東鳩王マルマイマー:第10話「約束はメロディの彼方に」Aパート2/3 投稿者: ARM
【承前】

 もし人間を根底から強化出来るものが存在するとなれば、それは薬物ではなく、精神的な要素を有したものであろう。
 たとえば、催眠術。
 スポーツ工学において、催眠術を用いて被験者の運動能力を、数パーセントではあるが一時的にアップさせるコトに成功した報告例がある。これは単なる思いつきによる実験ではなく、スポーツ選手の中に、自己暗示によって自己記録を更新させた者が多い事実に着目した上での検証実験である。ようは「思い込み」の効果を立証したものではあるが、しかし「思いこみ」は決して非科学的なことではない。人間は脳によって、身体の機能を制御されている。その脳の機能を活性化することで、その制御下にある身体機能にも著しい向上効果を望めるのである。自己暗示は効能が認められた代表的な催眠術なのだ。
 また、催眠術は、身体機能の向上ばかりだけでなく、薬物投与で効果が得られない病症に対し、催眠治療を施したコトで劇的な回復効果を得られた報告例もある。病は気から、ということわざがあるが、そもそも薬物とは人間の持つ自然回復力を一時的に向上化させる起爆剤に過ぎず、最終的には生命体が持つ自己回復力が決め手になる。その回復力に対して直接的・恒常的に作用できるのは、やはり精神的な要素を持ったもの以外ないのだ。

「一説によると、素粒子OZ自体、人間の進化にも影響を及ぼしていた可能性もあるらしいワ」
「進化の一因…………?」

 浩之は当惑の眼差しを、大モニタに映し出されている太田香奈子へ向けた。全身から周囲に放電し続け、空間の歪みさえ観測される高エネルギーを保持する人間。

「……じゃあ、あれも進化の形のひとつだと?」
「……〈鬼界昇華〉」

 えっ?と浩之は、そう呟いた綾香を見た。

「……〈鬼の世界に昇華する〉。オゾムパルスに冒された人間が、エルクゥ化する現象をそう呼ぶのだけど……」
「それだと、まるで人類の進むべき道は、エルクゥ、ってことになるわよ」

 あかりの何気ない感想は、一同に静かなる戦慄を与えた。
 歯噛みして苛立つ浩之は、きっ、と綾香を睨んだ。

「……おい、綾香。いったい、この闘いって何なんだよ?!」

 訊かれても、綾香には応えようがなかった。
 そんなときである。正面の大モニタに新たなウィンドゥが現れた。その場にいた者達の注目を浴びる中、綾香の母親であるMMM総代、来栖川京香ののほほんとした顔が大写しになった。

「お母様――」
「……綾香。何を躊躇っているのです?」

 京香は淡々という。しかし、その口調が言わんとしているあるコトを、メインオーダールームにいる者達は即座に理解した。

「綾香――」

 心配そうな顔を綾香に向けた浩之は、拳を辛そうに握りしめて俯き、自らの職務上の立場と、誇り高き優しき理性との葛藤に苦悩する司令官の姿をそこに見た。
 吸い付きたくなるような美貌の唇はきつく噛みしめられ、やがて血が零れた。やがて昏い貌の綾香はゆっくりと顔を上げた。僅かな間だけ貌を沈めたというのに、この焦燥しきった姿にどう声を掛けてやれば良いのであろうか。

「……現時刻をもって、太田香奈子をEI−04と認定、呼称。これを殲滅する!」
「「「?!」」」

 浩之たちは綾香の宣言に愕然となった。

「――ちょっと待てよ!イーアイ、ったって、あれは人間だろ?EIナンバーは暴走したメイドロボットにつけるものじゃないのか?!」

 浩之は声を荒げて綾香に訊いた。しかし綾香は大モニタに映る母親の顔をじっと睨み付けたまま、何も応えようとはしない。
 実の娘がくれる眼差しには、怨嗟さえ伺えた。京香は動じる素振りさえ見せず、そのまま通信を切った。

