メイド+ロボット 投稿者:里茄野のわく
 
 
「主任!」
 そう呼ばれたのは書類の積もったデスクに片肘をつき、ちらつくモニターを見つめる男。
 言わずとしれたマルチ・セリオの生みの親、長瀬源五郎である。
 
 長瀬はふぅ、とちいさくため息をつき、振り返りながら眼鏡をあげて目頭を押さえた。
「どうしたんだい?」
 疲れた目を軽く揉みほぐしながら言った言葉。
 しかしすでに彼には解っていた。
 自分の前に立っているのが誰なのか、そしてどんな表情をしているのか。
「あ、お疲れですか?」
 彼の言葉。言葉こそ気を使ってくれているようだが、その口調にはいじわるっぽさが伺える。
 眼鏡をかけ直した長瀬は、やれやれといった表情で彼を見上げた。
「そりゃ今日は一日中データチェックだったからねぇ、
 それよりコーヒーの一杯持ってくるような優しい心遣いは出来ないのかねぇ、大谷君には」
 長瀬も人の腹を見透かすような皮肉っぽさで言い返した。
 
 目の前の彼、長瀬を呼んだのは大谷隆二。
 ココ(第七研究開発室HM開発課)のスタッフのひとりであり、
 と同時に若くして輝ける才能の持ち主、
 そして、密かに彼の力を見込んだ長瀬の助手的存在でもあった。
 
 長瀬の思っていたとおり、彼はにやにやした表情で長瀬に言い寄った。
「主任、そろそろ話してくれてもいいじゃないっすかぁ」
 と同時に長瀬はすぐにチェアを回転させて大谷に背を向ける。
 そして意味もなくマウスを動かし、その辺のフォルダを開きながら、
「だ〜から言ってるじゃないですかぁ
 理由なんてなにもありませんよぉ、あえて……云うならばただの技術者精神。
 他に理由があるんなら、それこそ私が聞きたいですよ」
 そしてまた わざとらしいため息をついてみせた。
 長瀬がそう言うだろうと初めから思っていた大谷は、またちいさくにやりと笑った。
 しかし同時に 青く光を放つモニターに向かった長瀬もまた、笑みを浮かべていた。
 
「その技術者精神が成し得たプロジェクトを
 自らの手で全回収。 なんて……よほどの理由がない限りしませんよね。……まぁ、」
 大谷は続けた。
「理由についてはみんな分かってるつもりですよ? 僕も自分の選択は間違っていなかったと思っています。
 しかしあなたはもっと前から解っていた。いや、気づいていた。でしょ?
 初めから回収するつもりで始めたんです。 さて、」
「何故か?」
 長瀬は依然、聞いていないかのように背を向けたまま、text文章を読んでいる。
 しかし大谷は長瀬の心が少し揺らいだのを感じ取っていた。
 今 目の前にあるものは、実はもっとずっと深いところに眠っているのだ。
 大谷は、
 自分の中でそう感じた。
 だから こう言って自分のデスクへと 戻っていった――
 
 
「ま、 また気が向いたら話してくださいよね、楽しみにしてますから」
 持ってきていたコーヒーのカップを彼の前に置いて。
 
 
 大谷が戻ったのを確認すると、長瀬はチェアに深くもたれかけ、
 まんざら機嫌を損ねたような様子もなく彼の置いていったカップを手に取った。
 安物のチェアはちいさく軋む。
 その熱いコーヒーを口にすると、自然とちいさなため息が漏れた。
 そして彼は目を細める。
 
 ……あの子を造った理由……ですか…………。
 
 
 
 『メイド+ロボット』         里茄野 のわく
 
 
 
「………………―――」
「…………ちゃん」
「……げんちゃん」
「ねぇ、もう源ちゃんってばぁ!」
 床からひょっこりと顔を出したその女の子は、駄々をこねるように少年を呼んだ。
「聞いてるぅ? げぇ〜んちゃんっってばぁ!!!」
「ああ、もううるせぇなぁ! 初菜だろ? 後で遊んでやるから今はあっちいってろ」
 背を向けた少年はやぶからぼうに そう言い放った。
 『初菜』と呼ばれたその女の子は、少年の言いぐさに腹を立てるどころか、
 自分が悪かったのだと思い、黙り込む。
 そして急に静かになった屋根裏部屋、重量のありそうな壁掛け時計の針の音がコチコチと響き……
 …………。
 少年はマブチモーターをいじる手は止めず、小さな声で
「……まぁ、おとなしくしてるってんなら……いてもいいけど」
 少女の顔はぱっとあかるくなり、笑顔で頷いていった
 
