鬼狩人 第一話 『夏の終わり』  投稿者:山浦


	鬼狩人	第一話 『夏の終わり』


「こりゃあ、酷い」
 長瀬刑事が確認するまでもなく、昨晩上がったと言う遺体は凄惨と言う以外の表現の
出来ぬ代物だった。切り刻まれ、噛み砕かれ、犯され、そして喰われる……明らかに人
の業ではない。しかして、獣の仕業でもない。人の業と獣の力をもつ何者か……狩猟者
……人を狩る何者か、その仕業であった。
「また、あいつだなぁ。こりゃ」
 そんな死体を目前にしつつも、長瀬はいつもと変わらぬ素振りである。相当に肝が据
わっているのかそれとも他の感情でそれを押し殺しているのか。どちらかは知れない。
「警部、やはり目撃証言はありませんでした。と、言うより目撃者は全員殺されてるよ
うです。やはり、今回も……」
 聞き込みを行っていた柳川が長瀬に合流する。いつものごとくの冷静な顔を装ってい
るが、その内心は焦りと、憤りに溢れ返っていた。
(やりすぎだ、愚か者め)
 柳川が狩猟者として「覚醒」していくばくかのの月日が流れていた。その間、元の
『柳川裕也』としての社会的地位が狩猟に役立つと言うことを学習していた。そして、
その社会的地位を確保するために狩猟者としての本能を押さえる術も。
 つまり、ここしばらく柳川が行った「狩猟」は僅かな物だ。しかも、それは巧妙に
隠蔽され、別の事件として捜査されている。第一、捜査官としての任務は狩猟者として
の本能をある程度は満たしてくれる。そうそう頻繁に「狩猟」を行う欲求に駆られるこ
とはない。
 だが、現在頻発している連続猟奇殺人は違っていた。『当たるを幸いに』とでも言い
たげに無分別に、無思慮に、そして無意味に「狩猟」が行われている。
「柳川、気持ちは分かるがそう入れ込むな」
 彼の上司である長瀬は異常といえるほど鋭い。ほぼ完全に隠し通した筈の内心を簡単
に見破ってくる。驚異的な観察力と水も漏らさぬような論理思考を兼ね備えているのだ
ろう。
「…………そうはいいますがね」
 だからこそ、隙がある。
 長瀬は既に柳川が柏木の類縁であることは知っている。場合によっては、先の柏木
賢治の死亡事故(事件)やその息子、耕一の失踪になんらかの関係があるのではとすら
思っている。だが、思考が論理的であるからこそ、『狩猟者』などと言う荒唐無稽な
存在にまで頭は行かない。今起こっている連続殺人事件と、先日まで自分たちが捜査
していた柏木賢治の死が『狩猟者』というキーワードで繋がろうとは予想すら出来ない
であろう。
「ま、ここまで来ると俺達の仕事じゃなくなるな。怪獣退治は自衛隊の仕事だ。映画
だったら返り討ちがオチだがろうが」
 そう、続発する狩猟者による連続殺人事件はもはや、地方県警の手に負える事件では
無くなっている。既に本庁から多数の応援が来ている。近い内に非常事態宣言が発令さ
れるなんて噂もある。そして、おそらくは狩猟者といえど自衛隊が本気になれば狩り出
されるしかあるまい。
 大型の機関銃の掃射を受ければ、例え狩猟者といえどひとたまりもないだろう。戦車
のぶ厚い装甲を貫くことは出来ないだろう。戦闘ヘリより高く跳び上がることは出来な
いであろう……柳川自身、試したことは無いが。
(しかし、そうなって見ろ。この馬鹿騒ぎをやっている狩猟者……おそらくは先日失踪
したという柏木耕一だろうが……の死体を検査され、分析され、狩猟者の血に人間共が
気付いたらどうなる? 今度は、私が狩られる番ではないか。この、狩猟者たる私が、
脆弱な、群れることしかできぬ、あの人間共に追い立てられねばなえらぬのだぞ!)
 だからこそ、誰よりも早くこの馬鹿者を捕らえ、闇へと葬る必要があった。それさえ
何とかすればあとはどうとでもなる。唯一、事に気付きそうな長瀬でさえ、狩猟者の血
筋に関する確証が得られるまでは柳川を疑うことすらしないであろう。
「ま、そう言うことだから、お仕事つづるか。あー、次は証言の整理だなー。かったる
いったら」
 相変わらず昼行灯を装いつつ、長瀬は車へと戻ってゆく。だが、いつもは確信に満ち
たその視線には、言いしれぬ困惑が張り付いている。それを確認してから柳川も長瀬に
続いた。困惑が視線に混ざっている限り、長瀬の疑惑は柳川に向けられることは無い。


