東鳩王マルマイマー第12話「鬼神の方舟(Aパート:その2)」 投稿者: ARM(1475)
【承前】

 あかりは、浩之の胸の上で小さな寝息を立てていた。
 少し前までは、浩之の求める動きに敏感に反応し、その腕の中で激しく喘ぎ蠢い
ていたのだが、いつにも増して激しい浩之に応えたためか、疲れ切って先に寝てし
まったようである。
 浩之がいつもより激しかったのは、マルチの所為だった。
 二人の逢瀬は、その締めを浩之の自宅ではなく、ほとんどがデート先のホテルに
選んでいた。浩之の家にはマルチがいる。彼女の直ぐ隣で交歓するのは流石に二人
とも気がひけるらしい。マルチに留守番を頼み、二人して適当に街をぶらつき、家
に戻る前のひとときを利用していた。何となく若い夫婦が子供に遠慮して外に行く
みたいだな、と浩之が揶揄すると、あかりはこれ以上ないくらいに顔を真っ赤にし
てみせたのが、浩之には印象的だった。
 浩之はしばらく、自分の胸板にべったりと沈んでいるあかりをじっと見つめなが
ら、丁度手許にあった、その綺麗な栗色の髪の毛先を弄んでいた。
 安心しきっている顔だった。あかりにとって、浩之のそばにいるコトが、この上
なく安らげる時間なのだろう。こんな寝顔を見ていると、浩之はあかりと出会うべ
くして出会った存在なのだろう、――そう、二人が出会うのは遠い昔から運命づけ
られたものと思えてならなかった。
 そんなふうに考えているうち、浩之は、神などと言う曖昧な存在にすべてを押し
付けるつもりはないが、人と人との出会いは、途方もない見えざる力の仕業である、
と思うようになっていた。
 初恋相手があのレミィという事実、屈指の大富豪、来栖川姉妹と知り合えたり、
そして、美しいこころを持ったロボットの少女、マルチとの出逢いと別れ、そして
再会。――自分も含めたそのすべてが、人類の存亡に関わる巨大なうねりと結びつ
いていたとは、浩之自身、彼女たちと出逢った時点では想像もつかなかったコトで
ある。これもまた、出会うべくして出会った、運命なのだろう。
 彼女たちはそのうねりに敢然と立ち向かっている。
 しかし、自分は何をしているのか?――それが、何が出来るのか?に変わった時、
浩之は長瀬主査に協力を申し出た。これは避けられない運命なのだから、と悟った
からだ。

「……生きる、ってそう言うことじゃないのかな」

 浩之は今夜、あかりとのデートで入ったレストランで、あかりにMMMへの参画
を決意した旨を伝え、その理由を告げた時にあかりから笑顔と一緒に返された言葉
である。

「……生きるコトは戦うコトだ、って言うよね。……でも、戦う、って、相手を倒
し殺すコトに繋がるでしょう?――生物学的な見地からみれば確かに、『弱肉強食』
っていう言葉があるように、優秀な種を残す為に当然のコトだと思うわ。なら、弱
い者を守る行為は、生きる、ってコトを否定するコトになってしまうでしょ?矛盾
していて、おかしいよね?……だからあたし、生きるコトは決して戦うコトなんか
じゃないと思うの。――あたしが思う『生きる』ってコトは、『自分が生を受けた
理由を知るため』なんだと思う。弱い者も強い者も、弱肉強食のルールなんか関係
ない。『何のために』生きるのか。戦いはそれを知るための付随された行為……じ
ゃないかな?」

 浩之とテーブルを囲み、珍しく饒舌に、そして熱く語るあかりを見て、浩之は少
し嬉しい気分になった。二十歳を過ぎてもいつも自分の後をひょいひょいとつきま
とっているだけの子犬のようなあかりが、いつのまにかこんなに広い視野を持って
自立した女性に変えてくれたのが、彼女が忌み嫌っているものだったとは、なんと
も皮肉なものである。

