東鳩王マルマイマー:第9話「素粒子OZ(オズ)」Aパート2/3(改訂版) 投稿者: ARM
【承前】
 瑞穂は失言を悔やむが、ミスタがまったく気にしていないことから気が少し楽になった。

「3年前――」
「え?」
「職務上の事件で、傷を負いましてね。それ以来、この仮面が手放せないんです」
「そ……そうなんですか」

 瑞穂はミスタの仮面をじっと見る。その顔ににじみ出ている、瑞穂の憐憫の情は、ミスタにも判るものであった。
 だからミスタは、思わず笑みを零した。

「……相変わらず優しい女性(ひと)だ」
「え?」
「いえ、別に」

 それっきり、ミスタは黙り込んでしまった。口数が多いのか少ないのか、瑞穂にはミスタのひととなりがさっぱり理解できなかった。

 2分も経たず、二人は3017号室の前に着いた。
 太田香奈子。
 個室の表札には、その名が書かれていた。

「……香奈子。入るわね」

 瑞穂はノックしてからそういうと、ゆっくりと扉を開けて入室した。

 白い部屋。殺風景な病室。
 その奥にあるベッドの上に、一人の女性がいた。
 かつて狂気に走らされ、その綺麗な顔を血に染めた傷跡は、精神面の負荷を減らす上で根治を必要と判断され、最新鋭の整形外科処理によって見る影もなく、笑顔の似合う穏やかさを取り戻していた。

「……あ」

 香奈子はベッドの上に起き上がり、お腹の辺りにおいていた黒い小さな箱をじっと見つめていた。瑞穂が入室したことに気付くと、香奈子は顔を扉のほうへ向けた。

「……み……ず……ほ…………」
「気分はどう、香奈子?」

 10年という歳月をもってしても、壊れた心が取り戻したものは、瑞穂や家族を辛うじて認識できる程度であった。それでも瑞穂は、香奈子が自分が判ってくれるレベルにまで回復してくれたことがとても嬉しかった。

「今日はね、ほら、前に話した、例の治療器具を持ってきたの。――そう、長瀬君が研究していたあの素粒子の理論を応用して造られたシステムよ。ミスタさん、どうぞいらっしゃって下さい」

 瑞穂が手招きすると、MMMの特殊保管用ケースを抱えたミスタが現れた。
 そのとき、異変が起きた。

「――――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?????」

 ミスタの顔を見たその途端、香奈子は突然蒼白して頭を抱え、ベッドの上で身体を丸めて苦しみだしたのである。

「A゛H゛〜〜〜A゛〜〜〜〜A゛A゛A゛A゛A゛〜〜〜〜〜??!!!!!!」
「か、香奈子!?どうしたの!?――まさかまた、『オゾムパルス』が干渉を?!」

 慄然となる瑞穂は慌てて香奈子の許へ駆け出した。
 暴れる香奈子の手元から、大事そうに持っていた黒い箱が床に転げ落ち、ミスタの足許まで転がった。
 ミスタは黒い箱を拾い上げた。開かれていた蓋から、箱の中の金属の筒が覗けた。どうやらこれはオルゴールのようである。しかし蓋が開いているのにオルゴールはメロディを奏でることなく沈黙を守っていた。このオルゴールは壊れているらしい。

「……いや、違うな」

 ミスタの否定は何を指すのか。しかし瑞穂はミスタの呟きなど耳に入らず、必死になって香奈子の背中をさすってその苦しみを和らげようとした。

「……やむを得ぬ」

 そういってミスタは何故か仮面に手を掛けた。
 すると途端に、あれだけ苦しみ回っていた香奈子が小康状態に戻り、やがて昏睡してしまったのである。この奇怪な反応がミスタの行動に関係があるなどとは瑞穂には知る由もなく、すやすやと眠り始めた香奈子を見て呆気にとられてしまった。

「な……何なの……今のは?」

 呆然とする瑞穂の視線が、やがて背後のミスタに移ったのは当然のことであろう。いま考えられる理由の中で、一番可能性の高いものこそ、ミスタの存在だからだ。

「……藍原さん。なぜ、あなたは『オゾムパルス』の名を知っているのだ?」
「……えっ?」

 問いかけようとして、逆に先手を打たれた瑞穂は困惑する。

「素粒子OZのもう一つの名、『オゾムパルス』という名称は、まだ一般には報されていない、極めて一部の者しか使用していない呼び名だ。過日のレビューの時に手渡している、今日私が搬送してきた『アンチ素粒子OZ領域発生装置』のマニュアルにも載っていないハズ」
「それは――」

