羅刹鬼譚 第6話 投稿者: ARM(1475)
第9章 鞘(さや)を見つけた

 再び、隆山署。
 署内は騒然としていた。殺戮から運良く生き延びられた早田の口から告げられた奇怪な殺人鬼を、一刻も早く
見つけだそうと、武装した警官たちが署内を走り回っていたが、事件発生から既に30分が過ぎていたが、未だ
にその行方が掴めずにいた。
 そんな慌ただしさの中、壁にめり込んで気絶していた柳川は、泣き叫ぶ早田の声でようやく目覚めた。

「……よかった……柳川さん……生きて……いた…………!」
「……勝手に殺すな」

 そう言って舌打ちする柳川は、自力で壁の中から這い出てきた。表面の傷は、腹部に受けた見えざる一撃のダ
メージで赤くなっている腹筋を覗き、鬼の血の驚異的な治癒力によって跡形もなく回復していた。平然としてい
る柳川を見て早田は暫し絶句する。

「……あの……骨折は?」
「頑強なタチでな」

 憮然とする柳川は首を、こきこき、と振ってみせた。そして、天井に走る通気管を睨み付けた。直ぐ上に、柳
川が開けた穴がある。
 柳川は穴を睨み付けたまま、赤くなっている腹筋をさすった。まだ少ししびれがあるらしい。
 そのさする指先が、ぴたり、と止まると、柳川は徐ろに、剥き出しになっている自らの腹に目を移し、僅かに
口元を吊り上げた。

「……ふむ。そうか、この傷の付き方は…………なるほどな」

 柳川はそう言って頷くと、今度は目の前にいる早田の全身をじろじろと凝視する。柳川の刃のような眼差しに
舐められるように見つめられている早田は、一瞬、欲情にも似た感覚に見舞われ、ぽぅ、と赤面した。

「…………伊勢は何処へ行った?」
「……伊勢?」
「あの死体だ」

 訊かれて、ようやく我に返った早田は、ああ、と両手をポン、と叩いて見せた。

「今、署員総出で捜しているのですが……」
「あれから、どれくらい経った?」
「えーと……そうですね、30分くらいですか」
「外に逃げた形跡は?」

 早田は面を横に振った。

「……そうだろうな」

 ぼそり、と呟く柳川に、早田はきょとんとなる。

「ヤツはわざわざ、この隆山署に入り込むつもりで死体になりすませていたんだからな」
「成り済ます…………」

 何処の世界に、バラバラ死体に成り済ます輩が居るのだろうか。事情を知らない早田は、しかしそのコトでツ
ッコミを入れるコトは止めた。この無愛想な警部が、この奇怪な事件の真相を知っているコトに早田も気づいた
のだ。

「……でも、なんでここに……」
「そこだ」

 柳川は早田を指した。

「伊勢は内調の人間だ。政治的圧力を使えば、どうどうとこの署に入るコトが出来るのにもかかわらず、だ」
「それは……コトを大騒ぎにして、何かから目を逸らさせようとしているのでしょうか?」

 早田の推測は、柳川のそれと一致していた。

「この署に、重要機密などあるのか?」
「さあ」
「俺も知らないのに、早田が知っているハズもないか」

 そう言う柳川に、早田はバカにされたと思いつつ、決して悪意のない言葉だと気づいて苦笑いするばかりであ
った。
 そこで早田は、あるコトを思い出した。

「……あれ……そういえば…………」
「?何だ?」
「資料室です」
「――!」

 早田の口をついた部屋の名前を耳にした柳川の顔に、閃くものがあった。

「資料室……」
「はい。署でそういう代物を扱うとしたら、あたしたちの鑑識課か、過去、署内で起きた事件をデータベース化
し、記録している資料室ぐらいしか……」
「資料室には、誰か行っているか?」
「……判りません」

