【承前】 放課後。あかりと志保は、学校の屋上にいた。 「……どうしたのですか?私をこんなところに呼び出したりして…………神岸さん……いえ、今はリリスと呼びましょうか?」 「エヴァ……あたしはなぁ、人間界でいつまでもグダグダやっている気はねぇーんだ。手前ぇとの決着も着いていないし な。――手前ぇ、何か知っているんじゃねーのか?この身体から離れ、あたしたちが元の姿に戻る方法を…………?」 その言葉に、険しい顔をしていた志保が、ピクリ、と反応した。 「……まったく、あの二人、ドコ行っちまったんだぁ?」 浩之は放課後、姿をくらましたあかりと志保を捜して校内を歩き回っていた。 「……しっかし、あの二人の変わり様、マヂでとんでもねぇよなぁ……。あかりは犬チックなヤツばかりだと思っていた ら、狂犬モードもあったとわ(汗)。……他の女生徒たちもあの変容振りには戸惑っていたが、事故のショックだってい うコトを納得したら、『あーゆーあかりもかっこいいわ!』なんて呑気にきゃあきゃあ騒いで喜ぶしぃ。あの矢島も矢島 で、『あーゆーワイルドな神岸さんも素敵だ』なんてぬかしやがるし。もう二、三発殴っておけばよかったかな?……あ〜〜、 なんかむかつく」 そう独りごちて、浩之は、凶暴なあかりの顔を想像しながら妙にドキドキしている自分に気づく。 「――ナニ、ドキドキしてんだよ俺(汗)。…………まぁ、矢島が惚れなおしたのも無理もねぇか。今までがああいう犬チッ クだったからなぁ。俺だってああゆうあかりもまんざら――まてぃ(汗)。あいつはタダの幼なじみに過ぎない。ナニを 考えているんだ、俺は。それはそれとして、一番の問題は、志保のヤツだ」 浩之の脳裏に、典雅そうな笑みを浮かべる志保が過ぎった。 途端に、浩之は一層ドキドキした。 「まままままま、待てい!あれは、絶対事故にカッコつけて猫被っているにきまってんだ!今さらイメチェンをはかろうだなんて――――」 また、志保が微笑んだ。 「……うーむ。確かにあいつ、あんなふうにおしとやかになると、まれにみる美少女だよなぁ。いつもぎゃあぎゃあと煩 いヤツだったから、気づきもしなかったが…………よく見るといい女だよなぁ…………?」 浩之は、高鳴りが押さえられない自分に激しく動揺していた。 「――莫迦な?落ち着け、俺!まさかあの志保に惚れたなんてゆうんじゃないだろうな?」 立ち止まって自問自答する浩之だったが、それを否定しようとすると、一層ドキドキが収まらなくなっていく自分が判 らなくなり、ただ動揺するばかりであった。 そんな浩之の背後で、夕映えの影に潜む一対の怪しい光の存在があったコトを、浩之はまったく気づいていなかった。 「――元に戻る方法ですか……。残念ながら、知りません。それに、知っていたとしても、教える気はありません!」 「なにぃ?なんでだよ!?」 あかりの顔をしたリリスは、志保の顔をしたエヴァに詰め寄った。 「この身体には、私たちの魂と、元の身体の持ち主の魂の両方が存在しています……。しかも、半ば無理矢理にこの身体 へ入った弊害で、元の身体の持ち主の魂が異常に弱まっているのです。今、私たちの魂がこの身体を離れたら、元の持ち 主の魂は死んでしまうでしょう……。神の使徒である私が、そんなことを許すとお思いですか?私はこの人間の魂を再び よみがえらせる方法を捜します。もし……それが叶わぬなら、この人間、長岡志保として一生を終えても良いと……」 「この――あたしはごめんだ!!こんな状態、もう一秒たりともガマンならねぇ!!」 「しかし方法が無い以上――それに」 「あーうだうだゆぅんぢゃねぇ!!なら、今ここで、てめぇとの決着をつけてやるぜ!!」 「待ちなさい、リリス!あの時、あなたも耳にしていたハズでしょう?――『神』の声を!!」 屹然と言い放つエヴァの言葉に、リリスの身体が硬直した。 「『神』…………だと――――??!」 突然、リリスの脳裏に、奇妙な光景が浮かんだ。 それは、因果地平でのエヴァとの決戦で、激突した直後のコトだった。 アダムを探せ。そして解放せよ。来るべき〈審判の日〉が訪れる前に。 「……あ……あ――――――思い出した!