「うん! おとなしくしてる!」
 
 
 懐かしいな。
 長瀬はそう思った。
 なにせそこは少年時代の自分の家であり、自分の部屋だったから。
 家の屋根裏部屋。
 そこが唯一の自分だけの空間。
 天井の柱は手を伸ばせばすぐにとどく位置にあり、小さな木の縁の三角窓からは初夏の日差しが差し込んでいる。
 少年誌、科学雑誌が積み上げられ、宝物でもあるがらくたが散乱しているが、
 そのすべての位置を正確に思い描くことが出来た。
 なにせこのがらくた達の持ち主は目の前でモーターをいじっている半袖の少年であり、
 その少年こそが、幼き日の自分だったのだから。
 
「ココ、いつ来てもごちゃごちゃだね」
 階段を上った少女は床に手をついたまま、ぺたぺたと少年の隣に寄った。
 ちなみに目線はというと、きょろきょろと部屋中を見渡している。
 
 初菜は少年の幼なじみであり、ちいさなころから一緒に暮らしてきたので、
 まるで兄妹のような関係だったのだが、この部屋……となると話は別だった。
 たとえ初菜といえども少年がよっぽど機嫌のいいときぐらいしか入れてもらえなかったのだ。
 だから彼女にとっても、「ソコ」は「もうひとつの世界」のような場所だった。
 
「へぇ……またいろいろ増えたんだね」
「…………」
「源ちゃん今度は何つくってるの?」
「…………」
「あ……えっと……。 これぇ……なにかなぁ……」
「触んな」
「あ、あ、ごめんっ、ごめんね」
 
 少年は普段はもっと喋る方で初菜にもとても優しいのだが、この部屋ではいつもこんな感じで
 だいたいなんの会話もなく夕方まで過ごすことになる。
 もちろん初菜にもそんなことは最初っから分かっているのだが、
 それでも彼女は「ココ」に来ることが、入れてもらえることが嬉しくて仕方なかった。
 それはもちろん珍しい物がたくさんあるからでもなく、
 漫画が読めるからでもなく、
 秘密基地にいるみたいだからでもない。
 そう。
 「いちばんだいすきな」「源ちゃん」と一緒に居られるからだ。
 
「よしっ! 今度は完璧だぞ!! ほら初菜」
「うわぁ」
「ほら、やってみろ」
「え? いいの!?」
「特別だぞ。 ほら持ってみ?
 こうやって、右と左のレバーで前進後進だろ? 前と後ろに倒せば回転できるだろ?
 で、これでアームが開く、も一回押せば閉じる、これで持ち上げる」
「うんうん こうだね!」
 
 キュ、キュイイン!!
 
「わぁ……すごーい!! はやぁい!!」
「向こうのコップぐらいでも持ち上げられるぞ」
「本当!?」
 
 少年も本当は楽しかった。口では「うるさい」と言っても、実際にはうるさいことが嬉しかった。
 幼なじみは妹ではない。
 少年にとっての彼女は、決して妹ではなかった。きっと……特別な存在。
 そうでもなければ初菜を部屋へ……自分の世界へ入れたりはしなかっただろう。
 
 そして長瀬は静かに考えてみた。
 どうしてこの日のことを思い出したのだろう……と。
 そして、外が夕焼け空になり、初菜が帰るのを少年が外まで送る長い影を見て、
 ふと思い出した。
 ……そうか。
 あさっては……七夕ですか。
 
 
 
