姫川琴音誕生日記念SS「うしおが最期に跳んだ日」(前編) 投稿者: ARM(1475)
(注意!)このSSは『To Heart』姫川琴音シナリオのネタバレ要素がある話になっております。

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 姫川琴音。藤田浩之が通う海葉高校の一学年下の、一年生である。
 浩之が初めてその可憐な美貌を見た時、その貌には不似合いな陰りがあった。

 疫病神。

 彼女に関わった者は、皆、彼女をそう呼んでいた。
 琴音は、不幸を予知できる不思議な少女であった。それは高校の入学式当日に起きた事故を予知したことから、
一躍、他の同窓生たちにもその不思議な力が知られるコトとなった。
 琴音が不幸だったのは、琴音のそれまでを知る生徒がその場に居たコトだった。

 疫病神。

 その生徒が洩らした一言が、琴音を他の生徒たちから隔絶させる原因となっていた。

 そんな寂しげな美少女に、さり気なく近寄ってきた者がいた。
 それが、藤田浩之だった。

 浩之にしてみれば、琴音に声をかけたのは、単なる興味本位であった。

 しかし、今思えば、果たしてそれだけだったのだろうか。

 浩之は、一人で居ようとする琴音に疎まれながらも声をかけ続けた。ようやく琴音が心を開き始め、やがて琴
音の話を聞いているうち、その力に違和感をおぼえた時、浩之は琴音を苦しめているその忌まわしい力の秘密に
気づいた。そして、それを証明しようと、浩之は校舎の屋上の金網柵に開いていた穴から墜落してしまうという
予知に抗うぺく、文字通り命懸けの行動をとったのである。
 果たして、琴音の予知能力の正体が、無自覚による念動力であるコトを見事証明したのである。

「……藤田さん!こんな無茶をして……!あたし……あなたに何かあったら、神岸先輩にどう言えばいいのか……」
「気にしない、気にしない。結果、オーライ、だ」

 浩之は余裕があるかのようにへらへらと笑ってみせるが、まだその両足は墜落しかけたショックでガクガク震
えていた。

「そんな軽々しく言わないで下さい――――あ……っ?」

 浩之の態度に琴音は激昂するが、急に眩暈を覚え、前のめりに倒れ込んでしまう。浩之は慌てて倒れ込む琴音
の身体を抱き留めた。

「大丈夫か?」
「はい……力を……使いすぎたみたいです…………でも……よかった……」
「よかった?」

 琴音は浩之の胸の中で頷いた。

「あたしのために…………あなたを……失わなくって…………よかった」

 そう言って琴音は浩之の胸の中で安堵の息を吐いた。浩之は次第に緊張が解けて和らいでいく琴音の笑顔をみ
て、一言、ごめんな、と告げた。

 翌日の放課後、浩之は琴音を、恋人の神岸あかりに紹介し、今までの経緯を説明した。、琴音はあかりのコト
を少し警戒していたようだが、浩之のコトを誰よりも理解しているあかりは、校内に流れている噂など眼中に無
いかのように琴音に臆することもなく優しく微笑んでみせ、よろしくね、と握手を求めてきた。
 はにかむ琴音がその暖かそうな掌に自分の右手を重ねた時、琴音は、ようやく今まで自分を苦しめてきた忌ま
わしい呪縛から解かれたような気持ちでいっぱいになった。だから、不意に涙が溢れ出てきたのも無理のないコ
トだった。
 突然、泣き出した琴音に、あかりは驚いて、別に自分が悪いわけでもないのに、ごめんね、ごめんね、と理由
も確かめず狼狽した。そんな二人をみて、浩之は困ったふうに苦笑するばかりであった。
 その日からだったか。琴音が、校内で笑顔でいる時間が増えたのは。あかりを慕う琴音は、まるで実の姉妹の
ようにあかりに色々相談事を持ち込むようになり、それがいつしか他愛のない学校生活の出来事だけに変わって
も、三人の間はとても円満であった。

 夏が終わり、街路樹の銀杏に黄色が灯り始めた頃、浩之たちのそんな風景が少し変わり始めていた。

「今日も琴音ちゃん、先に帰っちゃったみたい」

 放課後の教室であかりが戻ってくるのを待っていた浩之は、残念そうな貌を持ってきたあかりに、そうか、と
答えた。

「……ねぇ、どうしよう?今週末、琴音ちゃんの誕生日なのに、あたし何も彼女から欲しいもの聞き出せないの」
「あかりもか。俺も、ここしばらく琴音ちゃんと話す機会がなかったからなぁ。うーん、困ったぞこれは」
「……何かわたし、琴音ちゃんに嫌われるようなコト、したのかしら?」
「そんなコトはないさ。お前、他人からは恨まれないタイプだし」
「そんなことないよぉ」

