羅刹鬼譚 第3話 投稿者: ARM(1475)
第5章 パニック・イン・隆山署

 柳川の顔が硬直する丁度5分前。
 隆山警察署の1階奥にある鑑識課の部屋では、早田ら鑑識課のメンバーが伊勢の遺留品を調べていた。

「血痕のないバラバラ死体なんて、どう報告書を書けばいいのか、とほほ」

 泣き言は言わないの、と鑑識課課長の岩崎に苦笑混じりに叱られ、早田は舌を出した。早田は鑑識課のムードメーカーであった。
 早田は撮影した伊勢の死体の写真を机の上に並べ、ううむ、と唸ってみせた。

「……課長、それにしても奇妙な切り口ですね。普通、こういうモノの切断面では、体組織細胞が潰れてぐしゃぐしゃになっているモンなんですがねぇ」
「少なくとも、ノコギリやナタのようなありがちの切り方ではないわな。切り口だけに着目すると過去に、安全カミソリやカッターナイフで人体がバラされたケースがあったが、こんな綺麗に切れたことはない」
「血が消失していた点は、どう説明出来ます?」
「遺体に血液を採取した針痕は確認されなかったからなぁ。何でもアリなら、吸血鬼に全部吸われたとでも書きたいところだが」

 岩崎のボヤキに、早田は暫し唸ってみせ、

「……血を全部抜き取られた後に、遺体をバラバラにしたとみるべきなんでしょうかね」
「恐らくな。針を刺した箇所の上から切断しているのかもしれない。もう一度遺体を調べてみるか?――大学病院のほうは、明日引き取りに来るンだっけ?」
「そう、聞いていますが」


 伊勢の遺体は、隆山警察署の地下にある遺体安置室に置かれていた。バラバラ死体は普通の遺体より腐食が早まるので殺菌処理を施された低温保存機器等で保存する必要があるのだが、生憎隆山署にはそのような機器が無いため、アルミ箔で包みウォーターベットを利用して低温冷蔵保存処理を施していた。
 そのアルミ箔が、遺体安置室に散乱していた。遺体安置室の扉に一番近いところにあったアルミ箔が、廊下の蛍光灯の光を受けて一瞬閃くが、開かれた扉が再び閉じると遺体安置室内から光が消えた。
 再び遺体安置室が闇に沈んだとき、そこから伊勢の遺体が消失していた。


 岩崎と早田が地下階に降りた時、奇怪な人物と遭遇した。
 奇怪というのにはワケがある。何故ならその人物は、バラバラになったあの伊勢の顔を持っていた、全裸の男だったからだ。

「「――――」」

 二人は、声を無くして廊下に硬直した。タダのそっくりさんならまだいい。ゆっくりと近づいてくる全裸の男の身体は、バラバラにされた伊勢の切断箇所と同じ位置に切断痕があったからだ。それだけで簡単に推理できるだろう。この全裸の男は、バラバラにされた伊勢の遺体が再び人の形を成したものなのだ。

「――い!?いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 硬直する柳川は、早田の悲鳴を耳にしていた。

「……ん?」

 長瀬には聞こえていない。防犯課は三階にあった。

「――失礼します」

 そう言って柳川は防犯課の部屋を飛び出していった。
 鉄砲玉のように飛び出していった柳川を、長瀬は静止することも追うこともせず、机の受話器に手をかけ、一番左上にある内線の短縮ボタンを押した。

「こちら防犯課。何か署内で異変は無かったか――悲鳴?判った、いま、うちの鉄砲玉が走っていった先らしい。捜査課も何人か回してくれ」

 そう言って電話を切ると、次に隣の別の内線ボタンを押した。

「――装備課か?やばいことになったらしい。そちらに何人か行くから善処してくれ、ああ、善処だ。俺も行く」

 そう言って長瀬は深い溜息を吐いた。


 地下階についたとき、柳川が地下階に散乱する惨たらしい遺体の山を目の当たりにした。どうやら1階にいた同僚たちが早田の悲鳴を聞きつけてやって来たのだろう。
 死因はいづれも、猛烈な力を受けた為なのだろう、肢体は引きちぎられたかのように廊下一杯に散乱していた。ほぼ即死と思われるコトが唯一の幸いだろう。
 一歩踏み進んで、そのすぐ足許に、恐怖の相を留めている岩崎の首を見つけたとき、柳川の中で何かが弾けた。
 どくん!柳川の中で形を成した鬼が、荒れ狂った。

「――いやぁぁぁぁ!!」

 その鬼を沈めたのは、早田の悲鳴だった。声は直ぐ隣にある物置の扉の中だった。
 半ば逆上している柳川は扉の取っ手を掴まず、扉を鷲掴みにして引き剥がした。
 その中には、身を縮めてガタガタ震えている早田が居た。上半身の衣類の前半分が引き裂かれ、乳房が剥き出しになっていた。左肩に血色の太い線が平行して三本、鋭い爪のようなモノで切られた痕がある。恐らく廊下で殺戮を行った犯人に、出会い頭に引き裂かれたのだろう。