 次の日は、それはもう綺麗なクリアブルーの晴天だった。
 子供の目を通した空は、本当に蒼い色をしていたように思う。
 その中でもこの日の空は……飛び抜けて鮮やかに、長瀬の記憶の中に残っていた。
 そんな日はもちろん、学校から帰るとすぐ玄関にランドセルを投げ込み、
 初菜を連れていつもの仲間の待つ、土手へと急ぐのだった。
 そして後は日が暮れるまで、虫を捕ったりケイドロをしたり……とにかく走り回り、遊び回った。
 そんな子供達のため、
 夏の太陽は出来る限り長く、地上を照らしていてくれるのだった。
 
「いいの?」
 夕焼けに頬を染めた初菜は、嬉しそうに少年を見た。
「あー。お前はどうせ家に着くまでに読み終わるからな」
 乱暴にそう言った彼は、月刊の少年誌を初菜に手渡した。
 これは帰り際、友達から渡されたもの。
 この年代、毎月雑誌を買えるほどの財政力もなかったので、毎月仲間うち交代で買った物を
 回し読みしていたのだ。
「源ちゃんありがとう!!」
 本当に無邪気にお礼を言って、初菜は早速ページをめくりだした。
 ――ありがとう!!
 だからいつも、彼は自分より先に、彼女に読ませてあげるのだ。
 
 少年向け漫画の中、その中で初菜が読むのはいつもひとつだけだった。
 時間という土に埋もれた記憶の断片。残念だがもうそのタイトルは思い出せない。
 科学者である、主人公の父親がある日人間そっくりのロボットを造り、
 主人公には「いとこ」だと言い、ふたりで「そのいとこの母親を探す」旅に出るという、確かそんなあらすじだったと思う。
 つまり、「いるはずのないロボットの母親を探す」というところにストーリーの柱のようなモノを
 感じる、そういった漫画だ。
 
 少年は頭の後ろで腕を組みながら、初菜と雑誌を横目で見ていた。
 歩きながらここまで集中して漫画が読めるのもなんだか凄い。
 話しかけるわけにもいかないので、そうやってゆっくりと歩いていた。
 悪者のボスが 大きな口を開けて言った。
 人の心を捨て、プログラム通りに動く人形に戻るなら”弟”は助けてやろう。
 ロボットは残る力を振り絞って頭を上げた。
 ビシビシッ という効果音が体中に張り付いていた。
 そしてボスの背後には空中に張り付けられた主人公がいた。
 ロボットはお別れを呟き、両目からオイルが流れ落ち、
 そしていっぽ、踏み出した。
 
「ふぅ〜」
 初菜はぱたんと雑誌を閉じ、ちいさく息を吐く。そして、
「はい、ありがと〜!」
 両手を添えて少年に雑誌を返した。
「次ねぇ、最終回なんだってぇ!! 楽しみだね」
 そしてまたにっこりと笑った。
「ま、まぁな」
 そういった少年だったが、なんだか笑顔にときめいてしまったことに気づかれそうな気がして、
 慌てて言葉を付け足した。
 この年の男の子は皆、こういうところでも負けず嫌いだったのだ。
「でもお前ほんっとこの話好きだな」
 そう言い終わったとき、自分がよくないネタを振ってしまったことに気が付いた。
 遅かった。初菜は前を向いたまま、嬉しそうに話しだしたのだ。
「あのねぇ、ちっちゃいころから私おねぇさんが欲しかったの。
 ね、ね、源ちゃんこんなおねぇさんがいたら すごく楽しいと思わない?
 一緒におしゃべりしたりぃ……あ、おうちのお手伝いも一緒に出来るかも!! それにそれに……」
 半分空想の世界を瞳に映した初菜は、お姉さんと出来ることをあれもこれもと並べはじめた。
 こうなってしまうともう少年には初菜を止めることは出来ない。
 なぜなら、空想に夢膨らます初菜はいつも、少年のいちばん好きな表情をするのだから……
 
 それを長瀬は懐かしく思い、胸が詰まった。
 ハッキリと思い出してしまったことが辛かった。
 自分の影に視線をおとし、ブロック塀に手を当てる。
 懐かしいつめたさ。
 ざらざらしたぬくもり。
 そして首を上げ、少年のあたま向こうを見た。
 もし、人生の中でひとりひとつ そのひとの生き方を決定付ける言葉が用意されているのだとしたら、
 きっと私のソレは……この時の言葉だったのでしょう……
 
