鬼狩人 第二話「嵐、来たりて」  投稿者:山浦


	鬼狩人	第二話	『嵐、来たりて』


 柳川を見送って暫し、梓は風に吹かれてたたずんでいた。
 湿気の混じった強い風が体を撫でる。風が、心に澱んだ何かを吹き飛ばしてくれ
るような気がした。いや、吹き飛ばしてくれているのは、この風ではなく……。
「梓お姉ちゃん…………」
 風に吹かれるに任せていた梓の後ろから声がした。
「ああ、初音。帰ってたんだ。今、夕御飯作るから……」
「お姉ちゃん……」
 初音の目には困惑とおびえがある。耕一があんなになったあの日から、初音がこ
んな顔をすることが多くなった。いつの日か、元の溌剌とした初音に戻って欲しい
と梓は思う。
(だからこそ頑張らないと。柳川さんと二人で!)
「なに? 初音」
「……あの人……だれ?」
「? ああ、柳川さんね。そうだなぁ…………千鶴姉には内緒だけどね。実は、あ
の柳川裕也さんって人、私たちのおじさんに当たる人なんだ。それでね、今日……」
 精一杯、今出来るとびっきりの笑顔を浮かべて、梓は言う。しかしそれを初音は
小さな声で止めた。
「梓お姉ちゃん」
「……なによ初音?」
「……あの人……耕一お兄ちゃんじゃないんだよ」
 噛んで含めるような口調。言葉の意味を理解するのに梓は一瞬の沈黙を要した。
困惑と疑念に満ちた一瞬。そして。
「初音! あんたは!」
「あの人は、耕一お兄ちゃんじゃないんだよ。耕一お兄ちゃんは、鬼になってもう
どこかに行っちゃったんだよ。父さんや、賢治おじさんみたいに。もう、帰ってこ
ないんだよ。梓お姉ちゃん。耕一お兄ちゃんを捜してももう、どこにも居ないんだ
よ」
「はつね!」
「お姉ちゃん、あの日からいつも耕一お兄ちゃん探してる。街を歩いてるときも、
朝起きたときも、家から出るときも、台所から顔を出すときも、夜寝る前も………
…梓お姉ちゃんが一番……楓お姉ちゃんよりもずっと……耕一お兄ちゃんが帰って
来るって思ってる。鬼になったって信じてない。もう……もう会えないって、一番
分かってないの梓お姉ちゃんだよ!」
 梓に返す言葉はなかった。彼女は無意識に耕一のことを探しているのかもしれな
い。ともすれば、知り合う男性に耕一の影を追っていたのかもしれない。それは、
梓自身わからない。
 だが……
「…………柳川さんはそんなんじゃないよ」
 やっと、と言った風に声を絞り出す。初音に誤解されたくない。誤解されたまま
でいたくない。だから、ちゃんと話したい。柳川裕也と言う人物を。
「柳川さんはそんなんじゃない。耕一の代わりなんかじゃない。柳川さんは……
その……なんて言うかな……ちゃんとした…………いい人……なん」

…………だが、それを最後まで話すことは結局、できなかった。


 遙か上空から、目標を目に入れる。次の瞬間には”鬼”はその身を疾風に変えて
いた。
――どーん!
 凄まじい破壊音。
――ごごごごごごご
 続いて地鳴りが響く。豪奢な日本家屋が瞬時にして瓦礫と化した。地面はクレー
ターのように大きく穿たれ、その破壊力を物語る。
……よし……
 ”鬼”は会心の笑みを浮かべた。自らの力を試すため、全力で飛翔……それこそ
雲に届くほど高くに……した結果がこれだ。”鬼”の体は一瞬、鶴来屋の本館をも
遙かに越える高さに舞い上がり、そしてそこからの落下にも傷一つ負うことはなか
った。目標の場所に寸分の違いもなく到着した。
 『柏木耕一』であった鬼が、自らに秘められた力の全てを自らのものとした証拠
であり、地上における最強の存在である証拠だ。
「鬼!? 何で!?」
 おんなが二体、瓦礫の近くに居た。共に髪は長くない。片方はまだ幼女の様だった。
「……耕一……おにいちゃん…………?」
 幼い方が絶望の表情で呟く。同時にもう一体も表情を変える。
「耕一!? まさか…………」
(…………ふん、アズサとハツネか……まあいい。こいつらでは俺の邪魔は出来ぬ)
 「耕一」の記憶を探りながら”鬼”は対処を無視と決め込んだ。こいつらを殺す
ことも犯すこともいつでも出来る。だが、今日は別の用事がある。
「カエデは……この下か」
 再び、飛翔する。アズサが何かを言った様だったが、”鬼”にとっては興味のな
い事だった。
 落下。衝撃。そして轟音。
 一撃で”鬼”は床を踏み抜いた。もうもうたる土埃。見るも無惨な瓦礫の山。
ひしゃげた格子状の木切れ。その中に、カエデがいる。
(? 何だ? この感覚は?)
