東鳩王マルマイマー:第7話「こころ届かぬ怒り」B−2 投稿者:ARM


【承前】

「やめなさい!!」

 慌てて後を追おうとするしのぶを止めたのは、ようやく立ち上がったあかりの声であった。

「あのEI−03はあなたの姉妹(きょうだい)なんでしょ?抹殺だ、なんて……どうしてそんな怖い
コトが言えるの!?」

 とがめるあかりを前にして、しのぶは僅かに表情を曇らせる。ほとんど無表情のままではあるが、そ
れでも「どうしてそんなことを訊くの?」と当惑しているのは明白であった。

「……それがあたしの使命だから」
「使命?」
「……マルチお姉さまを護るコト。だから、相手が来栖川製のあたしの姉妹ロボットであろうが、任務
の妨げになるのならば、破壊することも躊躇わない」
「なんてコト……!」

 あかりは酷いショックを受け、胸元に寄せていた右手を強く握りしめていた。

「――酷すぎる!MMMは、平気でこんなことを命令するの?これはれっきとした姉妹殺しなのよ!」
「……任務だから」
「任務……ってあなた!あなたもマルチちゃんと同じ心OSを持っているんじゃないの?おかしいとは
思わないの?」
「……思いません。人類に危害を加えるモノは、あたしには許し難い存在だから。人類の敵を排除する
のは当然のコトだと思っています」
「嘘!そんなハズ無い!同じ心OSをもっているマルチちゃんやレフィちゃんはそんな冷たい考えはし
なかったのよ!」
「……神岸さん。あなたは勘違いなされている」
「……勘違い?」
「わたしたちの心OSは、あなたたちと同じ心(もの)ではない。所詮プログラムに過ぎないのですよ」

 しのぶの言葉に、あかりは立ち眩みさえ憶えた。言われてみれば、確かにそうであった。

 わたし、ご主人様やあかりさんが大好きです!

 不意に、あかりの脳裏に鮮明に浮かんだ、あの可愛らしい妹のようなメイドロボットの笑顔が、とて
も懐かしく感じた。やがてあかりは肩を震わせ、口元を開いた右手で押さえて呻いた。

「……わたし……何を信じれば……いいの……?」

 全身に激しくのし掛かる脱力感を、あかりは必死に堪える。今までの努力が徒労に終わってしまう事実
に直面した時ほど、人の心は脆くなりやすい。

「――あ!?そうだ、雛山さん!!」

 あかりはようやく肝心なことを思い出した。そう、EI−03が今、理緒の元に身を寄せている事実を
、である。

「ねぇ、雛や――」

 狼狽するあかりはしのぶのほうを向いてそう言いかけ、慌てて口をつぐんだ。今さら頼めるワケがない
。
 暫し地面を見つめるあかり。やがて上げた面には決意の色が満ちていた。あかりはもと来た道へと振り
返り、駆け出した。

「神岸さん――――!」

 しのぶの制止の声はあかりの耳に届いていたが、あかりは無視した。

「……翼丸。神岸さんをお願い」

 しのぶの肩にとまっていた鋼鉄の鷹は頷くと、大きく羽ばたいて空に舞い、あかりの後を追った。


 時の流れさえ忘れる、溶けあうような口づけであった。
 浩之と初めて口づけをかわしたのは、あの別れの晩だった。
 浩之はこれ以上のことは求めなかった。今日もそう。
 浩之が自分に口づけするときは、決まって浩之が不安を押さえきれない時だった。
大学院へあがる試験の前夜、教員試験を受ける前夜、浩之はマルチにキスを求めていた。いつもは強
がっている青年だが、やはり不安は隠しきれないのだ。
 だが今日のは、自分に原因がある。マルチは判っていた。浩之はマルチを失いかねない状況に立た
されているコトに激しい不安を抱いているのだ。
 マルチはとても嬉しかった。そして、とても哀しかった。自分は機械。浩之に応えきれないこの身
が、抱かれてもろくに応えることの出来ないこの機械の身体が、とても哀しかった。
 それでも浩之は自分に優しくしてくれる。愛してくれる。浩之が大学院に進んだのは、マルチの身
体をその手で護ってやる為だったではないか。教師の道を選んだのも、自分との想い出の中に見出し
たものではなかったのか。
 マルチは、今の浩之が自分の為に尽くしてくれている事実を至福と感じていた。

 神岸あかり。

 不意に、マルチはその名を思い浮かべた途端、我に返った。そして慌てて、自分の身体を抱きしめ
ている浩之を押し退けた。

「――――マルチ?」

 当惑する浩之の顔に気付いたマルチは、はっ、として浩之の顔を見つめる。

「……す……済みませぇん、ご主人様ぁ」
「い、いや、良いんだ」

 苦笑する浩之は、しゅんとするマルチの頭を撫でてやった。
 そんな時、玄関のほうからチャイムが鳴った。

「あ。お客さんみたいです」
「俺か出る」

 そう言って浩之は今から出ていく。しばらくして、玄関のほうの空気からどこか張りつめた空気が
流れてくるコトにきづいたマルチは、恐る恐るソファから立ち上がり、今から玄関のほうへ顔を出し
た。