 そう、公園の前を通り――『少年と少女はちいさな公園のフェンスと並び』
 そうでした、そこで立ち止まったんです――『不意な少女の言葉に、少年は足を止めて振り返った』
 
「ばっかだなぁ。 今世界中探したってそんなロボット造れる人がいるかよ」
 少年は呆れたような口調で初菜に言った。
 彼女は少年に この漫画に出てくるようなロボットは造れないのかと聞いたのだ。
 どうやら初菜は自動車を組み立てることとロボットを造ることを同じぐらいに思っているらしい。
「じゃぁ、源ちゃんでも無理なのぉ?」
「あったりまえだろ? ロボットだぞ!? そんな簡単に出来たら今ごろロボットだらけだ」
 少年は乱暴にそう言い放った。
 いきなり簡単に夢を崩された初菜は本当に残念そうな顔をして俯き、
 そして最後の希望をつなぐように 静かに少年に聞いた。
「じゃぁさ……ホントはロボットなんてつくれないのかなぁ?」
「…………」
 少年はその初菜の姿を横目で見て、すこし考えたあと……照れくさそうに言った。
「ま、今はムリかも知んないけどオレ達が生きてる間くらいにはさ、」
「つくれるようになるかな?」
「……なるんじゃねーか?」
 初菜は少年が自分に気を使ってくれたんじゃないかと思い、黙って微笑んだ。
 そして突然何か思いついたように目を丸くして、
「あ!! もしかしたら源ちゃんがいちばんに造っちゃうかもね!!」
「はぁ?」
 少年は またむちゃくちゃ言いだした……と思い、頭をかいた。
「ね? ね? 源ちゃんなら出来るよ!!! いちばんだよ? いちばん!!!」
 なんの根拠もない自信に少女ははしゃいだ。
 あえて云うならば、彼女にとって「出来る」の根拠は「源ちゃんだから」に直結しているのかもしれない。
 そんな彼女のことをよく知っている少年に言えることは ひとつしかない。
「……ばぁか」
 
 そしてふたり、不思議な一体感を肌で感じながら、静かに前を見て歩いた。
 頭の上、カチカチンという小さな音が鳴り、
 目覚めた蛍光灯が夜の闇を彼らのために ほんの少し、けずってくれた。
 少女の家は、もうすぐそこだった。
 
 家の前、初菜はそこでくるりと向きを変え、少年の方を向いた。
 家の玄関の光でぽぅっと彼女が浮かび上がり、それに少年の胸が大きく打った。
 「じゃ 源ちゃん、またあしたね」
 なにげない初菜の笑顔を見ることすら、昔のようにはいかない。
「…………」
「……。それじゃね」
 少年に反応がなかったのでもういちど笑顔でそう言うと ひらりと身を捻り、
 初菜はひかりの中へと……
 ――ほらっ!
「初菜!」
 少年はやっと絞り出した声で言った。
「な、なに?」
 少女の足が止まったのが解った。振り向いたのが解った。
 今言わなくちゃ。別に恥ずかしがることじゃないだろ。
「あ、あの……さ あした その……だな うちで…………うちで……………」
 去年も、一昨年も言ったことだろ。同じようにやりゃぁいいんだよ。なにやってんだ。
 でも……言えない 言えない。
 なんでだよ ほら、はやく 早く!!!
「あ、もしかして……たなばた?」
 なにか言い出せずにいる少年を見て、初菜はいち早く勘づいた。
 少年の家では毎年、七夕の日に『七夕パーティー』の様なものをやっていて
 初菜も小さい頃からそれにお呼ばれしていたのだ。
 七夕……年代が上がるに連れてその存在価値がなくなってゆく行事である。
「今年もちゃんとやるんだね。 うん、いくいく、初菜も行くよ?」
 そういってこくこくと頷く初菜を見て、
 少年は自分の情けなさに腹を立てていた。
 いつも一緒だったはずなのに
 なんだか初菜が大人に見えた。
 自分が引っ張っていってやらないとこけるような奴だと思ってたのに
 気づいたら自分より断然格好良くなっていた。
 なにも言えなかった自分が 歯がゆかった。
 
