ToHeart if:幻相奇譚(Aパート) 投稿者:ARM
 浩之ちゃん――さよなら。

「うわぁぁぁぁぁっっっ!!?あかり、待てっ!!」

 藤田浩之は絶叫を上げながら目覚めた。そして今のあかりの寂しげな笑顔が、ただの夢であるコ
トに気づくには、ちょうど2分の時間を要した。

「――浩之ちゃぁん、浩之ちゃぁぁん、早く起きないと遅れるよぉ!」

 窓の外から、幼なじみの――そして恋人である神岸あかりの声が届いていた。相変わらず浩之し
か見えていないらしく、まだ浩之がのんびり眠っていると思って大声で呼びかけている。浩之は近
所迷惑だろうが、としかめっ面を作って慌ててベッドから降りた。

「……ぷふっ!さ、寒むぅぅ……」

 あまりにも不吉な夢を生々しく見た所為か、ショックのあまり記憶がかなり混乱している、とい
うより寝ぼけ頭がまだハッキリしていないだけであろう。今がまだ2月の初めであるコトを、肌に
突き刺さる寒さが想い出させてくれた。

「……へっ、へっくっ……あ」

 くしゃみが出かかったところで、浩之は先ほどの夢がリアルすぎた理由にようやく気づいた。

「……そうか、あれは去年の秋に……へ、へっくしょい!!」

 浩之ちゃん、楽しかったよ。

 リアルなのは無理もない。それは実際にその目で見たものだからだ。
 昨年の秋、長岡志保が仕掛けたイベントである、肝試しの最中に自分にずうっと付いていた、あ
かりに化けていたあの幽霊の、どこか寂しげな笑顔だった。


 その日の昼休み。浩之は屋上にいた。
 浩之は屋上から、校舎の裏にある神社の境内をじっと見つめていた。
 志保の肝試しイベントに乗って、オカルト部の幽霊部員(文字通りの幽霊なのだからタチが悪
い)を総動員した来栖川芹香の話では、あかりに化けていた少女の霊は、幽霊部員の一人ではなく、
たまたま近くに来ていた浮遊霊だったらしいという。後日、満月の夜に芹香は浩之を同伴して降霊
会を行い、幽霊部員たちを全員集めて彼女のことについて問い質したが、皆、何処から来たのか誰
も知らなかった。
 幽霊部員全員に詰問したあと、釈然としない顔を傾ける芹香は、浩之に奇妙なコトを告げていた。
 少女の霊は普通の霊体ではなかったそうである。妙に生気が溢れていた霊体であったらしい。
 早い話、生霊(いきりょう)――つまり死んでいない人間から生じた霊体であるというのだ。
 それが何故、浩之につきまとっていたのか。

 浩之ちゃん、楽しかったよ。

 浩之は今も、あの笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
 今もあの顔を想い出すと妙に空しい気分になってしまう浩之であったが、そんな笑顔と対照的な、
生霊について説明する芹香の瞳が妙に生き生きとしていたのも、別の意味で印象的であった。どう
やら生霊に初めて出会ったらしく、芹香のオカルトマニア魂に火を点けてしまったようである。つ
い先週、偶然に街であった妹の綾香の話では、昨年中に西大寺女子大学に推薦入学が決定していた
のをいいことに、色々飛び回って生霊の正体を探っているらしい。ついには先日、米国にいるオカ
ルト関連で特に生霊に詳しい知人を招聘するコトにしたそうである。

「――あ、いたいた、ヒロユキ!」

 呆然と神社の境内を見下ろしていた浩之の後頭部を、寒さにも負けないほど元気な宮内レミィの
声が叩いた。

「ん?なんだよ、レミィ」
「ヒロユキにお客さんヨ。――StatesからのVisiter」
「合衆国からのビジター……って、外人?何でまた?俺の知り合いの外人っていや、レミィの家だ
けだが」
「来栖川センパイの知り合いヨ」
「へ?芹香先輩の知り合い?」


