ToHeart if:幻相奇譚(Cパート) 投稿者:ARM
 翌日の昼過ぎ。
 今日は土曜日、学校は午前一杯で終わりである。浩之は土曜は学食で昼食を摂るコトにしている。
土曜の食堂はクラブ活動をする生徒相手に開かれている為、比較的腹持ちのするメニューになって
いるのは、欠食児童の浩之には非常に有り難かった。
 そして今日は聖バレンタインデーでもあった。お菓子屋の陰謀により曲解されて伝わったキリス
ト教圏の風習に、多くの者達が踊らされ悲喜こもごもとする日である。
 今年も浩之は、あかりからチョコをもらえる予定になっている。実はすでに、一年の後輩で自分
を慕ってくれている葵や琴音、同窓生であるレミィや理緒からもチョコをもらっていた。無論、皆、
浩之にはすでにあかりという存在がいるコトを承知である。決して義理ではない(でっかく手書き
でわざわざ「義理」と書かれた「手作りチョコ」を渡してきた智子の場合は、どう取るべきか迷っ
ているところではあるが)チョコを、浩之は複雑そうな顔をしながらカバンに詰め込んでいた。

「さて、と」

 昼食を摂り終えてやっと人心地のついた浩之が、トレイを持って席を立った時、入り口のほうか
ら自分の名を呼ぶ聞き覚えのある声に気づき、面を声のするほうへ向けた。

「浩之ちゃあん、一緒に帰ろうよ」
「あれ?あかり、もう先生に頼まれた用は済んだのか?」
「うん。あ、なんだ、もうお昼食べちゃったんだ」
「悪ぃな。朝食、抜いてきたモンだから」
「……まぁいいや。お腹空かした浩之ちゃんがフラフラするのはみっともないしね。あ、そうだ、これ」

 あかりはそう言ってニコリと微笑と、手に持っていたカバンからリボンに括られた小さな包みを
取り出し、それを浩之に差し出した。

「遅れてごめん。はい、チョコ」
「あ」

 浩之の視線は、チョコが入っている包みと照れくさそうな顔で俯くあかりの顔を往復し、周囲の
目を気にしつつそれを受け取った。つき合っているのはもう周知のコトなのに、相変わらずの二人
である。
 やがて、浩之は少し上を仰いで何か考える仕草をしてみせ、

「……お前、午後空いているだろ?昼飯おごってやるから、どこか遊びに行くか?」
「え?え?え?」
「……何だよ、その信じられなさそうな顔は」
「え?だ、だって……昨日の……」

 不安そうな顔で見つめるあかりの頭を、浩之は微笑んで優しく撫でてやった。

「大丈夫。幽霊如きにビビっていたら何も出来やしないさ。そうだ、前に、商店街に美味いカツ丼
屋があるって言ったろ。そこ、行こう」

 あかりは浩之の笑顔を見て、応えるように微笑んだ。

 学食で満腹になったものと思っていたあかりは、まだまだ足りないと言わんばかりの浩之の食欲
ぶりに呆れつつ、満悦した笑顔でカツ丼屋を後にした。それから二人はお台場方面へ向かうバスに
乗り、20分ほど揺られた末にお台場へ到着した。
 あとはお決まりのデートコース。久しぶりに風の無い良く晴れた日のお台場は、すぅっとする潮
の匂いに包まれていた。あかりはウィンドゥショッピングを楽しみつつ、昔あった想い出を交えな
がら浩之との会話を楽しむ心地よい時を過ごした。それは、やがて陽が傾き、空の蒼さが西から滲
んでくる朱に取って代わられるようになった頃まで続いた。

 あかりは浩之が買ってくれたコーンカップのアイスクリームをちびちび舐めながら、ベンチに腰
掛ける浩之の横に座って夕日を眺めていた。

「……ふふっ、楽しかったな、今日は」
「また……来よう、な」

 浩之がそう言うと、あかりは少し間をおいて、

「うん」

 と笑顔で応えた。
 浩之はそんなあかりの笑顔をじっと見つめていた。
 あかりはじっと見つめられているコトに気づき赤面するが、やがてその笑顔がどこか寂しげであ
るコトに気づき、当惑した。

「……どうしたの、浩之ちゃん」

 あかりに不安げに訊かれて、浩之は大きく深呼吸した。まるで覚悟を決めたかのように。

「――出来れば、今度は生身で会いたいモンだがな」
「え?」
「また、化けているンだろ?――生霊さん」

 あかりに化けていた生霊の身体が硬直した。

「……逃げようなんて気ぃ、起こさなくて良いよ。こうしてゆっくり話す機会なんてそうそうない
だろう。今日は少し、色々と話を聞きたいんだ。良いだろ?」

 優しく微笑む浩之に、生霊はあかりの顔で、仕方ないなぁ、と言いたげに溜息を吐いた。

「……で、あたしの正体を知りたいわけ?」
「そんなコトはどうでも良い」
「?」
「あのロリコンの話じゃ、生霊の多くは、潜在意識が無意識下で生み出した所為か、本体と別の人
格を備えているらしいんだと。場合によっては、自分の本体につい何も知らないケースも少なくな
いらしいそうじゃないか。キミもそうじゃないのか?」

