ToHeart If.”聖夜” 前編 投稿者:ARM


『始まり』

 藤田浩之は、自室の机に向いたまま、30万円もの大金を前にして、独り呆然としていた。
 30万円といってもも現金ではない。全国のデパートで使用できる商品券である。
 この秋、あかりの買い物につき合って都心のデパートに行ったとき、浩之は気まぐれから、
当時デパートが「秋の謝恩セール」とうたって行っていたキャンペーンの一環として、回答す
ると抽選で3名に30万円の商品券が当たるアンケートに答えていたのだ。

「……現金ならともかく、商品券で30万円ってのは、やっぱりあまり嬉しくないなぁ。
現ナマなら、あかりを誘ってスキー旅行にでも行くんだが、金券ショップで換金するのも俗っぽいし……」

 浩之はそうぼやいて、窓の外を見る。遠くに見える街並みは、赤みを覚え出し始めた空の下で、
今宵の為に、光のドレスを着飾る準備を始めていた。一番目立つ都心の高層ビルは、昨夜から室内
灯の組み合わせで作り出す光のクリスマスツリーを夜景の中に浮かび上がらせていた。
 今日は、クリスマス・イブであった。


「浩之ちゃん、今晩空いている?」

 今宵、クリスマスイブを控えた昼休み、寒風を避けて教室の自分の机でゴロゴロしていた浩之に、
神岸あかりがニコニコ微笑みながら声をかけてきた。

「何だよ、いきなり」
「ヒマなんでしょ?」

 あかりは意地悪そうに笑ってみせる。浩之はあかりがこういう顔をするとき、何かを企んでいると
いうことを知っていた。隠し事が出来ない体質というより、長いつきあいの成果といえよう。

「ヒマだ。――――と思うか?」

 あかりは、うんうん、と笑顔で頷いた。
 すると浩之は、ニィ、と意地悪そうに口元を横に広げた。

「悪ぃが、今夜は用があるんだ」
「――――えぇっ!!」

 あかりは思わず大声を上げて驚く。周囲の級友達が驚いて二人のほうへ振り返る中、浩之はいつも
より大げさに驚くあかりに逆に驚かされ、慌ててあかりの口を両手で塞いだ。

「莫迦かお前、声がでかい!」
「ふぬぬぬぶふごっ……!だ……だって……」
「って、こら泣くな!」
「……だって……だって……なんだモン……!」
「何が、なんだモン、なんだよ、きゅぅてぃはにぃか、お前は?とにかく、俺は今夜、用があって、
お前にはつきあえない!わるいが、そーゆーことだ」

 浩之はぞんざいながらあかりをなだめるが、涙目のあかりは鼻をクンクン鳴らして浩之を訴えるよ
うな眼差しで見つめる。 流石に浩之もあかりのこの目には弱いらしく、歯噛みして苦悶する。

「あ――――っ、もう判った判った!でもなぁ俺には大切な用があるから、ずうっとというワケには
行かないんだ。……そうだなぁ、最後にあそこへ回るのだから、……うん、9時過ぎには家に戻って
やる」
「9時?」

 浩之がそう応えた途端、いままで涙目であったあかりはピタリと泣きやみ、花が咲いたように微笑
んだ。

「9時ね!その頃なら丁度良いよ!9時に、必ず家に戻ってきてね!」


「……まったく、本当に犬チックなヤツだよなぁ。……ま、そこが好きなところでもあるんだがな」

 昼休みの一騒動を回想しながら、到底あかりに正面切って言える内容でない呟きを口にした浩之は、
腰掛けていた椅子からおもむろに立ち上がり、手に持っている30万円の商品券をひらひらと扇ぐよう
に振りながら、部屋から出ていった。


 サンタクロースなんて、いないよ。
 ……ううん。サンタさんはいるよ。


『午後5時23分:雛山理緒の場合』

 夕刊配達のバイトが終わり、夜、友人と約束した用事の前に、弟と妹たちの夕食の準備のためにいっ
たん帰宅した雛山理緒は、玄関の前に立ったとき、妙に家の中が騒がしいことに気付いた。

