪れ始めた中、それを目で読む長瀬は、ふむふむ、と感心した
ふうに頷くと、柳川のほうへ振り向き、一言、

「これも因果だな」

 と言った。疲れ果てていた柳川は俯せのまま何も応えなかった。

「……ところで、長瀬課長」
「?何だ、早田」

 ショットガンを肩に抱える長瀬をまじまじと見つめていた早田が、不思議そうな顔をした。

「……クマ狩り…………って……隆山近隣にクマなんか生息していましたっけ?」
「さあ」
「……では、なんでそんな破壊力のある物騒な代物が、うちの署に……?」
「俺が用意させた」
「…………何故?」
「昔からゆうだろう?――『こんなこともあろうかと』、さ」

 そういってクスクス笑い出す長瀬に、早田は、それをゆうなら「備えあれば憂い無し」では?と突っ込むべき
かどうか迷っていた。

             第8話へ つづく

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