 生霊は何も応えず、とぼけたふうに再びアイスクリームを舐め始めた。どうやら図星らしい。

「……俺のコト、何が気に入ったんだ?」
「さぁ、ね」
「それぐらいは理解しているだろう?でなければ、俺に何度も会いに来るハズもねぇ」

 浩之がそう訊くと、生霊はクスクス笑い始め、

「……肝試しの時に、あなたのコトを見て気に入っただけ。それだけじゃいけない?――人が人を
好きになる理由、ってそんなモノよ」
「……否定はしねぇ」

 生霊が失笑すると、浩之も呼応するように破顔した。
 しばらく二人してクスクス笑っていると、生霊は自分の顔を――あかりの顔をゆっくり撫でた。

「……あかりさん。佳い娘ね」
「ああ。自慢の彼女さ」
「そうあっさり言われちゃうと、妬けちゃうなぁ」
「悔しい?」
「とぉ〜〜〜っても!」

 と言いつつ、生霊はあかりの顔で笑っていた。まるで自分のコトを言われて喜んでいるかのよう
である。
 そんなもう一人のあかりの笑顔を見て、浩之は満足げに微笑した。

「……これから、どうするつもりだ?ずうっと俺につきまとうのか?」

 浩之がそう訊くと、もう一人のあかりは振り向いた。こんな寂しげなあかりの顔など、本物のあ
かりでもこのさき、一生見られるかどうか。

「……嫌?」

 浩之は唇を噛みしめて、面を横に振った。

「……別に構いはしねぇよ。ただ、このまま『二重存在』の能力を奮っていると、キミの本体の命
が確実に削られていくコトになるンだ。これ以上、無茶しないでくれ」

 生霊はそれを聞いてはじめは訝しげに浩之を見た。しかし沈痛そうな浩之の顔を見ているうち、
浩之が嘘を言っていないコトに気づくと、少し青い顔をして夕映えの空を仰いだ。

「……そう、なんだ。昨日現れたとき、すこしだるいなぁ、って気がしたんだけど、あたしが実体
化することで命を削っていたなんて、知らなかった。――ありがとう、浩之ちゃん」

 生霊の面はゆっくりと降り、にこりと微笑んで礼を言う。浩之の知るそれとまったく遜色のない
笑顔だった。

「それに、だ。なにもそんなあかりに化けて出てこなくったっていいだろ。――寂しくなったら、
いつでも電話かけて来いよ」
「――――え?」

 凍り付くあかりの顔が、ゆっくりと穏やかな笑みを浮かべる浩之の顔をじっと見据えた。

 知ってたんだ。

「……とりあえず、今日一杯はつき合ってやるよ。本物のあかりには許しをもらっているしな」
「いいよ、もう」

 ふっ、と笑みを零す生霊は、面を横に振った。

「え?」
「……もう、帰らなきゃ。今日、浩之ちゃんとデート出来て充分満足したし。これで二度と、あか
りの姿をして現れるコトもないと思うよ」
「――――」

 寂しげにいう生霊に、浩之はその名を思わず呟くように呼んだ。生霊は、ばれたか、と呟いて照
れくさそうに笑ってみせた。

「……やっぱり、そうなのか」
「いいのよ、もう。あたしのヒロへの想いは、絶対秘めていなければならないものなんだから」
「……強がり、言いやがって!」

 不意に、浩之はあかりの姿をした生霊の身体を抱きしめた。生霊は目を白黒させて慌てるが、浩
之に抱き留められて身じろぐことすら叶わない。

「……勝手なコトばかり言いやがって。……………って、そういう俺もかなり身勝手だが……今の
お前に応えられるのはこれが精一杯なんだ……ごめん」

 浩之は詫びるように言った。

 楽しかったよ、浩之ちゃん。

 本当に楽しかったのかよ。浩之が今まで抱いていた疑念であった。本当にそれで良かったのかよ、
と。どうしてそんなに寂しそうな目で俺を見るんだ?と。
 浩之が抱きしめる腕に力を込めた。生霊は身体を小刻みにわななかせ始めていた。

「……バカ。ヒロ、あんた本当、勝手だよ」

 生霊は浩之の背中に両手をまわし、浩之が着ている学生服の背中の布地をぎゅっと握った。

「…………本当、いつもどっちも勝手なコトばかり言って……だからあたしたち…………」
「……それ以上、言わないでくれ」
「……うん……判ったわ…………今は、こうしていたいからね」