神の野郎が、あの時、あたしらの勝負にしゃしゃり出てきて、あたしたちを吹 き飛ばした……んだ!!?」 「やっと思い出したのですね。――といっても、私も思いだしたのはつい今し方ですが」 「…………」 リリスは暫し絶句していた。 「……おそらくは、『あの方』はこの人間界を彷徨っておられるのでしょう。私たちが人間界に墜ちたことは決して偶然 ではないはず。主の御心は図り知れませんが、きっと『あの方』のお力を必要とされているのでしょう」 「……知らん」 「はぁ?」 エヴァは、吐き捨てるように言い放ったリリスに驚いた。 「アダムなんざ、知ったことか。今さら、神のヤローがなにをゆうか?神が欲しているだぁ?――神の慰み物にされよう が、あたしには関係ないね」 「それは、『あの方』の最初の妻としての本心ですか、リリス」 「――」 リリスは、エヴァに睨まれて臆してしまった。 「私は知っているのですよ。あなたが冥界を創り出した本当の理由を。それはアダムさまの魂がいつか――」 「――いうなっ!!」 そう怒鳴ると、リリスはエヴァに背を向けた。こころなし、その肩は小刻みに戦慄いていた。 その戦慄きが突然、止んだ。 同時に、エヴァの顔に緊張が走った。 「な、なんだっ!!?」 浩之は背後から届いた凄まじい雄叫びを耳にして驚き、慌てて振り返った。 「……今の気配は……まさか妖魔?!」 「……ばかな?三界の狭間にしか生きられぬ奴らが、どうして人間界に……?」 「……まさか」 そう呟くと、志保の顔をしたエヴァは青い顔をして俯いた。 「……なんだよエヴァ。なにか心当たりでもあるのか?」 リリスが訊くと、エヴァは重々しげに面を上げた。 「我々が人間界に墜ちた時、もしかするとそのショックで、三界を分け隔てていた結界壁に穴が空き、そこから奴らがな だれ込んでいるのでは……?」 「……ありうるな」 リリスは持て余した格好で、はぁ、と溜息を吐いた。 「……でもどうして妖魔がこんなところに……いや……なんてコトです……使徒である私が、こんな失態を犯すなんて……」 「コラコラ、てめーなに落ち込んでいやがる!!」 「しかし……」 「しかしもカカシもねぇ!そんなコトいちいち気にしてるンじゃねぇよ!ンなやつら、ほっとけば良いんだ!」 リリスは笑いながら言うが、エヴァは唇を噛みしめ、黙り込んだ。 やがて何かを決意したかのように、屹然とした面をリリスに向けた。 「――私には無視できません。ましてや、三界がひとつになる〈審判の日〉が近づく今、人間界に災いを成すモノを容認 するなど!」 そういうと、志保の顔をしたエヴァはミニスカートを翻し、憮然としたあかりの顔をしたリリスを置いて校舎の中へ駆 け下りていった。リリスはそんなエヴァの背を黙って見送ると、ちぃ、と舌打ちした。 「……阿呆かあいつ。こんな人間の身体に入ったまま、神の力など発揮すればどうなるか、判っておろうに!」 そういうと、リリスは天を仰いだ。青空ばかりが広がるそこには、あの忌々しい顔はどこにも見当たらなかった。 代わりに、浩之の顔が浮かんだ。 「……なんであいつの顔が浮かぶんだよ」 リリスは自分がまた赤面しているコトに気づいていなかった。 「な、なんだ、こいつは!?」 浩之はそばにあった消火器を振りかぶり、廊下一杯に蠢いている、形容しがたい異形のモノと対峙していた。強いて形 容するなら、ドス黒いクラゲの化け物であろうか。 『魂……極上ノ……魂…………ヨコセ……URYYYY!』 「な、なんだこいつ!しゃべりやがる!!こ、これでもくらえっ!」 浩之は消火器の安全弁を外し、消火液を怪物に拭きかけた。白く染まった怪物は一瞬怯むが、ご都合主義が通じるわけ でもなく、直ぐに平然とした顔(?)で浩之のほうへ近づいてきた。しかたなく浩之は空になった消火器を怪物にぶつけ た。直接消火器をぶつけたほうが効果があったらしく、怪物が怯んだ隙にその場から逃げ出した。 「まぁった、芹香先輩が変なモノ召喚したんじゃねぇだろうなっ!?くそう、オカルト部へどうやって行きゃあいいんだ よ!――ぐわっ!こっちからも来やがった!!」 怪物は浩之を廊下の前後から挟み込んでいた。浩之は逃げ場がないか、辺りを見回した。 「おっ!