【承前】
あの娘と初めて会話をしたのは、あの娘が男子グループに苛められているのを助けた時だった。
中学校に入学する前にこの町へ引っ越してきた彼女は、どうも口べたらしく、友達を作れずにいつもひとりぼっちで、校舎の隅でオルゴールを聴いていた。
素敵なメロディだった。曲名は……知らない。とにかく、不思議と心が落ち着く曲だった。あとで知ったコトだが、あの娘が中学へ上がる前に死んだお父さんの形見らしい。何だか判らないけど、あたしは音が素敵な理由を勝手に納得してしまった。
彼女にどんな曲か、尋ねてみたかったが、どうも、わたしを誰も構わないで、ひとりぼっちでいさせて、とゆうような、近寄りがたい雰囲気があったので、いつも訊きそびれていた。
そんな彼女が、男子グループに、その大切なオルゴールを取り上げられて苛められていた。
あたしはそれを目撃したとき、いてもたってもいられなかった。身体が真っ先に反応した。――その娘を苛めるな、と。
取り返したとき、男子の一人から叩かれた。でも、痛くなかった。彼女のほうがもっと痛い目にあっていたのだから、これぐらいの肉体の痛み、なんてコトない。
あたしが唇を切って血を流しているのをみて、男子たちはビビっていた。ダメね男って。血ぐらいでビビっちゃうんだから。女を甘く見ないでよ。男子たちはすごすごとその場を去っていった。
残されたのは、あたしと、ぼろぼろに泣いていたあの娘。
「「大丈夫?」」
あの娘とあたしの、相手を気遣う声が重なった。気まずい一瞬。
あたしは、呆然としているあの娘に、くすっ、と微笑んでみせた。
「……どうして?」
訊いてきて当然だろう。見ず知らずの人間に助けられたのだから。
さぁ、困った。どう返答しよう。
正直に言うしかないのか。
……言えないな、やっぱり。苛められているあなたを、どうしても助けたかったから、なんて。あなたを守ってやりたい、なんて同性のあたしが言うと勘違いされるかも知れない、ううっ。(汗)
でも、人間って、絶対助けたい人って、いるんだよね。こんな気持ち、とても誇らしいのに、気恥ずかしい。
やっぱり、正直に言えないなぁ。……そうだ。
「そのオルゴールの音が聞きたかったんだよ」
……ううっ、こっちのほうがずうっと恥ずかしい(汗)
でも、正直な話、オルゴールの音が聞きたかったのもあったし。
それでいいのかもしれない。あたしはこのオルゴールの音を聞くために、この娘と友達になろう。
「……ね?」
「……う、うん」
おどおどしながらも、しかし嬉しそうな笑顔。
良かった。友達になれて。約束するよ。口に出すのはちょっと恥ずかしいけど、あたし、あなたを守ってあげるって。
……なのに。
あたしは、アの男に操られてあの娘を汚してしまった。
……違う。あれは、あたしの意志だ。あたしのソコに隠れていた、あの娘を欲しがっていた、どろどろした意志が、あの娘を汚してしまったんだ。あのひとは、あたしのそんなこころを見抜いていたんだ。
憎い?……憎くない。だってあたしは、ああいうひとだから好きになったんだもの。
純情すぎるくらい、他人に優しいから、他人が抱えているどろどろしたものを見抜けるんだし、素直に見ていられるんだ。あのひとが見抜いてくれなかったら、あたしはきっと、いずれあたしの意志であの娘を汚していただろう。
他人をああゆう愛し方しかできないひと。
あたしと同じ、他人を不器用にしか愛せないひと。
幸いにも、あの娘は、あの夜のコトを忘れている。
彼のおかげだ。彼が、あの忌まわしい記憶を忘れさせてくれたんだ。
あとは、あたしが黙っていれば良いんだ。
あの娘に、汚れてしまった過去をずうっと忘れさせてあげるために。
貝のように。……あの娘に心配させても、あのコトだけは黙っていなければいけないんだ。
だって、約束したんだもん……。
……なのに………………なのに!