「早田っ!?」

 柳川の怒鳴り声に早田はようやく反応し、驚いた顔を上げた。柳川の顔を見た途端、早田は引きつり気味に安堵の笑みを零した。

「課長が……あたしをかばって……あたし……ここに……ここに駆け込んだら……外で……外で……いっぱいいっぱい悲鳴が……悲鳴が…………えっ、えぐ、えぐぅ……」

 早田はやがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。犯人の追い打ちを受けなかったのは、外で死んでいる同僚たちの貴い犠牲によるモノなのだろう。柳川はゆっくりと腰を落とし、泣きじゃくる早田を抱きしめてなだめた。

「早田。ヤツはどこへ行ったか、知っているか?」
「……い……いえ……」

 柳川はその事が気になっていた。地下階へ通じる道は、いま自分が降りてきた階段だけである。しかしこの地下階に潜んでいる様子もない。
 そのうち、柳川は背後に奇妙な気配を覚え、振り向いた。
 物置の向かいには、フィルターを外された通気口があった。しかしその大きさは、人が潜り抜けられるような広さはない。

「では何故、開いている?――早田、お前たちを襲ったのは誰だ?」

 あまりの事態に、肝心なことを聞き忘れていた柳川だった。

「あ……あの……バラバラ死体が……人間に戻って…………!」

 柳川は、バカバカしいとは思いつつ、しかしその一方で、そうではないか、と思っていた。どうやら犯人は、その「バカバカしい」方法でこの通気口を潜り抜けたようである。
 柳川は舌打ちすると、着ていた上着を立ち上がらせた早田の肩に掛けた。そして廊下の惨状を見せないよう胸に早田の顔を埋めるように抱きかかえ、地下階を後にした。
 一階に挙がると、階段の上で、クマ狩り用に配備されているショットガンを持った長瀬が、捜査課の面々と一緒に待ち受けていた。

「課長。犯人は通気口を通って逃げたようです」
「通気口?」

 言われて、長瀬は廊下の上にある通気管を見上げた。

「嘘?――ネズミが通ったかと思ったが」
「くそっ――!課長、早田を頼みます」

 柳川は抱いていた早田を長瀬に押し付けるように託すと、通気管に沿って廊下を疾風のごとく走り抜けていった。
 柳川は鬼の力を解放し、感覚を研ぎ澄ます。
 ――居た。敵は、まだ通気管を進んでいる。形こそ違えど、人間一人分の物体がその中を移動するのにはやはり狭すぎるようである。

 通気管の異音が頭上に達したとき、柳川は一気に両腕を鬼の腕に変化させ、身体を回転しながら通気管を切り裂き、粉砕した。


第6章 見えざる一撃

「――どうだ?」

 引き裂かれた通気管から、ボトボトと肉塊が落ちてきた。
 しかし、こぼれ落ちてきたようにみえた肉塊は、パズルを組み上げるように人の形を築き上げ、やがてそれが、柳川が写真で見た伊勢という男の姿を成した。

「何者だ、貴様?」
「俺だよ、柏木の男」

 柳川はしばし沈黙し、

「……話がどうもみえんな」

 伊勢は、くくくっ、と笑った。

「生憎だが、お前に関わっている場合ではない。闇に棲む同族として、命だけは見逃してやる。失せろ」

 伊勢は、柳川に対して威しをかけた。柳川を知る者なら、彼を挑発するコトは自殺する行為に等しいと思うだろう。
 だが、この伊勢という男は、どう考えても人間ではない。
 柳川は伊勢の出方を窺っているのか、じっと伊勢を睨んでいた。

「……なんだ、逃げないのか?」
「何故、殺した?」
「あん?」

 伊勢は眉をひそめた。

「……ほう。噂じゃ冷酷な男と聞いていたが。それとも本当に同僚を殺されて怒っているのか?」
「殺してまで逃げる必要があったのか?」
「……無いねぇ」

 伊勢は、にぃ、と嗤った。
 柳川は肩を竦め、

「……どうやら、被害者ではなく、貴様自身が加害者だったらしいな。――解せないのは、どうしてバラバラになって散らばっていたのだ?」
「寝ていたのだ」

 暫しの沈黙。やがて柳川は徐ろに眼鏡を外し、ポケットから取りだしたハンカチでレンズを拭いた。地下室で掛かっていたらしい血の滴に気づいたからである。

「……冗談だよ」
「……ふざけるな」

 柳川は眼鏡をかけ直して溜息を吐いた。

「しかし、教えられんな」
「……上等だ」

 柳川の口元が吊り上がった。

「……狩りの時間だ」

 柳川がそう呟いた――刹那、瞬間移動したような速度で柳川は伊勢の正面に現れ、鬼の手と化した右手を伊勢の顔面に叩き付け、その頭部を粉砕した。

(――何だ、この手応えは?)