 そう思ったとき、奇妙な懐かしさが”鬼”に降りかかった。理由は知れない。
ぼんやりと、カエデが言った「約束」と何か関係があるように”鬼”には感じられた。
 程なく、土煙が静まった。雲間から差し込む月光が、”鬼”が開けた大穴から
地下を照らした。
 地下は俗に言う座敷牢になっていた。家の人間を軟禁する以上、置かれている
家財道具は、おそらくは高価なものだろう。しかし、それらはどこか空々しい気配
を発しているように感じられた。
 その奥に、目的の女はいた。日本人形のような美しい少女、柏木楓。彼女はまさ
に人形のように力無く壁に背をもたれていた。……その「人形」が”鬼”をその目
に映す。
「……あぁ……」
 声、そして微笑み。その瞬間、「人形」に魂が宿った。そう見えた。
 屈託無く見つめるカエデの視線を、”鬼”は何故か正面から受けることが出来な
かった。
 何一つ分からない。何故、彼女がここに捕らわれているのか。何故、彼女は自分
に微笑むのか。何故……自分はここに来たのか…………全て知っているような気が
する。忘れていた何かがあるような気がする。それ以上の感情がある。だが、それ
がわからなかった。
「……来い……」
 ”鬼”か決断した。この女が欲しい。理由は知らぬ……いや、いらぬ。自らの
感覚が望むならそうするのみ。”鬼”とはそう言うものだ。
 カエデを抱き上げる。意外にも……”鬼”にとっては意外にも……カエデは何の
抵抗も示さなかった。ただ、微笑みのまま”鬼”の胸の中に顔を埋めた。
 そして、”鬼”は疾風を巻き上げて飛翔した。高く、高く、そして、自分でも
意外なほど優しく。


……ぷるるるるるる、ぷるるるるるる、ぷるるるるるる…………
「早いな」
 柳川はそんなことを言いながら受話器を取った。狩猟者が現れた気配は既に感知
している。狩りを終えた『柏木耕一』はいまだ高速で移動中だ……気配を隠そう
ともせずに……。
(今晩中には呼び出しの電話が来るとは思っていたが……気にいらん)。
 『柏木耕一』の狩猟の仕方は「根絶」と呼ぶに相応しい形態を取っている。目撃者
は全て殺されるのだ。後に「発見」されるまで事が明るみに出ることはない。
それがいつになるかは偶然と犯行現場に人が通る確率にかかっている。
「おう、柳川か?」
 軽薄気味の中年の声。電話の向こう側に居るのは長瀬の様だ。
「奴ですね?」
 短く尋ねる。下手な演技などは長瀬には効かない。ならば、知っている事は知っ
ていると気付かせてやればいい。その理由に長瀬が気付きさえしなければいいのだ
から。
「いや……んー、まあ、そうっちゃそうなんだが…………とりあえず署に来い。
話はそこでする」
 なにか、煮え切らない態度の長瀬。どう判断すべきか決めかねているようにも感
じられる……それすら演技かもしれないが。
「…………はあ。ではこれから向かいます」
 長瀬が自分を騙す理由はない。もし「理由」が見つかったなら……悠長に電話な
どしてこないだろう。自衛隊が一個師団、このマンションに殺到する筈だ。
「おまえも結構……いや、何でもない」
 切る直前の長瀬の言葉は不可解だったが、だからと言って逃げる訳にも行かない。
事によったら発見が早い原因と、何か関係有るかもしれない。そんなことを考えつ
つ、柳川は身に着けていた青のストライブのエプロンを食卓の椅子に掛けた。
「悪いな、貴之。仕事なんだ。これから署に行かなくてはいけない。留守番、頼める
な?」
 自分でも笑ってしまうぐらい優しい声だな、と柳川は思った。彼の正面には柳川
が自ら作った料理を挟んで阿部貴之が無言で料理を咀嚼している。
(「狩猟者」の食卓としては笑える光景だな)
 ふと、柳川は自嘲する。もちろん、彼にはホモセクシャルの気はない。貴之をここ
に置く理由などは何もないようではある。むしろ邪魔と言ってもいいだろう。にも
かかわらず彼をここに置く理由…………。
(やめだ。第一、理由を探す必要もない。誰かに「私は狩猟者らしい狩猟者です」
とでも報告せねばならぬ訳でもなかろう)
 思い直して貴之を見る。貴之は無言のままだったが、少なくとも嫌がってはいな
いようだった。
「鍵は掛けておく。開けちゃダメだぞ」
 キーホルダーをじゃらじゃらと言わせてから柳川は外に出た。晩夏を過ぎた空は
この時間でも充分に暗い。まして今夜は、台風が近寄っているらしく星も雲に隠れ
ている。今にも嵐が起きそうな夜空を見つめてから、柳川は通勤用の自転車をこぎ
出したのだった。


「とりあえず柳川の方には連絡しといたからもうすぐ来ると思うよ」
 受話器を下ろしながら、長瀬は梓に向き直った。顔にはにこやかな……と、自分
では言っている……笑みを漏らしている。
「…………」
 が、梓は泣きそうな顔で俯いているだけ。答えようともしない。
(まいごのまいごの子猫ちゃん……か)
 警察に通報して以来、梓の様子はずっとそんな感じだった。何か話すとしたら、
『柳川を呼んでくれ』と言うこと位。何が起こったかすら口にはしていない。
分かっていることと言えば、彼女の住む屋敷が瞬時に瓦礫と化したという事実だけ。
(まあ、確かに柳川はこの子の叔父に当たるらしいが……この子が知ってるとは
思えないなぁ。姉は知らない様だったし……)
 こういう状況は長瀬にとっても苦手なものだった。何も話さない相手には得意の
口八丁も役に立たない。それどころか、なんだか若い娘を苛めている気分になって
くる。
(早く来ないかなぁ。柳川)