「――あ!」

 玄関で険しい顔をしている浩之と向かい合っていた人物は、あの柏木初音であった。初音の俯き加
減の顔は焦燥しきっていた。あの暴走後、意識不明になって病院に送られたと聞いていたので、時間
的に見て恐らく病院から直接こちらへ訪れたのであろう。
 マルチは怖い顔をする浩之がいつ「帰れ!」と怒鳴るか心配だった。

「……まぁ、上がって下さい」

 居間に通された初音は、ソファに座った後も俯いたままほとんどしゃべろうとしなかった。浩之の
ほうも初音の様子を伺っているようで、自分から切り出そうとはしない。重苦しい空気ばかりが蓄積
されていく光景に圧倒されたマルチも何のフォローも出来ずにいた。
 ようやく初音が面を上げた。

「……藤田さん。昨夜のわたしの暴走――見たでしょう?」
「ああ。柏木さん、――宇宙人の末裔なんだって?」

 初音は驚きもせず、ええ、と答えた。すでに長瀬から教えられているものだと気付いていたのだろ
う。

「あのEI−01とやらも、柏木さんと同じ……『エルクゥ』なんだろ?いったい、ヤツと貴女との
関係はなんなんだ?」
「……全ては八年前。EI−01が星々を渉り、この地球にやってきてから、始まりました。――――」

 初音が語った八年前の悲劇は、マルチが暴走中の初音から流れてきた記憶の通りであった。八年前
、突如やってきた、EI−01と認定呼称された『エルクゥ』が、室町時代にこの地球に不時着した
、『エルクゥ』の中でも屈強の戦士『ダリエリ』が率いる一族の末裔、柏木家を狙った。当時、同じ
末裔の者との闘いで長女を失ったばかりの柏木姉妹は、コントロールが非常に困難な、男系が備える
『エルクゥ』の力を制御なし得た従兄弟、柏木耕一を軸にしてEI−01に対抗したが、予想を遙か
に超えるEI−01の実力の前に、初音の二人の姉が死亡し、そして耕一も『ヨーク』と呼ばれる、
『ダリエリ』たちが乗ってきた宇宙船を自爆させて、EI−01と相打ちを図った――ハズだった。
 生き残った初音は、瀕死ながらも逃亡を果たしたEI−01の存在を感知していたのだ。
 あれから八年。初音はその日々を、復讐のために費やしてきたのだ。
その歳月の中、初音の祖父の代から親睦関係にあった来栖川家の全面協力により回収した『ヨーク』
の残骸とEI−01が乗ってきた宇宙船から得たウルテクデータをもとに、一大産業革新をもたらし
た『THライド』が完成した。完成させたのは、柏木家の長女、千鶴が通っていた大学で物理学の教
授を勤めていた長瀬源五郎博士である。当時の長瀬はまだ確立されて間もない量子工学の基礎理論を
数多く発表した気鋭の物理学者であった。その才能を買われて、表向きは来栖川電工の第七研究部主
任として、本当は結成間もないMMMに技術顧問として招聘されたのだ。
 マルチは、EI−01との闘いの準備における課程での副産物に過ぎなかった。暴走を乗り切って
心OSが発動したTHライドの有効利用として、心を持ったメイドロボットを試作したが、それが本
来の目的ではなかったコト、そして数多くのリスクが未解決だったため、マルチは一時的に封印され
た。やがてTHライド搭載のメイドロボットによるオゾムパルスキャンセラーネットワークの完成と、
暴走したTHライドを浄解させる力を秘めているコトの判明により、マルチは封印を解かれ、果たし
て浩之のもとに帰って来られたのだった。…………。

 初音がそこまで語ると、再び沈黙した。
 浩之はずうっと黙り込んだまま、初音の話を聞いていた。

 柏木さんにとってマルチは、復讐の道具に過ぎないのだ。

 浩之はその言葉がどうしても口に出せなかった。
 初音の言い分も判る。愛する人たちを奪い去った仇を前に、冷静でいられるはずもない。もっとも
それはある意味、初音という女性がまだ「人間らしさ」を失っていない証拠でもある。もし自分が大
切な人を失ってしまうような目に遭ってしまったら、果たして仇の前で冷静で居られるだろうか。浩
之は、包帯まみれの拳に鈍い痛みを憶えた。錯覚だったかも知れない。
 ふと、浩之は、初音の昏い顔を見る。
 綺麗な人だった。とても復讐という言葉に無縁そうに見える。
 暴走時の鬼の顔。『エルクゥ』に限らず、もしもの時、自分もあんな顔になるのだろうか。
 それでも浩之は、初音が許せなかった。だから、黙っているしかなかった。
 多分、初音も。