(カエデといったか。あの時の娘の言葉……あれはいったい?)
 柏木耕一、いや、耕一であった鬼にはそれがいつまでも引っかかっていた。それ故、
せっかくの狩猟が楽しくない。そして、胸に溜まるもやもやしたものを振り払うように
暴れ、そして新たな胸のつかえを感じる。そんな日々を過ごしていた。
(おかしい。俺は解放され、狩猟の悦びに溢れる生を獲得したはずだ。にもかかわらず、
何故満たされぬ? 何故苦しむ?)
 それは、「鬼」である彼にとってはそれはまるで存在しないはずの感情である。
いや、存在してはいけない感情である。彼にはそれが何より疎ましかった。
(いまだ『柏木耕一』から解放されていないとでも言うのか?)
 それを調べねばならなかった。そう、思いこむことにした。
「行く、か」


 柏木家地下。古くからの家にはよくあるように……いや、その身に流れる血の必要に
かられてか……ここに座敷牢がある。古くは、柏木家の当主になりえなかった男が、梓
や楓たちの父が、耕一の父である賢治が、ここに隔離された。そして今、耕一が入る筈
だった牢に、楓が膝を抱えて入れられていた。
「……楓……やっぱり耕一…………」
 格子の向こう側から梓が絶望した表情で楓に問う。だが、楓はうつむいたまま首を横
に振る。
(……耕一さん……はやく……思い出して。……私たち約束しましたよね。……もう一
度抱きしめてくれるって……今度こそ幸せにしてくれるって…………耕一さん……次郎
衛門さま……!)
 耕一=次郎衛門と共に過ごす。あの時の約束を果たす。最早、楓にとってそれ以外に
生きる意味は無くなっていた。
(…………次郎衛門様……愛おしい方……逢いたい……三百年以上も、私、逢えなくっ
て私、わたし……あなたと共にいられるなら…………)
「…………鬼に戻っても…………」
「楓! なんてこと言うの!?」
 楓は、既に精神の均衡を失いつつあった。その原因が「前世の記憶」とやらであるこ
とは梓にも分かったが、だからといって何が出来るだろう? 前世においてやはり姉妹
だったという彼女も、千鶴もそのことは記憶にない。末妹の初音は時折微かに思い出す
と言っていたが、感受性の強い初音の事である。楓の言葉に影響されたともしれない。
「前世の記憶」とやらが楓の妄想であるとも知れない。……いや、ほぼ完全に鬼の力を
発現している千鶴に記憶が蘇らない以上、楓の妄想である可能性の方が高い。
「楓! 前世なんて無いのよ! なんで分かんないの!? 人の命ってのは一度きりだ
から大切なの! あなたは柏木楓。それ以外の誰でもないのよ!」
「……私たちは鬼……エルクゥよ……アズエル姉さん…………はは、これって姉さんが
言った言葉よね。覚えてる? 雨月の山のあの大きな木。あれの根元で姉さん次郎衛門
様を殺そうとしたのよね。分かってる。あの時は姉さん、私のことを想ってしてくれた
ことだったのよね。でも、それだけ? 私、知ってる。姉さん、次郎衛門さまのこと、
好きだった。だから、殺して、姉さんだけのものにしようとしたんじゃない? 
だって、今だってねえさん、耕一さんのこと…………」
「……楓……」
「もう、渡さない。アズエル姉さんにも、リネットにも、誰にも、次郎衛門様は渡さな
い。だって私、もう、三百年も、ずっと、ずっと、一人で、ずっと…………」
 梓は、もう耐えられなかった。今にも嗚咽を吐き出しそうになる口元を押さえ、逃げ
るように地上に上がる。
(あたしは無力だ。いつだって、いつだって……)
 泣いた。大広間で、声を上げて、泣いた。涙よ枯れよとばかりに。慟哭を吐き出すよ
うに。涙が、新たな涙を呼んだ。悲しみが、新たな悲しみを呼び覚ました。このまま涙
を流し尽くして、悲しみに融けて、苦しさに胸が張り裂けて、死んでしまうかと思うほ
ど、泣いた。
 しかし、悲しみは彼女を殺すことなく、涙はやがて枯れた。ふと見た外はすでに黄昏
かかり、夜が近いことを告げていた。
「…………晩御飯……つくんないと…………」
 よろよろと、梓は立ち上がる。どれほど悲しくても腹は減る。腹を満たすには料理を
作らねばならない……梓はそれを肌で知っていた。生きてゆくという事を。
「御免下さい。警察のものです」
 そのとき、玄関先からそんな声がした。


