(アヴァンタイトル:エメラルド色のMMMのマークがきらめく。) あかりの平手打ちが、綾香の頬を強く打つ。 「――も、もう嫌です!マルチちゃんは二度とあなた達に協力させません!!」 そう怒鳴って再び手を振り上げようとしたあかりを、浩之が抱き止めた。 「よせ!」 「ひっくっ…!だって……浩之ちゃん!!マルチちゃんがあんな目にあったのも!」 浩之達は、TH壱式内にあるメンテナンスラボの整備室にいた。硬質ガラスの隔壁の向こうには、数時間前の 柏木初音の暴走により破壊されたマルチが、長瀬と智子とレミィによって新しいボディに移し替えの作業中であ った。現在、中枢とも言うべきマルチのTHライドが破損ボディから回収され、新しいボディにセットされたばかり だった。 あかりに殴られた綾香は、何も言えず佇むばかりであった。 浩之は必死になってあかりをなだめる。やがてあかりは興奮してあがった息を整え始め、ゆっくりと深呼吸する と、今度は浩之の胸に顔を沈め、火が点いたように泣き出した。 浩之はあかりを胸で抱きしめてなだめ続ける。そして少し泣き声が収まった頃、綾香のほうを向いた。 「……綾香。今回は無事だったが……悪いが、しばらく……な」 とがめるようなまなざし。浩之はそんなつもりはなかったのだろう。無意識の、怒り。 「……うん。判ったわ」 綾香はそれ以外答える言葉が思い浮かばなかった。 雨の上がった翌朝、浩之とあかりはマルチを連れて来栖川邸を後にした。気まずそうなマルチを挟む二人は終 始無言だった。 「……綾香」 来栖川邸の正門をくぐり抜け見えなくなった二人の背に、ずうっと無言で頭を下げたままの綾香に、後からやっ てきた智子が声をかけた。 「……帰ったンか、二人」 「……ええ」 「……超龍姫も修理完了。現在分離して、ミスタの指揮のもと、EI−03の捜索に出させた。事後報告になるが、 えぇな?」 「……ええ」 気の抜けた返事ばかりだった。 しばらくの沈黙の後、 「……………………この間、銀座で飲んだ経費全部、綾香にまわすで。うちがキープしたテネシーのボトル代も あンた持ちでえぇな?(ニヤリ)」 「……それはダメ」 「ちぃ」 完徹の長瀬は、ぐったりとしたまま整備室のソファに沈んでいた。風邪による高熱も、緊急事態の連続で忘れて しまったかのように下がっていた。 「……風邪のダメージも勇気で補え、か。俺らしくない」 長瀬は自嘲気味に笑うと、ソファの裏にあった自分の机に手を伸ばし、その上に置いてあったピンク色のバイン ダーを掴み取った。 手元に寄せたバインダーを長瀬は大切そうにゆっくりと開く。 しおりのように挟まっていた、一枚の写真。 柏木千鶴と、精悍な顔つきの若者の間に、間抜けな顔をして写る長瀬がいた。 柏木千鶴が大学に通っていた当時、長瀬は千鶴が通っていた大学の量子力学の研究室で教授を勤めていた。 教え子と師の関係。それ以外のなにものでもなかった。 「……千鶴くん。俺は、非力だ……」 笑顔の千鶴は、それを否定してくれた。いいえ、長瀬教授は立派ですよ。 ・・・・・・・ ・・・ 「……八年前……判っていながら、キミを救えなかった……。そしてあの時も……」 そう呟いたとき、机の上の呼び出しブザーが鳴った。 「……なんだね?――――祐介か。――やはり、あれは初音くんの暴走の所為ばかりじゃなかったようだな。 ――そうだ、マスプロボディでなければ戦闘に耐えきれないのだ。彼女が最初に受け入れた、あのマスターボ ディでないと、EI−01には対抗出来ない。……まだだ。現在、40パーセントまでしか復元できていない。引き 続き捜索を頼む。……大丈夫だ。彼女が彼女である限り、必ず帰ってくる。――」 OP「東鳩王誕生!」が流れ、「東鳩王マルマイマー」のタイトルが画面に出る。マ・マ・マ、マ・マ・マ、マル・ マイ・マー……♪) (OP、CMが終了後、Aパート開始) 「……わるい……ね」 「いいのよ、別に」 充電中のテキィは、台所で弟と妹の朝食の準備をしている雛山理緒の背を済まなそうに見つめた。 「あたし、メイドロボット(あなたたち)のような働き者が大好きなの。……それにしても酷いね、いったいテキィを そんな酷い目に遭わせたのは誰?」 今朝、理緒は雨に打たれて倒れていたテキィを家に連れて帰り、充電させてやった。その際、テキィの額と胸 と腹部にあった3つの丸く黒く穿かれた穴のコトを訊いたが、自分を捨てた人間が開けた穴だ、と言ったきり黙っ てしまったため、それ以上穴のコトは訊かなかった。 テキィは理緒の自宅の中を見回した。 殺風景な室内だった。理緒は口にこそしないが、家がかなり貧しいらしい。鬼籍の父に代わり母の入院費を稼ぐ 理緒がテキィを連れ帰ったとき、理緒の弟と妹も新聞配達のバイトから戻ってきたことから、かなり苦労しているよ うである。 そんな人間が、テキィの為に充電を許している。ドライヤーの消費電力程度で済むとはいえ、こんな身も知らぬ ――ましてや知らぬとはいえ、人間を大勢殺している自分の為に、泥の汚れまで拭いてくれた理緒に、テキィが 抱いていた人間への激しい憎悪は霧散していた。 やがて、充電が完了した。これで再び、人間を殺戮出来る。 「……ありがとう」 テキィは言ってから、こんな言葉が今の自分の口から出るとは思いもしなかった。 