 学校の玄関にいたあかりは、正面の人物に対して、困り果てた顔をしてどう対処して良いモノか
考えていた。

「あ、……あのぅ……」
「Oh!日本のGirlは17,8歳ぐらいが美しいと思っていたが、まさかこの学校にセリカ以
外にもこれほど可憐な女性が居るとは予想外でした!是非、お名前を!」
「うわぁ……あー……あ、と、智子!」

 丁度そこへ、職員室へ向かっていた保科智子の姿を見つけたあかりは助け船を求めた。
 あかりの声に気づいて玄関のほうへ向いた智子は、長身の妙な外人に絡まれているあかりに気づ
き、慌ててあかりのそばへ駆け寄った。

「な、なになになに?何や、あんた?学校のヒトやなさそうやけど?」

 駆け寄った智子が外人を胡散臭そうに睨み付けた。すると外人は下品に口笛を吹き、ニィッ、と
微笑んで見せた。

「Oh、Oh、Oh!!?こいつは凄い!この学校、美少女が一杯なのですか?」
「へ?」
「流石はあのセリカが通う高校です!私、このままずうっとこの学校の講師になりたい気分です!」
「……講師ぃ?」
「うん」

 困惑する智子に、あかりは頷き、

「この人、芹香先輩の紹介でやってきた英語の臨時講師なんだって。で、何故か知らないんだけど
浩之ちゃんを探していたらしくって…………」
「セリカからお話は聞いております。Youがヒロユキ・フジタのステディだってコトも」
「え?!」

 思わずあかりは赤面する。しかし直ぐに、はっ、と瞠ると、少しむっとした顔で外人を睨んだ。
「……知っている……って、じゃあどうしてあたしの名前を訊いたのです?」
「知らないから」

 外人は、また、ニィ、と笑って見せた。今度は、どこか意地悪そうに。全ては承知の上で、あか
りをからかっていたらしい。

「あ?あんた、ナニあかり、からかってン?講師か何か知らへんけど、大概にせぇや!」
「Oh!関西の浪速Girlですね!」
「ウチは関西やない!神戸ッ子や!!」
「うーん、Youの怒った顔もなかなか魅力的ね」
「ど――ド阿呆!」

 智子の罵声はしかしこの外人にはヌカに釘で、逆にウケてしまったらしく一層喜んでさえいる。
思わず肩を竦めるあかりの耳に、聞き覚えのある声が近づいてきた。

「――ここか、レミィ?」
「――Yes」
「あ、藤田クンに宮内サン」
「おう、委員長も居たのか。あかり、どうしたンだ?」
「あーん、浩之ちゃん!この人何とかしてぇ!!」

 浩之がやってきたコトでやっと人心地がついたのか、安堵の息を吐くあかりは浩之の元へ駆け寄
って助けを求めた。

「なんだ、あんた?」
「このロリコン、新任の英語講師やと」
「なんだい、委員長、すっかりトサカに来てるな」
「……ウチの怒りは、こいつと話してみりゃわかる」

 クールな智子をここまで苛立てるとは、と浩之は不謹慎に感心しつつ、問題の外人を見た。

(……うっ、二枚目(汗))

 腰まである梳くと光が散りそうなくらい綺麗な銀髪の前髪を数本だけ前に垂らして、残りをオー
ルパックに決め、ライトブルーのスーツに身を包んだ、ハリウッドのスターと見紛うほどの白人の
男前。レミィの話だとこの男は、芹香の知り合いだという。

「……あんたが、J・Bさん?」
「Yes。初めまして、ヒロユキ・フジタ」

 J・Bと名乗る銀髪の外人は頷くと、右手を出して握手を求めてきた。しかし浩之は、この外人
があかりをいじめたと思うと無性に腹が立ち、手を出す代わりに口を出した。

「いったい、俺に何の用だよ?!」
「セリカに頼まれました」
「……先輩?」
「Yes」

 J・Bは頷くと、差し出した右手で浩之のそばにいるあかりを指し、ある映画のタイトルを口にした。

「Ghost Buster」
「……誰がレイ・パーカーJrや」
「それは『ゴーストバスターズ』ネ」

 珍しく智子とレミィのボケ・ツッコミ関係が逆転していた。

「今のは映画のタイトルじゃありません」

 そう言うと、今まであかりの顔を指していたJ・Bの右人差し指が、ゆっくりと右の方へ移動し
ていった。
 やがてJ・Bの右手がピタリと止まると、まるで指しているほうを見るように、と指先を振って
促す。浩之たちは訝しげに、J・Bが指すほうへ顔を向けた。
 浩之たちはそれを見て慄然となった。
 J・Bが指すベクトルの消失点にある階段の上にはなんと、浩之たちをまじまじと見つめて蒼白
し凍り付いている神岸あかりが居たのだ。