(……泣いている……か)
 玄関先で待たされたまま、柳川は中の様子を探っていた。狩猟者の持つ交感力を駆使
し、意識の触手を視界の遙か先へと持ってゆく。
(中には人間……いや、狩猟者の雌か……が二体。両者共に”悲しみ”が暴走状態にあ
る。そして片方の意識は地下にある……か。なるほどな)
 二人の意識と位置を確認して、柳川は柏木家の大体の事情を呑み込んだ。理由は知れ
ないが姉妹の一人が幽閉されている。これだけでも事件として成り立つ。別件で踏み込
めば実刑は硬い。取引の材料として使える、と柳川はほくそ笑む。
「御免下さい。警察のものです」
 何度目かの台詞を言ったとき、ようやく地上にいる方がこちらに向かってくる。
「あ、お待たせしました」
 女が顔を出す。ショートカットに気の強そうな顔立ち……柏木の次女、梓だ。
「いいえ、こちらは待つのが仕事のようなものですから。さて、早速ですが今日伺った
のは……」
「……あの……千鶴ね……いや、姉が居ないので話せることは…………」
「長女の許しが無くては何も話してはいけない、と?」
「そ、そうじゃなくって! ……その……」
 一瞬、声を荒げ。それから困ったように口ごもる。
(感情の起伏が激しい娘だな。狩猟者には向かぬ)
 そんなことを考えながら、柳川は内心嗤う。
(……これならば、扱いやすい……)
「申し訳ない。つい、仕事の癖が出てしまってね。今日は仕事……の一環だが、警察官
ではなく、私個人として来たのだよ」
 努めて気軽を装って、言う。同時に僅かに狩猟者としての匂いを発してやる。
「柳川裕也……いや、柏木裕也個人……と、言うべきかな」
「えぇ!? まさか」
 驚きに梓の顔色が変わる。信じられない、と口をぱくつかせる。それが、突然現れた
見知らぬ親戚に対してのものか、柳川が鬼の本能を克服したことに対してなのか、どち
らかはしれない。第一、梓自身にもどちらかは分からなかった。
「そう、そう言うこと。知っているなら話は早い。……長い話しになるな……上がって
いいか?」
「え? あ、はい。分かりました!」
 妙にかしこまって、梓は奥へと柳川を通した。だが、柳川を見つめるその瞳は、柳川
自身ではなく、遠くに行ってしまったなにかを……柏木耕一を……見つめているよう
だった。
(ふん、私に柏木耕一を重ねている、か。……可愛らしい女だな。扱い易くていい)
 千鶴が居ない間に柏木家を訪れたのもそれが理由だ。戦力になるとは言え、人を信じ
ることを拒否した長女を扱うよりも次女以下を利用したほうが良い。そう判断した。
「あ、今お茶を出しますから……」
「そう鯱張ることはない。一応、私は君の叔父に当たるわけだし、他人行儀な態度はと
らなくていいよ」
「……あ……は、はい」
「……さて、何から話したものか……私の生い立ちは事が済んだ後、ゆっくり話すこと
もあるだろうから……まあ、叔父とだけ覚えておいてくれればいい。それで柏木耕一の
ことなんだが……」
「……あの……失礼ですが…………」
 饒舌になりつつある柳川を梓はおずおずと遮った。その視線には恐怖が混じっている。
柳川を通して彼女のいとことしての柏木耕一ばかりではなく、鬼としての『柏木耕一』
が見えたのだろう。
「ん? ああ、そうだな。私の方を疑うのが筋だ。安心していい。私は狩猟者……鬼の
本能を制御できる。そうだな。試しに今、私の気配を探ってくれるか? さっきは分か
っただろうが、今はどうだい?」
 柳川の言葉に従い、梓は目を瞑る。鬼の気配を探ろうと意識を広げているのだ。
だが、すぐに驚いたように大きな目を見開いた。
「……え? 鬼の気配が……しない!?」
「そうだ。これでいくらかは信用してくれるかな? さて、耕一くんの件だが、私は遠
くから僅かな気配を感じていただけなので詳しいことは分からないんだ。教えてくれる
かい? 地下の……妹さんのことも含めて」
 驚き、ややあって氷解の表情を梓は作る。柳川に隠し事は無駄と分かったらしい。