「……こら、ご近所迷惑でしょ――――?!」

 玄関の戸を開けながら理緒が弟たちを叱ろうとしたその時、理緒の思考が凍り付いた。
 赤と白でコーディネイトされた服に身を包み、白い口ひげを蓄えた老人を、理緒ならず、世界中の誰
もが知っているハズだ。

「……あ……あなた……わ?!ま、まさか……?!」
「ほっほっほっ、お帰りなさい、理緒ちゃん」
「――あなたはコカコーラの宣伝おぢさん!」
「そう。わたしが赤と白の服を着ているのは、その昔、コカコーラがクリスマスキャンペーンにわたし
を採用した際、デザイナーがこのような服を着せて広告に使ったのがきっかけで、世界中にこのスタイ
ルが広まったのだよ。だから、ペプシコーラはクリスマスと言えども、サンタクロースを広告に採用し
ないんだよ…………って、そんなウンチクはどーでもいい!なんだ、その宣伝おぢさん、っつーのは?!」
「あれ?この声、どこかで……?」
「あ゛?!ん゛、んー、なんのコトかなぁ?」
「ねぇねぇねぇ、見て見て見て、おねーちゃん!サンタさん、プレゼント持ってきてくれたんだよ!」

 うろたえるサンタに助け船を出したのは、等身大ピカチュウのぬいぐるみを抱きかかえて喜んでい
る理緒の妹だった。幼いながらに家の事情を知っているばかりに、不断は口数の少ない妹がこんなに
はしゃいで喜ぶ様を見たのは何年ぶりのことだろうか。

「ねーちゃん、これこれ!」

 続いて、はな垂れ小僧の弟が、ミニ四駆とそれを走らせるコースセットが入った箱を嬉しそうに理
緒に見せびらかす。これもサンタクロースからのプレゼントらしい。
 あまりのコトに呆然としている理緒に、落ち着きを取り戻していたサンタクロースが、抱えていた
白い大きな袋から、綺麗に包装された大きな箱を取り出し、理緒の鼻先に突き出した。

「いつも頑張っているね。はい、ご苦労さま、プレゼントだよ」

 予想もしない展開にまだ呆然としている理緒は、半ば無意識に包装を解いた。
 包みの中の箱に入っていたものは、新品のジャージと、制服の上に羽織ると暖かそうなグリーンの
スウィングトップだった。

「サイズは一応合っているハズ。それじゃ、先を急ぐんで」

 容姿に反して妙に若い口調のサンタクロースは、ワンピースを見つめながら呆然としている理緒の
横をすり抜け、手を振って笑顔で挨拶する理緒の弟と妹に手を振りながら出ていった。
 扉が閉まってから32秒後、理緒の口元が照れくさそうに上を向いた。


『午後5時55分:宮内レミィの場合』

 宮内レミィは、日本に住む祖父母の家に住んでいる。レミィの両親は米国で仕事をしているため、
本邸は米国にあり、レミィの家族が日本に滞在する場合は、父方の実家であるこの祖父母の家を利用
している。
 そこは昔、迷子になった浩之が紛れ込んだ家ではない。昔レミィが住んでいた家は、日本で長期の
仕事をしていたレミィの父が借りていた欧風のもので、祖父母の家は純日本風の邸宅であった。庭か
らは獅子脅しが鳴り渡り、春には決まってウグイスが訪れて鳴く、風情のある住まいである。
 レミィは学校から戻ってくると、今でくつろいでいた祖父母に元気良く挨拶し、自室に飛び込んだ。
なにやら急ぎの用でもあるらしく、観音開きのタンスを開けて、ハンガーに掛かった可愛らしい服を
物色していた。

「……Well。どれも『帯に短しタスキに長し』ネ。いっそ、着物でも着ていこうかしら?」

 少々、熟語の使い勝手を間違えているコトに気にも留めないレミィが、部屋に置いてあった姿見と
向き合い、制服の上からタンスから取り出した衣装を合わせている自分の姿を見ているうち、ある異
変に気付く。
 背後で、赤と白でコーディネイトされた奇妙な影がちらちらと蠢いていた。

「What’s!?」

 レミィが振り返ると、そこに立っていたサンタクロースと必然的に鼻先で向かい合わせになってし
まう。予想していた結果とはいえ、米国人らしいレミィの大仰なリアクションに、サンタクロースは
袋を抱えたまま思わずその身を凝結する。
 2分の静寂と膠着状態に終止符を打ったのは、口元を不敵につり上がらせたレミィの笑い声だった。

