迷風奏(七) 月の裏(上)  投稿者:遊真


「お前は不幸じゃないさ」
  自分勝手な論理を押し付けて、男は日吉かおりの首の骨を折った。
  ……人形のようにぐったりとなった。
「殉職、二階級特進、おめでとう、警部殿」
  愉悦を交えた死刑宣告を送って、男は若い警官の頭蓋を粉砕した。
  ……風船のように頭が弾けた。
  窓から斜めに降り注ぐ、残暑の光りは綺羅と輝いて、荒れた部屋をゆるゆると暖め
続ける。
  四階のこの部屋まで伸びた大きな楠の木が風に誘われるまま、さらさらと葉を鳴ら
す。
  外界はのどかだ。
  ただ、この直方体の空間だけに、惨劇が彩りを加えていた。
  壁にも天井にも血液が飛び散り、今だ身体の死を知らぬ心臓が働き続け、若い警官
の首からは血液がどくどくと流れ続けた。
  床に楕円を描く血溜まりが男の顔を映した。
  …………どこかで見た顔だ。
  その顔が、じっと己の顔を見詰めている。
  冷え切った切れ長の瞳の奥に宿る、こちらの存在を射抜いている。
「………俺を、止めてみろ」
  男は視線を切った。  
  病室のドアを開ける。
  汚れた眼鏡を布で拭き取り、いましがた三人の人間を狩った右手を無造作にズボン
のポケットへ滑らせる。
  そして……。
「柏木耕一」
  まぎれもなく、自分の名前を呼んだ。


  そこで柏木耕一は、柏木家の縁側で寝そべる自分へと舞い戻る。




                       迷風奏(七)         月の裏(上)

  

