東鳩王マルマイマー:第9話「素粒子OZ(オズ)」Aパート1/3(改訂版) 投稿者: ARM
(アヴァンタイトル:エメラルド色のMMMのマークがきらめく。)

 紅く萌ゆる木々の隙間をぬって、木漏れ日が、白い部屋に注がれていた。
 部屋の中には、ベッドから身を起こしている、寝間着姿の女性がいた。
 穏やかそうな表情をする彼女からは、まるで人形のように、何故か生気を伺うコトが出来なかった。生きているという意志さえ感じられない。
 彼女が大事そうに持っている、蓋が開いたまま、全く音を奏でないオルゴール。
 彼女は、それをじっと見つめているばかりであった。
 もしこの場に情緒溢れる詩人がいたならば、オルゴールに注がれている彼女の眼差しを、こう称するだろう。

 泣いている、と。


『……来栖川財団代表、来栖川京香殿』
「あ、みてみて、お母様の答弁が始まるわよ」

 綾香はTVの国会中継に出ている、スーツ姿の母親を指して言った。

「MMMの創設委員会委員長にして、初代MMM長官。初めてあったときはえらい凛々しい方やと思ぉたが、国会での答弁に物怖じ一つしておらへんのは流石やわ。ホンマなら、うちらが出ていなぁあかんのになぁ」
「あたしらみたいな小娘が国会答弁に出ても、国のお偉方は莫迦にするだけよ。もとより、引き継いだばかりのあたしより、現MMM総代であるお母様のほうが適役ね」
「あ、長瀬主査とアルトも映りましたネ」
「本当。護衛のアルトも、新装備のフェイスマスクで少しは人らしく見えるなって、立派に振る舞っているのに、あーあぁ、主査は全国中継だというのにだらしない顔して。無精髭延ばしっぱなし。ちゃんと剃ってくれればいいのにね、藤田クン」

 TVを見ていた初音は、隣でソファに身体を沈めている浩之にふった。
 手ぬぐいを捻り鉢巻きにしている浩之は、画面を食い入るように見ていた。その隣に座るマルチも黙ってTVを見ている。
 一週間かかったMMM基地メインオーダールームの整理がようやく終わり、一息ついた一同は中央にあるリフレッシュコーナーに集い、昼過ぎより始まった、対エルクゥに関する国会答弁のTV中継を見ているのである。

「……水面下の闘いがついに表面化したとゆうのに、相変わらず国の上層部とやらは危機感が不足しとるで。ほれ、あそこ。船こいでいる議員が。サイテー」
「本当?……あ、本当。なぁに、やってるのかしら」

 TVを指す智子に、綾香が呆れて肩を竦めて見せた。

「しのぶが居ったら、えらい毒づいたやろな」

 智子がそう言うと、ちょうどその時、紅茶ポットと人数分のティカップを載せたキャスターを押してメインオーダールームに入ってきたレフィの後について、あかりが現れた。あかりは周囲を見回した。

「……あれ?しのぶちゃん、どこかいっちゃったの?」

 EI−03事件以来、すっかりお気に入りになった黒髪のメイドロボットのしのぶが居ないことに気付いたあかりは、残念そうに洩らした。

「Sorry。午後はミスタの警護についていまス。あかりに申し訳ないと言ってたワ」

 レミィが応えた。

「今日はミスタ、妹さんに逢う日なのよ」
「妹?」

 綾香がそう応えると、浩之はマヌケにも、ミスタと同じ仮面を付けた女の子を想像し、ひとり吹き出した。

「……浩之ちゃん、いま、変な想像したでしょう?」

 流石は浩之との付き合いが長いあかり、真っ先に浩之のボケを見抜いている。

「藤田クン、生まれつき仮面しとる人間なんか居らへんで。フツーの女性や」
「なんで保科も判る?」
「ベタベタやン、その反応」

 肩を竦めてみせる智子の一言がスイッチのように、浩之とマルチを除く一同が笑い出す。笑われている本人は面白くなさそうにすねるが、マルチは意味が分からずきょとんとしている。

「By the bye……あかり。例の件、どう?」
「例の件?」

 笑顔のレミィにいきなり訊かれたあかりはしばら小首を傾げ、

「……あぁ、あの件?……うーん、あまり自信ないなぁ」
「そんなコトない。この間の一件、あたし感動しました。あかりなら、きっと務めてくれるハズ。専門的なオペレーションは初音がしてくれるヨ」
「?わたし?――ああ、あの件?」

 どうやら初音も二人の話の事情を知っているようである。

「……そうよね。人手が足りないし、是非とも神岸さんにも協力をお願いしたいわ」
『…………では、秘密結社OZ(オズ)と呼ばれる地下組織が……』

 初音たちの会話に関心を抱いた浩之が三人のほうへ向こうとしたとき、TVから届いた固有名詞に思わず気を取られた。

「OZ?」
「ああ、あれ?」

 綾香が応えた。

「流石に宇宙人が侵略している、なんていきなり言えないでしょ?まずは、正体不明の地下組織説を上げ、その後の調査の結果で……っていう方針に決めたの。内閣調査室の提案でね」
「ふぅん。奇遇だな。もし発表に苦労しているのなら、と思って俺が考えていたものと同じでやんの」
「そう……」