「ふっふっふっ、YOU、イー読経ネ」
「……い、いや、別に俺、もとい、わしはお経なんか唱えていないけど」
「Sorry、ド・キョーね。度・胸。――ふっふっふっ、イー根性してるね」
「……だ、だから、……な、なんか、その目、ヤバそう……(汗)」

 レミィの前に現れたサンタクロースは、レミィの美貌はそのままに、中身が別人に変わっているこ
とにようやく気付いた。
 可憐な多重人格者。そう。いまのレミィは狩人(ハンターモード)のレミィなのである。

「お、おいおい!ちょ、ちょっと、どーしてサンタクロースを見てハンターモードになる?!」
「ふっふっふっ、マイ・ダディの仕事、ペプシの品、扱っているネ。とーぜん、あたしも含め、
マイファミリィ、ALLペプシ派よ!It’s、ライバルね!」

 不敵に笑いながら、レミィが握りしめたのは、なんと壁に掛けていた狩猟用のサバイバルナイフで
あった。サンタクロースの扮装をしている人物は、以前レミィから愛用のナイフを自室の壁に掛けて
飾っていると聞いていた話を光の速度で想い出した。

「うひぃぃぃっ!!?そ、そんなの有りかぁ?!」
「You、Know?サンタって元は、オーガ(人喰い鬼)だってコト?」
「またウンチクかい!?(苦笑)」
「ふっふっふっ!Let’s、ハンティング!!退治してくれる!!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!」

 それから5分と17秒間、レミィの自室ではサンタクロースと彼にナイフで襲いかかる狩人=レミィ
の逃走劇が繰り広げられていた。端から見ているとまるでコメディの一幕だが、レミィが握りしめてい
るナイフは、その一振りで鹿の首を簡単にもぎ取ることが出来る、超高周波加工で研ぎ澄まされた逸品
である。レミィのか細い腕で振り回しても重さの負担を感じないこの軽量ぶりが好評で、米国内の狩猟
愛好家達は挙って買い求めたナイフである。サンタクロースにとっては命がけの逃走であった。
 やがて息を入らした二人は、部屋の床に大の字になって寝転がり、はあはあ、と喘いだ。

「……コークの回し者にしては……なかなかやるね」
「だから……違う……とゆーとるのに……」
「……ふふふ。……HAHAHAHAHA!YOU、ベリーナイスね!」
「ははは……ふぇぇぇ、疲れたぁ」

 喘ぎ喘ぎ、抱えていた白い袋からサンタクロースが取り出した綺麗な包装紙に包まれた箱を見て、
レミィは思わず目を丸めた。

「……もしかして……プレゼント……?」
「……もしかしなくても……そう……はい、どうぞ」

 サンタが差し出した箱に一閃が奔る。ハンターモードのレミィはサバイバルナイフの一振りで包装
紙を綺麗に断ち、起き上がって中身の箱の蓋を開けた。

「Oh!?インナーブレードのローラースケートね!前から欲しかった品よ!」

 レミィは、箱の中からローラースケートを取り出し、それを嬉しそうに抱きしめる。質量のたっぷり
したレミィの胸に半ば沈むローラースケートを見て、サンタクロースはローラースケートになりたいと
思ってしまった。
 だが、サンタクロースが本当にプレゼントしたかったのは、ローラースケートの下敷きになっている、
ネックレスのほうだった。やがてレミィはそのネックレスの存在に気付き、大喜びで首にかけた。
シルバー製のチェーンに、ハートに矢が刺さった銀細工がついたネックレスだった。
とても似合っていた。

「似合う?」
「うん、うん」
「Oh!Thank You、ヒロユキ!」
「No!わしは藤田浩之じゃないネ!――ってあらら、口調がうつっちゃった」

 サンタクロースは勢い良く起き上がると、レミィに手を振りながらそそくさと部屋を出ていった。
 サンタクロースがレミィの部屋を出た途端、ぬぅっ、と巨大な長刀(なぎなた)がサンタクロース
の鼻先で閃いた。