「……まだ、マルチちゃんたちがエルクゥたちとの戦いにかり出されるコトを許し
ているワケではないけど、それでも、あの娘たちが、こころをもったあの娘たちが、
自分たちがこころを得た理由を知るための戦いだと言うのなら、そして――こころ
を守るための戦いというのなら、あたしはもう何も言わないことに決めたの。だか
ら、浩之ちゃんがマルチちゃんたちを手助けするのには文句は言わない。……でも、
これだけは約束して」
「……約束?」

 浩之が聞き返すと、あかりは自分の小指を差し出した。

「……二人とも、もう無茶だけは、しないでね」

 浩之は黙って自分の小指を、あかりの小指に絡ませた。

 その浩之の小指が、あかりの毛先を弄んでいた。

「ん……んん……浩之……ちゃん?」

 ようやくあかりが目覚めた。上目遣いで微睡むあかりの目が、微笑む浩之の顔に
注がれた。
 浩之はそんなあかりを見ているうち、勢い良く沸き上がる征服感を押さえきれな
くなり、あかりの身体を引き上げて唇を重ねた。あかりの寝起きの身体は弛緩しき
っていたため、成すがままにあった。もっともあかり自身に抵抗する気は無かった
が。
 浩之は身を起こし、仰向けになっているあかりの上に覆い被さった。初めて抱い
た頃の乳臭さをとうに払拭している、凹凸がはっきりとしている大人の女性の身体
だ。その変化は、肌を幾度も重ねた浩之には良く知っていた。浩之はあかり以外の
女性を知らない。知ろうとも思わなかった。あかりの身体は浩之にまじまじと見つ
められ、ゆっくりと紅潮していく。
 浩之の身体が、朱を帯びた白い海へ沈んでいく。浩之がその白い海におぼれるた
び、白い海は声を荒げて波を高く立てる。二度目のそれは、先ほどより荒々しかっ
た。
 目覚めたばかりのあかりの頭は、快楽に支配されていた。あかりは進んで浩之の
上に乗り、堪らず声を挙げた。今度は浩之という海にあかりがおぼれる番だった。
 脊髄を幾度も走り抜ける快感が、今まではっきりしていた浩之の意識を次第に曖
昧なものへと変えていく。
 愛おしいあかり――愛おしい牝――愛おしい――愛おしい――マルチ。
 それは錯覚か。浩之の視界に写っていた、浩之の身体の上で悶えているあかりの
姿が、いつしかあのロボット少女に変わっていた。
 その途端に、浩之の身体の底から、何か重々しいものが吹き上がってきた。
 先ほどあかりを抱いたときにも同じコトが起きていた。途中で、悶えていたあか
りの姿がマルチに変わってしまったのだ。それと同時に、浩之の攻めが激しくなっ
た。浩之は荒れ狂っていたマルチをベッドに押し倒し、貪るようにその身体にのめ
り込んだ。
 あかりが――いや、今はマルチが、急に激しさを増した浩之の動きに耐えきれず、
悲鳴を上げる。拒絶する悲鳴ではなく、女として、いや、牡を受け入れ快楽に悦び
悶える牝としての快楽の悲鳴を叫げていた。
 浩之、浩之、浩之――――幾度もマルチの顔をしたそれが自分の名を呼ぶ。

 マルチぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

 目の前で悶える牝がマルチであると思えば思うほど、浩之の動きが激しさを増す。
必死にその名を口にするのを、浩之は僅かな理性で堪える。それでも耐えきれなく
なり、浩之はその不様な口をマルチの唇に押し当て、叫ぶのを堪えた。
 やがてマルチが浩之の唇を押し退け、ケモノのような絶頂の声を上げる。浩之は
それに呼応するようにマルチの奥で思いっきり果てた。
 激しい快楽に顔を真っ赤にし、涙とよだれまみれになったその貌は、いつしか神
岸あかりに戻っていた。
 その一瞬、浩之は自己嫌悪に陥る。
 俺は、誰と愛し合っていたのか、と。

(藤田君――藤田君――)

 誰かが、浩之の名を呼んでいた。
 浩之は声のするほうへ振り向くと、そこにはあの黙示政樹が、笑みを浮かべて立
っていた。

(きみは、ぼくと同じなのだよ)

(……違う)

(違う?なら、きみの上で喘いでいるのは誰だい?)

