東鳩王マルマイマー:第7話「こころ届かぬ怒り」B−3 投稿者:ARM


【承前】

「藤田君。今まで協力をありがとうございました。――――マルチを大切にしてやってね」
「柏木さん――」

 堪らず苦悩の面を上げた浩之に、初音は頭を横に振ってみせた。

「今日はこれで失礼します」
「あ……あ、ああ」

 浩之は初音を引き止めようとする自分に戸惑う。そんなにマルチを闘わせたいのか、と。
 初音はそんな浩之の心情を察してか、何も言わず居間を出てひとり玄関へ向かった。マルチは慌て
て立ち上がり、昏い顔の浩之に一瞥をくれてから初音を見送ろうとその後を追う。
 マルチが居間を出たとき、初音は玄関の扉を開けたところであった。
 ところが、初音は外へ出ようとはしていなかった。
 玄関から届く空気が妙に重かった。

「……あ、あの人は」

 玄関の外に立っていたのは、あのしのぶであった。

「――なんですって?神岸さんが襲われた?!」
「「?!」」

 驚嘆する初音の声に、浩之とマルチが慄然とした。

「――あかりがどうかしたのか!?」

 慌てて居間から飛び出した浩之はマルチを押し退け、玄関へ飛んできた。

「つい先ほど、あかりさんがEI−03に襲われましたが、しのぶがこの近くでガードしていた為、
無事でした。でも……」
「でも――?」

 周章する浩之に応えたのは、しのぶだった。

「……何故か、神岸さんはEI−03の後を追っていきました。翼丸を先行させ、あとから狼王にも
追わせています」
「なんであかりのヤツ、そんな危険なこと…………?」
「雛山さんが、とかおっしゃっていました」
「雛山……理緒ちゃんか!?」
「EI−03もその名を口にしていました。EI−03と何か関係がある様子です」
「え……なんで……?」
「詳しくは判りません。あるいは、どういう理由は判りませんが、その雛山さんという方の許にEI
−03がいるか匿(かくま)われているか、しているのでしょう」

 しのぶの話を聞きながら、青い顔の浩之は腕を組んで考え込み、

「……あかりは駅前の商店街に買い物に行ったんだよな。……そういえぱ前にお袋が、駅前の弁当屋
に俺の同級生が勤めている、って言ってたっけ……そこか」
「翼丸が神岸さんを追っていますが、彼女が向かっている方向は確かに駅前です」

 しのぶが言うが早いか、浩之は初音達を押し退けて玄関を飛び出した。

「藤田君!どうする気ですか?」
「決まってンだろ!あかりを助けに行く!」
「危険よ!わたしたちに任せなさい!」

 浩之を呼び止める初音の横から、しのぶが、先行します、と囁きを残して一瞬にして飛び上がり、
姿を消した。まるで漫画や小説に出てくる忍者である。

「しのぶが行きました。藤田君はここで待ってて……」
「もう耐えられねぇんだよ!大切な人間を守ってやれない自分の非力ぶりが!!」

 浩之の怒鳴り声に、初音とマルチが金縛りにあったようにその場に凝固する。

「俺みたいなのが行ったってEI−03みたいな怪物に叶わないことくらい、判ってるさ!――だけ
ど、だけどなぁ――――!」
「――ご主人様」

 憤る浩之を我に返らせたのは、初音の後ろからゆっくりとやってきたマルチであった。

「ご命令下さい。わたしに、あかりさんを助けに行け、と」

 マルチは真摯な眼差しを浩之に真っ直ぐ向けて言う。マルチの申し出に、浩之は頭を横に激しく振
り乱した。

「――もう出来るわけないだろ、そんな危険な命令を!俺は、お前を二度と失いたくないんだ!」
「なら、わたしも同じです。――二度と、ご主人様やあかりさんを哀しませたくない。――そして、
哀しい目に遭わせたくない」
「マルチ……お前、言っているコトが判っているのか?へたすりゃ死ぬんだぞ!?お前が死んだら、
俺だけじゃない、あかりだって、お袋や親父や、お前を好きな知り合いたちまで哀しむ……!」
「わたしは自分が傷つくコトより、ご主人様やあかりさんたちが傷つくほうが辛いんです」
「マルチ……!」

 浩之は堪りかねて振り返り、マルチの身体を抱きしめた。

「……お前は特別なんだ。――心がある。無茶な命令は拒否することだって出来る。――心をもった
ロボットは、もうロボットとは言えないんだよ!お前は女の子だ。俺の大切な、俺が愛している、俺
の女だ!」