 瑞穂はなにかを言いかけて、しかし急に口をつぐんで俯いてしまう。
 ミスタはじっと瑞穂の様子を伺った。
 黙り込む瑞穂は、余計なことを言って後悔しているというより、むしろどうしてそんなことを聞くのだ?と言わんばかりに、相手の反応に当惑しているようであった。その相手とは他ならぬミスタだが、何故、瑞穂はミスタの反応を気にしているのであろうか。

「――それは」

 おもむろに顔を上げる瑞穂は、ようやく口を開いた。

「……わたしの知っている人がまとめた論文の中で、その人が素粒子OZのコトをそう呼んでいたンです」
「知っている人?」

 ミスタは妙な胸騒ぎを覚えた。

「はい。――長瀬……祐介さんの素粒子OZに関する論文です」
「長瀬祐介……」

 そう洩らしたきり、ミスタは沈黙する。仮面の下に隠されている動揺の相貌は、瑞穂にも容易に想像出来るものであった。
 黙り込むミスタをみて、瑞穂はある疑念に駆られた。

(…………もしかして、この人……いえ、まさか……?)


 国会答弁が終了した。ようやく肩の荷が下りた長瀬は腕を上げて大きく背伸びしながら欠伸をした。

「主査、お疲れさまです」
「うむ、アルトもご苦労だったな。装備の見直しで速射破壊砲を外されて、口の辺りが心許ないのではないのかな?」

 揶揄するようにいう長瀬に、アルトははにかむように口元を上げてみせた。

「……長瀬主査」

 不意に声をかけたのは、MMM総代、来栖川京香であった。

「総代、もうお電話のほうはお済みで?」
「……はい」

 凛とする美貌が上下した。どちらかというと芹香に似た、というより芹香は母親似なのであろう、和服の似合いそうな物静かそうな印象の女性であった。

「で、藤田さんは何と?」
「……霞ヶ関のほうでも『彼女たち』の行方はようとして掴めていないそうです」
「そうですか……」

 長瀬はふぅ、と溜息を吐くと肩を竦めて見せた。

「……ところで、諜報部の『オゾムパルスマスター』は、今日はどちらへ?」
「祐介は今日、月島瑠璃子が入院している病院にいってます」
「……月島拓也も、ですね」
「まぁ、今のあれは、ふたりでひとりですから」
「……祐介さんのほうは大丈夫だと思います。しかし、月島拓也は……」
「今の彼には祐介を御する力はありません。その気もないでしょう」
「……しかし、あの〈ゲートキーパー〉が現れたら」
「今日はしのぶも付いています」
「……楓さん、ですね」
「はい。彼女に任せておけば大丈夫です」

 長瀬がそう答えると、何故か京香はアルトに一瞥をくれ、

「……楓さんのTHライドは千鶴さんや梓さんのものとは違い、まだ不安定な所があります。あまり無理をさせないで下さい」
「それは重々、承知しています。楓クンに施してある武装がマルマイマーさえも凌ぐものに仕上げてあるのは、ご要望どおり楓クンの生還率を高めるためでもあるのですから。でなれければ、あの男が楓クンのTHライドを使用したコトを黙認した甲斐がない」

 二人の会話を端で聞いていたアルトは、その会話が何を意味するものか良く判らなかった。どうして二人は、しのぶを楓と呼ぶのだろうか。
 そしてアルトは何故か、楓という名に妙に惹かれた。どうしてこんなに懐かしく感じるのだろう、と。
 しのぶを楓と呼ぶその理由を、アルトはとても訊きたかったが、今の自分に与えられた任務である、来栖川京香と長瀬源五郎の護衛に専念しろという第一目的命令がそれを押さえていた。

「……それと……柳川氏が報告してきた……例の件……」
「ええ。『キング・ヨーク』とのメガ・フュージュンプログラムの開発率は、今朝の時点で87パーセントです。予定より半年も遅れていますが、完成すれば、芹香さんに負担をかけるコトはこれ以上なくなります」
「……そう、ですか」

 ほとんど表情らしい表情を見せない京香の顔に、人の親の安堵感が浮かび上がっていた。

「……いにしえよりの〈ゲートキーパー〉としての宿命に抗う気は、私も娘たちもまったくありません。〈次代〉の兆候さえない、まだ幼年期の現人類には、かつての〈人類原種〉が果たした〈鬼界昇華〉は早すぎます。なんとしてもEI−01と、そして月島瑠璃子の暴走を食い止めなければ、人類はエルクゥが引き起こした星々の闘いに巻き込まれて死滅してしまいます」
「えぇ。――3年前。あの事件が起こる前に、我々はもっと早く気づくべきだったと今も悔やんで止みません。あの事件さえなければ、マルチのマスターボディを失うコトも、そして祐介が――死ぬコトもなかった」