 あかりは少し困ったふうに言って項垂れてしまうが、浩之はあかりが本当に他人から恨まれない得な人格の持
ち主であることを、自信を持って信じていた。だからこそ、真っ先に琴音のコトを紹介し、力になって欲しいと
頼んだのだ。

 浩之たちは琴音と一緒に下校することを諦め、心持ち寂しげに教室を後にした。

「……最近、琴音ちゃんの様子、変なの」
「変?」
「うん。……お話には来てくれるんだけど、なんか……うわの空みたいな雰囲気なの」
「うわの空、かぁ……」

 あかりに言われてみて、浩之は、最近の琴音の様子が少しおかしいコトを思い出した。

「何か悩みでもあるのかしら……」
「それなら、なおさらあかりに相談して欲しいよな。――あかりにも相談できないコトかなぁ?」
「どんな悩みかしら?」
「それはずばり、恋の悩みねぇ」
「「うわぁっ!」」

 突然、廊下を歩いていた二人の間に割り込むように、何の前触れもなく志保が出現した。

「突然わいて出てくるなッ!」
「何よ、ヒロ、人をゴキブリみたいに言って……!」

 睨み合う二人を、あかりは苦笑しながら、まぁまぁふたりとも、となだめる。

「べぇー、だ。――それよりも、あのエスパー琴音ちゃん、今日も一緒じゃないンだ?」「まぁ、な。しかし志
保、なんで琴音ちゃんの悩みが恋だなんて言えるんだ?」
「ふっふっふっ。それがあたしの凄いところ」

 志保は、にぃ、とほくそ笑んでみせる。

「何が、凄いところ、だよ。まさかお前までエスパーだ、なんて言うんじゃないだろうな」
「ふっ。バレちゃあ仕方ない。そう、この長岡志保サマは、銀河の中心からやって来たスーパーウーマンなのよ!」
「……うーぱーるーぱー?」

 ここぞと言うところで、あかりがボケた。あまりにもサムいボケに、浩之と志保は激しい脱力感に見舞われた。

「……その、あかりちゃんギャグ、大・却・下(汗)」
「……あうぅ。あかりのボケは腰にクるわぁ(汗)」
「え?え?」

 当惑しているあかりをみて、浩之も志保も、今のはあかりちゃんギャグではなく、聞き間違いから来た本物の
ボケであったコトを知り、困憊しきった溜息を吐いた。

「……はぁ。こうゆうオンナだから、琴音ちゃんも恋の悩みなんて相談できないよねぇ」
「だから、どーして恋の悩みだなんて言えるんだよ?」
「ふふぅん。――オ・ン・ナ・の、勘よ」
「……相変わらず根拠ねぇなぁ、お前の言動」
「あによぉっ?!」

 バカにされた志保は文句を言い始めるが、呆れて頭を抱える浩之はそれを無視した。

「……相変わらず、にぎやかさんやなぁ、あんたら」

 そんな浩之たちへ、独特の方言を持つ主が声をかけてきたのは、そんなときだった。

「あ、保科さん!あれ、珍しいね、まだ学校にいたんだ」
「山岡センセの手伝いや。今どきガリ版でホームルーム用のプリント刷るなんて、非常識もイイところやわ」
「それは災難だったな、委員長。あの先生、パソコンの類からきし駄目だからなぁ、ってゆうか、まだうちの学
校、ガリ版が現役なのか(笑)」
「本当、メイドロボットやエスパー少女が居る時代だとゆうのにねぇ」

 そう言って、うんうん、と頷く志保に、傍らにいた浩之は、オオカミ少女も居るのになぁ、と突っ込もうかと
思ったが、話がこじれそうだったので、後ろ髪を引かれつつそれは諦めた。