 事情を知る綾香は複雑そうな顔をしてみせた。まさか内閣調査室の室長が、浩之の父親とは言えなかった。職務上、室長が息子に本当の仕事を黙っているのはしようがないのだが、しかし考え方がこうも同じとは、流石は親子と言うべきか。綾香はどうしても笑いたかったのを必死に堪えた。

「ところで、OZって何ですの?」
「『素粒子OZ(オズ)』」

 あかりの問いに、レミィが応えた。

「オゾムパルスの正式名称ネ。O・ZO・MU、って単語の頭文字2つから来ているの――と言いたいところだけど、本当の由来は、オーバーorアザーZ0(ゼット・ゼロ)ボソンの略称なのヨ」

 Z0ボソンとは、1983年にヨーロッパ素粒子研究所(CERN)においてその存在が立証された、原子核の中で素粒子間に働く力を伝達する素粒子(ゲージボソン)のコトである。
 現在、陽子・反陽子衝突による粒子崩壊のとき働く力を媒介するWボソンとZ0ボソン、光を構成する粒子フォトン、クォークを結びつける粒子グルーオン、そして実験的にはまだ確認されていないが理論上、重力を伝達するとされている粒子グラビトンの5種類の存在が確認されている。
 量子工学の基礎理論が確立されると同時に発見された第6番目のゲージボソン、素粒子OZことオゾムパルスを「Over(Other)Z0」と呼ぶのは、陽子・反陽子衝突後に大きな運動量をもつ電子と陽電子が互いに反対方向に生成されるZ0ボソンに極めて似た性質を持っていながら、陽子の80倍から90倍の質量をもつ極めて重いZ0ボソンに対し、なんと500倍以上の高質量を保有しているからなのである。これほどの高重量でありながらゲージボソンのひとつとされるのは、第一条件である力の伝達を行っている性質を保有しているコトと、特定の原子核の中に存在するコト、そして素粒子特有の不安定な性質故の短命で物質の構成要素になり得ない点からである。
 その存在を立証した物理学者の理論によれば最も、初期の宇宙の構成要素、特に反物質に近い存在であるとされており、現在も多くの量子工学学者によってその特異な性質の研究が盛んに行われている。

「それも長瀬主査が発見したのですか?」
「半分、当たりネ」
「確か、長瀬祐介、って物理学者の卵が発見したって聞いている」

 浩之が応えた。

「あれから俺も色々オゾムパルスについて、なにか研究発表が無いかな、と大学で調べてみたんだ。すると、あったんだわ。6年前に、奇遇にも、俺と同じ大学で卒業論文として、『素粒子OZ』に関する研究論文が発表されていたんだ。名前は違っていたが概要が同じだったんで、もしやと思っていたんだが、やはりオゾムパルスのコトなんだ」
「――その人、MMMにも参画されていらっしゃるんですか?」

 不意に、マルチが浩之の顔を伺うように訊いてきた。

「ん?……いや、大学で聞いたら、3年前に事故で他界されているそうだ」
「そう……ですか」

 マルチは残念そうに俯く。浩之はマルチが長瀬祐介という人物に急に興味を示したコトを不思議がるが、それ以上は気に留めなかった。

「長瀬……って、もしかして長瀬主査のゆかりの方かしら?」
「Yes。前に聞いたコトあるヨ。主査の甥、だって」
「甥、ねぇ……」

 そう呟く浩之の脳裏に、何故かあの仮面の男の姿が過ぎった。

「……性格の悪そうな所はよく似ているンだけどなぁ」


 浩之が悪態を吐いた仮面の男は、小高い丘にある墓地の一角に居た。
 ミスタは、目の前にある墓の前で腰を下ろし、じっと手を合わせていた。
 月島家代々之墓。

 やがて、合わさっていた両手が下ろされると、ミスタはゆっくりと立ち上がった。

「……じゃあ……行くよ」

(OP後、「東鳩王マルマイマー」のタイトルが画面に出る。Aパート開始)

 都心より多摩方面へ1時間の距離に私立西大寺女子大学医学部付属病院があった。
 この病院にある脳神経科は世界的にトップレベルにあり、各国から脳障害の患者が治療に訪れていた。

