【承前】
「香奈子?!」
「……テネリタース・セクティオー・サルース・コクトゥーラ!」
ミスタが唱える呪文の語尾が跳ね上がるや、緑色に光るマスクが爆発したように閃光を放った。瑞穂は堪らず眩んで仰け反るが、その光が瞬時に消え去ると、良く効かない視界でなんとか香奈子の元へ這いながら近づき、被せられているマスクを手繰りあてて、それを外そうとした。
「……長瀬……クン?」
マスクに手をかけたその時、瑞穂は香奈子が口にした名を聞いて動揺した。
「……そこにいるの……長瀬くん…………でしょう?」
被せられた仮面が視界を効かなくしているが、しかし香奈子はミスタのほうを向いてとても懐かしげにその名を呼んでいた。
「……ああ。そうだよ」
ミスタは、頷いた。
「拓也さんも一緒です」
「……よかった」
香奈子は嬉しそうにそう言うと、ほっ、と安堵の息を吐いた。
「……お願い……ふたりとも……瑞穂を……助けて……!」
「香奈子……?」
瑞穂は香奈子とミスタの会話が理解できず、ひとり当惑する。ミスタは香奈子の願いに頷くと、瑠璃子がいるほうへ振り向いた。
「――瑠璃子さん!もう無駄だよ。僕はこのチャンスを待っていた。オゾムパルスキャンセラーマスクで浄解された太田さんは、もう〈鬼界昇華〉を果たせない普通の身体になったからね」
【…………】
沈黙する瑠璃子は、兄の顔をする男に睨まれ、困惑しているようであった。
「僕が開発したOPCマスクは、強大なオゾムパルスを押さえるばかりでなく、〈鬼界昇華〉が開始された〈OZP適合者〉の保有するオゾムパルスの量ならすべて対消滅させる力を持っている。発現前に使用すると〈OZP適合者〉の精神まで壊しかねない強力な力を持っているが、〈鬼界昇華〉が発現してオゾムパルスの量が増加した直後なら、これで治療するコトが出来る。――危険な賭けではあったがね。霧風丸!」
「はい!」
ミスタを抱えて飛んできた紫のロボット。四肢を破壊されて動けなくなったしのぶに、システムチェンジした狼王と翼丸をドッキングさせて稼働可能になった霧風丸だった。
「クサナギ・ブレード!!」
背中に装着されているクサナギブレードを引き抜いた霧風丸は、一気に瑠璃子の頭上まで飛びはね、アルゴンガスレーザーブレードを振り下ろす。しかし瑠璃子のバリアはそれを易々と受け止めた。
「今です、マルマイマー!」
『「プラズマ・ホールド!!』」
霧風丸の攻撃は陽動であった。上空に気を取られていた瑠璃子の足下から、マルマイマーの左腕から放出された、デバイジングエネルギーを利用した超電磁ネットが、瑠璃子をバリアごと捕捉したのである。
『「これ以上、彼女たちに手は出させない!』」
瑠璃子はバリアからの放電を強めて抵抗するが、空間歪曲エネルギーパワーの前には流石に太刀打ちできず、次第に放電が収まっていった。
『「……太田さん』」
呆然と見ていた瑞穂と香奈子へ、上空を見上げているマルマイマーが声を掛けてきた。
『「……さっきの言葉、撤回するわ』」
「……え?」
『「あなたの10年間も、大切な人のために闘っていたんだね。……ごめん』」
放電の音がうるさかったが、香奈子に耳には確かに、初音の言葉は届いていた。
そしていつしかマスクの裏が濡れている自分に気づくと、気まずそうに俯いた。
「瑠璃子さん。もう大人しくするんだ。……もう、帰って来るんだ」
ミスタは沈痛そうな面もちで、瑠璃子に呼びかけた。
しかし瑠璃子は不機嫌そうな顔をして、
【…………長瀬ちゃん。いつまでお兄ちゃんの身体の中に入っているの?】
瑠璃子のテレパシーを受けて、えっ?と瑞穂は驚いてミスタを見た。
【……あの嵐の日……長瀬ちゃんの得意な「破壊爆弾」で空間を吹き飛ばし、あたしをガディムの船ごと次元の彼方へ吹き飛ばした反動で身体と心が分離しちゃって…………、そのショックで意識がシンクロしたお兄ちゃんの身体に融合しちゃってさ……きつくないの?】
「拓也さんが精神の底に降りてくれているおかげてね。瑠璃子さんこそ、エクストラ・ヨークに精神(こころ)を移して……何を考えているんだ?」
ミスタの質問に、瑠璃子はどこか嬉しそうに微笑んで応えた。
【……あのときもいったハズ。…………にんげんは、もう目覚めるべきなのよ………………また、ね】
パシィン!突然、瑠璃子を包むバリアが爆発を起こした。一瞬爆発に眩んだ一同があわてて空を見上げると、瑠璃子の姿は喪失していた。
「……オゾムパルス反応消滅。どうやら行ってしまわれたようです」
「……そうか」
霧風丸の言葉に、ミスタは悔しそうに拳を握りしめていた。
「オゾムパルス反応、消失」
「……そう」
綾香は、ふう、と困憊気味に溜息を吐くと、シートに沈むようにもたれかけた。
綾香ばかりでない。大モニタでEI−04との闘いを見守っていた浩之達も、決着が着いたコトにほっとし、近くにあったシートに腰を落とした。辛い闘いだった。辛い決断を余儀なくされた闘いだった。それゆえに、太田香奈子を無事救えたこの結果に全員、ほっと胸をなで下ろした。
「……つまらない結果。瑠璃子がしゃしゃり出てもあんなんじゃね」
病棟の屋上で見ていたエディフェルが、肩を竦めて見せた。
「……あの〈OZP適合者〉では〈鬼界昇華〉を果たすのに相応しいパワーが足りなかったのよ。やはり、あの長瀬祐介か、月島拓也ぐらいでなければ――ん?」
そこまで言うと、アズエルは急に背後へ振り返った。
そこには、太陽を背にするコート姿の人影がひとつあった。
「……ワイズマン様!?」
「ど、どうしてここへ?」
アズエルとエディフェルの顔は戦慄に満ちていた。しのぶを一瞬にして倒したエルクゥの鬼女がここまで怖れる存在とは、いったい?