 浩之の本心だった。紛れもなく浩之はマルチを一人の女性として見ていたのだ。
 浩之に抱きしめられているマルチは困ったような顔をして、

「……わたしはメイドロボットなのですよ。ご主人様の命令には絶対服従するように設計されている
のですよ」
「――だったら命令してやる!行くな!闘うな!二度と居なくならないと誓え!」

 半泣きでいう浩之に、マルチは目を閉じて満足げに微笑んだ。

「……やっぱり、誓えません」
「なんでだよぉっ?!」
「だって、ご主人様、わたしと同じくらいあかりさんのコトも愛されていますから」
「?!」

 浩之はマルチの肩を抱いたまま、マルチの身体からゆっくりと引き離れていく。

「勘違いなさらないで下さい。これは嫉妬なんかじゃないんです。ご主人様がわたしと同じくらいに
あかりさんを大切にされているのは判っています。わたしにとって、ご主人様が大切にされている方
はわたしにとっても大切な人なんです。わたしはそんな人たちに尽くしたいのです」
「そんなの……そんなの……関係ねぇ!」

 浩之はマルチの両肩から手を離し、ぎゅっと握り拳を作った。

「判って下さい、ご主人様!わたしだって、あかりさんを守りたいんです!」
「マルチ、お前なぁ……」
「ご命令いただけないのなら、わたし、あなたをご主人様と認めません」
「?!」

 命令厳守が原則であるメイドロボットがもつアイディンティティを否定しかねないマルチのこの一
言は、端で見守っていた初音にも衝撃的だった。これが心を持ったロボットなのか、と。ロボットの
心もプログラムに過ぎないと思う者が聞いたら、AIが正常に作動していないとしか考えかねないこ
の一言を、マルチ自身はどんな想いで告げたのであろうか。

「……わたし、安心したんです」
「……安心?」
「ご主人様、あかりさんが襲われたと聞いたとき、血相を変えて居間から飛び出しましたよね。あれ
でわたし、ご主人様はあかりさんもわたしと同じくらい愛されているコトを確信しました」
「……」
「そして、嬉しかったんです。こんな素敵な人に巡り会え、ご主人様と呼べるコトに。――その人の
哀しい顔を黙って見なければならないくらいなら、わたしは自分で自分を破壊します」
「なに、ゆうんだよ、マルチ……!」
「お願いです、ご主人様!ご主人様にとってもそうであるように、わたしだってあかりさんが大切な
人なんです!ご主人様がわたしが傷つくのを見ていられないのは判ります!だけど、わたしと同じく
らいに愛されているあかりさんが傷つき、倒れた姿をみて哀しむご主人様を、わたしは絶対見たくな
いんです!だからどうかご命令を――いえ、命令なんかじゃなくていいんです!わたしが今必要なの
は、命令ではなく――浩之さん、あなたが与えてくれる勇気なんです!」
「勇気――――!」

 浩之の胸に深々と突き刺さる二文字。マルチの悲壮な願いは確かに浩之を揺さぶった。
 返す言葉を無くした浩之は、空を仰いだ。
 澄んだ青空を、東の方向へ飛ぶ白い鳩が一羽いた。
 やがて浩之は、ふう、と胸の支えがようやくとれたかのような顔で深呼吸した。そして、ずうっと
握られたままだった浩之の拳がゆっくりと開かれ、マルチの頭に置かれた。

「……なに言ってやがる。勇気を分けてもらいたいのはこっちのほうなのにな」
「ご主人様……!」

 ニコリと微笑む浩之をみて、マルチは花が咲いたような笑う。

「……俺みたいな臆病者の勇気なんかもらったってロクなことにはならねぇぞ」
「足りないところを補う程度で充分です」
「言ったな」

 苦笑する浩之は、マルチの頭をくしゃくしゃになるくらい撫でた。マルチが慕っていた、智子の心
を開かせた、レミィが子供の頃からずうっと好きだった、理緒があこがれていた、綾香が気に入って
いた、そしてあかりが愛したいつもの浩之がそこにいた。
 マルチが照れて頬を赤らめたとき、浩之は初音のほうを向いた。

「柏木さん。マルチにも行かせてやって下さい」
「……」

 初音は少し困ったような顔で黙ってみせた。

「……大丈夫。今のマルチなら、柏木さんの暴走だって止めてみせるばかりか、あのEI−01だっ
て倒せそうだ。この俺をぎゃふんと言わせたくらいだからな」
「また一緒に闘わせて下さい、初音さん!」