 早田がそう応えると、柳川は天井を見た。

「……ビンゴだよ、早田」
「?」
「……通気管の先には、資料室があったな」

 あっ!と驚く早田を置いて、柳川は資料室に向かって駆け出した。

「警部っ?!」
「ついてくるなっ!うちの課長と武装警官を大勢呼んでこい!」

 走り行く柳川は、振り向きもせず言った。

 柳川は1分もかからず資料室の扉の前に着いた。
 とても閑かであった。

「――鞘を、見つけたぞ」

 資料室の中から聞こえたその声を耳にした途端、柳川は身構えた。無論、常人には聞き取れない微かな呟きで、
鬼の驚異的な聴力がなせる技であった。
 柳川は右腕を鬼の腕に変化させ、資料室の扉を粉砕して中に飛び込んだ。
 足許で朱色が飛沫いた。5、6人分ぐらいの量か。恐らくこの資料室に来ていた、あるいはやって来た同僚に
よってもたらされた血の海だろう。散らばっている肉片からは、原形など知るよしもない。
 その奥にある、天井にある大小の通気管の太いほうに大きな穴が開いたその丁度真下にある検索用の端末に向
かっていた全裸の男が、ゆっくりと振り向いた。

「……遅かったな」

 伊勢が、にやり、と嗤った途端、柳川は伊勢に挑みかかった。
 しかし伊勢は避けもせず、飛びかかってきた柳川をじっと睨んだ。
 バシッィン!空中で凄まじい激突音が轟き、飛びかかっていたベクトルと正反対の方向へ跳ね返されていた柳
川が、トンボを切って着地した。

「無駄だよ」

 ひゅん!柳川の耳に聞こえた、微かな風を切る音。柳川はその音に反応して飛び退くと、入れ替わるように、
着地していた床が弾けた。

「二度も喰らわん」
「流石は、雨月山の鬼の末裔――か」

 にいっ、と不敵そうに嗤う伊勢は、ゆっくりと腰を上げて柳川のほうへ向いた。

「鞘、とはなんだ?」
「教える必要は、ないね」

 ひゅん!またも、風を切る音。
 だが、柳川は鬼の腕に変化させた右腕を振っただけだった。続いて、振られた腕が向いた先の壁が炸裂した。

「ほう。気づいたか」
「見えざる一撃の正体、大体の見当はついている。――解せんものもあるが」
「ほう……」
「――何故、鼓動が聞こえる?」

 ぴくり。伊勢の眉が、僅かに動いた。

「血を失われているお前に、どうして心臓が鼓動する必要がある?」

 柳川は、にぃ、と嗤って見せた。柳川は伊勢の秘密に気づいていたのだ。

「不死徒(グール)には再生力が無い。にもかかわらず、お前はバラバラになっても元に戻るコトができる理由
が判らなかったのだが、な――これで判った」

 そう言うと柳川は、伊勢の見えざる一撃を受けて剥き出しになっている腹筋を指して見せた。

「お前の攻撃を受けたこの腹。爆発したと言うより、無数の刃物で切り裂かれたような爆ぜ方をしていた。それ
で、大体見当がついた」

 にやにや嗤っている伊勢は、黙って柳川の推論を聞いていた。やがて、その笑みが、ふっ、と消え去り、

「……やはり、レイシェル様の言うとおり、お前ら『鬼』は迂闊に手を出してはならなかったか。――だから、
ここまでさせてもらった」

 ぴしゃ。柳川の背後にある、資料室の入り口付近で、水たまりに足をつける音が聞こえた。

「――早田」

 柳川は、資料室の入り口に突然現れた早田の存在を、振り向きもせずに見抜いた。早田は資料室に広がる惨劇
を目の当たりにして蒼白していたが、声一つ出せずその場に立ち尽くしていた。

「……何のためにその女を生かしておいたか、コレで判ったか?」

 柳川は、ちぃ、と舌打ちした。

「おっと、待てよ、柳川。迂闊な真似をすれば、途端にその女はバラバラだ。判って居るんだろうな」

 伊勢がそう言った途端、早田の左肩から鮮血が噴き上がった。声も出せず身体の自由さえも奪われている早田
は、何が起こっているのか理解できず、一層当惑の色を深めた。
 伊勢は柳川に睨まれながらも、ははは、と嗤って見せた。

「とりあえず、ここでしか判らなかったコトはもう調べた。あとは、俺が無事にここから出て行くまで、その場
で何もするなよ。そうすれば、後ろの女も、他の署員にも手を出さん――――?」