「ひ……浩之……ちゃん……?!」

 非常識な出来事を目の当たりにして、ショックのあまり頭の中が真っ白になりかけた浩之の耳に、
階段にいるあかりから発せられたか細い声が届き、はっと我に返った。

「だ、誰だ、お前!?」

 浩之は階段のほうのあかりを指しそうになりつつ、あわてて自分のそばにいるもう一人のあかり
を指して怖々と訊いた。
 浩之にはどちらが本物のあかりなのか、直ぐに判った。
 自分のそばにいるあかりは、にぃ、と微笑んでいたからである。

「だから言っただろう。知らないから、って」

 J・Bは失笑して見せた。

「くすくすくす……。バレちゃったようね。――また、明日ね、浩之ちゃん」

 微笑みながらそう答えた偽物のあかりは、即座に消滅した。浩之たちが瞬いた直後にその姿を見
失っていたのだが、瞬くタイミングは各自異なっている。まさに幻であった。

「い、い、い、いまの、いまのぉぉぉぉぉぉ?!」

 ショックのあまり、あかりは階段の上で腰を抜かし、へたり込んでしまった。間近にいた智子は
動転していたが何とか立っていられる様子である。

「ヒロユキ。彼女が、例の少女ですよ」
「え?」
「セリカが言っていたでしょう。昨秋、Youが肝試しで出会った幽霊です」

 J・Bの言葉に、深呼吸しながら平静を取り戻そうとしていた浩之をいっそう驚かせ、呼吸に失
敗して咽せた。

「な、ななななな?い、いまのが、先輩が言っていた生霊?」
「Yes」

 と応えたのは、意外にもレミィのほうだった。

「まさか真っ昼間から出てくるとは、大胆な霊でス。私を待ち構えていたか」
「……おいおい。レミィ、お前さん何を言っているンだよ」
「アタシがどうかしました?」

 と応えたのは、なんと玄関のほうから現れてきたレミィであった。

「「「ひ!ひぃああああああああああっっっっっっ!!!!????」」」

 次々と起こる怪現象に、気丈を保っていた智子も、ついにあかりと一緒に気絶してしまう。浩之
の頭の中は真っ白になっていた。

「Oh、J・B!久しぶりですネ」
「HaHaHa!3年ぶりかな?お父様は元気かい?」

 どうやらレミィはJ・Bとは知り合いだったらしい。レミィは笑顔で駆け寄り、J・Bに抱きついた。

「……レ、レミィ……お前……」

 と、震える手で浩之が指したのは、屋上にいた自分を呼びに来た最初のレミィであった。ところ
が、指した途端、最初のレミィは輪郭を失い、やがて白い霞の塊となる。

「J・Bもヒトが悪い。今回はアタシの『ドッペルゲンガー(二重存在)』で脅かしてるノ?」
「脅かしたわけではないさ」

 そう答えると、J・Bは右手を縦に振った。するとレミィに化けていた白い塊は、まるで蚕のま
ゆをほぐして絹糸を取るように、一本の白い光の糸となってJ・Bの右手の中へみるみるうちに吸
い込まれていったのである。

「な、なんだ、そらぁ……」
「『霊糸』です」
「レイシ……?」
「生命体の霊的エネルギーを物質化させたエクトプラズムで造り出した、霊体の糸ですよ。これで
もう一人のレミィを編み上げ、操っていたのさ。先ほどの生霊の彼女も、同じ原理で物質化してい
たようだ」
「え……あ!」

 ようやく浩之はこのJ・Bの正体に気づいた。
 綾香が言っていた、米国にいる、生霊に詳しい芹香の知り合いが、この男なのだというコトに。

                  Bパートへ つづく