都合良く階段が無事――ぬぅおっ?!」 慌てて降りるほうの階段へ駆け出した浩之だったが、階段の下から怪物の触手が伸びてきたコトに驚き、慌てふためき ながら上の階へ登る階段を駆け上がった。 「くそぉぉぉぉっっっ!俺が何か悪いことをしたのかぁぁぁぁぁっっっ!!――うわっ?!」 階段の踊り場を曲がった時、上から降りてきた女子学生と鉢合わせになり、二人ともその場に倒れ込む。 「あ、あぶな――って志保ぉ?」 「ひ、浩之さん!――これは妖魔!!」 志保は迫り来る妖魔に気づくと、妖魔目がけて条件反射で両腕を突き出した。そしてなにやら呪文を唱え出したが、と ころが一瞬、両手から火花が飛び散った途端、志保の全身に激痛が走り、そのままのげぞってしまった。 「――痛ぁっ!……しまった……こんな人間の脆弱な身体では、自然の理を変動できる神の力を奮うコトは自滅するに等 しいか……しかたない、急いで起きて下さい!!」 志保は浩之の腕を掴んで起きあがった。浩之は動転したままだったが、志保に促され、慌てて階段を上り始めた。 「こらっ、志保!今まで上にいたのか?お前らを捜していてこんな目にあっているんだぞ!」 「ご、ごめんなさい!」 志保が謝った途端、浩之の身体が凝結した。 「え……ねぇ、どうしたのですか?」 「……お前が謝るなんて……謝るなんて……いつもなら言い返してくるお前が謝るなんて……」 「――な。(汗)――相当、嫌われていたみたいですね、私(汗)」 「……い、いや……その……」 寂しげに苦笑する志保を見て、浩之はドギマギする。流石に浩之も言い過ぎであったコトに気づいたらしい。 「――あっ!!後ろっ!」 「なっ!?」 促されて浩之が振り向くと同時に、妖魔の触手が浩之の首に取り付いた。しかし、そこへ手すりを利用した志保の回し 蹴りが触手を見舞い、触手は浩之の身体を直ぐ放した。 「げほっ!す、すまねぇ、志保!――ってお前、後ろ!」 「えっ?!きゃあっ!!」 妖魔の触手が志保の背後に回り込み、志保の身体を縛り上げた。 咄嗟に、浩之は起きあがる。そして手を組み合わせて振りかぶり、妖魔の触手めがけて振り下ろした。 「くそったれぇぇぇぇ!!このバケモンがぁぁっっっ!!――――志保…(……えう゛ぁ……)…を放せっ!!」 大した威力ではなかったはずだった。ところが妖魔の触手は、絶叫する浩之の拳を受けた途端、まるで刀でも突き立て られたかのように苦しみだし、志保の身体を解放した。 「……いま……浩之さんの手が……聖光を放った……そんな……いったい?!」 浩之は倒れ込む志保の身体を抱き留めるが、中途半端な姿勢だった為、そのまま二人して踊り場に再び倒れ込んだ。 抱き合う二人。互いの鼓動が、互いの胸に届く。 (……や、やわらけぇ……それに……いい匂い……こんなに……こいつ……こんなに………………可愛かったっけ…………?) (……懐かしい……この人に抱きしめられていると……遙か昔に、あの方に抱かれていた時を思い出す…………!) 志保と浩之は、頬を赤らめて黙り込んでいた。 二人の時間が止まっていたかのようであった。 このままずうっと、この状態でいたい。そんな想いが二人を縛り付けていた。 いつしか二人は、顔を見合わせていた。 ((……いけない。これは……)) あと少し寄せ合えば、唇が重なる、そんな距離だった。 二人は己が意志に反し、静かに顔が近づいていった。 熱い息が、お互いの頬に当たる。ゆっくり、ゆっくりと………… ぶちっ。 「……なんか……いま…………すっげぇ……ムカツクことが起きているよーな」 苛立つあかりの全身に、電撃がほとばしっていた。 「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」 絶叫するあかりは、両腕を振り上げた。すると全身を覆っていた稲妻が一斉に両手の先に集まり、やがて巨大な稲妻の巨 球が完成した。 「――どっらぁあああああああっっっ!!」 あかりが腕を振り下ろすと、稲妻の巨球もそれに習って落下し、あかりの足許の床に届いた。 すると稲妻の巨球は、なんと床を抉って巨大な穴を開けたのである。 互いの唇が届くまで、あと数ミリのところで、それは起こった。 