What’s マルチュウ?その伍 投稿者:ARM


【承前】するよ、今回は。

 ポケモンにかぶれた長瀬の暴走(笑)によって、ピカチュウ仕様に改造されたマルチが、
あかりと浩之の修羅場に恐れをなして逃走してから数時間がたった。
 傾いた陽が世界を茜色に塗り替えた頃、覚悟を決めたマルチが浩之の家に恐る恐る帰ってみると、
予想に反して家の中はとても静かになっていた。

「……まさか、ご主人様、あかりさんに刺されてしまったとか?(汗)」

 あかりに限ってそんなことはしまいと思いつつ、しかしあの逆上したあかりの恐い顔を想い
出すたび、マルチは背筋がぞっとした。

「……ご主人様ぁ。……ご主人様ぁ。……ご無事なら、返事してくださぁい。もし刺されて倒
れているのでしたら、息があるうちにどうかお応えくださぁい」
「……お前なぁ」
「きゃあっ!!」

 マルチはてっきり浩之が家の中にいるものとばかり思っていたので、いきなり背後から返事
されたのにはかなりびっくりしたらしく、ショックのあまり危うくブレーカーが落ちかけた。
 よく見ると、浩之は五体満足であった。まったくあかりが手を出さなかったのか、頬にも叩
かれた形跡さえない。

「――ご、ご、ご、ご主人様!?ご、ご無事だったのですね!」
「何が、刺されましたか、だよ、このトンチキ(死語)。ひとりでさっさと逃げやがって」
「ご、ごめんなさぁぁぁぁぁいっ!あたし、そんなつもりぢゃなかったんですぅ!あのあとの仕事で、
ARM監督にさんざん引きづり回されて、しまいには監督のホームページのトップページに
立たされたりと色々あったんですぅ……!ぐっすん、しくしく……」
「あーあ、もうわかったわかったって、もう泣くなよ」

 泣く子と地頭には勝てないとは良くいうが、浩之はあのまま逃げ続けずに帰ってきたマルチ
を内心ほめていた。

「……ところで、あのあと……?」
「酷いもんさ。あかりのやつ、いきなり台所に飛び込んで包丁を持ち出し、ぶんぶんと振り回
して俺を刺そうとするしなぁ。死ぬかと思ったよ、本当」
「え゛?」

 マルチはみるみるうちに青ざめる。

「もちろん、嘘だよ」

 浩之はそういって意地悪そうに笑う。マルチはいつもの意地悪だと思ってほっと安堵の息を
吐いて苦笑するが、そのまま玄関の中へ入って行こうとする浩之の背中をふと見ると、浩之が
着ているセーターの背中が刃物のような物でズタズタに切り裂かれているコトに気づき、その
笑みは瞬時に凍り付いた。

「とりあえず、あかりには、水系の意味をお前が涙もろいということで納得してもらった」
「そ…………それ、わ、よ、……よかったですね、あ、は、は(汗)」
「しかし、それでもまだ俺を疑っているようなので、俺はあかりにある約束をしたんだ」
「……約束?」
「ちょっと待ってろ、……これだ」

 浩之が玄関から出てくると、見覚えのあるものを手にしていた。

「それは、あかりさんが持ってきた……アストロモンスの衣装」
「あかりいわく、『フシギバナ』、だそうだ。――俺はこいつを捕まえてあかりに差し出さな
ければならなくなった」

 ふう、と溜息を吐く浩之をみて、マルチは当惑する。

「……えーと、ちょっと待ってください。それって、ゲームのキャラクターでしょう?
――どうやって捕まえるのですか?」
「こんなこともあろうかと」

 と宇宙最強呪文の一つ「サーナダ」を唱えたのは、いつの間にかマルチの背後に立っていた
長瀬源五郎であった。

「うわぁっ!諸悪の根元!!(笑)」

 長瀬の顔を見るなり吐いたマルチのこの台詞は、長らくの間鬱積していたものが堪えきれな
くなったためであろう。果たして創造物に悪態を吐かれても涼しげな顔をする長瀬の態度を誉
めて良いものなのか。

