one years after 投稿者:陽炎 投稿日:8月19日(土)07時08分
 まだ暑さが厳しい夏の終わり。俺はまたここに帰ってきた。
 柏木の家は、以前と変わらぬ姿でそこにある。
 角から角までの長い白塗りの塀と門構え。隆山温泉を実質的に支配している大企業<鶴来屋>会長宅に相応しい威風堂々とした佇まいを見せていた。
 白い塀にそってゆっくりと歩いていき、しばしその見事な門構えの前で立ち止まる。
「いつでも、好きな時に戻ってきてくださいね」
 東京に帰るとき、千鶴さんは笑顔でそう言ってくれた。でも、それから一年近くもここにはやって来ていないし、連絡もほとんど取らなかった。
「うーん・・・お邪魔します、もなんだしなあ。でもただいまってのもなあ」
 屋敷に入って最初の一言に、ちょっと悩む。右手で髪の毛をクシャクシャにかき乱した。
 ふんぎりがつかずに、時々門の中を覗き込むようにする。はたから見ると、変質者が屋敷の中に侵入するタイミングをうかがっていると間違われかねない。
「やばい、どんどん入りづらくなってきた・・・」
 きっと千鶴さんは怒っているだろう。他の妹達もかもしれない。
「あなた、どなたですか?」
もしかして、そう言われたりして・・・。
考えれば考えるほど深みにはまっていく。
「何をそんな所で、都会に迷い出たクマみたいにうろうろしてんのさ」
 迷っていると背中のほうから、ため息混じりの口調で話し掛けてくる声がある。
「あ、梓」
 英語の文字がプリントされたブルーのTシャツにジーパン姿の柏木家の次女が、そこに立っていた。一年前と変わらぬ短い茶髪で、つり上がり気味の瞳の美少女。
「や・・・やあ」
 曖昧な笑みをうかべながら、頭をかく。考えがまとまらないうちに声をかけられたので、かなり間抜けな顔をしているに違いない。
「なにがやあ、だよ。うちの敷居はそんなに高くないんだから、さっさと入んなよ」
「お、おい。こら!!背中を押すな・・・って、おまえどこか行ってたのか?そんなでかい荷物抱えやがって」
 見ると、梓は肩から彼女の上半身ほどのスポーツバックを下げている。
 梓は、じとっと蔑んだような瞳で俺を見ている。
 何かを忘れているような気がした。
「耕一。あんた、すっとぼけてんじゃないわよ。出ていたんじゃなくて、帰ってきたの。前に電話で話したはずだけど」
 言われて、「おお」と声を上げて拳で手の平をぽんと叩く。梓は今年の春、高校を卒業して見事県外の私立大学に合格したのである。そして、ここからではとても通いきれないので、大学の寮に入る事にしたらしい。
 以前、梓から電話がかかって来て、そう言っていたのをようやく思い出した。
「そうだそうだ。すっかり忘れてた」
「ふん。どうせあんたは、私の事なんかこれっぽっちも気にしてないんだよね」
 すねたように、唇を突き出している梓。随分と可愛い表情をするようになったと思うのは、気のせいだろうか。
「そんな事は無いさ。ちゃんと気にしてたよ、うん。たとえば、梓が高校を卒業して、後輩のかおりちゃんが悲しんでないかなあ、とか」
「な!!」
 見る見るうちに耳まで真っ赤になる梓。想像以上の狼狽振りだ。軽い冗談のつもりだったのに洒落にならなかったらしい。
 後で初音ちゃんに聞いたところによると、かおりちゃんも梓が入ったのと同じ大学を志望しているらしい。そうなれば、当然同じ寮に済む事になるだろう。
 なるほど、それは大変だ。合掌。
「そんな事はどうでもいいだろ!さっさと入んなよ!暑いんだからさ!!」
 梓に尻を思い切り蹴飛ばされて、ようやく俺は柏木家の扉をくぐる事が出来た。

「耕一お兄ちゃん、いらっしゃい。梓お姉ちゃん、お帰りなさい」
 玄関をくぐって屋敷の中に入った所で、初音ちゃんが出迎えてくれた。以前と変わらぬ、天使の微笑がそこにはあった。見る者の心をまるで暖かな春の日差しのように包んでくれる笑顔だ。