 あかり――いや、マルチだった。全身を浩之の白濁した体液に汚されてながらも、
さざ波のような快楽の連続に我を忘れ、浩之の上で淫靡な動きを続けながら悶え喘
ぐマルチだった。

(それが、きみの望みだ。マルチを犯したいという、きみの本心からの望み)

(違うっ!!)

(違わない。――きみは、ぼくと同じだ)

 狼狽する浩之をあざ笑っていたのは、他ならぬ浩之自身だった。

「違うっ――――!!」

 起き上がった浩之は、正面にいた男の肩を鷲掴みにした。

「――痛ぁっ!」
「……あ?」

 浩之は、いつの間にか、正面で屈んでいた観月の両肩を両手で鷲掴みにしていた。
 異様な感覚。濡れたような感覚が右掌に染みわたる。――血だった。

「観月さん!?」

 驚いた浩之は、苦痛に顔を歪める観月の両肩から手を離した。痛みに耐えきれず
もたれかかってきた観月の身体を、浩之は慌てて抱き留めた。

「ご、ご免なさい!――で、でも、どうして……?!」

 自分が置かれている状況を早急に把握せんと、浩之は辺りを見回した。
 見覚えのある光景。そう、ここは機動整備巡航艇TH壱式の管制室の中だった。

「……ここは――いや、そうか、あの時――おっさん、無事か?」
「やっと目が覚めたようだな」

 長瀬は、管制室の右にある航行制御用回路が集中しているパネルを開いて中を覗
いているところだった。どうやら点検か修理を行っている様子である。

「お前さんが目覚めたところで、全員の無事は確認された」
「そうか……」

 浩之は、ほっ、と胸をなで下ろす。そして、ふと、正面にあった艦橋のフロント
ガラスから覗けた外の光景に、絶句してしまった。

「――――なんだ……この……ネガポジ反転した宇宙みたいなものは…………?!」

 凄まじい光景だった。暗黒の中に光瞬く星々を写真に撮り、そのネガの配色をそ
のまま印画したような風景が、TH壱式の外に広がっているのだ。

「ここは、並列空間らしい」
「並列――」

 観月の返答に、浩之はどうしてこんなところにいるのか、混乱する頭の中で整理
し始めた。

「……えーと、……そうだ……壊れたマルチを助けようとARFの上空にやって来
たとき、再生したEI−08が発動して……次元崩落か……それで――――マルチ
――そうだ、マルチ?!」

 浩之が飛び上がるように立ち上がり、艦橋のフロントガラスにへばりついて、ネ
ガポジ反転した外界を見渡した。

「おっさん、おっさん!!?マルチは、マルチは??」
「落ち着け、藤田くん」
「コレを落ち着いていられるかってんだっ!マルチも一緒に次元崩落に巻き込まれ
ているんだぞ!早く回収してやらな――回収済みなのか?」
「そこから2時の方向を見な」

 観月がそう言うと、浩之は右斜め上の方角を睨んだ。
 そこには、緑色に煌めく星がひとつ、在った。
 決して手の届かぬ星ではなかった。この並列空間でも浩之たちの居た三次元の物
理法則が適用されるのならば、距離にして恐らく200メートルくらいか。星の中
心には、微かに人影のようなモノがあった。

「あれが……マルチ……なのか…………」
「望遠鏡で確認している。……ただ、目視以外の計測器が一切役に立っていない。
…………いや、ここでは物理法則に関しては、我々の居た三次元のものが適用され
ているらしい。単に機器が次元崩落の衝撃で破損してしまったのでな、こうやって
みんなで修理している……ううっ……」

 変に喘ぎ喘ぎ言う長瀬を訝った浩之は、途中でその場に横に倒れてしまったのを
見て、慌てて長瀬のそばへ駆け寄った。

「おっさん!――何だよ、顔が血塗れじゃないか?!」
「なぁに……額を……ちょっと割っただけ……だ」
「喘ぎながら言うんじゃねぇよ!――何だよ、みんな怪我人ばかりじゃないか!?」

