迷風奏(十二) 鬼神楽(中) 投稿者:遊真 投稿日:2月27日(日)02時24分

  迷風奏(十二)   鬼神楽(中)


  雷光が大気を鋭く裂いた。
  雷鳴が大気を鈍く震撼させた。
  折れ飛んだ街路樹の枝が闇に舞って柳川の肩口にぶち当たり、木っ端を散らした。
  さあ。
「殺してやるよ」  
  前振りは要らない、それがすべてを決するこの時に、不必要なものであることはよ
く知っている。
  だから、一気に迸らせればいいのだ。
  打ちつける雨をものともせず、空に向けて限りない飛翔を続けながら、柳川の本性
が秒刻みで具現化した。
  胸を突き破るが如くの鼓動は、筋肉の鼓動と連結した瞬間にのたうつほどの快楽を
呼び起した。 
  人の脆弱な部分が、すべて零から組み変わる。
  この星に生きとして生けるものでは到底、到達しえない領域。
  絶対の力。
  限界という殻はもう存在しない、身に纏った服と一緒に千切れ飛ぶ。
  全てだ。 
  全てをぶつけるだけの、それだけの価値を柏木耕一という男に柳川は求める。
「いきなりかよ」
  質量を急増させた鬼に、遅れて跳躍した耕一が並ぶ。
  最強の鬼が見せる自信。
  視線だけで射抜き倒す強烈な紅い眼光、口の端を僅かに吊り上げた笑み。
  今からその笑みを粉々にしてやろうっ。
  怒気を孕ませ、鬼の腕が唸る。
  激流を降る丸太の突進にも似た一撃は、当たればそれ以上の結果が待ち受けている
のだ。
「最初っから変身するのは、負けパターンだぜ」
  軽口を叩きながら、耕一は左腕を上げて、いなしにかかった。
  桁外れの質量がベクトルをやんわりと曲げられる、耕一の頬に一筋の朱を描いて通
過していく。
  一挙動で、がらあきの鳩尾に、メキリ、と拳がめり込んだ。
  拳と腹部の接点で、滴る水の膜が弾けた。
  支えのない空中。
  お互いが磁石の両極のように、反発し合い左右へ吹き飛ぶ。
  飛ばされながら、柳川は狂暴に喉を鳴らした。
  ぬるすぎる。
  耕一の拳打はなんの痛打にもなりはしない。
  それで、自分に勝てる気なのか…。
  勝てるものか。
  後方へ流される身体を三度の宙返りで安定させ、耕一はかろやかに地面へ着地した。
  着地がそのまま、自分に向けて踏み込まれた駿足の一歩となる。
  アスファルトに溜まった水溜まりの中を、一直線の水煙をあげて迫る。
  無駄だ。
  どんなに加速をつけても、力を振り絞っても。 
  限界は超えられない。
  五の力は、いつまでも五なのだ。
  決して十の力には勝てない、勝ってはいけない。
  努力も奇跡もまた虚構。
  夢を見て、願ってはいけないものなのだ、だからっ!
  だからお前は、その身に秘めた百の力で、柳川という男を捻じ伏せる義務がある。
  吹き荒れる風の中、それでも俺という個にしがみついて離れない、ちっぽけな“柳川”は
それでやっと消えてくれる筈だ。
  一人が消えて、一匹が残る。
  そして本当の鬼として逝けるだろう。
「そんなことで、逝かせるかっ」
  柳川の心は耕一に筒抜けだ。
  その身に吹き荒れる風の冷たさも、鋭さもすべてを共有し合う。
  柳川の思いが、耕一の思いが、零メートルで触れ合い、ぶつかり合う。
  懐に飛び込んできた耕一。
  迎え撃った柳川の蹴り足は、またも寸前で見切られた。
  耕一の輪郭は消失し、虚しく空を切る。
  同時に両肩へ余分な荷重が乗った。
  上だ。
  小賢しくも頭上で倒立を決めている。
  仰いだ顔面に、絶妙のタイミングで耕一の膝が襲い掛かってきた。
  額を打ち、そのまま後頭部を地面に打ちつけようと衝撃が走る。
  背中が反り返り、足が地を離れそうになり…。
「ガァアオアアアッツ!!!!!!」
  吠えた。
  背筋が膨張した、両足がどしりと地に根づいた。
「っ!」