 一日千秋の思いと言う奴だ。署内に妙な噂が広まる前に来てもらいたいもの……
コーヒーをすすりながら思っていると、柳川が玄関口に入ってくるのが見えた。
「早かったな」
 ぼそり、と呟くと梓が少し反応した。
(勘のいい子だな)
 そんなことをぼんやりと長瀬が思っている間に柳川はやってきた。
「どうしたんですか長瀬さん。それに梓も」
「柳川さん……やながわさん……やなが……うう、うわあああ!」
 柳川が目に映ると同時に、梓は堰を切ったように泣き出した。突然生じた泣き声
に辺りの様子も騒がしくなる。噂好きの幾人かが小声で何か話しているところを
見ると、根も葉もない噂が既に流布されつつあるようだ。
 そして、不意を付かれた柳川は。なにしていいのか分からず、困ったように梓の
周りでおたおたしている……ほほえましい光景だ……と長瀬は思うことにして、
散らかった机の上に積んだ鞄を手に取った。
「じゃ、そーゆーことなんで。俺は帰るわ。お後は若い人同士二人っきりってこと
で」
 つまり逃げる。こういった役割は若いのに任せるのがいい。ってゆーか、昔から
女の扱いは苦手だ。この辺は顔のいい……柳川の様な……人間の領域だと、かなり
勝手なことを考えつつ長瀬は足早に出ていった。
「ちょ、ちょっと長瀬さん! これは一体……」
「……柳川さぁん………楓が、楓がぁ!!」
 足早に逃げる長瀬の背中を見て柳川は観念した……やっかいごとを押しつけられ
るのに慣れたとも言うが……まずは梓を落ち着けることが先だ。
「大丈夫だ、落ち着け」
 いまだ泣きやまぬ梓の背に軽く手を回してさすってやる。彼としても女性の扱い
など慣れてはいない。これでいいものかよくは分からない。
「……うぐっ…………楓が……楓が、さらわて…………家、壊されて……柳川さん
……呼びたかったけどどこにいるのか分からないし……警察来て……呼んで貰って
…………」
 ぼそぼそと、梓はあったことを伝えようとする。その梓の頭を、柳川は空いた方
の手で撫でてやる。内容的には、黙れと言う意味だが。
「今はいいから……この子の調書取ったのですか?」
「長瀬さんが相手してたからなー」
 そんな返事が返ってきた、つまり、取ってないということだ。
「まったく……梓、今日の所は帰ろう。明日、調書とか取りに行くと思うが、いい
な」
 こくん、と梓は肯く。涙に濡れた瞳がまだ赤い。だが、もう泣いてはいないよう
だった。
「送るぞ。家は……鶴来屋の方へ行けばいいのか?」
「……うん……初音が……先行ってる……」
 背中をさすられるのが気に入ったのか、それとも他に意味があるのか、梓は柳川
に抱擁するように身を寄せて来る。夕方会ったときの印象とは違い、折れてしまい
そうなほど華奢な体を彼女はしていた。
(……しかし、この姿勢はな……)
 明らかに恋人同士にしか見えない。あまり付き合いのない同僚達も遠慮なく好奇
の視線を向けてくるのが柳川には感じられた……おそらく明日はかなりからかわれ
るだろう……と言うか既に好奇の視線が柳川を刺している。
(…………狩るぞ。貴様ら)
 などと考えつつ、柳川は梓を駐車場までエスコートした。ちなみに、この間だけ
で狩ろうと思った人間は二桁を越える。
 玄関前に梓を待たせて柳川は”車”を取ってくる。
「乗ってくれ。まあ、乗りごこちのほうは期待しない方が良いが」
 先程乗ってきた自転車の後部座席を差し出して言う……格好が付かないのは柳川
自身分かっている。
「……ぷぷ、車もってないの?」
「家が近いものは自転車通勤が強制されているんだ。車だったらちゃんと持ってい
る」
 買い出し専用の滅多に使わないポンコツだが。
「大変だねぇ、警官ってさ」
「何があった? 話せ」
 不機嫌な様子で柳川は無理矢理話の方向を変える。もともと外に連れ出したのも、
聞かれるとまずい話をするためだ。
「……あ、怒った? ごめんね」
 そんなことを言いつつ梓は話し始めた。話を要約するとこうだ。
 突然現れた「柏木耕一」によって、柏木の家は破壊され、楓が連れ去られた。
一緒にいた初音は姉の所に連絡に行っている。先程、姉から連絡があり、しばらく
は鶴来屋に住むことになった。
「……つまり、楓さんだけを狙ったと言うことか」
 自転車をこぎながら柳川は呟く。別に梓に聞いたわけではないが、梓は律儀に答えた。
「……そうなると思う」
「前世の宿業と言うのが本当ならそれは考えられることではあるな。何らかの原因
でその記憶が蘇った、とか」
 後部座席に横座りする梓の顔が曇った。きゅっと柳川に抱きつく力を強くする。
「……柳川さんも信じるの? 楓のはなし……」
「何も分からないから全ての可能性にあたってるだけだ。私自身は信じていない」
 柳川の答えを聞くと同時に、梓はほっ、と落ち着いたような溜め息をついた。
「どうした?」
「ううん、何でもない。ただ……ただ、柳川さんまで信じちゃったら……このまま
あの話の中に入って行っちゃいそうで……」
「やれやれ。そんなことはあるわけないだろう。それより何故、私を呼ばなかった」
「……え? だから連絡付かないから…………」
「そうではなくて。しゅりょ……鬼の力でそんなことができるだろう?」
 柳川の問いに梓は曖昧に笑って答える。
「…………あ、ごめん。あたしそーゆーの出来ないんだ。楓とか初音は得意
なんだけど」
「やれやれ、役立たずに当たったか?」
 自然と、そんな台詞が出てきた。皮肉や、悪意のある言葉ではない。
(軽口を叩いたのか? 私が?)