 マルチにも請われ、初音は何と言えばいいのか判らず、しばし戸惑う。
 やがて初音は小さく頷いてみせ、

「――足りないところは勇気で補う、か。みんな、綾香に感化されたみたいね」

 初音の言葉に浩之が苦笑したその時、あたりが突然暗くなる。
 驚いた初音達が空を見上げると、頭上にいつのまにか巨大気球船――に偽装したTH参式が滞空し
ていた。



「――雛山さん!」

 あかりはあれからずうっと走り詰めだった。息を切らしながら理緒が働いている弁当屋に駆け込ん
だあかりは、弁当屋の主人の驚く顔と向かい合った。

「え?理緒ちゃん?さっき、駅の裏のビルまで大口注文のお弁当を届けに行ったちゃったけど」
「そうなんですか――あのロボットは?」
「ロボット?ああ、テキィちゃんね。何か知らないが、いきなり姿をくらまして今はいないよ」
「あのロボット――いったい誰のなんですか?」
「何でも理緒ちゃんが拾ってきたって」
「拾って……」

 あかりは激しい脱力感に襲われた。家庭の事情もあって、モノは大切にする主義であったのは知っ
ていたが、まさかあんな物騒なモノまで拾うとは。

「……あ……ありがとうございます」

 気を取り直したあかりは弁当屋の主人に頭を下げ、理緒が向かったという、駅の向こうにある来栖
川警備保障本社ビルに向かって駆け出した。
 駅のガード下を潜り抜けた先には、30階建ての高層ビルがある。あかりはビルの玄関前の道路に
止めてある、弁当屋の名前が入った原付の三輪バイクを見つけた。理緒はまだビルの中にいるらしい。
 あかりがほっと胸をなで下ろしたその時、頬を背後からかすめた突風に慄然となった。

「……殺す、といったハズ」

 振り返らなくとも、その声と吹きつけてくるような殺意の主がEI−03、テキィのものであるこ
とは即座に判った。
 しかしあかりは激しい動悸と恐怖を堪え、振り返ってみせた。
 テキィはあかりが振り返るとは思ってもいなかったらしい。テキィはしばらくあかりの顔を睨み、
やがて構えていた圧縮空気砲を下げた。

「……怖くないのか?」
「……怖い。……物凄く……。――でも、雛山さんはわたしが守らなきゃイケナイから!」
「笑止」

 あかりの足許のアスファルトが弾けた。あかりは腰が抜けそうになるが、必死に堪えた。

「……理緒を守る、だと?」
「そ……そうよ!なんであなたが雛山さんのそばにいるのか判らないけど、雛山さんだけは絶対殺さ
せないから!」
「……何故、理緒を殺さなければならないのだ?」

 テキィは不思議そうに訊く。あかりは予想外の反応に戸惑った。

「……あなた、昨夜、大勢の人を酷い目に遭わせたじゃない!」
「理緒はわたしを拾った」
「え……?」

 確かに、テキィは理緒に拾われたと弁当屋の主人は言っていたが、あんな残酷な所業に走った凶暴
なロボットが、恩ゆえに理緒を襲わないなどといわれても、あかりには到底信用できなかった。
 テキィ自身も、今の自分に戸惑っていた。あれほど人間を憎んでいたのに、何故、理緒を殺さない
のか。昨夜、自分を哀しげに見つめた警備員をどうして殺せなかったのか。
 何故、今、あかりを背後から撃ち殺せなかったのか。

「……まさか……あなた……」

 当惑したままのあかりは、テキィの様子がおかしいコトにようやく気付いた。

「……そういえば……メイドロボットの暴走はEI−01に原因がある、って聞いていたけど……あ
なた……本当は操られているんじゃないの?」
「そ……そんなことは無い!」

 再び、あかりの足許のアスファルトが弾けた。だが、あかりは今度は動揺せず、テキィをじっと見
つめていた。

「……人間を憎むのはわたしの意志だ……!人間は……酷いことをする生き物……!だからわたしは
お前たち人間が憎いのだ…………!」
「……酷い……こと?いったい、あなた、何をされたの?」

 あかりは一歩前に出ようとしたが、テキィの圧縮空気弾がまた足許で炸裂してその行く手を阻んだ。

「近寄るなぁっ!」

 あかりを制するテキィのその声は、まるで怯えて泣きわめく子供の悲鳴のようであった。

        B−4 へつづく