 荒れ狂う嵐の中に、巨大な人影があった。背丈はゆうに30メートルは越している
だろう。明らかに人間ではない。
 その巨大な人影に、三人の普通の人間が立ち向かっていた。
 しかし彼らは、普通の人間ではなかった。
 ひとりは、次第にその容貌を変化させ、鬼と化していった。あの、柳川である。
 そしてその傍らに立つのが、長瀬祐介と月島拓也であった。二人とも二十代を後半に差し掛かっている。パジャマ姿がよけいそうみせるのか、病み上がりのやつれた幽鬼のような相貌の月島とは対照的に、祐介はすべてに渇望していた少年期の面影は払拭し、どこか影のある怜悧そうな青年へ成長していた。

「――月島拓也。あれはもうダメだ」

 人ならぬモノが壊れたような声で、先行しようとする月島拓也を止めた。

「……そんなことはない。……瑠璃子は……瑠璃子は…………!」
「拓也さん、危険です!柳川さんに任せましょう!」

 うろたえる月島に、祐介は悔しそうに言った。

「ダメだ…………ダメだ……ダメだ!!」

 パシィ!月島の周囲で放電現象が生じた。高密度の毒電波――オゾムパルスが月島の周囲に集中しているのだ。

「瑠璃子は……瑠璃子は……俺が助け出す!」

 月島がそう叫んだ瞬間、巨大なプラズマ光球が彼の頭上に生じ、巨人目がけて飛んでいった。
 しかし、プラズマ光球は巨人の正面で見えざる壁に激突したかのように四散する。

「……『エクストラ・ヨーク』のバリアシステムだ。エルクゥなしであそこまで機能するとは!」

 そういって柳川はとても悔しそうに舌打ちする。鬼と化し人ならぬ相貌をしていながらも、この巨人の力に慄然としているのは明白であった。

「……やはり瑠璃子さんは〈鬼界昇華〉を果たした〈次代〉なのか?!」

 祐介は戸惑いの眼差しの先を、直ぐ向こうにある破壊された来栖川財団の研究施設に移した。

「……マスターボディは失われたが……まぁ、千鶴さんだけでも彼の許に預けられて佳かった」

 そういって、祐介は、ふっ、と微笑んだ。どこか寂しげに、そして二度とない強い決心をしたかのように。

「――祐介?」

 巨人の様子を伺っていた柳川は、巨人のほうへ進み出した祐介に気づき驚いた。

「長瀬!?」

 月島も長瀬の行動に驚き、その後を追おうとする。しかし一歩足を進めた途端、月島も柳川も身体の動きが止まってしまった。

「祐介!お前、オゾムパルスで俺の動きを封じたのか!やめろ!」
「長瀬!何を――――」

 身体の自由を奪われた二人が次に目の当たりにしたものは、おもむろに上げた右腕から凄まじいオゾムパルスの放電を始め、光と化していく祐介の姿であった。

「……拓也さん、柳川さん。……あとは、頼みます。――――行くよ、瑠璃子さん」

 祐介の最期の言葉が大気に豪雨に押し流された刹那、雨風に荒れ狂う世界は白色に塗り替えられた。


「……あれから3年、か」

 柳川は、3年前火災で閉鎖された――コトになっている来栖川電工研究所第2支所跡に立っていた。表向きは火災事故になっていたが、真実はそうではない。
 しかし真実を知る者は皆、真相について決して口を開こうとはしなかった。
 あの場に居合わせていなかった者に語ったところで、誰が信じようか。
 たったひとりの女性によってすべて破壊されたなどと。
 30メートルもある異星人の巨大なテクノロジーが暴走したなどと。
 そしてそれらを、ひとりの青年が自らの命と引き替えに止めてみせたコトを。

「……〈ゲートキーパー〉月島瑠璃子の覚醒。EI−01の活動開始。――そして、俺には判るぞ、『エクストラ・ヨーク』の胎動を……!来栖川の一族が必死になろうとも、もはや人類のエルクゥ化――〈鬼界昇華〉は防ぎ切れまい」

 柳川は足許に埋もれている、焼け焦げたメイドロボットの腕を踏みつぶした。

「……その前になんとしても、柏木耕一、お前との決着は必ず着けてやる。そのためにも――『キング・ヨーク』は絶対、俺のものにしてやる」

                  Aパート 3/3へ続く