「あ、それ酷い〜!」
 笑いながら梓が唇をとがらせる。笑い声が夜闇に融けてゆく。そんな掛け合いが、
奇妙に心地よかった。鶴来屋への道がずっと続けばいいと願っていた。
「……そろそろ着くな」
 だが、道は永遠には続いてはいない。もう、鶴来屋のビルは目の前に見えていた。
柳川は、努めて事務的に振る舞おうと言葉を継ぐ。
「着いたらマンションの住所と電話番号を教える。勤務外は大体そこにいる筈だ
……なんだ? どうかしたか?」
 対して梓は急に元気をなくしたように項垂れていた。何かを逡巡している様にも
見える。
「……ごめん、柳川さん。実は千鶴姉に柳川さんのこと…………」
「話したか」
「……うん……連れてこいって…………」
 自分でも奇妙なくらい柳川は冷静だった。予想はしていた。時機が早まっただけ
と言う感もある。だが、もしかすると梓が共にいるというのが原因かもしれない
……柳川自身は気付いてはいなかったが。
「かまわん」
 短く答えてから柳川はペダルに力を込めた。ぐんっ、と鶴来屋の遠影が大きく
なった。


 真っ暗な部屋であった。どこからか臭ってくる据えた匂いが暗黒を深めている様
であった。床は何かの液体が乾きかけているのか、足に粘り気が張り付いてくる。
 そこに、楓は微動だにせず正座をしていた。顔には満ち足りた微笑みを浮かべて。
「何故だ?」
 梓の視線の先には”鬼”がいる。その姿は鬼の……戦闘用の……姿のままだ。
正確には『覚醒』したその時から「柏木耕一」の姿には戻っていない。戻る気には
なれない。
「何故貴様は俺を恐れぬ!? なぜ俺を見てそのように微笑む!? 貴様は何なの
だ? 俺は貴様の何なのだ? 答えろ! カエデ!」
 ”鬼”が叫ぶ。それでも……いや、だからこそ楓は優しく微笑む。
(苦しんでいる。あの時のように。ああそうか、あの時と同じ。次郎衛門様は、
突如与えられたエルクゥの力に悩んでいる。私が救って差し上げねば。私だけが、
救って差し上げられる…………私だけが)
「……次郎衛門様……」
 優しく、抱きしめる。あの時のように。そう、あの時と何も変わらない。
「く、ふざけるな女ぁ! 俺を手なずけられるとでも踏んだか? それとも俺の
逸物が欲しくなったか? ならばくれてやる。涙を流して感謝するがよいわ!!」
 そう言って、”鬼”は乱暴に楓を組み伏せる。楓の記憶にある「あの時」と同じ
ように。
「泣け! 叫べ! 絶望しろ! 貴様が助かる術はない! ただ、俺の欲望を満たす
肉塊としてのみ生きることを許してやる! 膣を千切り、腹を逸物で貫いても犯し
続けてくれる! どうだ? 満足か? まんぞくかぁ!!」
 わめき散らしながら”鬼”は楓を貫く。濡れてもいない小さな性器を言葉通り
引き千切るようにして進入する。
(……ああ、次郎衛門様!)