 しばらく二人は抱き合っていた。通行客が遠巻きに笑いながら浩之たちを指しているが、二人と
もまったく気にしなかった。

「……じゃあね」

 そう告げた瞬間、あかりの身体が消失した。あかりだったものを抱きしめていた両腕は、偽りの
感触をまだ覚えていた。
 浩之が腕で輪を作ったまま凝結しているところへ、三人の人物が近寄ってきた。

「……浩之ちゃん、ご苦労様」

 そう言ってあかりは、自分の隣にいるJ・Bと、もうひとりの藤田浩之を見た。よく見ると、ベ
ンチに腰を下ろしている浩之は、あかりの隣にいる浩之の右手から伸びている霊糸とで繋がってい
るではないか。

「生霊のような霊体と接触する場合、霊的パワーを吸収し易い肉体のままで接触するより、同じよ
うに霊体で接したほうが安全だからな」

 J・Bは憮然とする浩之の右手首を掴む。するとベンチに腰を下ろす『二重存在』の浩之の輪郭
が失われ始め、光の霞と化してみるみるうちに浩之の右掌の中へ吸い込まれていった。

「『二重存在』はかなり体力を消耗するとはいえ、霊体だったキミらの食欲旺盛ぶりは圧巻だった
な。二人してカツ丼6人前平らげるとは思わなかった」
「……ほっとけ」

 浩之は肩を竦めると、霊体が座っていたベンチの上のほうを見た。
 そこには、昼に生霊から受け取った、リボンの括られたチョコが、ぽつん、と残されていた。
 浩之はそれをじっと見つめて、そしてあかりのほうをみた。
 あかりは黙って頷いた。すると浩之はベンチのほうへ歩き出し、ベンチの上からチョコを取り上
げた。
 浩之が小脇に抱えている鞄に、朝、家の前であかりから受け取ったチョコが入っているのだが、
奇しくもまったく同じ包みであった。

「……そういや去年の義理も、ふたりとも一緒に買っていたんだよな」

 浩之はそう言いながらチョコを鞄にしまうと、踵を返してあかりたちの許へ歩み寄った。
 浩之が近づくまで、あかりは何かを堪えるように俯き加減にずうっと唇を噛みしめていた。
 やがて、あかりが顔を上げて浩之の顔を見た。

「……ねぇ、浩之ちゃん」
「何だ、あかり」

 そう聞き返した浩之は、そこでようやくあかりが涙目でいるコトに気づいた。

「…………あかり」
「……あたし、友達だったのに気づかなかった……命を削る想いをしてまで、浩之ちゃんを慕って
いたなんて……あたし…………あたし……」
「気にするなよ、あかり。……あいつの選んだ道だ」
「だって……だって……」

 とうとうあかりは泣き出してしまった。

「……浩之ちゃん。…………あたし、このまま居て良いんだよね?」

 あかりがそう訊いた途端、浩之はいたたまれなくなってしまい、思わずあかりの身体を抱きしめた。

「…………いいんだよ。お前は俺のそばに居て。……これからも、ずうっと居てくれ」

 俺が選んだのは、最初からこいつなんだから。

 あかりは浩之の胸の中で泣きじゃくった。浩之は今にも破裂しそうな勢いのあかりを、しっかり
とその手で抱きしめてやった。

 浩之ちゃん――さよなら。

 じゃあな。――志保。


 長岡志保は、ここしばらく妙に身体がだるくて辛かった体調が、日曜の朝になって今までの不調
が嘘と思えるくらいに回復したコトに驚いていた。

「思わず早起きして、勢い余って町内ランニングしちゃうなんて、うーん、志保ちゃん大・復・
活・!ってか。――あれ?」

 ランニングと言っても走らずただの散歩であったが、自宅の前に戻ってみると、そこには見覚え
のある顔が立っていた。

「あれ?……うっそ?来栖川先輩じゃない!どーしたんですか?」

 懐かしい顔に驚きつつ、頬を緩ませた志保は、慌てて芹香の元へ駆け寄った。

「……え?なになに、たまたま近くに寄ったから?んで、気になるコトがあって、これを持ってき
たと?」

 芹香が差し出したのは、綺麗なアミュレットであった。

「え?これを身につけていると、体調が優れないときに効く、って?ふーん。でも凄い綺麗なアク
セサリー……って本当にタダでもらって良いの?え?これが手元にあれば、魂が分裂するようなコ
トもなくなる?何、おっしゃってんだか判らないけど、折角のプレゼントですもの、有り難く頂戴
いたします!!」

 相変わらず軽いノリの志保は、芹香からアミュレットを受け取り、首にかけて見せた。

「似合います?え、とっても、ですって?いっやぁあ、照れるなぁ!そうだ、朝食まだでしょ、ウ
チでいかがですか………………って、あれ?」

 志保はその時、自分が笑っていると思っていた。
 なのに、両目から止めどなくこぼれるこの涙の理由が、どうしても理解できなかった。

 浩之ちゃん――さよなら。

                エピローグへ つづく