「……これ以上の手出しは無用。直ぐに戻るのだ」
「しかし、やつらをあのままには――」
「……俺の命令が聞けぬのか?――梓、楓」
「「……うっ」」
忌み嫌っているハズの名で呼ばれて、鬼女たちは怒るどころか、いっそう狼狽している。
「……わ、判りました。……いくわよ、エディフェル」
「は、はい!」
アズエルとエディフェルの姿が消失した。あとには、ワイズマンと呼ばれた人物だけが残された。
その上に、巨大な影がのし掛かる。ワイズマンが空を見上げると、まるで弾丸のようなかたちをした巨大な飛空艇が滞空していた。
「……弾丸TH六号、か。……ふふっ、来栖川の京香さんが載っているのか」
奇妙な対峙。ワイズマンは飛空挺の正体を知っていた。そしてそこに載っている来栖川一族の女にも気づいていた。
京香は、モニタに映るワイズマンをじっと見据えていた。
「……総代?いったい、あの人は?」
管制室の左側シートに腰を下ろしてモニタを制御していた隊員が、京香に不思議そうに訊いた。
「……昔の……知り合いです」
京香は、ぼそり、と呟くように応えると沈黙した。質問した隊員には、その呟きがどこか哀しげな口調であったのが気になって仕方がなかった。
隊員が京香に気を取られていたのはほんの数秒だった。なのに、再びモニタを見た途端、いつのまにかモニタに映っていた京香の知り合いの姿が消失していたコトに驚き、そのあとを追おうとした。しかし京香は無言で面を横に振り、あとを追うな、と指示した。
ワイズマンが病棟の屋上から消滅したからちょうど5分後、アレスティング・レプリション・フィールドはピタリと閉じられた。
病院の敷地内にあるベンチに座る香奈子は、まだOPCマスクを被せられたままであったが、なんとか被り方を調整し、隙間から外が見られるようになっていた。香奈子は、到着した警察や消防署の人間たちに今回の事件について説明しながら事後処理を行っているミスタをじっと見つめていた。
不意に、香奈子の肩に白衣が被せられる。瑞穂がパジャマ姿の香奈子を気遣ってかけてやったのだ。
「……香奈子。病室に戻ろうか」
香奈子は首を横に振った。
「……瑞穂。あの人……」
「……うん。長瀬君……らしいね」
瑞穂も香奈子も、瑠璃子とミスタの対峙に行き交った会話を聞いていた。詳しい事情と理屈は判らないが、なんらかの事故で長瀬祐介の精神が月島拓也の身体と同化したらしいコトまでは、二人とも何となくではあるが理解していた。だから、月島拓也の姿に長瀬祐介のイメージが被さって見えるのであろう。
「……彼……今日一杯そのマスクを被って、脳波が落ち着いたら外しても良い、っていってたわ」
「……そう」
香奈子はマスク越しに、頬を撫でた。
「……拓也さんの……匂いがする」
香奈子がほそり呟くと、瑞穂が後ろから香奈子の身体を抱きしめた。
「……香奈子ちゃん……」
「……瑞穂?」
「………………わたし……いつかこの言葉が言える日を待っていたの」
「……」
マスクの表面に、瑞穂の瞳から零れた涙が伝い落ちた。
「……おかえりなさい」
瑞穂は、ぎゅっ、と香奈子の身体を抱きしめた。
香奈子はゆっくりと仰いだ。
月島拓也と、長瀬祐介の匂いが残るマスクの隙間から、青い空が覗けた。
香奈子は、両手で持っていたオルゴールの蓋を開けた。他愛ないが、しかしどこか懐かしいメロディが、オルゴールの中から溢れ出てきた。
照れくさいが、しかし嬉しい一瞬。
「…………ただいま」
柳川は、西大寺女子大付属病院の地下通路を進んでいた。
そこは厳重な警備が敷かれた場所であり、関係者以外立ち入るコトの出来ない、特別な病室へ向かう通路でもあった。
突き当たりにある扉を開くと、先客がいた。
来栖川京香である。
「……今、お着きですか?」
「……途中、気になる気配を憶えて、そちらを追っていたので遅れた。総代。月島瑠璃子は?」
柳川が訊くと、京香は奥の方をみた。
部屋の奥にある、巨大なカプセルの中に、全裸の月島瑠璃子が死んだように眠っていた。
「…魂の抜け殻、か」
「……手を出してはなりませんよ、柳川さん」
「…承知しているさ。もとより、肉体を喪失しても、この女はあの通り生き続けているしな」