 しかし、楓にとってはその痛みすら悦びだった。次郎衛門という存在を感じられ
る。そうであるならば例えそれが痛みであろうと、苦しみであろうと、それは喜び
となる。
…………愛とは、これ以上ない麻薬なのだ…………
「次郎衛門様! 次郎衛門様! じろうえもんさまぁ!!」
「がああああああ!!」
 ”鬼”が狂ったように腰を振る。一度振られるたびに、楓の小さな体が叩きつけ
られるように床に擦りつけられ、性器は限界を遙かに超えて押し広がられる。
腹の中の巨大な逸物に肺の空気が押し出されて、無意識に息が漏れる。
「はぐぅ……ひゅくぅ…………かは…………じろ……じろうえ……もん……さまぁ!」
 見る間に楓が破壊されていく。背中や股は言うに及ばず、もはや全身で血を流し
ていない所はない。ぎしぎしと関節が軋む音が響く。膣は愛液よりも血でぬめって
いた。
「がふ! がふ! がふ! がふ! …………ぐああああああ!」
 突如、”鬼”が断末魔のような声を上げた。同時に、だくだくと白濁の液が溢れ
出る。
「……こ、これで終わりと思うな! 俺の欲望はまだおさまらんぞ。貴様を完全に
破壊するまで続けてやる! 分かったな!?」
 ”鬼”は楓の顔に噛みつくようにして告げる。だが、その表情に余裕の色はない。
むしろ、追い詰められた風がある。
「さあどうした!? さっきみたいに笑ってみろ! どうした? どうしたぁ!?」
 楓の顔に触れるほどの距離に”鬼”の顔があった。愛おしい者の顔が。
(……次郎衛門様……)
 だから、楓は素直に口づけをした。
「……愛しています……」
 覚えがあった。確かに、”鬼”の記憶の中にこの光景があった。遠い昔に同じ事
があった。遠い昔に同じ事をした……してしまった。
「……なんだ? なぜ? なぜ俺はこれを知っている? なぜ? なんだ? 俺は
なんだ? なんなんだ?」
「…………思い出して……次郎衛門様……わたし、エディフェルです…………」
 記憶が流れ込んでくる。始めは断片的に、そして一つの物語となって……。
「……雨月の山……」
…………共に月を見た。一目で、魅了された。
「……エルクゥ……」
…………傷つけた。助けてくれた彼女を、恋した娘を。
「……次郎衛門……」
…………護れなかった。何よりも大切な、愛する女を。
「……エディフェル……」
…………約束をした……再会の、約束を…………。
「…………ああ、俺はまた君を傷つけたのか……」
 呆然と”鬼”は呟く……いや、それは既に鬼ではなかった。
「……いいえ。傷ついたのはあなた。私は、私がしたいようにしただけ」
 そう、そこにいるもの、それは…………
「お帰りなさいませ……次郎衛門様…………」


 鶴来屋の最上階、会長室から眺める風景はさすがに高い。隆山の町並みがミニ
チュアのように見える。ここから飛び降りるのは出来れば勘弁願いたいものだ。
「さすがに痛そうだからな」
「なにか言いましたか!?」
 聞き咎めて、千鶴が言う。会長室には、柳川と千鶴、それに梓だけがいる。四女
の初音は外に出された。最悪の事態を考えてのことかもしれない。
 最悪の事態に陥ってもこの場の人間を全て殺して逃げることは可能だ。と、柳川
は判断する。もっとも、そんなことをする気はまるでないが。
「いや、なんでもない。それでやはり信じて貰えないのかな?」
 柳川の態度は気安いものだった。事実、長瀬を相手にするより遙かに気安い。
顔には微笑すら浮かべている。
「当たり前です! いつあなたが鬼に呑まれるとも限らないのですから!」
 反対に、柏木千鶴は完全に冷静さを欠いた様子で、美しい髪を振り乱して叫ぶ。
まさに鬼女の凶相だ。柳川が縁者であることを知る前よりも拒絶の姿勢が強い様に
感じるのは柳川の気のせいではないだろう。
「千鶴姉! そんな言い方ってないよ!」
「梓! あなたは黙ってなさい!」
 鶴来屋の会長室に通された後、大体こんな感じで詰問が続いていた。柳川の擁護
をする梓と、それを聞こうともしない千鶴。そんな感じだ。
 その二人の様子を、柳川は一歩離れたところで眺めていた。
「黙らないよ! だって、千鶴姉、柳川さんを鬼に仕立て上げようとしてるよ! 
柳川さんは鬼を制御できてるよ! さっき送ってくれたんだよ? 警察の仕事を
ちゃんとやってるんだよ? 弟みたいな人と暮らしてるんだよ? 鬼だったらそん
なこと出来ないじゃないか! 鬼だったら……鬼だったらおじさんや父さんみたい
に…………」
「梓!!」
 もはや姉妹喧嘩としか言えない口論は永遠と続くようでもあった。だが、その
正否自体に柳川は興味はなかった。どちらかと言えば、二人の会話から狩猟者に
関する情報を出来る限り引き出すことの方が柳川にとっては重要だった。狩猟者
……鬼……と言う存在について、柳川はあまりに無知だ。
「柳川さん……あなたが鬼を制御できるという証拠を見せて下さい」
 梓との口論では埒があかないと思ったのか、千鶴は柳川に直接聞いてきた。
「証拠、と言われてもな……。この場にいることが証拠にはならないか?」
 突然聞かれても話すことなど無い。第一、柳川にとっては千鶴のお許しなどは