「あわわっ!お、俺、俺ですよ!さっきも言いましたけど、レミィにプレゼントを渡しただけですって……!」

 周章狼狽するサンタクロースをみて、長刀を持っていたレミィの祖父は、ニィ、と笑って剣先を降ろした。

「ありがとうよ、坊や。また、遊びに来なさい」

 サンタクロースは、ふぅ、と安堵の息を吐き、好々爺なレミィの祖父に一礼してから玄関まで足早に通り抜けて
いった。

「……坊や、って……本当、年寄りって10年の歳月すら昨日の出来事にしか思わなくなるんだからなぁ」

 サンタクロースに扮装する謎の人物は、かつて息子の屋敷に迷い込んできた幼児の顔を覚えていた、
あの好々爺の笑顔を想い出して苦笑した。


 だったらなんでボクたち、サンタクロースと会ったことがないの?
 ……きっと、サンタさんはいそがしいの。でもまっていれば、いつか会えるよ、きっと。


『午後6時23分:松原葵の場合』

 松原葵はいつものように、校舎の裏にある神社の境内でトレーニングを続けていた。しかし流石に
もう年の瀬も近い北風の厳しい季節で、しかも日もとうに沈んでしまうと、一人でサンドバッグ相手
にラッシュを続けるのは少し寂しかった。いつもなら、浩之か坂下がつき合ってくれるのだが、今日
は二人とも用があって先に帰っていた。肩に掛けたタオルが汗でとても冷たかった。

「……約束があるし、もう、今日はこれくらいにしよう。仕上げは家までマラソンかな――――」

 そう呟いたその時、葵は背後の社の向こうに動く気配を感じ、慌てて振り向いた。

「誰?」

 葵は険しい顔をしてそう訊いてみたが、その一方で隠れている何者かに妙に親近感を覚えた。

「……もしかして、藤田先輩ですか?それとも坂下さん――?」

 社の向こうからゆっくりと姿を見せたのは、今日の夕方から、
この近辺で出没しているあのサンタクロースだった。

「はろはろぅ!」
「……え?」

 大きな白い袋を抱えている陽気なサンタクロースを、葵は怪訝そうに見つめた。
そして、ぷっ、と吹き出し、

「……何やっているんですか、先輩?」
「げっ?――ち、違うよーん、わしはサンタクロースだよーん」
「声でバレてますって(笑)」

 苦笑する葵の指摘に、サンタクロースは思わず、ギクッ!と驚く。どうやらマヌケにも、
声のことまでは考えていなかったらしい。

「……うぉっほん。それはさておき、だ」
「ふふっ、今さら声を変えても遅いですって。ところでそれ、
サンタクロースのサンドイッチマンのバイトですか?」
「いいや」

 サンタクロースは白いアゴ髭を左右に振ってみせると、肩に掛けていた大きな白い袋を地面に降ろ
し、その中から綺麗な包装を施した大きな箱を取り出した。

「ちょっと早いが、はい、プレゼント」

 葵はサンタクロースが差し出したそのプレゼントを受け取らず、ぽかんとしたままそれを
見つめていた。

「どーしたの?」
「……いや……その…………!」

 サンタクロースは促すようにまた差し出したが、葵は顔を赤らめ、モジモジし始めた。

「……やっぱり……受け取れません」
「……なんで?」

 サンタクロースの正体は声を繕うことも忘れて地声で訊く。

「だって……いつもお世話になっているのに……その上……クリスマスプレゼントだなんて……!」

 タダの照れだということが判ると、サンタクロースはクスクス笑いながら
プレゼントを葵に強引に押し付けた。

「いーの、いーの。わしはいつも頑張っている娘が大好きだから。遠慮なく受け取ってくれ。
――これは先輩の命令だ」
「は、はい……!」

 勝手なことをいうサンタクロースから、葵ははにかみながらプレゼントの箱を受け取ると、包装を
解き始めた。
 包装された大きな箱の中には、暖かそうなマフラーと手袋が入っていた。無論、手袋といっても格
闘用ではなく、葵という女の子にとても似合う、赤い毛糸で編まれ、手甲にピースマークの刺繍が入
ったミトンであった。