「…………そ、か。 じゃ、あした夜6時」
「うん。 たべもの、お母さんとなにかつくって持っていくね」
「…………」
「……どうしたの?」
「…………」
「……源ちゃん?」
「…………ダメだなぁ俺。かっこわるすぎ」
 少年は自分を嘲け笑うように呟いた。
「え?」
 初菜は少しびっくりして聞き返した。
 少年の口元は笑っていたが、両手は強く握りしめられていた。
「お前はなんか最近変わってきてさ、見ててすげぇ格好いいのにさ、
 俺はいまだになにも出来なくって  俺、すげぇ格好悪いんだよ」
「そ、そんなことないよ」
「そんなことある!!!」
 そう、自分に叫んだのだ。
 しかし初菜は目を閉じてそれ以上の声で叫んだ。
「そんなことないもんっ!!!」
 こめかみが弾けた。嫌だった。また初菜に助けられるのか?
 また初菜に頼ってしまうのか? 俺はこいつに助けられてるのか!? 今までもずっと!!!
 
「うるせぇ!!! 適当なこと言ってんじゃねぇ!!!!!!」
 
 初菜を思いきり怒鳴りつけた。
 体中が火に包まれたように熱くなり、全身の筋肉に力が入り、見開いた目で犬歯が見えるまでの口を開いて
 心の中のぐちゃぐちゃが空気の振動に変わり、目の前の相手にたたき付けられた――
 と同時に初菜は返した
 少年の言葉が彼女の心を痛く揺さぶり、それに身を歪ませるように伏して
 頭が締めつけられて
 それでも今はまず彼に伝えたい。
 目をきつく閉じて
 手を握りしめて
 伝わるなら出てくるのは悲鳴でも構わない――
 
「てきとぉーじゃなァイもんっっっ!!!
 源ちゃんは かっこいいんだからァァァァァアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 
 息が続くまで最後のアを伸ばし続けた。頭の中が真っ赤に燃え、指先がちいさく震えた。
 きつく閉じたはずの瞳から
 とめどもなく涙が溢れ、震える口元を伝い、ぱたぱたとアスファルトを濡らしていった。
 
 彼女は自分のしゃっくりを抑えるので精一杯だったのに、
 それでも続けて少年に言った。出来うるだけの笑顔で。
 「あのねぇ、なにか作ってるときの源ちゃんって カッコいいんだよ?」
 
 ――ぱちん。
 自分の中のもう一つの視界のうち、一カ所、途方もなく霧が晴れた。
 オレニ デキルコト。
 オレガ シタイコト。
 ソシテシアワセニ デキルモノ。
 解った。
 なんで俺ずっとここにいたんだろ。
 なんでここしか見てなかったんだろ。
 格好いいって――そういうことだろ。
 
「なぁ……初菜、俺がロボット……
 本当に初菜のねぇさんになれるぐらいのロボット造ったら……俺、格好いいかな?」
「……う……うんっ!
 すごくすごく格好いい!!!」
 初菜はとても嬉しそうに返事した。
 さっきまであんなに泣いていたことを証明するのは頬に出来た涙の筋ぐらいのものだった。
「俺さ、それ、俺の夢にする。俺、絶対造るよ ロボット。そしたらさ、
 もしロボットが出来たら……話……聞いて欲しいんだ。俺の……話」
 いつになく真剣なそれは 告白とも似ていた。
 いや、そのものだっただろう。
 初菜はその意味を理解し 少し驚いたように少年を見た。
 頬が赤らんでいった。
「いつになるかわかんねぇけどさ…………駄目かな」
 
 首を大きく振って応えた。
 胸が弾けそうになった。
 彼女はいままでの人生の中でいちばん嬉しい言葉を聞いたのだから。
 
「ううん。
 私、待ってる!! 源ちゃんが格好よくなれるの、ずっとずっと待ってる!!!」
 
 そして少年は自分の道を見つけた。
 今は駄目だけど……夢を果たすことが出来ればきっと……言える。
 身体が熱かった。その霧の向こうに触れたい。
 掴んだ夢と、その気持ちと共に、 彼女を見送った。
「6時だぞ 遅れるんじゃねーぞ!!」
「分かってるよぅ。ちゃんと行くよ。 じゃ、ばいばい」
 