「……なぁ、藤田君たち。ちょっと、ええ?――その、エスパー少女の件、あんたらの話を耳にして、ちょっと
心当たりがあるんやけど」
「え?相手は誰なの?」

 志保の目がランランと輝く。こういう話になると無駄に情熱を費やす少女なのである。そんな志保を見て、浩
之やあかり、智子さえも呆れ返ってしまった。

「……ちゃうわ。――ひとや、無いの」
「「「???」」」
「ほら、臨海公園に、海洋博物館があるやろ。――相手は、そこに居る、イルカや」

   *    *    *    *    *    *

 智子が、海洋博物館の大水槽前で、どこか寂しげな琴音の後ろ姿を目撃したのは、昨日の日曜の午後であった。
 その日、智子は、神戸から出張で東京に来ていた父親と久しぶりに再会した。こうして智子は母親に内緒で時
々父親と会い、東京にある名所を回りながら神戸の話を聞いているのだが、昨日は関東で一番大きな海洋生物用
の大水槽を見てみたいと言われ、隣町にある問題の海洋博物館を訪れたのだ。智子はそこで偶然、琴音を目撃し
たのである。

「今日もいるのかなぁ」

 浩之とあかり、志保そして今日はヒマだからとついてきた智子たちは、問題の海洋水族館の前にやって来た。

「どうする、浩之ちゃん?」
「折角だから入ってみよう」
「長岡サン、うちらはどうする?」
「保科さん、言っておくけど、今日はこの二人のデートなんだから、野暮はなしね」
「志保、お前なぁ(^_^;。――大丈夫、みんなの入場料は俺が持ってやるよ」
「「らっきぃ!それでこそ主人公、藤田浩之!」」

 珍しく志保と智子が声を揃えて喜んだ。志保ならいざ知らず、智子の意外なセコい面を見たようで、浩之とあ
かりは驚き半分新鮮ささえおぼえた。浩之は全員の入場券を買ってそれをあかりたちに渡し、海洋博物館へ入っ
ていった。
 今日は休み明けの月曜だが、平日にも関わらず人の入りは多かった。この海洋博物館が出来たのはもう3年も
前になる。当時、都内でイルカショーが観覧できる水族館と言うコトで、毎月のように各トレンド雑誌や週刊誌
などがデートコースとして紹介し、連日のように多くの観客が訪れていた。バブル景気が弾けた所為もあるのだ
ろうが、その頃の勢いはもう無いが、それでも閑古鳥とは無縁の入場者数を記録し続けている。
 あかりと志保がこの水族館を訪れたのは初めてだったという意外な事実を知ったのは、二人して妙にはしゃい
でいるのを不思議がった浩之がそれとなく聞いた時だった。

「東京に住んでいる者ほど、東京名物にはあまり縁がないのよ。東京タワーだって、サンシャイン60だって新
都庁舎だって、行ってみたいとは思ってみても、進んでいく気にはならないしね」
「それは意外だな。ナントカと煙は高い所が好きだって聞いていたが」
「…………どーゆー意味よ?!」

 またもや、懲りずに浩之と志保が睨み合う。毎度のコトと呆れながら仲介するあかりの横で、智子は、やれや
れ、と肩を竦めてみせた。
 そうこうしているうち、浩之たちは問題の大水槽にやってきた。しかしその前には琴音の姿は見当たらなかった。

「保科さん、本当に琴音ちゃん、ここにいたのぉ?」
「なんや、その胡散臭そうな言い方?昨日は確かに、ここにおったんや!ここで、なんか元気のないイルカをじ
っと見とったんや」
「イルカ、かぁ……」

 んー、とあかりは小首を傾げた。やがてその顔が閃くと、浩之の腕を手で軽く引いた。

「浩之ちゃん。確か、イルカの曲芸ショー、外にあるプールで催っているんだよね?」
「ん?――あ、ああ、そういや、イルカショーって外だっけ。もしかするとそこにいるのかもしれんな。みんな、
行こう」


「あかり、えらいっ!」

 志保が思わず両手を叩いて感嘆したのは、イルカショーが催されている大プールの、一番水際にぽつんと座っ
ている琴音の後ろ姿を目撃したからである。

「おーい、こと――」
「ちょっと待ってくれ、志保。……なんか、様子が変なんだ」
「?」

 声をかけようとして浩之に止められた志保は、そこでようやく琴音の様子が変だと言うコトに気づいた。

「……もしかして、あの娘、泣いてない?」

 そう言うと智子は眼鏡を外してハンカチで拭き、もう一度掛け直して確かめたが、それは錯覚ではなかった。

「……どうして泣いているのかしら?」
「ヒロが変なコト要求したんじゃないの?キスさせろとかヤらせろとか」
「……お前なぁぁぁぁぁ(怒)」
「志保ぉぉぉぉ(汗)。そうゆうの、女のコがゆうのはよくないと思うよぉ」
「……サイテー」
「あによぉ、保科さんまでそんな目で?ちょっとウエットに富んだジョークよ、ジョーク――あ」