「ごめんね…………ごめんね…………」
「いい……いい……のよ……もう……!」
泣きながら香奈子の身体を抱きしめている瑞穂を見ているうち、初音も次第に怒りが収まり始めていた。
瑞穂達を見て感銘を受けたわけではない。むしろ、あのオルゴールから流れてくるメロディを耳にしているうちに、ゆっくりと気分が安らいていったからだった。
どこかで聴いたコトのあるメロディのようだが、さして感銘を受けるほどの名曲でもない。ありふれたオルゴールのメロディに過ぎなかった。
『「…………なのに、懐かしい』」
「EI−04より急速にオゾムパルス反応が喪失されています。初音さん、どうします?」
佇んでいるマルマイマーに、レフィが対処を訊いてきた。
『「……うん。まだ予断は許せないけど、ふたりを保護しましょう。レフィ、オゾムパルスキャンセラーを全開にして』」
「ラジャ」
マルマイマーたちがゆっくりと瑞穂達に近寄る。瑞穂達に抵抗する素振りは見当たらなかった。
「……なんか一時は慌てたけど、なんとか一段落ついたようだな」
浩之は、ほっ、と胸をなで下ろした。
「……つまらないわねぇ、アズエル姉様」
忌々しげにそう言ったのは、しのぶを倒した鬼女エディフェルであった。エディフェルは傍らにいる姉、アズエルとともに、病院の屋上から事の成り行きを見守っていた。
「やはり、私たちが出たほうがよかったのでは?」
「まぁ、待ちなさい。――ほら」
口元を妖しく吊り上げたアズエルが指した先には――
その突然の出現に、マルマイマーとレフィが戦慄した。
「あなた――月島瑠璃子さん?」
唖然となる瑞穂は、全身を煌めかせながら空中に浮いている月島瑠璃子を見て呆気にとられていた。
「そんな――あなたは――」
瑞穂は当惑する眼差しを、空間歪曲で遠くに移動した病院の病棟へ向けた。
【…………くすくす。鳴ってるね。オルゴール】
「「「「!?」」」」
瑠璃子の呟きは、その場にいた者達に脳に直接語りかけてきた。電脳連結している初音ならいざ知らず、なんと脳など無いレフィのAIにまで直接語っていたため、レフィ自身動転していた。想像を絶するテレパシー能力である。
【……ねぇ、どうして……】
「……?」
【……太田さん……どうして目覚めようとしないの?】
瑠璃子のテレパシーに、一同が香奈子に注目した。
香奈子は、頭を抱えて苦しんでいた。
「ううっ――!」
「香奈子ちゃん!」
瑞穂は瑠璃子からかばうように、香奈子の身体を覆い隠すように抱きしめた。
【……みんな……待っているのに……〈鬼界昇華〉……やめちゃうの?】
「嫌ぁっ!嫌ぁっ!!あたしに話しかけないでぇっ!!――もうあたしをそっとしてよぉっ!」
「香奈子ちゃん、落ち着いて、落ち着いてぇ!!」
苦しみもがく香奈子を、瑞穂は泣きながら必死に抱きしめて押さえる。もしこの手を離してしまったら、香奈子が二度と帰ってこないような、そんな強迫観念に支配されていた。
「やめて、月島さん!香奈子ちゃんをそっとしてよぉっ!これ以上香奈子ちゃんのこころを傷つけないでよぉ!!――?」
【……うるさいなぁ】
ぴしぃ!!突然襲った凄まじい頭痛に瑞穂は悲鳴を上げた。
『「いけない!オゾムパルスか!レフィ!!』」
【……あんたたちも】
マルマイマーとレフィがオゾムパルスキャンセラーを作動させようとしたその時、瑠璃子から発せられた衝撃波に、二人とも吹き飛ばされてしまった。
【くすくす。邪魔者はもういないよ。太田さん、はやく起きてよ。――ん?】
突然、瑞穂は激しい頭痛から開放された。そして両肩を香奈子に掴まれ、はっ、と驚く。
「――香奈子ちゃん?」
一瞬、香奈子が再び狂気に戻ってしまったかと思い、瑞穂は絶望感を抱いた。
だが。ゆっくりと上がった香奈子の貌には、狂気のかけらなど一片たりともなかった。
香奈子の目には正気が戻っていた。そしてとても悔しそうな眼差しで、瑠璃子を睨み始めた。
「……もう……嫌…………瑞穂を……泣かせるのは……もう嫌!」
「……香奈子ちゃん」
呆然としている瑞穂の腕をすり抜け、香奈子はゆっくりと立ち上がった。
「……殻にこもって詫び続けているのも……嫌!……今度こそ…………瑞穂は……守ってみせる!」
香奈子の身体から放電が迸り始めた。瑞穂を襲っていた瑠璃子の毒電波攻撃を打ち破ったのは香奈子だった。
「……たとえ……今度こそあたしのこころが砕かれても…………あんたたちが開放したこの力を使って差し違えても――今度こそ、瑞穂は守ってみせる!!あたしが約束したんだからぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!」
香奈子は絶叫と共に、全身から電撃を放った。狙いは空中に浮く瑠璃子。
しかし電撃波はすべて、瑠璃子の周囲に張り巡らされていたバリアに受け止められてしまった。
【くすくす、効かないよ】
「くそぉっ!!」