「――――わぁっ!!とても可愛い!ありがとうございます、先輩!」
「ふぉっふぉっふぉっ、そんなに恐縮しなくってもいいって……」
「誰よ、あんた!?」

 突然、和やかな雰囲気を一気にぶち壊す、叱咤の声。

「――あ!好恵さん!」
「こんな暗がりで、あんた、葵に何してンのよ!」

 何の前触れもなく現れた坂下好恵は、どうやらサンタクロースを変質者と勘違いしているようであ
った。まぁ無理もない。こんな暗がりにサンタクロースがいること自体、怪しさの条件を充たしてい
る。

「ちょっ、ちょっと待った、坂下――――!」
「問答無用!破ぁっ!!」

 激高の叫びが早いか、坂下は翔ぶような駆け足で一気にサンタクロースとの距離を縮め、その勢い
を利用してしなる足蹴りを呆気にとられるサンタクロース目がけて撃ちはなった。
 もしこれがゲームの画面ならば、そこに「クリティカルヒット!」の文字が浮かび上がることだろ
う。サンタクロースは呆気なく吹き飛ばされ、もんどりを打って地面に倒れ込んだ。

「ふ――藤田先輩ぃっ!?」
「ふぅぅ――――って、葵、いま、なんて言った?!」

 サンタクロースが意識を取り戻したのは、坂下が、葵が口にしたその名を聞いて瞠ってから、丁度
3分後のコトであった。

「……な……なんつー……坂下、お前ぇなぁっ!」
「す、すまん。でも、暗がりでこんな格好しているほうも悪い」
「お前なぁ……謝る気なんか更々ないな?!」
「ふん」

 二人の間に入っている葵は、サンタクロースの正体と坂下がそりが合わないことを知っているだけに
、どうしたものかと途方に暮れていた。
 やがてサンタクロースは何とか立ち上がった。

「むぅ……。まぁいい、それだけ坂下が葵ちゃんを大切にしているのが判っただけでも良しとしよう。
それに、手間も省けた」

 そう言うと、サンタクロースは憮然としたまま、白い袋から綺麗に包装された大きな箱を取り出し、
それを坂下に突き出した。

「中身は特に思いつかなかったから、悪いが葵ちゃんと同じモノだ」
「……えっ?」

 坂下はきょとんとしたまま、差し出されたプレゼントを左手で受け取った。

「先を急ぐんでな、今日はこれで失礼するよ」

 サンタクロースはまだぽかんとしている坂下を無視し、葵に手を振って挨拶するとそそくさとその場
を去っていった。

「好恵さん、良かったですね!」
「……あいつ、クリスマスプレゼントって……葵にもか?」
「はい!」

 葵は満面の笑みで頷いた。坂下は戸惑っているようで、その視線を葵が持っているプレゼントの箱
と自分が貰ったプレゼントの箱の間を暫し行き来させた。
 坂下が右手に持っていた、別のプレゼントの箱。坂下が早々に帰ったのは、葵にプレゼントするこ
の品を買いに行くためであった。買った品は格闘用のグローブだった。
 やがて、ふっ、と微笑む坂下は、あいつにはまだまだ勝てないな、と心の中で呟いていた。


『午後7時11分:長岡志保の場合』

 長岡志保は駅前のカラオケボックスの中にいた。しかも一人きりで。

「……まったく、あかりのやつ、少し予定が遅れるなんて言いだしたもんだから、時間余っちゃった
ぢゃないのよ、もう!」

 どうやらあかりとなにやら約束していたようなのだが、予定が狂ったことに腹を立て、自棄(やけ)
酒ならぬ自棄カラオケに興じているらしい。相変わらず落ち着きのない娘である。

「あーもういい加減、カラオケも飽きたわ。――かといって、あかりンとこ行っても手伝わされるだけ
だし、うーむ、九時までどうしよう」
 そういって小首を傾げたその時、突然、流れていた曲が変わった。

「な、なによ、この曲は?――なになに、『太陽戦隊サン○ルカン』?誰よ、勝手にこんな曲を入れ
たのワ!?」
「ふっふっふっ、それはこのわしぢゃ」

 そういって、志保がいたカラオケルームの扉を勢い良く開けたのは、あのサンタクロースであった。
手に持つリモコンで、部屋の窓から予約を入れたらしい。

「げっ?誰よあんた?!」
「まずはヲレの歌を聴けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!