「――藍原先生」

 病院内の廊下を進んでいた藍原瑞穂は、後ろからインターンの富田から声を掛けられ、振り返った。

「お疲れさまです!」
「あ、富田さん。今日は早いわね」

 富田というインターンの女性は、瑞穂の後輩に当たる医大生である。富田は、世界のトップクラスを誇る脳神経科において、新進気鋭の医師として注目を浴びている瑞穂を将来の目標にしていた。日頃から富田は瑞穂みたいな立派な医者に大成する、と臆面もなく公言しており、瑞穂は彼女と会うとどうも照れくさかった。それでいて嫌いになれず、むしろ気に入ってさえいるのは、富田が本気で自分を慕ってくれているのを理解しているからである。どことなくその面影が親友に似ているところもあった。

「これから、3017号室の患者さんのところですか」
「……ええ」
「あの患者さん、このあいだお会いしましたよ。だいぶ回復されたみたいですね」
「……うん。先週も中庭まで松葉杖なしで歩けるようになったわ」

 どこか嬉しそうな顔で言う瑞穂をみて、富田も、にぃ、と笑った。

「先生の長年の献身、ようやく実を結びましたね。――先生が高校生の頃から、でしたわよね」
「……うん。……もう10年、か。…………永かった」

 瑞穂は掛けているリムレスメガネのレンズを指先で少し押し上げ、上の方を仰ぎ見た。天井ではなく、今までの苦労を振り返っているのは、富田にも判った。

「――あ、そうだ!忘れてました、今日、来栖川財団の医療研究所のほうから例の機械が届く、っておっしゃってましたよね。二乃前先生からの言付けで、先ほど、関係者の方がそれをもってお見えになられたそうですよ。至急、3017号室へ向かって下さい、とのコトです」
「あ、そうなんだ。ありがとう、早速行ってみる」


 同時刻。瑞穂が勤める病院から離れた森の中に、黒い外套に身を包んだ影――柳川に殺されたハズのEI−01が居た。やはり倒されたあのEI−01は、影武者だったのだ。

(…〈オゾムパルス適合者〉の存在を確認。――〈鬼界昇華〉、開始)


 3017号室へ向かう廊下を進んでいた瑞穂は、その先を進む奇妙な人影に気付いた。

「……?何、あの人の顔?……仮面?」

 医療用とも思えぬ奇妙な仮面を被る黒服の人物を見て、瑞穂は戸惑った。
 彼が右手に抱えているアタッシュケースには、それが来栖川財団の医療研究所の所有物であるコトを証明する、MMMマークが入っていた。

「……まさか、あの人が?」

 瑞穂は慌てて彼を追いかけ、後ろから声を掛けた。

「……あの……あのぅ、あなた……」

 すると、仮面の男は振り返った。
 口元以外をすべて仮面に隠したこの男は、瑞穂を見るなり、僅かに伺える口元に驚きの表情を浮かべた。

「……藍原さん」
「……え?」

 瑞穂が驚くのも無理もない。仮面を付けた知り合いなど、まったく覚えがないのだから。
 仮面の男は瑞穂の顔を見たまま、暫し絶句し、やがて、

「……失礼。あなたの評判は、来栖川財団にも届いております。写真でお顔を拝見しておりました」
「……あ。そ、そうなんですか……あなたが来栖川の?」
「はい。ミスタ、ともうします」
「みすた……漢字でどう書かれるのですか」

 瑞穂は不思議そうに訊く。どうやらミスタはそう訊かれるとは思っていなかったらしく、思わず破顔(無論、口元だけだが)し、

「……いえ、コードネームです。職務上の事情で、本名は申し訳ないのですが……」
「……そう、なんですか」

 瑞穂は以前、来栖川財団に特殊な業務を遂行する機関があるという噂を聞いたことがあった。なんでも、CIAのような諜報機関で、来栖川グループの利潤を保護するために秘密裏に行動しているという、漫画みたいな噂であった。
 ただ、おそらくこの仮面の男が持参しているはずであろう「例の治療機器」の運搬に於いて、もしかするとそのような機関が動くかも知れない、と瑞穂が思ったのも事実である。それだけ「例の治療機器」は重要な品物なのである。瑞穂個人にとっても、そして――もしかすると、「彼」の理論通りなら、全人類にも。

「ところで……」

 ミスタが訊いてきた。

「例の患者が居る3017号室はどちらでしょう?」
「あ、はい、この通路の一番突き当たりになります。――わたしもこれから行くところなので、ご案内しますわ」
「それはありがたい」

 ミスタが慇懃に頭を下げる。二人は並んで3017号室を目指した。
 ミスタの隣を歩く瑞穂は、不思議な気分にあった。
 昔、こんなふうに並んで歩いた覚えはないか。
 初めて会った人物なのに、初めてでない。
 どこか、懐かしい匂いのする男性(ひと)。
 瑞穂は、彼の素顔が無性に気になった。

「……あのぅ、お聞きしてもよろしいですか?」
「?」
「その………………仮面は……」
「ああ。――事故で負った顔の酷い傷を隠すためです」
「あ――ご、ごめんなさい」
「いえ、良いんですよ。誰もこのマスクのことを訊きますから」

                     Aパート 2/3へ つづく