不要だ。自己弁護の必要すらない。
 だからといって、ただ黙っているのも芸がない。だから、とりあえず柳川は今
までに得た情報を利用する事にした。
「私が鬼に取り込まれれば、人間としての理性は崩壊するだろう? それなのに
何故、話し合いの席に立とうとしている? 悪いが、私ならこの場で君たちを皆殺
しにする事もたやすい。なぜそうしない?」
 柏木の人間は”鬼”と言う別人格があるように話す。いや、そう思っているの
だろう。しかし、実際にはそれは間違いだ。完全に狩猟者と化した柳川にはそれが
分かる。
 狩猟者、もしくは鬼としての『覚醒』は感覚としては第二次成長期に近い。
肉体の変化に加え、今までになかった……微量しか無かった……欲求、欲望が増幅
される。生命として当然の本能的欲求が顕在化するのだ。ただ、それが人間の
倫理観には完全に相容れないものである上、強烈な快感と渇望を感じさせるだけだ。
 おそらくは、その欲求が自分の内より生じる事を信じられぬ輩が、自己防御の為
に鬼という人格を作りだしたのだろうと、柳川は考えていた。
「私は、君たちの叔父として、ここに来ているつもりだ。それを忘れないでくれ」
 自分で言っていて内心苦笑する。あまりにくさい態度だ。こんなものを信じる
人間がどこの世界にいるだろうか? そんなことを心の中で問うてみたりする。
もちろん、解はない。
 柏木千鶴は一瞬、疑わしそうな目で柳川を見、そして言う。
「……とにかく、私はあなたを信じることはできません!」
 泣きだしそうな声だった。話している間に何かを思い出しでもしたのだろう。
その目は、柳川を見ているようで見てはいない。
(……ふん、柏木の女は皆そうか……)
 柳川自身、誰か……柏木耕一だが……と同一視される事には、最早慣れていた。
そんなことはどうでもいい。現時点で考えるべき事はそう見られることをどう利用
すべきかと言うことだ。
(……柏木耕一……一度だけ見たことがあるな。単純さ以外にとりえのなさそうな
男だった。…………さて、柏木千鶴。そのようにしてもらいたいか? 貴様の
閉ざされたこころを「誠実さ」とやらで開いて欲しいか?)
「……なっ、なんですか!? じろじろ見て!」
「いや、どう言えばわかって貰えるのかと思ってな。……まあいい。とにかく私は
自分の鬼を制御できる。分かって貰えないならそれでもいい」
 いいながら席を立とうとする。それを見て、千鶴が身構えた。完全に閉ざされた
はずの室内に、千鶴を中心とした旋風がゆっくりと渦巻き始める。
「どうする気です!?」
 その千鶴の脇を柳川は無防備にすり抜けた。
「……また来る。分かってくれるまでな。警察が忙しいと言ってもそれぐらいの
時間はある」
 柳川の回答に千鶴は一瞬止まった。僅かに震えているらしく、かちかちと歯の根
が鳴る音が柳川の耳に届いた。
「……なんで……そんな……………」
 呆然と千鶴が呟く。震えた手で、自らの肩を抱いた。まるで、その手を離したら
抑えていた感情が吹き出してくるかのように、強く。
「私にとっても、家族は大事だ」
 会長室から出るついでに、彼女が呟いたうわごとにも答えてやる。同時に、背後
で千鶴が座りこむ音がしたのを柳川は聞いた。千鶴の表情は見なかったが、どんな
顔をしているのか、はっきりと分かる。
 入れ違いに幼い雰囲気の少女……柏木家の四女、初音だ……が会長室に入って
行った。
初音は視線をあわせようともせず柳川の脇を抜けていった。
「……梓お姉ちゃんの、次郎衛門になってね…………お願いだから……」
 すれちがうとき、小さな声で初音はそんなことを言った。言葉の意味は分からな
いが、意図は分かった。
 裏切るな、と言うことだ。
「……あ……柳川さん! 待って」
 遅れて梓がついてくる。一瞬逡巡してから、柳川は彼女が追いつくのを待った。
「今日はお姉さんの側にいろ。それと、これは私のマンションの住所と電話番号。
それにPHSの番号だ。必要になったらこれで呼べ。わかったな」
 無造作とも言える口調で梓に命ずる、同時にメモも渡した。手帳を千切って書い
た色気のかけらもないメモだ。
 そして、梓が受け取るのを確認するとすぐに背を向けた。……照れくさかったか
ら、とは柳川自身思いたく無かったが、実際その通りである。
「車を回してもらうからさ、ちょっと待ってて……」
 なぜか、必死になって引き留めようとする梓。顔が妙な具合に紅潮している。
(やれやれ、姉といい妹といい扱いやすいのも善し悪しだな。ふん、案外四女が一
番の難物かもしれぬ)
 そんなことを思いつつも不快感はない。どちらかと言えば心地よいくらいだ。
だが、ついてこられるのもそれはそれで困る。
「いや、その必要はない。帰りがてにらやることもある」
「……そう……じゃ、じゃあ明日ね!」
「ああ、また明日な」


 あの男が出ていった。同時に、千鶴の全身に安堵と喪失感が降りかかってくる。
「……うくっ…………なんで……なんで…………私は……あんな辛い思いは嫌……