 『もしぃもぉ、日本がぁ、弱けれぇばぁぁ、ロ○アがぁたちまち、攻ぇめぇてぇくぅるぅぅぅぅぅ!
    家は焼け、畑はコルホース、キミはシベリアぁあ、送りだろぉぉ!日本はぁお・お、
    僕らの国だぁぁぁぁぁ、赤い敵から護ぉるものだぁぁぁぁ!カミカゼ!スキヤキ!ハラキリぃ!
    ゲーイシャ!テンプラ!フジヤマぁぁ!をーれたちの日の丸ぅが燃えているぅぅぅ!
  ゴールドサーァン!ラーィジングサァァン!愛国戦隊、ちゃらっちゃら、
  だーいにぃぃぃぽぉぉぉんんんんんんんんっ!!』       
                                             」

「げっ!?」

 突然、知る人ぞ知る伝説の迷曲「愛国戦隊大日本」を、原曲の太陽戦隊サン○ルカンのOPメロディ
に合わせて唄うサンタクロースに、志保は完全に呑まれてしまった。普通の歌では志保の度肝を抜く
ことが出来ないと踏んだサンタクロースが、ヲタクな知り合いから教えて貰った禁断の替え歌をわざ
わざマスターして実行したのである。
 その狙いは見事成功し、志保はサンタクロースを指したまま、口をパクパクさせて唖然としていた。

「ふっふっふっ、これで済むと思うなよ、次はARMが宮内タカユキ氏の前で危うく歌いかけた『ボデ
ィビルダーブラックRX』、いってみよーかー!」
「――やめい、ヒロ!」
「……ふぉっふぉっふぉっ、誰が藤田浩之だって?わしは見ての通りサンタクロースぢゃよ」
「声を変えたって、こんなバカなことする大バカ野郎はわかるわよ!」
「――なぁにぃおぅ?!誰が大バカだって?!」
「ほぅら、地声に戻っている(笑)」

 サンタクロースは慌てて口元を押さえる。志保のほうが一枚上手であった。とゆうより、サンタク
ロースに扮装している人物の考えが甘いというか浅はかであると言うべきか。

「あんた、何よそのなり?こんなところで何やっているのよ?」
「……何……って、……ちぃ、もう少しからかってからと思ってたんだがな」

 サンタクロースは渋々、抱えていた白い大袋を床に降ろすと、その中から包装された、今度は小さ
な箱を取り出して、志保にぶっきらぼうに突き出した。

「ほら、プレゼント」
「……プレゼント?」

 志保はきょとんとしたまま、サンタクロースからプレゼントを受け取った。

「小さくても、流行りの中から一番の高級品を選んだつもりなんだが」
「高級品?」

 志保は胡散臭そうに言いながら、その箱の包装を解いた。
 箱の中身は、口紅が入っていた。

「あら?ヒロにしては目の付け所がいいわね。確かにこれ、値は張るけど一番人気のあるルージュよ」
「そいつは良かった。いつも口うるさいお前さんが、これで静かになるのなら安いモンだ」
「……どーゆー意味よ、それ?」
「言っての通りだ。まだ、次の用があるから、これで失礼するぜ」

 サンタクロースは言うだけ言うと、とっととカラオケルームから出ていった。志保はそんな背中に
あかんべぇをしてみせた。
 やがて、再びひとりぼっちになると、志保は手荷物のカバンから取り出したコンパクトを使って、
プレゼントされた口紅を鼻歌混じりに引いてみせた。

「…………うんうん、良い色ね。まったく、何が静かに……って、」

 志保はそこまでぼやくと、急に口をつぐむ。

「…………確かに口紅引いている時は、流石にこの志保ちゃんでも黙っていないと無理ね」

 志保は鼻で笑ってみせるが、その顔に侮蔑の色は見当たらなかった。


 サンタクロース?まだそんなもの信じているの?サンタの正体はな、――
 そんなこと、ないやい。絶対サンタはいるよ!