「あれ?なんで?」
 待ち構えていた初音ちゃんに、少しびっくりする。
「なんでって、門の所であんな大声で話してたら誰だって気づくよ」
 初音ちゃんが面白そうにくすくすと笑っている。
「ははは・・・初音ちゃん、久しぶり」
 彼女の小さな頭を、右手で撫でてやる。初音ちゃんはちょっと恥かしそうにしていたが、うれしそうに微笑んでいる。
「初音。千鶴姉と楓は?」
「うん、二人ともいるよ。楓お姉ちゃんはたぶん自分の部屋で本読んでると思う」
「千鶴さんもいるんだ」
 顔を合わせたとき、とっさにどういう顔をすればいいだろう。やっぱり、笑顔でただいまって言うのがいいかなあ。
「千鶴お姉ちゃんは台所にいると思うよ」
「だ、台所ぉ!?」
 再会の時のシミュレーションをしていたが、そんな考えをぶち破る戦慄の事実が目の前に突きつけられた。
 梓とハモッて大声を上げてしまう。
「は、初音。まさか、最近は千鶴姉が食事作ってんの?」
「え。いや・・・ほとんど私か楓お姉ちゃんだけど。ごくたまにね」
 初音ちゃんは、俺に向かって複雑な笑みを浮かべていった。
「今日は、耕一お兄ちゃんが来るから、気合入れて作るって言ってたよ」
 俺は、顔色がさあっと青くなり、血の気が引いていくのを実感した。
 次の瞬間、梓はスポーツバックを投げ捨てて走り出していた。それにつられるように、俺も後に続く。
「冗談じゃない。久しぶりに帰って来て食べる食事が、千鶴姉の毒料理なんて」
「ど・・・毒料理って。そこまで言うか!?」
「言うわよ!しかも、どうせ台所はめちゃくちゃで、あたしや初音で掃除するはめになるんだから!!」
 実の姉に対するとは思えぬ毒舌。まあ、俺も一度食べて死にかけたからあまり強くは言えないのだが。
「千鶴姉!!」
 台所に入った俺達二人が見たものは・・・。
 電子レンジの前で恐る恐る指を差し出している千鶴さんの姿だった。

「まったく、あたしがいなくなってから普段どんなもんを食べてんのさ」
 自分で作った料理に箸を向けながら、梓がぐちっている。
 今日の食事は、柏木四姉妹のうち3人によって共同制作された。梓が中心になり、初音ちゃんと楓ちゃんがお手伝いだ。
 俺と千鶴さんは黙って正座して持つ。千鶴さんはうらめしそうに台所のほうを見ていたが、無理に手伝おうとはしなかった。台所に近づくだけで、梓に物凄い形相で睨まれるためだ。
「な、何を言ってるのよ。ちゃんと食事を作って食べて」
「冷凍食品をレンジで温めるだけなんてのは料理じゃない!!」
 梓と俺が台所に入った時、千鶴さんは電子レンジに冷凍食品を入れたところだったのだ。しかし、それにしてもあの電子レンジは・・・。
 タイマーの所には矢印つきででっかく「ここまで!!これ以上温めちゃ駄目!!」と記されているし、各ボタンには一番二番と番号が振ってある。簡単な構造の電子レンジにここまで細かく使い方を記してあるとは・・・ここまでやっても、千鶴さんがきちんと使えるかどうかは五分五分らしい。
 呆れるのを通り越して、感動すら覚えてしまう。千鶴さんの不器用さは国宝級だ。
「冷凍食品は便利だぞ。誰が作っても同じ味だから、千鶴さんでも大丈夫」
「耕一お兄ちゃん・・・それフォローになってないよ」
 困ったような笑顔で、初音ちゃんが突っ込んでくれる。なんにせよ、気まずい雰囲気での再会はさけられたのだから、よしとしよう。
「それでも、千鶴姉なら何かやってくれると思うね」
 容赦ない梓の毒舌。
「どこかがこげてない食事って、久しぶり」
 ぽつりと楓ちゃんが呟いた。さらりと相手の心臓を貫くような言葉を言ってのける。集中放火を受ける形になった千鶴さんは、ますます小さくなっている。
「やっぱり、梓お姉ちゃんと耕一お兄ちゃんがいると違うね。こんな賑やかな食事って久しぶりだもん」