もう、あんな思いはしたくない……それだけなのに……どうして? どうして!?」
 柳川の顔が脳裏にちらつく。真剣な顔が、澄ました顔が、困ったような顔が、
呆れたような顔が……まともに話したのは今夜が初めてと言うのに。
「どうして……どうしてあんなに…………」
「……千鶴お姉ちゃん……」
 いつのまにか、外に出しておいた初音がいた。柳川と入れ違いに入ってきたのだ。
「……初音……ごめんなさい。すこし疲れちゃったみたい。今日はもう休みま
しょう」
 初音に微笑んでみせる。ただ、上手く笑えたかは、千鶴自身自信がもてなかった。
それでも、初音には自分と同じ思いはさせたくはなかった。苦しいこと、辛いこと
は全部自分が被るから、妹だけは幸せになってほしかった。「鬼」という宿業から、
妹だけでも解放してやりたかった。
「お姉ちゃん。泣いて、いいんだよ?」
「……初音?」
「わたしだってもう子供じゃないだよ。自分のことは自分で出来るし……千鶴
お姉ちゃんの支えにだってなれるから……お姉ちゃん、私に頼ってくれていいん
だよ。一人で、全部抱え込まなくていいんだよ。わたしたち、家族だよ。みんなで
……みんなで助け合って生きていこうよ!」
 初音は微笑んだ。どこかで見たことがある。そんなことを思いながら千鶴は
泣いた。心の底に澱んだ感情をぶちまけるように、溶け出た感情を洗い流すよう
に、声を上げて、涙を流して、千鶴は泣いた。
「おやまあ、ちーちゃんがこんな風に泣くなんてねぇ。まるでいつもとは逆だねぇ」
 涙も品切れになったとき、そんな声がした。
「あ、足立さん!」
 慌てて顔を上げる千鶴。その目はまだ赤い。足立の横には梓が笑って立っている。
「まったく、鬼姉の目にも涙ってかぁ」
「梓! なんて事言うの!? 許さないわよ!」
 冗談ともは思えない殺気を発して梓にくってかかる。顔を引きつらせて下がる梓。
かなりマジな避けっぷりだ。
「ははははは、いつものちーちゃんに戻ったな。沈んでいるよりずっといい」
 足立がからからと笑う。つられて三人の顔にも笑みが浮かんだ。後二人……
いや、せめて一人いれば一家の団らんが再現できたはずだ。
「……でさ、どーすんの? これから」
 ひとしきり落ち着いたのを見計らって梓は言う。
「ちなみに、あたしは柳川さんを信じるよ。千鶴姉がダメだって言うなら家から
出てく」
 冗談めかしての言葉ながら、語尾には力がこもっていた。半分以上は本気なの
だろう。
「……本当に、信じられるの? あの人は」
 再度、千鶴は問う。口調は遙かに柔らかくなってはいたが、やはり不信感は
隠せなかった。裏切られるのは、やはり怖い。
「……たしかに……今日会って話したばっかりだけど……」
「梓! 今日会ったばかりの男の人と、あんなに馴れ馴れしくするの!? 
あなたは!」
「いーじゃん、別にぃ!」
「梓! 私はあなたをそんな風に育てた覚えは……」
「千鶴姉、おばはんくさ〜」
「梓!」
「まあまあ、二人とも喧嘩はそれくらいにしようよー」
 始まった姉妹喧嘩を初音はやんわりと仲裁する。二人が黙ると同時に、足立が
一歩前に出てきて、言う。
「私の意見を言わしてもらうとね。裕也くんは信用していいと思う」
「足立さん!?」
「ほら、分かる人には分かるんだよ、亀姉」
 梓の挑発に殺気のこもった視線を返す千鶴。それを敏感に感じ取って梓は逃げの
姿勢をとる。一瞬、視線だけの攻防が展開された。それを無視して足立は続ける。
この程度の事を気にしているようでは柏木家と付き合うことはできない。
「私個人、裕也くんとの面識は薄いが、彼のお母さんはよく知っている。とても
良くできた人だった。それに何度か本人とも話したこともあるけど、真面目で
優しいいい子だったよ。……まあ、今では雰囲気がだいぶ変わったがね。でも、
それは耕平会長に似た……「鬼」の血って意味じゃあ無くってね……だけだと思う。
現に今の裕也くんはホントに若い頃の耕平会長にそっくりだよ」
「へー、耕平じーちゃんにねぇ」
 興味深げに、梓は足立の話を聞いていた。千鶴も、信じるべきか迷っていた。
「……初音は……どう?」
 おそるおそる初音にも聞いてみる。もっとも、初音から他人を疑うような言葉が
出るとは千鶴も信じていない。ただ、柳川という人物を信じるきっかけがほしかっ
た。
 だが、その返事は千鶴の予想外の代物だった。
「……わたし……柳川さんこわい」
 僅かに初音の体が震えていた。顔は蒼白になっている。冗談でも警戒でもなく、
本気で柳川恐怖している。
「なに言ってんの! 初音!?」
「どうしたの? どうして怖いの?」
 初音を取り囲むように梓と千鶴は問うた。初音はぎゅっと身を縮こませて、呟く
ように答えた。
「……わかんない。分かんないけど怖いの。柳川さんが……分かんないけど……
あの時のおじちゃんやお父さんみたいな感じがするよ……」
 床を見ていた初音の目は明らかにあの日々を映していた。鬼との絶望的な戦いを
続ける父との、そして叔父との日々を……。
「……でも……」
 初音につられて、沈黙が降りる。その中で、初音は言葉を継いだ。