「おー、待ってたよ、長瀬のおっさん。例のブツ、用意できた?」
「ああ。まるでこの時が来るのを待ちわびていたかのようなタイミングで完成した」
「……ご主人様。いったい何を頼まれたのですぅ?」
「これだよ」

 心底不安げな顔をするマルチの質問に、浩之に代わって応えた長瀬が手にしていたものは、
何の変哲もないゲームボーイであった。

「……来栖川電工って、任天堂の代理生産も行っていたのですか?」

 長瀬は、ちっちっちっ、と右人差し指を振ってみせ、

「これこそ来栖川電工が総力を挙げ、伊達や酔狂で開発した究極のヴァーチャルマシン!その
名も『クルスガワ・ヴァーチャル・ゲームボーイ』!!」

 うわぁ、凄い胡散臭い名前ぇぇ、とマルチは口にせず心の中で呆れた。

「通称――」
「そ、それをゆうと、とてもヤバい気が……(笑)」
「おっさん、おっさん、それだけは勘弁してくれ。本当、縁起でもねぇ(笑)」
「第一、その機械のデザイン、そのままぢゃないですか。(笑)来栖川電工製とはいえ、そのま
ま市場に出したら京都のカルタ屋さんからクレーム必至ですよ(汗)」
「だいぢょうぶ。これはまだ、試作品の段階だし、根本的に異なる」
「……そう?ところで、こいつが前に言っていた、空間転移システムの端末なのか」
「空間転移システム?」

 瞠るマルチに、長瀬が応えた。

「うむ。一般にヴァーチャル、ってのは仮想したものを五感に錯覚を与えて現実に在るものと
思い込ませるシステムをそう呼ぶが、このシステムはなんと、装備した本人が考えた『世界』
を感知し、そこへ接続させるウルテク・キャプチャーなのだ」
「『世界』?『キャプチャー』?」
「量子学の世界では、我々が居る世界が一つきりではなく、様々な可能性を分岐点として枝分
かれした無数の平行世界が存在すると考えられている。今までのヴァーチャルはあくまでも錯
覚の域を越えられなかったが、このシステムは可能性が現実化するための確率を算出し、空間
を構成する素粒子の隙間からその世界が在ると思われる量子的座標を測定し、見つけだして
素粒子(クオーク)アンカーを発射するのだ。こうやって」

 そういって長瀬は、ゲームボーイとそっくりなその装置の下方にある、スタートボタンを押した。
すると、長瀬の正面の空間が突如波打ち、横から見るとまったく厚みのない
大きな穴が開いたのである。

「クオークアンカーによって我々の世界と目標の世界が接続されると、このように空間湾曲を
起こして量子トンネルが生じる。このトンネルをくぐると、その先には施行者の思考と完全一
致した世界が待ち受けているというわけだ。これを使えば、仮想したものが本当に現実になっ
ているのだから、まさに究極のヴァーチャルシステムというよう」