 食卓を囲んだ4人を笑顔で見回す初音ちゃん。本当にうれしそうだ。なんとなく、この半年の食卓の姿が想像できる。千鶴さんも楓ちゃんも話すほうではないから、きっと無言で黙々と食べていたのだろう。
 いろいろな話をしながら、食事の時間は過ぎていった。

「ふう・・・」
 俺は、雲間から見える空にぽっかりと浮かんだ黄色い満月を見上げていた。綺麗な水が流れる河原。その流れの先には巨大な水門がある。
 俺が幼い頃、「鬼」の力に目覚めた場所だ。そして同時に、俺が「鬼」を完全に制御できた場所でもある。
 全てはここから始まったのだ。幕を引くのも、ここが相応しいと感じていたから、俺はここを最後の場所に選んだ。
「耕一さん」
 千鶴さんが、河原に向かって坂を降りてくる所だった。
「ごめん。こんな時間に呼び出したりして」
「いいえ、構いません。耕一さんが呼んでくれるなら、どこだって行きますよ」
 笑顔でそう言いながら、ゆっくりと坂を降りてくる。でも、どこかその笑顔も憂いを含んでいるように見えた。
 疲れているのは当然だろう。彼女はこの若さで隆山温泉を実質的に支配している大企業「鶴来屋」の会長なのだ。
 若い社員達からアイドルのように持ち上げられ、古くから働いている社員達からは経験不足故に発言を尊重されない。
 結局、飾り物でしかないのだ。「鶴来屋」にとっての千鶴さんは。ただ創始者である柏木耕平の直系というだけの名ばかりの会長。
 この事が、どれだけの重圧になっているのかは想像に難くない。彼女をその苦しみから解放するのが、俺の今の願いだ。
そして、そのためにこの一年間、一心不乱にやってきた。
「おまえ、付き合い悪くなったな」
 そう言って、遊び仲間は俺と距離を置くようになった。大学は遊ぶところ、適当に勉強して目一杯遊ぶ。今の大学生はだいたいそう考えているし、俺もそういうものだと思っていた。
「柏木君、変わったね」
ゼミで一緒の小出由美子さんも、そう言ってきた。でも彼女は遊び仲間と違い、その変化を歓迎してくれている。俺が必要としている知識に長けた教授を紹介してくれた。
なんとしても、一日でも早く千鶴さんの苦労を変わってあげたい。
 そうやって、一生懸命に走りつづけていた俺は、柏木の家との連絡も滞りがちになっていった。もちろん忘れていたわけではない。
 全ては千鶴さんのためなのだから。
「耕一さん。少しの間でも結構ですので、こちらに来れませんか?」
 楓ちゃんから電話があったのが、夏休みに入る少し前だった。
 初音ちゃんからの電話は時々あったが、楓ちゃんが自分からかけてきたのは初めてだった。そして、彼女が心配して自分に電話してくるほど、事態は切迫しているということだ。
 大企業の会長としての重圧、一家の家長として妹達を世話しなくてはならない責任。そして、それを誰かに打ち明ける事も出来ない孤独。
 全てが圧し掛かって、千鶴さんを押し潰そうとしているのだ。
 そう聞かされて、俺はここに来る事にした。千鶴さんの重圧を少しでも取り除いてあげるために・・・。
「お話ってなんですか?」
 ようやく、千鶴さんは俺の目の前までやってきた。心の底からうれしそうな笑顔で、俺を少し見上げている。
「ちょうど、一年前だよね。ここで千鶴さんと話したのは」
 千鶴さんは、その頃この町で起こっていた事件の犯人を、俺だと思い込んでいたのだ。当時「鬼」の力など知らなかった俺は、「耕一さん、あなたを殺します」と言われた時には心臓が止まるかと思った。
 自分でも、もしかしたらと思ってはいた。数日に渡って苛まれた悪夢。寝ている時に、彼は目の前で人が次々と殺されていく姿を見ていた。梓の後輩のかおりちゃんや、ジャーナリストの相田響子さんが監禁されて陵辱されている姿も見た。
 しかし結果的にその悪夢のおかげで、自分が事件の犯人では無い事がはっきりとした訳ではあるが。