「…………柏木さん。これから、どうするンです?」

 訊かれて、初音は面を上げた。
 微笑んでいた。

「……もう、マルチの力は借りません」

 初音の回答に、マルチは思わず瞠った。

「でも、わたしの力でなければ暴走したTHライドの浄解が……」
「長瀬主査と相談して、超龍姫か『霧風丸(きりかぜまる)』に浄解のシステムを組み込んでもらう
ようにします」
「「『霧風丸』?」」
「この間マルチを助けた黒髪のメイドロボットが居たでしょ?」
「ああ、あの日本人形みたいに可愛くて、とても強いロボット」
「彼女が強化オプションを装着してパワーアップした時のコードネームです。本来、VIPの護衛用
に設計された戦闘仕様型メイドロボットであるため、基本戦闘力はマルマイマーを遙かに凌ぎます。
保科参謀が立てた対オゾムブースター戦における基本戦略では、マルマイマーと霧風丸をオフェンス
に、超龍姫をディフェンスに配して目標を制圧する予定でした。色々な事情で三機が揃うのが遅くな
り、昨夜みたいな無様な闘いを取らざるを得なくなって……」

 浩之は前に腕を組んでしばらく何かを考え込み、やがて口を開いた。

「――マルチでなければ、復讐の道具に使っても良いと思っているのか?」

 浩之の横にいたマルチは、ついに口をついたその言葉に動揺する。

「……少なくとも、マルチには闘いは似合いません」

 睨む浩之に、しかし初音は動じることなく頷いた。

「だって、この娘は、人に愛されるために生まれてきた娘なんですから」

 初音のその一言が、浩之にはとてもずしり、と重く感じた。だから、浩之は言わずにはいられなか
った。

「ほかの――超龍姫や霧風丸は誰にも愛されないでいいと思っているのか?」
「愛しています。少なくとも、わたしは」

 自信に満ちた微笑だった。いったいこの自信はどこから来るのか。
 エゴではないコトは確かであった。なぜなら、そう言いきる初音の微笑の中に、全く正反対の印象
が見えたからだ。どうしてここまで微笑むコトが出来るのだろう。きっとその心の内では、張り裂け
んばかりに叫んでいるのだろうに。
 その切ないまでに昏い影に気付いたとき、浩之は初音の微笑の意味に気付き、思わず瞠った。

「――まさか、柏木さん……あんた、自ら出陣する気じゃ?!」

 初音は曖昧な笑顔をみせるばかりであった。浩之は何を言えばいいのか判らなくなっていた。
 そんなとき、横にいたマルチが突然立ち上がった。

「――ダメです!そんなコト!」

 沈痛そうな顔で初音を叱咤するマルチに、浩之は唖然とする。マルチはマルチで、どうも自然に自
分の口をついた叱咤の言葉に当惑しているようであった。
 初音のとても哀しげな顔を見ているのが、マルチには無性に辛かった。
 初めて出会った電脳世界での初音の言葉が、マルチの脳裏に蘇った。

「……初音さん。初めてあなたと出会ったとき、あなたはこう言いましたよね。罪を罪と認める勇気
を持ちなさい、と!」
「マルチ……」
「わたしはあなたの暴走に対して、何の怒りも憎しみも抱いていません。強いて言うなら、たったひ
とつの失敗に引きずられている初音さんの心の弱さが許せません!どうして!どうしてわたしにまた――――」

 力を貸してと言えないの?――言えなかった。マルチは、初音を叱咤する自分を見て唖然としてい
る浩之の顔さえ正視できなかった。
 わたしが傷つけばこの人が哀しむ。
 でも、言わずにはいられない。
 葛藤。優しい心の、張り裂けんばかりの苦悩。
 そんな時、突然、笑顔の初音が涙を零した。

「初音さん――?」
「ん……。驚かしちゃったみたいね」

 初音は指先で涙を拭い、

「……なにか……あまりにも懐かしい気分になっちゃって」
「……懐か……しい?」
「マルチの叱り方……死んだ千鶴お姉ちゃんに似てて……ね。つい、ほろり……と」
「千鶴……」

 浩之はその名を知っていた。初音の暴走を止めた、初音に良く似たあの半透明の美女を、長瀬がそ
う呼んだのだ。そして先ほどの初音の説明でも、千鶴が柏木姉妹の長女で、同じ『エルクゥ』の末裔
との闘いで死亡したと語られていた。
 浩之は千鶴と対面したとき、とても身近な存在に感じられた。初音が言うようにマルチと千鶴は似
ているのであろうか。容貌的には全く似ても似つかぬと言うのに。

「ありがとう、マルチ。でも、わたし、もう決めたの。レフィも言っていたけど、やはりあなたには
闘いは似合わない。あなたは護られるべき存在なのよ」
「初音さん……」

 マルチは浩之の顔を伺い見る。浩之は腕を前に組み、唇を噛みしめて沈黙を守っていた。
 マルチは一歩、踏み出したかった。それを引き止めているのが、浩之の存在であった。
心が、痛かった。

「……これで、安心して帰れます」

 初音はゆっくりと立ち上がった。

「藤田君。今まで協力をありがとうございました。――――マルチを大切にしてやってね」

        B−3 へつづく