 警告する伊勢は、いつの間にか、くくくっ、とせせら笑っている柳川に気づき、眉をひそめた。

「……何がおかしい?」
「――お前は、3つ、間違いを犯している」
「3つの、間違い?」

 すると、柳川は人差し指を立てた右手を突き出して見せ、

「ひとつ。それは、お前が俺を良く判っていないコトだ」

 そう言って柳川は一歩前に出た。

「――柳川っ?!後ろの女がどうなっても良いのか?」
「勝手にしろ」
「――なっ?!」

 伊勢は、まるで人質など眼中にない柳川に唖然とした。

「……価値観の対立に、その存在意義が相対性だけにかかっている善悪など無意味、というのが俺の行動理念だ。
わかるか?――俺の妨げとなるモノはすべて、俺にとって敵だ。俺には、敵か、味方か。――それだけだ」

 そう言ってまた一歩進む、柳川にとって、邪魔なだけの人質など、殺されても仕方のない存在なのだ。

「ば、ばかな――」
「ふたつ――」

 そう言って今度は突き出している右手の中指を立ててVサインを作った。

「お前は、手の内を見せながら、あの時、俺を斃しきれなかった――――」

 ぐおっ!突然柳川の姿が消失した。――次の瞬間、伊勢は、斜め上から降ってきた鉄パイプに左胸を刺し貫か
れ、吹き飛ばされるように背後の壁に突き立てられた。超スピードで飛び上がった柳川が、天井に走る2本の通
気管のうち、細いほうの通気管を引きちぎってそれを伊勢の胸に突き立てたのだとは、誰が直ぐに判ろうか。
 同時に、早田は全身を縛られていた奇怪な感覚から解放され、その場に経たり込んで喘いだ。

「声が……声が、やっと出せる……!?」

 早田の視界からも瞬時に消え去っていた柳川は、いつの間にか、壁に串刺しになっている伊勢の正面に立って
いた。

「ば……ばかな……?」
「バカはお前だ」

 早田のほうからは見えない柳川の顔は、この世ならぬ悪鬼のような邪笑を浮かべていた。

「お前の理解しがたい再生力の正体は、全身の毛細血管にまで血液の代わりに行き渡っている、超々極細の綱糸
によるものだ。それが、バラバラにされた肉片をつなぎ止め、直ぐにつなぎ合わせる。そして、それを制御して
いるのが、心臓だ。心臓の心拍運動によって、血管中の綱糸を操っていた。――だから、その心臓だけは、こん
なふうに潰されてしまっては流石に再生出来ないようだな」
「ぬぬぬぬぬぬぅぅぅ…………!」

 伊勢は、胸を貫く鉄パイプを掴み、必死に引き抜こうとするが、壁の反対側まで貫通しているそれを引き抜く
ことがどうしても出来ず、じたばたと足掻いた。
 そんな伊勢に、柳川はVサインを作って突き出していた右手の薬指をゆっくりと立てて見せた。

「みっつ。――それは、俺を怒らせたコトだ」

 そう言った途端、串刺しになった伊勢の全身を、鬼の手に変えた柳川の乱打が襲う。マシンガンのような拳打
の嵐に、伊勢の身体はみるみるうちに細切れになって行くが、肉片をつなぎ止めている超々極細の綱糸を制御す
る心臓が無くなってしまった今となっては、もはや千切れ跳ぶ肉片は再生する術も無い。
 やがて、柳川がその身を翻すと、伊勢が突き刺さっていた壁が粉々に砕け、辺りに散らばった伊勢の身体の肉
片を押し潰していった。

「や……柳川……警部…………」

 早田は、あまりの光景に失禁している自分にも気づかず、ゆっくりと自分のほうへやってくる柳川を見ていた。
 人質の命などどうなっても良い、とまで言ってのけ、人ならぬ圧倒的なパワーであの怪物を素手で斃したこの
冷酷な男に、どうして恐怖心を抱かないのだろうか。困惑する早田は、その理由が、怪物を斃して振り向き、無
愛想な顔で自分に一瞥をくれたこの男の眼差しが、不思議なくらい穏やかな色をしている所為だと気づいたのは、
いつの間にか、端末のほうに足を向けている柳川の背を暫し呆然と見つめていた時だった。

「……これが『鞘』?」

 柳川が凝視する端末に映し出されていたモノは、20年前に雨月神社から盗難されていた、次郎衛門が鬼退治
に使用したとされる『刀』に関する捜査報告書であった。
 柳川が食い入るようにそれを見ていたその理由は、盗難された『刀』の鞘が見つかった場所が、一重から預か
ったあの資料に記載されていた隆山海岸の×印と奇しくも一致していたためであった。

                第7話へ つづく

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