 苦笑する志保が誤魔化すようにプールのほうへ振り向くと、そこで、自分たちに気づいてこちらを見ている琴
音と偶然目があってしまった。

「いかん、隠れなきゃっ!」
「隠れてどうする?(笑)――おぉい、琴音ちゃん」

 浩之は今さら繕っても仕方ないと思い、泣き顔でこちらを見ている琴音に声をかけた。

「……え?藤田さん、神岸さん、それに保科さん……」
「こら。あたしの名前は何故出てこない?」
「無理ゆうない、志保は他のクラスだろうが」
「何をゆうか藤田氏。海葉高校イチの情報屋、長岡志保サマを知らない生徒はモグリも同然!――さてはあんた、
琴音ちゃんの偽者ねっ!」
「「「だから、何故そうなる?(笑)」」」

 琴音を指す志保に、浩之たちは同時に突っ込んだ。その様を見て、初めはおどおどしていた琴音も、つられる
ようにクスクス笑い出した。

「――ふふん、勝ったっ!」
「「「だから、何故?」」」

    *    *    *    *    *

「このイルカが……」

 浩之は、プールに漂うように泳いでいるイルカを見ていた。その隣には、泣きベソの琴音を抱いてなだめてい
るあかりと、浩之と同じように問題のイルカを見ている志保と智子が居た。

「……見えてしまったワケか……このイルカの最期を」
「でも、変じゃない?ヒロが身体張って証明したンでしょ、琴音ちゃんの能力が予知じゃないって?」
「このイルカ、さっきそこの係員に訊いたらな、結構トシくっとるんやと。人のそれに換算して、ざっと90歳
のお爺さんらしい、って」
「……えっく」

 泣き顔の琴音は少し辛そうな顔を上げ、

「……別に、事故で死ぬのが覚(み)えたんじゃないんです。……多分、老衰か病気かだと……」
「琴音ちゃん、前にイルカが好きだって言っていたけど、このイルカのコトだったのか」

 浩之の言葉に、琴音は頷いた。

「……このイルカ……うしお、って言うんですが、わたしが生まれた頃、海洋学者のパパがメキシコのカリフォ
ルニア湾で捕獲したハンドウイルカなんです。しばらく地方の水族館で飼われていたんですが、この海洋博物館
が出来て、パパと同じ研究所で海洋生物学者だったママがこの博物館に再就職した時、もう老齢だったのをママ
のコネで引き取られて、この大水槽で余生を送っていたんです……。普通、飼われている野生のイルカは、老齢
に達する遙か前にみんな死んでしまうのですが、うしおは捕獲された時から既に人になついていた為なのか、老
齢まで生きている珍しいイルカなんです」
「ふぅん。それじゃあ、浅からぬ縁がある琴音ちゃんとは、姉弟みたいなコなんだな」
「今、ママが、うしおの面倒を見ているのですが……多分、もう駄目だって……」
「ママ?どこどこ?」

 それを聞いて、志保がプールの周囲を見回した。情報屋の志保としては、女性から見ても溜息が出るほど綺麗
な美少女の母親がどんな顔をしているのか知りたいと思ったのだろう。

「……あすこです。反対側で、別のイルカに餌を与えています」

 琴音に言われ、浩之たちは琴音が指している方向を見た。
 確かに、プールの反対側で、群れているイルカたちに餌のアジを与えている、緑色の帽子を被る、軽快そうな
服装の女性が居た。

「あ、そういえば、おばさんだ」
「あかり、知ってるの?」
「うん。前に琴音ちゃん家に遊びに行ったときに。とても利発そうで素敵な女性だったよ」

 言われてみて、浩之は琴音の母親が、琴音に良く似た美人だというコトに気づき、その美貌をまじまじと見つ
めていた。その様子に気づいた志保は、ニヤリ、と意地悪そうに笑い、

「いけないなぁ、藤田少年。相手は人妻だぜぇ、不適切な関係は御法度だぜぇい」
「バカヤロ(笑)誰が逆上せるか」

 志保に揶揄されて我に返った浩之が、ムキになって反論する。そこへ、どこか不安そうなあかりが、浩之が着
ている学生服の裾を少し引っ張って見せた。

「……信じて、いい?」

 すがるように訊くあかりに、浩之は苦笑し、バカ、と言ってその額に軽くチョップした。チョップされたあか
りもクスクス笑っている辺り、本気で訊いたものではないと判るだろう。そばで見ていた琴音は、泣き顔で微笑
んでいた。