逆上した香奈子は、瑞穂を押し退け、瑠璃子に飛びかかった。しかしまたも瑠璃子のバリアがそれを阻み、同時に瑠璃子が放った電撃波がプラスされ、香奈子は地面に叩き付けられる結果となった。
「香奈子ちゃん!?」
地面に倒れている香奈子の元へ、瑞穂が駆け寄り、その上に覆い被さるようにのし掛かった。
「ダメぇ!香奈子ちゃんをいじめないで!!」
「瑞穂…………」
香奈子は喘ぎ喘ぎ、親友の名を口にし、震える手で瑞穂の頬を優しく撫でた。
「香奈子ちゃん……」
「……ごめん……瑞穂……あたし……あたし…………ずうっと……あなたの声が聞こえていたのに……あなたを助けられなかったのが怖くって…………辛くって…………ずうっと…………逃げて…………いた……」
10年間、心の殻にこもって逃げ続けていた、香奈子の告白だった。
瑞穂は胸が痛かった。
香奈子が逃げていた理由が、自分にあったとは。――否、自分でも心のどこかではその理由を気づいていたハズだった。
そして、本当に逃げていたのは、自分だったのでは、と。
「――良いのよ、そんなコト!」
虚ろげな香奈子の頬に、雫が落ちた。
瑞穂は嬉しそうな顔で香奈子を見つめ、泣いていた。そして、どうしても笑ってしまう自分がずるい、と思っていた。
「あたし……あたし……香奈子ちゃんが戻って来てくれれば……それだけで……!」
【くすくす。弱いね】
香奈子と瑞穂の脳に、瑠璃子の嘲笑が突き刺さった。
【……にんげんは、ほんとう、こころが弱いね。言葉ではいくらでも恐怖に立ち向かえると言っても、いざとなると恐怖に立ち向かう気力さえ失い、しまいには殻にこもってしまう。まわりのひとたちの想いなど無視して。そんな弱いにんげんみたいな生き物が生命の頂点に立つコトが、どれだけおこがましいコトか、もういいかげん、このあたりでわかってもいいんじゃないの?】
「……月島さん?」
【にんげんは、このままでは、おわってしまう。――だから、わたしはまた〈扉〉を開くコトに決めたの】
「「……〈扉〉?」」
瑠璃子は頷いた。
【にんげんは、かつて〈にんげん〉になったときと同じように、もういちど〈扉〉を開くべきなの。長瀬ちゃんもお兄ちゃんも、〈扉〉を開いたからつよくなれたのよ。――わたしはその〈ちから〉をもっている。それこそ、わたしがこの世に生まれた理由なのだから。――だから――だから――】
瑞穂と香奈子は身震いした。凄まじい冷気が、瑠璃子のほうから吹きつけられた所為もあったが、本当のところ、自分たちを見つめている瑠璃子の変貌に戦慄したというべきだろう。
【――〈鬼界昇華〉、開始】
「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!!??」
「香奈子ちゃん!?」
突然、香奈子が放電しながらのたうち回る。常人離れした香奈子のパワーに瑞穂は押し退けられてしまった。
【あと少し――あと少しで――太田さんもお兄ちゃんと同じになれる――だから――だから――――――?!】
それは紫色の衝撃波であった。
「メルティ・ハウリング!!」
瑠璃子の直上から飛来してきた、紫色の疾風の中から伸びた狼の喉から発射された対オゾムパルス用ソリタリーウェイブが、瑠璃子のバリアを融解させた。たまらず瑠璃子はその場から移動すると、その抜けた虚空を貫き、男を抱えた紫色の鎧武者が香奈子の前に立ったのである。
「――つ、月島拓也?」
霧風丸に抱えられていたのは、右手にマスクを持っていた月島拓也だった。
「千載一遇のチャンスが来たようだ」
呆気にとられる瑞穂の前で、霧風丸から降ろされた拓也は、まだ全身から放電を放っている香奈子の元へ進み出した。
【……お兄ちゃん――――何?】
「ブロウクン・マグナム!!」
驚く瑠璃子を包むバリアに、突然凄まじい衝撃波が襲いかかる。瑠璃子が発現点へ振り向くと、マルマイマーから発射されたブロウクンマグナムが、瑠璃子のバリアをじわじわと侵食していたのである。
【……うるさいなぁ】
瑠璃子はブロウクンマグナムのほうへ左手を伸ばし、指先を弾いた。その動きに合わせるように、ブロウクンマグナムも弾き返されてしまった。
一方、拓也は、マルマイマーが瑠璃子の注意を引きつけているうちに、のたうち回る香奈子の直ぐそばに立つと、香奈子に向けて掌をかざし何か呪文のような言葉を呟き始めた。
「ゲル・ギル・ガン・ゴー・グフォ……!」
すると突然、香奈子の放電が拓也の身体を襲うように、電撃波が二人の身体を結んだ。そして拓也がすべての放電を吸収し尽くしたかのように、香奈子の放電がやがて収まり、香奈子はぐったりとその場にへたりこんだ。
「つ、月島――――」
唖然とする瑞穂の目前で、拓也は次に、右手に持っていたマスクをぐったりとしている香奈子の顔に被せた。
「……クーラ・ティオー」
その声に反応したかのように突然、香奈子に被せられたマスクが緑色に光り出す。
「香奈子?!」
Bパート 3/3へ つづく