 そう思った瞬間、柳川はその理由に気づいた。伊勢という人外の存在は、どういう理由なのか、身体をバラバラにするコトが出来るのだ。鬼の凶手を叩き付けられた瞬間、顔をバラバラにしたのだ。事実、もんどりをうった伊勢の身体が綺麗にトンボを切り、悠然と着地した時には元に戻っていた。

「この、インチキ野郎」
「ははン、お互い様だろう」

 柳川は身構えるが、どこをどうすれば斃せるのか、皆目見当がつかない。

「柏木家の鬼の力――噂に聞きしその力、改めて恐れ入る。レイシェル様が怖れるわけだ」
「レイシェル――――」

 度の入っていない伊達眼鏡のレンズの下で、柳川の目が冷たく光った。
 柳川はゆっくりと右手を挙げてVサインを作った。

「……二つ、解った」
「ふたつ?」
「お前が<不死なる一族>に名を連ねたわけでないコト。――そして、それが、不死徒(グール)となった貴様の主人の名だというコトも、な」
「ふん。お前ら如きがお目通りできるお方ではないがな」

 あざ笑う伊勢は、ゆっくりと右手を挙げた。

「邪魔者は消せる時に消す。それが定石(セオリー)だ」
「そうとも」

 そう言って柳川は横へ飛んだ。遅れて――僅かコンマ08秒の差だったが、柳川が立っていた床が巨大なハンマーを受けたかのようにクレーターが穿かれた。

「避けられたか――」
「地下階の惨状をみれば大体、見当がつく」

 しかし、この不可視の攻撃がいかなる理論によるものか、柳川は判らないでいた。これでは避けるだけで精一杯である。
 柳川は即座に、現在判っている状況から、不可視の攻撃の秘密を推論し始めた。
 まず、見えないが、大槌のような破壊力は床や人間の肉体を粉砕するパワーを持っている。
 次に、攻撃射程はそれほど長くない。肩の動きに注意していれば鬼の反応速度で避けられないものではない。
 そして、一瞬だが、攻撃を仕掛けてきたとき、僅かに伊勢の右手の先が閃いたコトを柳川は見逃していなかった。その閃きは、先ほどから伊勢の身体の回りでもチラチラと見えていた。柳川が眼鏡を外してレンズを拭いたのは、血をふき取る為だけではなく、見間違いかどうか確かめる為でもあった。
 不可視の攻撃、というイメージが、この奇妙な閃きと何らかの関係がある、と柳川は導き出したが、その正体が何か、まだ判らなかった。

(……圧縮された空気弾でも放ったか?……いや……あの音は……)

 柳川が不信がる音とは、先ほど攻撃を受けたとき、僅かながら風を切るような音が聞こえたからである。無論、常人には聞こえぬ超周波数帯の音なのだが。

「どうした?来ぬのなら、こちらから仕掛けるぞ!」

 伊勢が再び右腕を上げ、ゆっくりと前進してきた。
 柳川は先ほどの攻撃で間合いを掴んでいた。もはや躊躇っている場合ではない。
 反撃する好機は、推論できる限りでは攻撃を仕掛けた直後に生じる隙。それをつくしかない。

「はっ!」

 再び超周波数帯の疾風音を耳にした柳川が動く。――あろうことか、前へ。

「攻撃の仕掛けかたが甘いんだよぉっ!」

 柳川は伊勢の右手の動きを見ていた。先ほど床に穴を開けたのは、右手が向いていたベクトルの先にあったからだ。つまり、あの右手の正面に居なければ不可視の攻撃を受けずに済む。
 それは正解だった。不可視の攻撃は恐らく、それを交わした柳川の股の間を抜けて、その先にある壁を穿っただけであった。

「――――死ね」

 そう言ったのは、勝利を確信した柳川ではなく、攻撃を交わされたのにも関わらず不敵な笑みを浮かべた伊勢であった。
 ぶしぃっ!!次の瞬間、伊勢に飛びかかっていた柳川の身体が宙に静止する。そして、まるで時間が戻っているがごとく後方へ飛ばされていく。その現象が時間が戻っている為でない証拠に、柳川は腹部から朱色の飛沫を引き、先ほど穴が開いた壁に激突してめり込んだ。

「……人間というヤツは、一度既成観念がついたらそれを振り払うコトが難しい生き物でねぇ」

 伊勢は突き出していた右腕をゆっくりと降ろし、左手で右手首を揉み始めた。

「我が見えざる一撃に対し、右手の動きに着目したのは正解だよ。――右手の動きを警戒するように、と俺が仕向けたフェイクに引っかかるという意味では、な。右手など関係なく、攻撃を仕掛けられるのだ――と言っても、もう聞こえぬか」

 嘲笑う伊勢の目には、腹部から大量の血を流しながら、壁にめり込んだまま沈黙している柳川の姿が映っていた。

「さて、とっとと用件を済ませねばな」

 そう言うと伊勢は再び身体をバラバラにして通気管の中へ入っていった。

               つづく

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