「ああ、わかった。全部話すよ……っていっても、あたしも千鶴姉から聞いた話だけど」
 梓は話し始めた。千鶴と楓が水門に耕一を連れていったこと。そこで耕一の鬼を呼び
出して鬼の力を制御できるかどうか試したこと。制御は出来ず、鬼と化した耕一はどこ
へともなく去ってしまったこと。そして、それが原因で楓の心が病んでしまったこと。
「楓はさ、今でも耕一が戻ってくるのを待っているんだ。耕一が、全部……前世の記憶
っていうのも全部……思い出して楓の元に帰ってきて……そうすれば、一緒に幸せに暮
らせるって、そうおもってるんだ…………」
「……そうか……」
 柳川は沈痛の表情で頷きつつ、今得られた情報の利用価値を考えていた。鬼の家系や
ら前世の記憶やらに興味はない。だが、それを上手く利用できれば、自分を遙かに勝る
力を有する柏木耕一を狩る事が出来よう。
 道具は、ただそこにあるだけではモノでしかない。それを手にし、使用できる人間が
いて初めて、それは道具たりえるのだ。
「……あ、もうこんな時間。夕食作らないと。柳川……さんも食べてってよ」
 気付くと、外は暗くなっていた。そろそろみんな帰ってくる時間だ、と梓は立ち上が
る。
「いや、私の方も扶養家族がいるんでね。そろそろお暇させてもらうよ」
「……もしかして奥さん居るの?」
「いや、残念ながら独身だよ。弟みたいな奴がいてね。そいつに飯を作ってやらないと
いけない」
「……もしかして……」
 梓の顔に今までとは別の疑惑が浮かぶ。こんな疑惑がすぐ湧いてくるのは後輩の日吉
かおりのせいだ。梓はそう決こんだ。
「ははは、そう言うんじゃないよ。親御さんから世話を頼まれている。そんなところさ。
…………ああ、そう言えば。私のことはお姉さんには言わないでおいてくれるかな?」
「なんで?」
「多分、私は疑われる。事によっては問答無用で攻撃を受けるかもしれない。それに、
彼女にこれ以上の心労をかけたくもない」
「……あ、ああ。そうだよね! うん、千鶴姉には言わない。二人で、耕一を……」
「そうだな。妹さんじゃないが、耕一くんにはまだ何とかなる可能性があると思う。
だから、そのためにも頼むよ」
 梓に微笑んで、柳川は玄関に向かう。他意はない。今は梓に希望を与える方が得策
である。それだけの理由だ。
(狩猟者というのはこういうものだ。柏木耕一、貴様にはわからんか? たといどれほ
どの力を持っていたとしても、今の貴様は狂獣にすぎん。獣は、狩人に狩られる為にい
る。そのことを知らしめてくれる)
 その後を梓は付いてきた。気の強い印象を与えるその目が、不安げに垂れている。
どこかで見たことがある目だ。
 ふと、柳川はそんな事を思った。
「……風が……強くなってきたね」
 玄関先で見送る梓が風になびく短い髪を掻き上げながらそんな事を呟いた。
「ああ。夏ももう終わりだな」
……嵐が、近付いていた。


 アズエルが鬼と会っていた。多分、ダリエリかその手下。
「また……次郎衛門様を殺そうとしている? ……だめよ、アズエル。次郎衛門様はそ
んな小さな鬼じゃ倒せない。だって、次郎衛門様はたった一人で雨月の鬼を、私たちエ
ルクゥを絶滅させたのよ。あなただって、次郎衛門様に殺されたじゃない。忘れたの?
梓姉さん……」
 くすくす。
 アズエルが何を考えているかは知っている。こんどこそ、次郎衛門様を殺して自分
一人のものにする気。でもね、そんなことさせない。だって約束したから。私、
次郎衛門様と幸せにならないといけないから。
「だから、渡さない。アズエルにも、リネットにも、誰にも。私の次郎衛門様。私だけ
の次郎衛門様……」
 くすくす。
 お姉さま達は気付いてるかな? 次郎衛門様さまが近付いているの。私に会うために。
私と共に暮らすために。私を幸せにするために。
 次郎衛門様、エディフェルはここにおります。はやく、はやく来て下さいまし。

								―――続く―――