柳川は忌々しそうに言った。
マルチ達はTH弐式の管制室に集まっていた。
「……マルチ姉さま、意識のほうは大丈夫ですか?」
「うん……でも、わたしよりしのぶさんのほうが……」
初音の強制コントロールから解除されて意識が復活したマルチは、霧風丸にシステムチェンジしたままのしのぶを気遣った。今システムチェンジを解除すると、四肢が破壊されているしのぶはまったく身動きがとれなくなってしまうほどひどいダメージを負っているからである。
フェイスガードを外して素顔を見せている霧風丸は、くすっ、と微笑んでみせた。
「……あたしはこれしきのコトでは何ともありません。……それにしてもEI−04戦、最悪な結末にならなくて良かったですね」
「うん」
マルチは最悪な結果だけは避けられたコトに心底、ほっ、としていた。
「……それにしても初音さん、酷い」
マルチのそばであぐねるレフィが、憮然とした面持ちで洩らした。
「ボク、あんなに冷酷なヒトとは思わなかった」
「そないいうな、レフィ。アレはアレでがんばっているんや」
智子はレフィの背中を叩いて擁護する。
「人間はな、時として自分の意志で厳しい選択を迫られる場合も有るんや。それを怖れて安易な道を選び、太田香奈子のように殻に閉じこもる者もおる。その反面、傷つくのを承知でいばらの道をあえて選ぶ者もおるんや」
「……どちらも、大切なものを守るため、なんですよね」
ん?と、智子はマルチの呟きに反応した。
「……聞こえてました。初音さんがわたしを強制制御していた最中も、ずうっと。――初音さん、怒りながら心の中では、ずうっと――――」
初音がTHコネクターからメインオーダールームに戻ってくると、入り口の直ぐ脇に立っている浩之とあかりに気づいた。
浩之は憮然とした面持ちで初音を睨んでいた。あかりはどうやら浩之の動向を警戒してそばにいるらしい。
「……おつかれさま、柏木さん」
「……うん」
気の抜けた、力の無い初音の返事であった。
「……今回は良かったけどな……しかしなぁ、またマルチを…………」
次第に苛立つ浩之だったが、初音の様子が少しおかしいコトに気づき、文句を言おうとするのをやめた。
初音は肩を震わせていた。
「……ごめんなさい……」
「い、いや……いいんだ、判ってくれれば……」
浩之は狼狽しながら、すこし嫌味だったかなと後悔する。初音はゆっくりと俯き、いっそう肩を震わせた。
「……柏木さん?」
浩之が初音の様子を心配して一歩前に出た途端、いきなり初音は浩之の胸に飛び込んできた。
「「――柏木さん?!」」
「……よかった……よかった……あの人……殺さないで済んで…………!」
初音は浩之の胸の中で、泣きじゃくっていた。そこで浩之とあかりはようやく、初音が今まで気丈を装っていたコトに気づいたのである。戦士としての決断が、この可憐な女性のこころをいったいどれだけ傷つけていたのか。浩之もあかりにも想像できない痛みであった。
初音に泣きつかれて困った顔の浩之はあかりを見るが、あかりは優しく微笑んでゆっくりと面を横に振った。
「……ん。ああ、よかったな、……初音」
ふぅ、と溜息を吐いた浩之は、泣き続ける初音の頭を優しく抱いてやった。
浩之の胸の中で、初音は、耕一の笑顔を想い出していた。
他人を傷つけるコトなど決してなかった、優しい日々の一片。
瑞穂が持っていたオルゴールの音も、そんなありふれた日々のどこかで聴いていたのであろう。あの頃がとても懐かしかった。
ひどく遠くに感じてしまうその記憶が、今の初音には余計に、哀しかった。
(画面フェードアウト。ED:「あたらしい予感」が流れ出す)
第10話 了
【次回予告】
「君たちに最新情報を公開しよう!
度重なる不調に苦しむマルマイマーは、遂に戦闘中に倒れてしまう。マルチを救うべく戦場へ向かった浩之と長瀬に、〈鬼界四天王〉のリーダー格、ワイズマンが仕掛けた超次元の罠が待ち受ける。果たして三人の運命は?
東鳩王マルマイマー!ネクスト!
第11話「希望が消えた日」!
次回も、『ファイナル・フュージュン』承認!
勝利の鍵は、これだ!
「機動整備巡航艇「TH壱式」」