  持ちこたえ、耕一の右足首を掴む。
  捕えた。
  後は人形のように、振り回せばいい。
  叩き潰すのだ。
  一振する度に地面が歪んでいく、アスファルトが砕け、血が弾ける。
  降りしきる雨よりもおびただしく流れろ。
「ぐぁっ」
  苦鳴がでるうちはまだ、足りない。
  そんなものは本当の苦しみではない、真実苦しみに直面したら、声一つとして出ない、
助けを呼ぶ事はできない。
  静かに破滅がやってくる。
  それがお前に解るかっ!
  駒のように回転して、耕一を投げ捨てた。
  恐ろしいスピードで、雨の中を突っ切り、傍らにそびえたつビル壁へその身体がめり
込んだ。
  衝突の中心から縦横無尽に亀裂が薄汚い壁に伸びる。
「がはあっ!!」
  まだだっ。
  投げ放つと同時に柳川は耕一を追っていた。
  地面へ耕一の身体がずり落ちるよりもはやく、重厚な肩からぶち当たる。
  鮮血が飛び散った。
  伸びた亀裂がさらに濃く、伸びる。
  それでも欠片とて闘いの意志を減退させぬ鋭い瞳が気に入らない。
  豆電球のように爆ぜてしまえばいい。
「グルアアァァーーーッ!!」
  渾身の力で拳を叩き込む。
  これで終わりだ。
「うおぉぉおおおおっ!!!!!!」
  耕一が吠えた。
  荒ぶる獣の吠え声ではない、それは、意志を貫く人の吠え声だ 
  風鳴りを上げて迫る圧倒的な凶器の威力に、一欠けらの躊躇もなく額を打ちつけてきた。
  頭突き。
  ぱくりと耕一の額が切れる。
  吹き出た血液が、柳川の拳を温かく絡め取る、同時に久しぶりの痛覚が蘇った。
「ガァッ!!」
  信じられない。
  無謀な戦法だ。
  ほんの少しでも戸惑いが産まれれば、こちらの腕は振りきれていた。
  そうすれば、額が割れるどころか、頭は弾けていただろう。
  刹那に開けた生と死の境界門。
  そんな捨て身は似合わない。
  自分よりも、遥かに優れた力を持ちながら、なぜ泥塗れな試合を演じる?
  無駄な血を大地に流すのだ?
「無駄じゃないっ!!」
  額から濁濁と流れる血は、激しい雨にも流しきれていない。
  顔面あますことなく血濡れた凄惨な姿を晒しながら、耕一の気迫がさらに高まった。
「この世に無駄な事なんて、あるものかっ!」
  怒声。
  硬質な皮膚を通り抜け、筋肉の壁を通り抜け、直に柳川の中核を殴り付けるほどの
怒り。
  ビル壁に身体の半分を埋める耕一の姿が遠ざかった。
「無駄だと思うのは……やる気の問題だろ?」
  一変、静かに。
  しかしその言葉に宿った力は衰えるどころか、増していく。
  耕一の姿がさらに遠ざかった。
  ……遠ざかった?
  違う!
  
  俺が退いたのだ。
  
  柳川は戦慄した。
  得体の知れない不確かな何かが、自分を闇の淵から引きずり出そうとしている。
  痛む拳を押さえながら、耕一の三倍はあろうかという鬼が後退りする。
「逃げるな…」
  ふらふらと、耕一の右腕が伸ばされる。
「無駄だと思って、逃げるなよ」
  掌が雨滴を掴んだ。
  そして、ゆっくりと……。
  立ち上がるのか?
「勝つか、負けるか……、結末はそれだけじゃないことを教えてやる。だから、逃げ
るなよ」
  耕一の持つ紅い瞳が細まった。
「そこを動くな、柳川」
  静かな命令。
「俺が、そこへ行くまで…」
  動けなかった。
  柳川の目に映ったのは、傷だらけの身体をおして、立ち上がろうとする耕一の姿で
はない。
  そこに、貴之がいる。



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えーと・・、一ヶ月以上も御無沙汰した『迷風奏』の続きです。
ほとんど忘れ去っていると思いますが、一応、結末まで到達しなければということで
無謀にも再開しました。
いや、ほんと連載にあるまじき行為に反省しきりです、はい。