 
 
 その年から
 少年の家では七夕パーティーは行われなくなった。
 彼女は
 最後の七夕パーティーに来ることは出来なかった。
 
   七月七日 午後三時一五分
   帰宅途中、交通事故で初菜は死んだ。
 
 
 
 マルチとのお別れの三日前、長瀬は彼女を連れて研究所を出た。
 遠く知らない町。
 共同墓地の石碑を見つめる長瀬を見て、
 マルチはなにも言うべきではないと思った。
 
     ついにこぎ着けた感情アルゴリズム。
     祝い酒を飲みながら、長瀬はほとほと自分に呆れていた。
     事を甘く見ていたのは、
     自分も同じだった。
     しかしロボットに感情を持たせることは大前提だった。
     これまでに造ってきた”外側”のロボット達はあくまでハード。
     こころが必要だった。
     「彼女」の「姉」であるためには それが大前提だった。
 
「初菜……遅くなって……悪かったな」
 そして長瀬は優しい顔でマルチを見た。
「悪いんだが ちょっと来てくれるかな」
 長瀬は果たした。
 HMX−12の肩に手を置いて 吹き抜けの光り浴びる石碑の上を見上げた。
 
     目を真っ赤にして帰ってきた12型。
     彼女はお別れを言って帰ってきた。
     半生を通して自分のしてきたことに、この時初めて後悔の念を感じた。
     ひとりの少女に
     機械の身体というエゴイズムを負わせてしまったこと。
     夢の代価は
     一生かけて償わなければならないものとなった。
     そして、
     そんな彼女を愛してくれた人間がいること。
     彼には
     機械の人間を見せてしまった。
     たとえそこに心があったとしても、
     それは決して人間の心とイクゥオルではない。
     やはり造られた心は造られた心なのだ。
     それは
     造った人間が……いちばんよく知っている。
 
 長瀬に見えているものは、マルチには見えなかった。
 それは自分がロボットだからだろうかと、彼女は考えた。
 しかし空を見上げ満足そうに笑む長瀬の目から涙が流れているのを見て、
 その涙が何処までも熱く続くのを見て、
 マルチも涙を流した。
 そして長瀬が見つめている空の端を見上げた。
 やっぱりなにも見えなかったが、
 今、この瞬間、たいせつな人が死んだのだと解った。
 だから私は泣いているのだと解った。
 
     何故 過去を引きずる必要があるのか。
     何度もそう思った。
     もう終わってしまったこと。今さら成し遂げたとて 意味のないこと。
     しかし そう思う度に、頭をよぎった。
     夢の重み。夢の価値。
     待ってる!!――待っている。どうしてもまだ待ってくれているような気がした。
     そして 応えなくてはならないと思った。
     そう、まだ言えていないのだから。
     自分の中、いつまで経っても初菜はあの日のままだった。
     ――源ちゃんが格好よくなれるの、ずっとずっと待ってる!!!
     あいつのことだ。
     本当に待っているのかもしれない。
     忘れられないのではない。忘れてはいけないのだ。
     ここで夢を捨ててしまえば
     きっと自分は彼女を失った頃の自分に戻ってしまうから。
 
「マルチ」
 そして長瀬はいつものように笑った。
「はい」
 マルチもいつものように返事をした。
 正直、今日の長瀬は いつもと違う人のように感じていたので、彼女は少し、安心した。
「”彼女”はねぇ、ずっと昔、死んでしまったんです」
 長瀬は空を指した三本の石碑を背に、そう言った。
 マルチの肩はぴくっ、と震えた。
 −死ぬ−ことと−永遠に眠る−ことと−OFF−は違う。
 死ぬのは怖いだろうか? 死んだ人を見るのは怖いだろうか?
 一体人間のみなさんは いつしか自分に”おわり”が来ることについて、どう思っているのだろうか?
 でも私は……どうなのだろうか?
 ロボットの彼女には聞いてみる勇気はなかった。
「好きだ……って、ちゃんと自分の口から言えなかったこと、ずっと後悔してきましたよ」
 と、長瀬が言った。
「マルチ、キミは……」
 マルチの髪が水平になびき、ノイズが
「キミは」
 白の中にクロの集まりがざわざわと
「キミはちゃんと言えたかい?」
 キュゥ!
 深く眠り書き留められていたメモリが焼き付けられ、再構築され
 黒いドットが視覚まわりのリソースを浸食してゆく
 見えるものは
 映像
 キミはちゃんと言えたかい?
 大切――な人
 自分の口から言えなかったこと好きだ……って
 ずっと
 ずっと
 ずっとずっと大好きでし――ざざざざざざざざ。
「なら、」
「行ってあげなさい。”カレ”のところへ」
 