「……EIナンバー……。エルクゥと認められし存在……」

 反すうするようにそうつぶやいた浩之は、大モニタに映る太田香奈子を見た。

「……エルクゥ……って……まさか…………?!」


 綾香の宣言は、香奈子と対峙していたマルマイマーたちにも衝撃を与えていた。

「……つまり……闘わなきゃいけないのですか?」

 マルマイマーは蒼白する面をレフィに向けた。
 綾香の宣言から無言でいたレフィは、突然、炎のような自らの髪をたくし上げ、両足を開いて身構えた。

「――――イークイップ!!」

 レフィの掛け声と共に、そのボディの中から戦闘形態時の強化装甲であるホーンクラウンが出現して装着され、背中からホイールロッドを取り出した。

「レフィさん!?」
「……命令は出たのよ、マルマイマー。今のボクたちの第一戦術目的は、オゾムパルスブースターの殲滅」

 マルマイマーを諭すように言うレフィの冷たい口調に、マルマイマーはショックを受ける。無論、レフィの無情さにではなく、そんな命令に従わざるを得ない自分たちに向けられた怒りと哀しみが入り交じった彼女の想いを感じ取ったからである。

「――初音さん!!」

 マルマイマーは泣きそうになるのをこらえ、THコネクター内で沈黙を続ける初音に電脳回線からアクセスした。
 しばらくの後、初音は応えた。

『……命令よ。EI−04を殲滅する』
「?!そ、そんなぁぁぁぁ!!」

 想像もし得なかった初音の冷淡な反応に、マルマイマーは戸惑う。

「で、出来ません!わたしには人を傷つけるコトは!」
『……なら、仕方ないわ』
「え――」

 突然、マルマイマーの瞳に宿っていた光が消失し、その身体が凝固する。レフィはその様子に気づき驚く。

「マルマイマー!」
『「……レフィ。サポートを頼むわよ』」
「え?」

 そういうと、マルマイマーは背部スラスターを点火させ、宙に舞った。

「……今の声はマルマイマーじゃない……初音さんの声?!」


「おい!どうしたんだ、マルチ!――まさか?」

 マルチの様子がおかしくなったことに気づいた浩之は、ふと、あるコトを思いだし、THコネクターのほうを向いた。

「柏木さん!まさかあんたまた、マルチの身体を乗っ取ったのか?!」
『……こうでもしない限り、マルマイマーは人間とは闘えない』

 素っ気なく応えた初音に、浩之は思わず呆気にとられた。

「――そんな!そんなむごいコトはやめて、柏木さん!!」

 あかりも慄然とする想像を堪えながら訴えた。

「他にだっていくらでも方法はあろうが!何もそんな――――?」

 怒鳴っていた浩之は、やがてTHコネクター内にいる初音の様子にようやく気づき、言葉を失ってしまう。
 初音は、かつての暴走の時に見せた鬼の形相はしていなかった。
 そこには、やり切れぬ怒りに苦しんでいる、沈痛そうな面もちの女性がいた。

『……マルチには悪いとは思っている。でも、〈鬼界昇華〉によってエルクゥ化した人類は、元に戻すことが出来ないのよ。あのまま狂気に奔らされて、人間としていられないのなら、責めて引導を渡してやるのが、人間として、して上げられる唯一の慈悲なの……!』
「そんな……!」

 あかりはたまらず泣き崩れた。

「なら、あんたは――――」

 エルクゥの末裔であるあんたは、なんだというのか?――言えるはずがなかった。
 そして浩之は、エルクゥと呼ばれる存在について、抱いていた疑念を確信した。

(――エルクゥは――異星人じゃない――地球人類なのか?!)


「マルマイマー!」

 当惑するレフィは、香奈子の直上に滞空して、ブロウクンマグナム発射状態にいるマルマイマーをみて叫んだ。

「ダメよ、マルチ!――くそっ、なんでこんなに腹立たしいのよ!」

 レフィはそれを第一戦術目的を果たす為の行為と認めながら、決して認めることが出来ないこころOSとの葛藤に苦しんでいた。

『「――ブロウクン・マグナムっ!!』」

 遂にマルマイマーの右腕が火を噴き、垂直足下方向に発射されてしまった。
 ところが、香奈子は突然腰に手を当てて顔を上げると、にぃ、と妖しく笑って見せた。

「……ぬるいわね」

 そう呟いた途端、マルマイマーのブロウクンマグナムが、香奈子の頭上1メートルの地点で弾き返されてしまったのだ。

『「位相空間バリア!?』」
「そんな玩具であたしは倒せないわよ」

 香奈子は不敵に笑ってみせ、おもむろに右手を上げた。
 すると、その腕の先から凄まじい放電が放たれるや、上空で跳ね返ってきた右腕を回収して滞空していたマルマイマーに電撃が襲いかかったのである。不意をつかれたマルマイマーはそのまま煙を上げて向こう側の地面へ墜落した。