 でも千鶴さんには、俺が夢で見た事は説明しても理解してもらえない。結果的に新たな「鬼」の出現により俺の疑惑は解かれ、その「鬼」も俺の手によって始末された。
「あの時の「鬼」がどうなったかって分かる?」
「いえ・・・あの後、同じような事件が起こっていないところからすると、やはりあの時に死んだのだと思います」
 そうなのだろう。一度殺戮の衝動に駆られて暴走した「鬼」が、傷が癒えても大人しくしているなど考えられない。
「でも、あの時はほんとにびびったよ。いきなり殺すだもん」
「もう・・・あの時の事は言わないで下さい。・・・いじわる」
 ちょっと頬を赤らめながら、上目遣いでそう言う千鶴さん。こういう可愛い表情をされると、ついつい苛めたくなってしまう。
 もうちょっとからかいたい気もしたが、そんなにのんびりもしていられない。
 唐突だが、本題に入る事にしよう。
「千鶴さん・・・ごめん」
「え?」
「一年前、俺言ったよね?千鶴さんの事、幸せにしてあげるって。そんな事を言っておきながら、一年もろくに連絡も取らないで」
 心の中でひっかかってはいたが、あえて何も行動を起こそうとしなかった。やはりどこかで甘えていたのだろう。千鶴さんはきっと待っていてくれる、俺の事を理解してくれていると。
「いいんです。耕一さんにも、あちらでの生活があるんですから。ただ、ほんの数分でも構わないので電話してくれればうれしかったですけど」
 うつむいて、指を組んでもじもじとさせている。とても年上のお姉さんとは思えない愛らしさがあり、思わず抱きしめたくてしょうがなくなった。
「あ」
 気づいたときには、思い切り千鶴さんを両腕で抱きしめていた。右手をゆっくりと彼女の後頭部に持っていき、艶やかな黒髪を撫でてやる。
「楓ちゃんから電話があったんだ。姉さんが苦しんでるって。何があったの?」
 千鶴さんの身体がぎゅっと強張った。もう一度髪の毛を撫でてやると、安心したように力を抜き、ぽつりぽつりと話し始める。
「耕一さんが帰ってから、私は一生懸命「鶴来屋」会長の仕事と妹達の世話をしてたんです。大学を卒業すれば、耕一さんは私を迎えにきてくれる。そう思えば、しばらく会えないことも、寂しいけど我慢できました」
「でも、何かが千鶴さんを不安にさせたんだね?」
「きっかけは、梓の大学進学でした・・・あの子が寮に入るって言った時には、仕方が無いなと思いました。大学はとても通える場所じゃないし、あの子は自立心も責任感も強い子だから、いつかは家を出て行くだろうと思っていましたし」
「まあ、梓はそうだろうね。一人で何でも出来るし」
「あの家に3人になって、しばらくしてからでした。ふと思ったんです、梓は出て行ってしまった。じゃあ、楓と初音はどうなんだろうって・・・」
「・・・二人が千鶴さんだけ残して出て行くわけないじゃないか。それに、梓だってこの家が嫌で出て行った訳じゃない」
 この仲のいい姉妹が、ばらばらになってしまうなんて事は考えられなかった。しかし、千鶴さんの中に漠然とした不安として宿ったのは事実だ。
 そして不安というものは、一度宿ると際限なく膨らむものである。
「楓も初音も、いつかはここから出て行くはずです。進学、就職、そして結婚。皆、今のままではいられない、別れの時は必ず来るんです・・・でも・・・」
 千鶴さんは顔を上げた。瞳は涙で潤み、瞳の下は真っ赤にはれている。
「みんながいなくなって・・・私だけが残されたら・・・あの時の事が全部夢か幻で、耕一さんが来てくれなかったどうしようって・・・」
 柏木家の長女として、三人の妹の母親代わりとしてやってきた千鶴さんであったが、本当はとても弱いのだ。今までその役割を無難にこなして来れたのは、精神的な拠り所として親父がいたからである。
 親父が死んで、千鶴さんは保護者としての責任と母親としての義務感、さらに「鶴来屋」グループの経営者としての責務の全てを背負う事になってしまった。