 浩之は舌打ちすると、艦橋の奥に用意されているメディカルボックスを開け、朦
朧としながら作業を行っている他の隊員たちの応急処置を行った。

「まったく……五体満足なのは俺だけかよ」
「本当、運がいいよ、キミは」

 最後に手当した長瀬に苦笑され、浩之は、ほっとけ、とぼやいた。

「ところで、どうやってあすこにいるマルチを助け出すつもりなんです?」
「方法は、無い」
「無い、って――」
「TH壱式の外に広がるこの奇怪な並列空間には、空気がないコトが判った。壱式
の吸気口に酸素が取り込まれないのでな、飛行するコトが出来ないのだ」
「宇宙空間用の移動設備や機器は?」
「あるのは、マスターマルマイマー用に用意されているステルスマルー2だけだ」

 ステルスマルー。マルマイマーが背中に装備するハート型のステルスマルーとは
異なった、くの字型のブーメランを想起する米軍のステルス爆撃機B2をミニチュ
アサイズ化したそれの両翼に、樽のようなウルテクエンジン搭載ブースターが装着
された宇宙空間航行用装備である。高出力なために、マルマイマーでは制御できな
いと判断され、お蔵入りとなっていた。

「じゃあ、どうするんだよっ!」
「思案中だ」
「何、呑気なコト言ってるんだよっ!あのままじゃマルチが――」
「マルチは、死にはしない。メイドロボには酸欠なんか関係ない。――それに、マ
ルルンがマルチを守ってくれている」
「マルルン――」

 マルチがマルマイマーになるとき、最初に合体する無口なクマ型ロボットのコト
である。

「マルチ自身の機能が停止しているのは、ここへ落ちる前に観測している。直前に、
マルルンの防衛機能が作動し、THライドが臨界ぎりぎりまで出力され、プロテクト
シェイドを周囲に展開させて防壁を作っているらしい」
「それに、ほら――」

 と長瀬の言葉を継いだ観月が、マルマイマーが居る方角を指し、

「プロテクトシェイド発生口の一門を割いて、プラズマホールドを起動させ、TH
壱式と繋がっているんだ」

 あっ、と驚く浩之は、艦橋の直ぐ方向舵翼に延びている光の糸を見つけていた。

「マルチが目覚めてくれれば、自分からこちらへやってこれるだろう。でなければ
こちらからプラズマホールドを引き寄せたいところだが、いかんせん、次元崩落の
影響で、生命維持装置がやっと回復したばかりでそれ以外の修理がままならんのだ」
「そんな……くそっ!」

 歯噛みする浩之は、舌打ちするや噴き上がるように立ち上がり、艦橋から出てい
こうとする。それを長瀬が慌てて呼び止めた。

「待て!どこへ行く?」
「局地作業用スーツがあるでしょう?あの、宇宙服みたいなヤツが!」
「危険だ!測定できない途方もない圧力が外界に存在している恐れもあるんだぞ!」
「じゃあ、このままマルチが目覚めるまで、指をくわえて待っていろっていうんで
すか?!――そんなの、ごめん被るぜっ!」
「バカを言うな!死にに行くようなモノだぞ?」

 すると、浩之は長瀬のほうへ振り向いた。
 怒りと哀しみが混ざり合った、混沌とした貌だった

「――――マルチは、俺の女だっ!死ぬのが怖くて手前ェの女を護りきれなかった、
なんて――――俺には出来ないっ!」

 俺の女。その一言に、長瀬たちは浩之を見つめたまま黙り込んだ。
 いづれにも、驚きこそあれ、侮蔑するような貌は皆無であった。むしろ、ある種の
感動に近い表情が、そこにはあった。
 浩之は遂に衆人の前で口をついたその告白に、しかし後悔などしていなかった。逆
に、胸のつかえが取れたような晴れやかささえあった。

『――それでこそ、マルチ姉さんのご主人や』

 艦橋のスピーカーから、奇妙な関西弁が聞こえてきたのは、そんな時だった。

                      つづく