「でも、わたし。梓お姉ちゃんも足立さんも信てじるし。柳川さんのこと信じたい
……梓お姉ちゃんの次郎衛門になってほしいなって……」
「ちょっと初音! そんな昔の話を引っぱり出さないでよ!」
 初音の台詞に梓がうろたえる。いくつになっても幼い日の恥ずかしい話しと言う
のは聞きたくはないものだ。
「ああ、梓いつも言ってたわねー『次郎衛門がやってきてお父さんやおじさんの鬼
を退治してくれればいいのに』って」
 それを分かっているからこそ、千鶴はわざとらしく続ける。場を明るくするため
にもなるし、いつもの仕返しもできる。一石二鳥とはこのことだ。
「む、昔の話じゃない……千鶴姉、柳川さんに変なこと言わないでよね!」
「ふふふ、どうしよっかなー」
「千鶴姉ええええええっ!」
 梓が泣きそうな声を上げる。それを呆然と見ていた初音が思わず、といったよう
に口に出した。
「……言っちゃダメだった?」
「……初音……まさかアンタ……」
「…………柳川さんに言っちゃったよ……さっき」
「はつねええええええええ!!」


 天候は、夜半から急激に荒れてきた。台風が上陸したのだから当然と言えば当然
だが。
「ん? なんだ、柳川じゃないか。何か忘れ物か?」
 雨に濡れたままで署に入ってきた私を見て、同僚の警部補が言った。たしか名前
は三島とか言ったか。小綺麗に整頓された机の上には彼とその妻、それに笑ってし
まうほど彼によく似た娘が写った写真が立てかけてある。
「まあ、そんなところだ」
 私は、自分のロッカーを開けながら答えた。署内にはまだ人は多い。連続殺人
事件のせいで何日も帰っていない者も多い。実際、私も家で寝られるのは三日ぶり
だった。
「へへへ、水がしたたってるぞー。よっ、いい男!」
 誰だかがはやし立てる。出ずっぱりで外部の刺激に飢えている連中はすぐにそれ
に乗ってきた。みるみるうちに私の周りに人だかりが出来上がる。
「しっかし、どこで引っかけてきたんだ? あんな可愛い子」
「あの子、確か柏木の二女だったよなー。ちゅーこたお前、勤務中に……」
「うへー。俺、柳川のこと誤解してたぜ。お前がそんな奴とはなー……こんど一緒
にナンパ、行こうぜ」
「ばーか。お前と一緒じゃ女が逃げてくぜ」
「ひでー」
 私は、そんな連中の言葉を苦笑して聞きながら、濡れた上着をハンガーに掛けて
いた。こんな雰囲気も悪くはない。心地良いと言ってもいいだろう。今まで私が
作っていた壁が柏木梓の出現によって崩れた。そんなところか。
「あやかりたいあやかりたい」
 そんなことを言いながら三島は私に手を合わせる。私は、苦笑したままYシャツ
を脱いだ。
「三島さーん。奥さん泣きますよー!」
「いいんだよ。浮気ぐらい男の甲斐性ってなもん……って、柳川。何やってんの? お前」
 上着、Yシャツに続いてズボンを脱ごうとした私を見て、三島呆れたように言う。
「一丁裏だからな。背広もスラックスも」
「……いや……まあ、別にいいけどよ。男所帯でむさ苦しいのを更にむさ苦しくす
るのは止めてくれ」
「なんだってこんな奴がいいんだ? あの子は」
「やっぱ顔だろ、顔」
「ひでーぞ、お前。さっきから」
 脱いだYシャツとズボンもロッカーに放り込む。まあ、こんなものでいいだろう。
さすがに身に着けるものがトランクスだけでは寒い。そろそろ始めるとしよう。
「まあほれ、柳川さんのそんなワイルドな所がいいわとか何とかそんなところだろ? 
なあ、やなが……」
 ひょおん
 軽く、腕を薙いだ。
 ばしゃああああああああああ!
 唐突に、首から上を失った三島が鮮血を噴水のように吹き上げる。その赤い噴水
の向こう側では、同僚達が呆然として私を見ていた。
「まあ、そんな所だろうな」
 律儀に、三島の言葉に答えてやってから、一歩同僚達の方に歩み寄った。
めきめきと音を立てながら肉体が変化する。ぱきっ、と音を立てて安物のタイルが
踏み砕かれる。誰だかの生唾を呑み込む音がやけに大きく響いた。
「……や、柳川……おまえ……なんで…………」
 瞬間、私は自らを疾風に変じた。
 為す術もなく、十五人いた警察官が赤い塊と化す。スペインだかどこだかの
トマトをぶつけ合う祭り、丁度あんな感じに中身がはじけて混じり合っている。
「まあ別に、どうでも良いんだが……狩りの時間が始まったから……。そんな所だ」
 さて、署の中の人間を『根絶』するか。……と、言っても結構手間だな。人数が
あるから狩猟者の姿になってさっさとこなさないときりがなくなる。
「やれやれ、耕一くんの真似をするのも意外に骨が折れる」
 いや増してくる嵐の中、狩りの時間は始まったのだった。
								―――続く―――

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 『酷い話し』の第二話です。

ってゆーか、最後のシーンはさすがに酷すぎますね。書いていて胸が悪くなってし
まいましたよ私は(なら書くなって? ごもっとも)。
 ああ! ここまで書いて柳川の一人称が「俺」だったのを思い出した・・・・
どうしよう・・・・まあいいか(おい!)。