「殺してやる」
  柏木四姉妹の次女、柏木梓は瞳に暗い炎を炯炯と宿らせて、テーブルの端に拳を打
ち付けた。
  湯飲みが三つ、奇麗に倒れると、湯気の立たない冷めた緑茶がテーブルの上に反乱
した。
  すっと音もなく立ち上がった楓が布巾を取りに台所へ行く。
  それを肩越しに睨み付けた後、梓は次に千鶴を睨み付ける。
  一片の感情も見せない姉に腹が立ったのだ。
「千鶴姉、なんか言ったらどうだよっ!!」
「お、お姉ちゃん…」
  何とか姉をなだめようとした初音だったが……。
「初音は黙ってな」
  今迄、一度も見たことがなかったろう梓の剣幕に言葉を失った。
  しょんぼりと、うな垂れる初音が可哀相になって、耕一はここで始めて口を開いた。
「おいおい、そんな言い方ないだろう、もうちょっと頭冷やせよ、梓」
「友達殺されてのほほんとしてる奴がいるかっ!!」
「……だからってな…」
「うるさいっ!!」
  今度の一撃は手加減がない。
  重厚な欅一枚板のテーブルが、梓の拳の接すると同時に鈍い音を立てて真っ二つに
割れた。
  内庭で涼やかに咲く虫の音が、しぼんだ。
  そこに丁度布巾を持って表れた楓が、無言のまま引き返していく、たぶん雑巾を取
りに戻ったのだろう。
  良くも悪くもマイペースな娘である。
「梓」
  千鶴は膝においていた手を胸の前で組み、ほんのわずかだけ双眼をつむると、開いた。
  梓の姉ではなく、この家の長として昂ぶる感情を排除したこれは一種の儀式に違いない。
  再び冷徹な仮面をつけざるをえない千鶴。
  耕一はいいようのない不快を覚えた。
  対象はもちろん、梓ではないし、犯人でもない……己自身だ。
「あなたは、いつもどおりにしていればいいの。絶対に先走った行動をしては駄目。
後は私と……」
  ちらりとこちらを見る。
  耕一は深く頷いた。
「耕一さんにまかせて」
「ふざけるなっ!!」
  ほとんど金切り声に近い。
  キンッ、と夜気に食い込み、居心地の悪い緊張が訪れる。
「このまま、手をこまねいて見てろっての?」
「そうはいってないでしょ」
「言ってるっ!!」
「梓っ!」
  隣に座る初音の肩がびくりと震えるのが解った。
  思いもよらぬ人物から激しい声を浴びせられた当人は、大きな瞳をさらに広げた。
  千鶴もまた、驚いた顔をして耕一を見た。
「なんだよ………」
  拗ねたような口ぶりだ。
  耕一は一変、諭すように静かな口調になる。
「相手は鬼なんだぜ…、とんでもない力をもった、ば……奴だ」
  化け物、と言いそうになった迂闊な唇を噛んで耕一は言い直した。
  自らを卑下するのは間違っていると思ったからだ。
  自分達がこうであることには、何かしら意味がある筈である。
「私だって力はあるっ!」
  梓は拳を堅く握り締めて、あくまで反論した。
「まったく及ばないよ」
  すげなく切り返す。
  この場合は変に遠慮しても駄目だ、危険しか呼び寄せない自尊心は尽く潰すに限る。
  耕一はそう判断した。
「俺はお前の力がどんなものか見てはいないけど、感じる事はできる。それから奴の
力量の程も解っている。はっきりいうけどな、梓、お前みたいな中途半端な力じゃ、
あっても無くても同じだ。むしろ鬼気を読まれるぶんたちが悪い、存在が簡単に割れ
る」
「嘘だっ!」
「だったら、今この場所でその差ってやつを見せてやろうか」
  言うが早いか、胡座をかき両腕を組んだ自然体のまま、耕一は、ちろりと鬼気をは
み出させる。
  それだけで、梓の背筋は硬直して、定規のように伸び上がった。
「梓お姉ちゃん? ………どうしたの?」
  何も感じ得ない初音は、梓の急な狼狽に整った眉を顰めた。
  額にぶわり汗が湧き出ている。 
  真赤だった顔が、真っ青になっている。
「………解ったでしょう、梓」
  千鶴は立ち上がると、梓の後ろにまわって気遣うように背中を摩った、強すぎる鬼
気は慣れていないと、毒気にも近い影響を及ぼすのだ。
  座っているだけでも今の梓には辛い。
「……悪い、梓。……じっとしていてくれ」
  梓の激情は痛いほど解る、解るがそれ以上に現在、柏木家の置かれた事態というも
のが耕一には解っていた。
  狂った鬼は闇から闇へ葬らなければならない。
  世間の好奇な目に晒されるわけにはいかない。
  だが敵は、人に見つかるのも辞さないといった体で、白昼堂々殺人をやってのけた
のだ。
  自滅を望んでいとしか思えない。
「……………」
  嫌な沈黙。
  入れ替る様にして虫の音が回復した。
  月のぼんやりと浮かぶ夜に、内庭は淡い蒼で包まれている……。
「千鶴姉さん」
  静寂を破ったのは、静寂をこよなく愛す楓だった。
  いつのまにか来たのか、敷居に立っている。
「お客さんが来てる」
「客? こんな時間に………誰なの」
  首を捻りながら立ち上がる千鶴。
  部屋をでて、玄関へと向かった。
  楓はその後ろ姿をじっと眺めていたかと思うと、今度は耕一にその視線を向けた。
「耕一さんも……」
  ほっそりとした声で。
「行ったほうが良いですよ」
「え、俺?」
「はい」
  千鶴以上に不可解な顔をして耕一は立ち上がった。
「俺の知っている人?」
「たぶん」
  このまま梓を残していくのも、まずい気がして、ちらりと俯いたままの彼女を見る。
「大丈夫です。ここには私と初音がいますから」
  その言葉で踏ん切りがつくと、耕一は千鶴の後を追った。
  風流な内庭を右手に縁を抜ける。
  左に折れ曲がった先が玄関だ。
  三和土に男が一人立っている。
  それを迎えている千鶴の背がやけに緊張しているのを、耕一は見て取った。
「千鶴さん」
  呼びかけに答えて振り返る千鶴。
  それと同じくひょい、と千鶴の身体に隠れていた顔を男は横に出した。
「やあ…」
  頭上で灯る淡い暖色の光を浴びながら、気やすそうに声をかけてくる。
「こんばんは」
  長瀬刑事は皮肉っぽい笑みを浮べた。



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時を逆流して耕一陣営です。
しかしここでも長瀬刑事が出て来る出て来る、何故?(笑)


感想です。


ギャラ さん  『痕拾遺録 第十二話』

既に十二話目なんですか、でも面白い。一話から読んでみなくては。


おーえす さん   『鬼龍業魔録』 

これはまた、とんがった浩之だ(笑)。
彼のふてぶてしさは加減が難しいですよね。


日々野 英司 さん   『Cryptic Writings』 

昏睡状態の楓、薬と鬼の結びつき、柳川と耕一の共同戦線、物語がゆっくりと動き始
める、雰囲気がでてますね。

夜蘭 さん
感想ありがとうございます、柳川は苦悩してこそ柳川ですから、物語中はずっと悩ん
でもらいます(笑)。