「マルマイマー!くそっ!!」

 レフィはホイールロッドを振りかざし、香奈子に飛びかかった。しかし分子レベルの粉砕を可能とする、内蔵された超高速振動ホイールの衝撃をもってしても、香奈子が形成する位相空間バリアを撃ち破ることが出来ず、逆に電撃を喰らって吹き飛ばされてしまった。

『「うぅっ……!ブロウクンマグナムでも撃ち破れない強力な位相空間を形成できるなんて……!こうなったら、『プラズマ・ホールド』!!』」

 起き上がったマルマイマーは、左腕を香奈子に向けて突き出した。すると、通常ならばプロテクトシェイド使用時に位相空間干渉用波動が放出される、左腕の4門の放出口から凄まじい電撃が放たれ、香奈子めがけて飛んでいく。帯状に持続したその電撃波は、しかし香奈子の周囲には張り巡らせていた球形の位相空間バリアに守られていて、香奈子本体には命中しなかったが、そのバリアをがっちりと掴んだ。

『「くらえっ!』」

 マルマイマーが左腕を振り上げると、なんと香奈子の身体が位相空間バリアごと宙に浮いたのである。このプラズマホールドと呼ばれるものは、プロテクトシェイドで位相空間バリアを発生させる位相空間干渉エネルギーを利用し、このように相手の位相空間を捕らえ込む効果を生じさ、位相空間に保護されている敵の本体ごと動かす事が出来るのである。

「な――――」
『「うらぁっ!!』」

 バリアの中で唖然としている香奈子は、マルマイマーが振り上げた腕を妙にヤンキーっぽい掛け声を上げながら振り下ろすと、バリアごと地面に叩き付けられた。

『「おらおらおらおらおらおらおらぁぁぁぁっ!!』」

 マルマイマーは腕を振り上げて香奈子が入っているバリア球を浮き上がらせ、何度も地面に叩き付ける。そのたびに香奈子はバリアの中で七転八倒をくりかえし、悲鳴を上げていた。やがて香奈子はバリアを張ることを諦めると、プラズマホールドの電撃波をすり抜けて飛び上がり、とんぼを切って着地した。

「くぅぅ……おのれっ!」

 怒りの形相を露わにした香奈子は、再び全身から電撃を放ち始める。
 ところが香奈子は急に激しい脱力感に見舞われ、地に膝をつけてしまう。顔色は著しく青白く、脂汗さえ浮かんでいた。

『「……永い入院生活の身を忘れていたようね』」

 加えて、プラズマホールドによる物理ダメージである。力尽きないほうがおかしいだろう。
 マルマイマーの身体を乗っ取っていた初音は、勝負あったものとゆっくりと香奈子の元へ歩み寄った。もう抵抗しないだろうと踏んだのだ。
 しかし、香奈子はいきなり顔を上げ、仰天するマルマイマーの右腕を、がしっ、と掴んだ。

「……うふふ。つかまえた」

 香奈子が、にぃ、と笑った。正気のかけらもない、狂気の微笑。

『「な――――』」

 ちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちり。

『「――――くっ!!』」

 凄まじい頭痛が初音を襲った。
 まるで苦しんでいる初音の顔を目の当たりにしているかような眼差しをマルマイマーにくれる香奈子は、口元をつり上げて嘲笑った。

「……うふふふ。そうなんだ。あなたも……大切な人を守りきれなかったのね」
『「……?!』」

 初音は心臓を鷲掴みにされたような錯覚に見舞われた。香奈子は、マルマイマーと電脳連結している初音の意識を、接触部から侵していたのだ。

『「しまった――――ハックされているの??!』」
「…………わかる、わかるわぁ。大切なモノを守りきれなかった不甲斐ない自分ほど憎いモノはないわよね………………いいわよ、あなたのこころに秘められた狂気。うふふふふふ。そうよ、そう――憎しみを、怒りを、包み隠さずもっと開放しなさい。エルクゥのこころは、ラルヴァに導きにもっと素直に応えなければいけないのよ――――!!!!!!!!」
『「――あ――』」

              Aパート 3/3へ つづく