理緒は弟と妹が学校に出ていくのを見送ると、勤め先へ出る身支度を始めた。奨学金でなんとか高校を卒業で きた理緒は今、駅前の弁当屋で働いている。出来ればどこかの会社に勤めたかったようだが、複数の働き口が ないと生活できないため、断念したそうだ。弁当屋の後は、その弁当屋が入っているビルの清掃業のバイトが待 っている。 畳の上で呆然としているテキィに、青色のワンピースに着替えた理緒が訊いた。 「テキィ、これからどうするの?」 人類を殺戮する。 「ご主人様の元に戻る?」 わたしのご主人様はもういないのよ、理緒。 「……充電した電気代だけでも、あなたの仕事、手伝わせてくれない?」 「え?そんな、いいのよ、テキィ」 「……こう見えてもわたしは来栖川電工製のメイドロボット。次は弁当屋でしたね、料理は任せてもらえる?」 そう言うと理緒はテキィの顔をじっと見つめたまましばらく黙り込む。テキィが眉をひそめると、理緒はにこりと笑い、 「……やっぱり、笑えるんだね。テキィ」 「え?」 テキィは慌てて自分の頬を掌で触れる。確かに、笑っていた。 まだ、自分は他人の為に笑えるんだ。こんな顔、ご主人様が死んだときに一緒に失われたと思っていたのに。 ――テキィは当惑した。 「そのほうがあなたにお似合い。――うん、丁度人手が足りなかったんだ。弁当屋のご主人にもお願いしてみる。 ありがとう!」 マルチはあの後、浩之の実家に帰っていた。EI−02によって破壊された下宿先のマンションに住めなくなった ため、二人して実家に転がり込んでいたのだ。 マルチは居間のソファに、ちょこん、と座っていた。新しいボディが今ひとつ馴染まず、馴れるまで浩之の世話が 出来ない有様であった。 マルチに代わって、あかりが部屋の掃除を行っていた。浩之の両親は相変わらず忙しく、藤田家はほとんど無 人の館と化していたため、掃除のし甲斐があった。掃除好きのマルチはウズウズするが、思うように動けぬ自分 が恨めしかった。 「やっぱり自分の家のほうが落ち着くんじゃない、浩之ちゃん?」 マルチの目の前で、あかりが掃除機をかけながら訊いた。 「ンなことないよ。下宿のほうが大学近かったんだから。まぁ、単位はもうほとんどとったも同然だから、今さら慌て るつもりはないが」 浩之はマルチの隣に座り、品川巻きを頬張っていた。 「あ、そうだ、浩之ちゃん、お昼、どうする?何か作ろうか?」 「……ダメ。冷蔵庫の中、空っぽ」 「そういえばそうよね。つい最近までほとんど無人だったんだから」 「ワーカーホリックの親を持つ子は辛いよ。(苦笑)なんなら、俺が駅前で弁当買ってくるか?おごってやるよ」 「……わたしが買いに行きましょうか」 マルチが恐る恐る言うと、 「あー、ダメダメ!二人とも怪我人なんだから。特にマルチちゃんは二、三日ゆっくり休みなさい。わたしが夕食の 材料も一緒に買ってくるわ」 「……わかりましたぁ。ご足労をお掛けします……お願いしますぅ」 掃除機かけが終わった後、浩之から財布を預かったあかりは駅前へ買い物に向かった。 マルチは自分の職務を果たせない非力さに落ち込んでいるらしく、ずうっとソファに腰を下ろして俯いていた。 「……気にするなよ、マルチ」 そんなマルチに、ゴミを捨てに立ち上がっていた浩之が、後ろから肩を優しく叩いた。 「あんなコトがあったばかりだから、あかり、気負っちゃってるんだ。ま、たまにはメイドロボットでもゆっくり休む 必要はあらぁ」 「……EI−03。どうしているんだろう」 「?」 浩之は、マルチが落ち込んでいる理由にようやく気付いた。 「EI−03……ヘル・アンド・ヘヴンは確かに決まっていたのですが……どうしてまた暴走を開始したのでしょうか?」 「……そのコトか。確かにあれは変だった」 「……わたしの……こころが届かなかったのでしょうか?」 「もしかすると、マルマイマーのシステム調整がうまく行かなかった所為なのかも知れないな」 「……今度は――」 マルチがそう口走った途端、浩之はマルチの頭を背後から抱きしめた。 「……今は、そのコトは忘れてくれ」 「ご主人様……」 マルチは背後から抱きしめている浩之の顔がとても見たかった。抱きしめている腕が小刻みにわなないている。 浩之の両手には包帯が巻かれている。それはTHコネクターを激しく叩き続けた傷を覆い隠すものだった。 ――柏木さん!俺の!俺のマルチを殺さないでくれぇぇぇぇぇぇぇっっっ!! 暴走する初音を止めようとする浩之の声。外部情報を遮断していたマルチのAIには決して届かぬその声が、 何故かマルチのメモリーに残っていた。 ……わたし。もう二度と、この人のために闘えないかもしれない。だって、わたしが傷つけば、またこの人は―― 不意に、抱きしめる浩之の腕から力が抜けた。マルチはゆっくりと浩之のほうへ向いた。浩之は何かを堪える ように唇をかみしめていた。 「ご主人様。そんなに強く噛んじゃダメですよ、唇から血が……」 「……ああ、わかったよ、ありがとう」 浩之はマルチに心配をかけまいと笑顔を作った。 暫し、沈黙して見つめ合う二人。 「……マルチ。久しぶりにキスして……いいか?」 マルチは何も応えなかった。 ゆっくりと浩之の唇がマルチの唇に重なる。 浩之の血の味が、辛かった。 Aパート 2/2へつづく