     あの、そんな格好でどちらへ行かれるんですか!?
     清潔な白い廊下。
     背を向けたままその研究者にひらひらと手を振った。
     娘。
     彼なら彼女を救えるだろうか?
     そうすれば 彼女はしあわせになってくれるだろうか。
     そうなってくれるなら、夢はあながち間違いでもなかったのか。
     会えるだろうか?
     ちゃんと話が出来るだろうか?
     彼女の選んだ ”カレ”と。
 
 そしてその町を去った。
 もう二度とここへ来ることはないだろう。
 そして、ここへ来るべきではないだろう。
「マルチ」
「はい。大丈夫です」
「はい。そうしたいと思います」
「いえ」
「はい! 私は人間のみなさんに喜んでいただきたいんです!!」
 長瀬は……ちいさく呟いた。
「すまなかった」と言った。
 自分には最後まで彼女を助けることは出来なかった。
 この機械の殻の中にいる少女を
 どうやったら助け出せるのか。
『私は一体、どこまでをマルチと呼んでいるのか』
 そして、
『彼は一体、どこからを機械だと認識しているのか』
 ――たとえ機械だって関係ないじゃねぇか!!
 いや、それは違う。
 彼女は機械じゃない。
 決して 機 械 で は な い のに、機械から 出 る ことが許されない人間なの だ。
 
 そして彼女も
 気づいていない。
 つまり、
 メイド ロボットなのだ。
 
 ――― 自分の娘ほどの設定年齢の12型を見て、
 ――― 嫌というほど自分の喰ってきた年に気づかされた。
 ――― 時間は決して止まってはくれなかった。
 ――― いかなる理由があろうと。
 ――― だが、時間は止まることはないからこそ 人は進もうとするのだとも
 ――― 気づかされた。
 ――― 「おはよう、君の名前は……マルチだ」
 
 
 新型メイドロボットの製品化が始まり、工場では日々、大量のパーツが生産、組み立てられた。
 しかしそれらを組み上げても 決してあのマルチになることはない。
 長瀬は初めから感情アルゴリズムを組み込んだ物を製品化する気はなかった。
 決して感情を表現する事はない。
 表向き、それらを量産タイプと呼んだ。
 言葉に反応し、人工筋肉で笑顔をつくる、ただそれしきのことさえしないメイドロボ。
 つくりものの感情を表すことは、人間とメイドロボとの関係において、
 必ずしも良い形とは言えなかったからだ。
 そう。
 ロボットはロボットらしく。
 決して人間として見られることのないように。
 ロボットが「人間」の域に重複することの無いように。
 いつまでも 人間の道具でありつづけられるように。
 
 そして ダミープログラムをセットした「マルチ」は、
 梱包され、長瀬の一存、別ルートで送り届けられた。
 存在した唯一の「例外」は、
 せめて人間「らしく」生きていって欲しいと願った開発の人々の手により、
 新たな人生、
 誰にも関与されない人生、
 人としての人生を歩みだした。
 
 
 
 チェアが軽く軋んだ。
 長瀬は咳払いし、もう一度深く座り直した。
 ふとあたりを見渡すと、もう夜も12時をまわっているにもかかわらず多くの人が残っていたが、
 カップの中のコーヒーは冷たくなっていた。
 
 そして今、最後まで残った長瀬の悔やみは、ひとつ。
 彼女が最後まで自分をメイドロボットとして見続けた ということ。
 
「初菜は彼女を見て、なんと 言っただろうか」
 
 
 
                                 『メイド+ロボット』 終.
 

http://www.grn.mmtr.or.jp/~nowaku/attop.htm