 長瀬の説明を聞きながら、浩之は空間の中に少し手を入れ、真横からその腕が見えなくなっ
ているコトを確かめた。

「ふーん」
「……ご主人様、良く納得できますねぇ。わたし、とても怖いです……」
「俺だって半信半疑だが、現実に見せられちゃ認めざるを得まい。それにしても、よくこんな
ものが造れたなぁ」
「非現実が現実に変わる瞬間なんて、案外あっけないものだぞ。我々だってホンの10年前ま
で、マルチのような心を持ったロボットが出来るとは思っていなかったんだしな。テストでい
ろいろな可能性の世界を見てきたが、中には……藤田君、君の女友達に喧しい娘がいたよなぁ、
確か私に似たような名前の……」
「志保?長岡、志保?」
「そうそう。私が3番目に巡った世界で、君が彼女とつき合っている世界があった」
「え〜〜〜〜〜?!嘘臭ぇぇぇぇぇっっっ!!」
「そこまでむげに嫌がることもなかろう。大学生の君が、彼女が運転する車に載せてもらって
登校し、その車をプレゼントされてしまうという……」
「そんなこと、無い無い無い無い!」
「無い、といわれても、それは他の世界の君が選んだ選択肢の結果がもたらしたものだ。ほか
にも、亜麻色の髪のべっぴんさんと仲良く買い物していたり、お下げ頭の娘と海水浴に行った
り、金髪娘に弓矢で射抜かれそうになったり……、と、まぁこの世界では所詮、可能性の域に
過ぎないのだがな、必ずしも現実ではないとはいいきれんものさ。些細なことで世界の歯車は
その流れを変えていく。真理が一つなど、人間の勝手な思いこみなのだろう。我々が個々存在
するように、ある意味、世界というものも一つの生き物だと考えるなら、複数存在するのが自
然と考えるべきなのだ」
「すると……」

 不意に、マルチが長瀬に訊いてみせる。

「……わたしが……ご主人様に巡り会っていない……世界(かのうせい)もあったのですか?」
「その世界は見ていなかったが、100%存在する、と言えるだろう」
「……それは……さびしい……ですぅ」

 その世界の自分がとても不幸であると感じたのであろう、まるで自分事のようにマルチは悲
しんだ。浩之はマルチのそんな気持ちを察し、頭を優しく撫でてやった。

「そう気にするなよ。……この世界の俺がその世界のお前の分までお前しか可愛がってやるから。
それで納得しろよな」
「……くずっ。は、はい!」

 浩之に慰められたマルチはようやく元気を取り戻した。

「さて」
「……?さて?」

 きょとんとするマルチに、浩之は竦めているその肩を叩いて見せた。

「決まっているじゃないか。この機械を使って、あかりが欲しがっている『フシギバナ』を捕
まえにいくのさ」
「え゛え゛っ゛?!」
「この機械を使って、ボケモンの世界が現実化している世界と繋げ、フシギバナをゲットする
のさ!」
「うひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!まぢですかぁぁぁぁぁぁ?!」
「まぢに決まっているでわないか、ほれ!」

 そういって浩之はマルチを担ぐと、トンネルの中へ無理矢理押し込めた。

「きゃあああああああ!!ご主人様、どーするつもりですかぁぁ?!」
「俺とマルチで探しに行くんだよ、覚悟せい!――とっとと逃げた罰じゃ」
「うわぁぁぁぁぁんっ!やっぱり怒っているぅぅぅ!!たったいま、可愛がってくれる、って
いってくれたぢゃないですかぁぁ!ひーどーいーでーすーぅっ!!」

 泣きわめくマルチを強引にトンネルに押し込めた浩之は、見送る長瀬からサバイバル用の大
型リュックサックとバーチ……やばやば、KVGBを受け取ってると、マルチの後を追うよう
にトンネルの中へ入っていった。

「藤田君、このトンネルはこのあと一時的に塞がるが、アンカーでこの世界と接続されている。
元に戻るときは、そのKVGBのボタンを全て同時に押してリセットすれば、二人とも引き戻
されるようになっているから、安心したまえ。頭のスイッチは通信システムの起動用だ。その
スイッチを入れたら研究所にある量子間通信機で私と連絡が取れるし、必要なものを送り込め
るようになっている。……それにしても、君は怖くないのかね?」
「……俺は、あかりのほうが怖い(大汗)」

 そう応えてさおざめる浩之の凄まじい背中を見れば、その理由も自ずと判るだろう。

「では、よい旅を……」

 覚悟を決めてトンネルに飛び込んだ浩之。果たしてマルチと浩之、これからどうなる?

                       つづく

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