「それにしても、なんでまた琴音チャンに、このイルカの死期が見えたんやろ?」
「そこだ」

 不思議がる智子の鼻先を、浩之が指して見せた。

「――琴音ちゃんがイルカが好きだって聞いた頃、学校の図書館でイルカについて色々資料を読んだコトがある
んだ。なんでも、イルカには色々な超能力があるそうで、人語を解したり、道具を使って人間と会話したり――
中には、イルカにはテレパシーがある、っていう説もあるらしい。群を成して生活するイルカたちが、海中で互
いのコミュニケーションを取る手段として、鳴き声だけでなく、テレパシーを使って意志の疎通を行っているっ
ていうそうだ。……もしかすると、琴音ちゃんは、死期を悟ったこのイルカと、そのテレパシーみたいなもので
意識を同調させてしまったんじゃないのか?」
「……そうかも……しれません……」

 琴音はゆっくりと頷いた。

「子供の頃から、うしおの体調が悪いとき、何となくあたし、感じていましたから……。今回も、学校から帰る
途中、問題の幻視をして慌ててここへ来たら、かなり元気なくしていました……」
「ふぅん。――でも、変ね。その事、琴音ちゃんはママから聞いていなかったの?」

 志保の疑問はもっともである。うしおというイルカを世話しているのは他ならぬ琴音の母親だからだ。琴音が
お気に入りのイルカの大事を、どうして告げないのか。
 すると琴音は、どこか気まずそうに首を横に振った。

「……ママとは……あまり……」

 そんな琴音を見て、浩之とあかりは、肝心なコトを思い出した。
 疫病神とまで言われた琴音の能力の秘密が明らかになった今も、琴音は両親とはあまりうまく行っていないら
しいという事実を、である。
 あかりが琴音の家に遊びに行ったときも、変則的な出勤前の慌ただしい時だった為もあるのだろうが、ろくに
挨拶もせずさっさと家を出ていったのを見て、あかりは唖然となったものだ。
 近寄る者が皆不幸になると言う事実は、それがたとえ血を分けた肉親でも容赦はしなかった。あるいは、その
物騒な力の所為で、琴音の両親は色々他人との付き合いで幾度も気まずい思いをしてきたに違いない。琴音はそ
ういう生き方を強制されてきたのだ。
 浩之が琴音のコトが気になったのは、それに気づいたからなのだろう。浩之は両親とは仕事の都合でほとんど
別居状態にある。琴音と違い、自由奔放な性分の男だから特に苦にも感じていないのだろうが、しかし心のどこ
かでは、親との交流がない子供の寂しさを感じていたハズだった、そうでなければ、琴音にここまで下心抜きで
感情移入出来るハズもない。あかりも、そんな琴音が、一番好きな少年と重なって見えたからこそ、こんなに優
しくなれるのだ。
 そんなに優しくしてあげているにもかかわらず、琴音が大切にしているイルカの大事をどうして自分に相談してくれないのか、と、あかりは少し寂しがった。
 いや、相談されたところで果たして本当に力になってやれたのかどうか怪しいのは事実である。自分は神様で
も魔法使いでもない。死にかけている生き物を救ってやるには、最低でも医学の心得は必要である。それでも一
言相談してくれれば、琴音の悩みは少しは軽減できたかも知れない。そんな想いがあかりの心の中に漂っていた。
 だが、琴音が黙っていたのはあるいは、大好きな人たちに心配をかけまいと思ってのコトなのかも知れない。
あかりはあえてそう考えるように務めた。
 そんな時だった。甲高い笛の音が、浩之たちの鼓膜を激しく叩いた。

「――うしおっ!こちらに来なさい!――――琴音?」

 警笛でうしおを呼んだ琴音の母親は、そこでようやく娘の存在に気づいたらしく、しばし浩之たちのほうを見
つめていた。
 やがて琴音の母親は、こう一喝した。

「――琴音!ここへ何しに来たの!?ここはあなたのような者が来る場所じゃないのよっ!」

 何をいわんとしているのか、この親子の関係を知る浩之たちには直ぐに理解した。たまらず舌打ちした浩之だ
ったが、直ぐ隣で、実の親に冷たく怒鳴られ、みるみるうちに顔を曇らせていく琴音に気づいた。

                      つづく