「「――なっ?!」」 慌てて顔を放した浩之と志保は、とつぜん上の階の天井に穴が空いたと思った途端、巨大な光球が落ちてきて、妖魔の 胴体を直撃し撃ち抜くさまを目撃した。妖魔は絶叫を上げてのたうち回り、失われた身体を補うべく、延ばしていた触手 を次々と引き戻していった。 「――今のは、リリスが得意とする空間破壊術!まさか?!」 と、志保が顔を上げた途端、空いた穴を覗き込んでいるあかりと視線があった。 あかりの顔をしたリリスは、この上ないくらい不機嫌な顔をしていた。 「…………エヴァ。あんた、浩之になにしてんの?」 「え?あ、あの、その……」 と、志保はもじもじしながら浩之の身体から離れようとする。 だが、浩之は志保が離れていくのを口惜しいらしく、志保の左手首を思わず掴んでしまった。 ――ぶちぃっ!!決して耳に出来ぬ切断音が轟いた。 「……おのれらわなぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」 と、怒り心頭のあかりが、穴の中へ飛び込み、二人がいる踊り場に着地した。 「り、リリス!あ、あなた、力が使えるの?」 「やーかーまーしーいーいいいいいいいっっっ!!」 地の底から響くような怒声が、あかりの口からもれた。流石は地の底の冥府の女神とゆうべきか。 「藤田浩之はあたしのものだっ!!あんたなんかに二度と渡しはしな――――」 と、そこまで言って、あかりは何故か絶句しながら浩之の顔を見つめた。 リリスの様子がおかしいコトに気づいたエヴァも、やがて当惑の相で浩之の顔を見つめた。 「「…………まさか――いや、そうか!そうなのか!!」」 驚嘆の声を揃えて上げた二人に、浩之は思わず呆気にとられる。 「……地上に落ちたとき、お前の名を聞いてあたしの心が切なくなったのも」 「……あの聖光!妖魔が殴られて、激しく苦しみだしたのも」 「え?え?」 「「――そして!妖魔があなたを狙っていたのも!!」」 再び二人の声が揃った時、妖魔が二人の背後から襲いかかってきた。 「――あぶねぇ!!」 浩之は、二人の身体を引き寄せるつもりで両腕を突き出したハズだった。 ところが、虚空を突いた浩之の両腕から突然、白と黒の閃光が放出されるや、妖魔の身体を飲み込み、妖魔の身体が一 瞬にして霧散したのである。浩之は自らの行為に唖然としたまま、白と黒の混沌を眺めていた。 やがて静寂が辺りに甦ると、今までぽかんとしていたあかりと志保は、思い出したように大きく深呼吸して、 「「――間違いない!!あなたはアダム!!」」 「へ?へ?へ?」 呆気にとられたままの浩之に真っ先に抱きついたのは、あかりだった。 「――アダムさまぁ!!やっと……やっとお会いできましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 あれほど凶暴だった言動が嘘のように、感極まったリリスは収まっているその肉体の主がするそれと遜色無い笑顔を浮 かべながら、浩之の胸の中で泣きじゃくった。 「――リリス!アダムさまは私の夫ですのよ!」 リリスの突然の行動に思わず呆気にとられていたエヴァは、リリスの泣き声にようやく我に返って怒鳴った。 するとリリスは涙ぐんだ目で、意地悪そうにエヴァに一瞥をくれ、 「何ゆーてるのぉ?あんたはタダのお友達の長岡志保でしょうが!」 「な――?あなただって、タダの神岸あかりでしょ?」 「ふーんだ!神岸あかりは、浩之様の幼なじみでいちばん心が許せる女性なんですよーだ!」 リリスは自慢げに笑ってから、エヴァに向かってあかんべえをしてみせた。 「あ〜〜〜〜!ず、ずっるぅいいいいいっっ!!」 そう叫ぶと、志保も浩之に抱きついた。 「アダムさま――いえ、浩之さん!こんなアバズレの言うことなど、聞いてはいけません!」 「ほざくか、エヴァ!――浩之ちゃん、こんな猫被った女の戯言なんか、聞いちゃダメ!」 「――ね、猫被っているのは貴女でしょ!?」 と、しまいには二人してつかみ合いの喧嘩になってしまった。二人の間に挟まれている浩之は、まったく事態が掴めず、 何がなんだか判らないまま、ただ、「トホホ」とぼやくばかりであった。 了