 これら全てをまだ24歳の女性が背負う事など出来るはずもない。それでも、妹達のために頑張ろうという強い意志でなんとかこなしてきた。
 それが、ふとしたきっかけで崩壊しようとしている。
「ごめん・・・全部、俺が甘えてたせいだ。自分の考えだけで突っ走って、何も千鶴さんに相談しなかったから、こんなに不安にさせちゃったんだ」
「そんな・・・耕一さんは何も悪く」
「俺は、千鶴さんが背負ってるもの全て、変わりに背負うつもりだったんだ。親父がやっていたように、千鶴さんには三人の母親代わりっていう役割だけ、負ってもらうつもりだった。でも、今の俺にはそんな事はとても出来ない。会社の経営なんて分からないし、親父ほどの信頼を受けられる自信もない」
 だから、せめて少しでも早く親父の何分の一かでも背負えるようになりたかった。だから、そのために一心不乱に勉強した。大学の残りの2年間を、一時も無駄にするわけにはいかなかった。
 しかし、それが結果的に千鶴さんに不安を与えてしまったのだ。彼女が強くない事を、よく分かっていたにもかかわらず。
「耕一さんと、叔父様は違います」
「そう、違うんだ。俺は親父にはなれないし、なる必要もない。それに気づいたのは、楓ちゃんから電話をもらってからだ」
 千鶴さんは、いつの間にか泣くのを止めていた。真剣な表情で、俺の顔を見上げている。俺は、自分の決意を初めて彼女に告げた。
「千鶴さん、もう一年だけ待っていてくれない?もう一年経ったら、俺は必ずここに帰ってくる。帰ってきたら、結婚しよう」
 千鶴さんの頭に手を添え、そっと自分の胸に押し付けた。
「一人で背負いきれない事でも、二人ならなんとかなるさ。もし楓ちゃんや初音ちゃんが家を出ても、俺が一緒にいてあげる。一生、そばにいるよ」
 一年前に告げた言葉を、もう一度彼女に告げる。そのために俺はここに帰ってきたのだ。
「耕一さん・・・耕一さん・・・耕一さん・・・」
 俺の名前を何度も何度も呼ぶ千鶴さんの声が、だんだんとはっきりと聞こえなくなってきた。涙に詰まって、言葉がうまく出てこないのだ。
「うれしい・・・です。・・・その言葉だけで、もう・・・」
「言葉だけじゃないよ。今度は」
 ポケットの中から、小さな箱を取り出す。
 そこには、指輪が一つ入っていた。
 箱から指輪を取り出すと、そっと千鶴さんの指にはめてやる。サイズは確認済みなので、さんなりとそれは千鶴さんの左の薬指にはいった。
「これがあれば、夢や幻だなんて思う事もないよ」
「ありがとう・・・ごさいます」
 左手をぐっと握り締め、大事そうに俺のあげた指輪を見つめている千鶴さんを、もう一度俺は強く抱きしめた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人とも、何も言わない。ただ無言で抱き合っていた。
 その時、俺の視線に何か光る物が現れた。それは、一つ二つと数を増していく。
「なんだ・・・?」
 それは、蛍だ。無数の蛍が、二人を包み込むように舞い始めた。
「・・・蛍?なんで?もう何年も蛍なんていなかったのに。それもこんなにたくさん・・・」
「みんな、祝福するために来てくれたんだよ」
 なかなか、自然も味な事をしてくれる。
蛍の光に囲まれながら、俺はもう一度はっきりと彼女に告げた。
「俺が、千鶴さんを幸せにしてあげる。約束するよ」
「はい」
 心の底から湧き出てくるような微笑を、千鶴さんは俺に向けてくれた。
 彼女の中に残っていた痕が癒されていくのを、俺はその時はっきりと感じた。

 初めまして、陽炎と言います。
 千鶴さんエンドの一年後という設定です。
 今後、リーフのSSを増やしていく予定ですので、
 気に入っていただけたら見に来てやってください。

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