『午後7時28分:姫川琴音の場合』

 サンタクロースは姫川琴音の家族が住むマンションの玄関に立っていた。
 室内からは、その和やかな雰囲気が外に伝わるくらい、嬉々とした声が聞こえていた。
 サンタクロースは、その声の主の顔を想像して、ふっ、と笑みを零し、ゆっくりと呼び鈴を鳴らした。
 その途端、扉が急に開いた。
 開けたのは、笑顔で三和土(たたき)に立つ琴音だった。

「藤田さん、こんばんわ!」
「……えっ?」

 サンタクロースは琴音を脅かすつもりだったのに、まるで予知していたかのようなタイミングで、
笑顔で迎えられたことに逆に驚かされてしまった。

「……あれ?琴音ちゃん、やっぱり予知できるの?」

 すると琴音はクスクス笑い出し、

「はい――じゃなくって、実は雛山さんから連絡があったんです。今夜、素敵なサンタクロースがわ
たしの家にも訪れるよ、って。雛山さんが素敵っていう人は一人だけですから、直ぐ判りました。
わたし、そろそろじゃないかな、と待ってました」

 言われて、サンタクロースは理緒と琴音が妙に気が合っているコトを想い出した。理緒は相手がど
んな複雑な事情を抱えていても決して奇異な目で見ない真っ直ぐな性格の持ち主で、浩之を通じて知
り合った際、逆に超能力を持っていることに誇りを感じなさい、と琴音を勇気付けたことがあった。
それ以来、琴音は理緒を慕うようになったのだ。

「ははは……。まったく二人には叶わないなぁ。まぁいいや、ちょっと待っててね」

 サンタクロースは背負っていた白い袋に手を入れ、袋の容積の半分を占めていた、柔らかそうなあ
る物体を取り出した。

「……あっ!それ、イルカのぬいぐるみですね!わぁ、凄く大きい!」
「買い物の時、一番最初に目が行った品さ。でもちょっとデカ過ぎたかな?」
「そんなことありません!藤田さん――いえ、サンタさんのプレゼントですもの。
ありがとうございます!」
「そんなに恐縮しなくていいって。こちとら、半ば酔狂でやっていることだし」

 ははは、と照れくさそうに後頭部を掻くサンタクロースをみて、琴音も受け取ったイルカのぬいぐ
るみを抱きかかえたまま嬉しそうに微笑む。

「……でも、わたし、もっと素敵なプレゼントを、サンタさんからもう貰っているんですよ」
「……?何?何か前に上げたコトあったっけ?」

 サンタクロースがそう訊いた時、奥の居間のほうから琴音を呼ぶ、
優しそうな女性の声が聞こえてきた。

「あ、ママ!藤田さんがお見えになられているの!とても素敵なプレゼント、戴いちゃった!」

 あら?という声とともに、居間のほうから琴音の母親が顔を出した。
琴音に良く似た綺麗な女性であった。

「琴音、そのサンタクロース、もしかして……?」
「そうよ、藤田さんよ」
「あらあらあら、よくいらっしゃいました、藤田さん!なかなかおしゃれな格好ね」
「……ははは。お邪魔しています」
「そこでお話しするのもなんですから、どうぞこちらのほうへ上がっていらっしゃってください。
あなたには本当、色々とお世話になりましたから……さぁ、どうぞどうぞ!」
「す、済みません、まだちょっと用がありますので、今夜はこれで失礼します」
「あら、それは残念ね……あら、そのぬいぐるみ、藤田さんからのプレゼント?よかったわね、琴音」
「うん!」

 この鏡で映したような親子の笑みが、サンタクロースにはとても心地よかった。琴音の力が誤解さ
れていたばかりに、うまく行っていなかったこの親子を何とかしてやりたいと想い、力の秘密を解い
た後、今までの出来事が不慮の事故であったと、この母親に真摯な態度で理路整然とした事情説明が
出来たおかげで無事和解したのは、我ながら生涯で一、二を争う会心の仕事だと思っていた。
 そう考えてみると、先ほどの琴音が口にした台詞が指すものが自ずと判ってきた。琴音にとって、
和やかな雰囲気で親子水入らずのクリスマスパーティが出来たことほど、嬉しいモノはないのであろ
う。資格はあれど、これ以上、自分はこの場に居るべきではなかった。

「琴音ちゃん、それじゃ、また学校で」
「はい!ではまた後で!」

 踵を返したサンタクロースは、琴音が少しおかしいコトを言っていたのに気付いていなかった。

                 後編へ つづく