迷風奏(五) 百鬼夜行の狂騒(中)  投稿者:遊真


  緊急事態ではなく、異常事態。
  十日余りのうちに、両手では数えられないほどの人間が殺されていった。
  手懸りは零。
  警察の捜査は進展を見せない。
  渦巻く不安は確かな恐怖となって、隆山の住人達に圧し掛かってくる。
  もう地方の珍しい事件ではない。
  全国の好奇な目が、隆山に集中する。
  一体、何人殺されるのだろう?
  いつ事件は収束するのだろう?

  教えてくれ。




             迷風奏(五)―― 百鬼夜行の狂騒(中) ――



  
  月下。
  窒息してしまうかのように、ひっそり静まり返った街区を、蒼い光りが淡くぼんや
りと包み込んでいた。
  遠く、焦燥を募らせるパトカーのサイレンの音が、不気味に響いていた。
  それは途絶えることが無く、いつまでも、いつまでも耳に残る。
  一際強く吹いた風が、街路樹の生い茂った葉を揺らし、騒騒とざわめくと、路面に
映り込んだ影が生き物のように蠢く。
  夜が、人の生息する世界ではないと悟った瞬間が、ここにあった。
  千年の時の逆流。
  百鬼夜行の到来に慄き、己の無力さにうちひしがれ、朝を待つ。
  朝。
「……朝……」
  神が等しく人を創造するのなら、なぜ俺にも朝を与えてくれなかったのだろう……。
  恨みも、憎しみも、怒りもないが、ただ。
  ただ、哀しい。
  哀しさは、巨大な振り子となって、揺り返す。
  飽くなき殺意と快楽に向かって、揺り返す。
  点滅を繰り返す紅い光りが、頬を毒々しく照らした瞬間、俺は空気の断層に流れ込
む刃となって車道へ飛び出た。
  晧晧と照らされるライトの光りを無視して、迫り来る鉄の塊に、振り上げた拳を打
ち下ろす。
  急ブレーキにアスファルトが悲鳴を上げ、僅かなタイムラグと共に轟音。
  バンパーが直下にひしゃげて、パトカーは無理矢理エンジンを停止させた。
  フロントガラス越しに、驚愕で軋んだ瞳が俺を見詰めたが、構わず跳躍する。
  夜空を軽く舞い、ボンネットに足跡をつけて着地し、と同時に両手を厚い強化ガラ
スに突っ込んだ。
  夜気を引き裂く破砕音。
  右手が細い首を、左手が脂ぎった太い首を掴む。
「そんな所にいないで、出てこいよ…」
  大根を引き抜く要領で、大の男を二人、割れたガラス窓から引き出した。
「うぎゃっ!」
  不運にも気絶していない細身の男は、車の急停車で額を打ったらしく、とろとろと
血液を顎の先まで垂らしていた。
  青を越えた真っ白の顔をがくがくと震わすと、髪の毛に振りかかったガラスの破片
がぱらぱらと落ちた。
  気絶した小太りの男を左手一本で支えたまま、もう一方の手で俺は錯乱の極みにあ
る細身の男を眼前まで持ち上げる。
「俺が、君等の探す犯人だ」
「あうっ……うあぁ……たす……たすけ………」
「馬鹿だな、命乞いなんて」
  命乞いなんて、殺すものの愉悦を助長させるだけだというのに。
  俺は、にやりと口の端を歪めると、今度は小太りの男を月の光に晒し上げた。
「駄目なんだよ」
  突き放した一言の下に、筋力を増幅させる。
  頭頂からボンネットに鉛直で叩き付けると、みち、という鈍い振動が、男の首筋か
ら掌に伝わる。
  頚骨、頭蓋は砕けたろうが勢いは止めない。
  パトカーの白いボディーに、頭をねじ込む。
  逆立ちのかかしは、だらりとだらしなく両足を広げた。
  もう生気の欠片も残っていない。
「君は……」
  仲間の凄惨な死を目の当たりにして、細身は、喉の奥の方で悲鳴を殺した。
「どうやって、死にたい?」
「し……、し、し、し…………」
「なんだ?」
「死にたくないいっ!!!」
「死ね」
  思い切り放り投げた。
  びゅおっ、と厚い風の膜を纏って、人がボールのように飛ぶ。
  闇に溶け込んだ遠くの方で、ぐしゃりと肉塊の潰れる音がした。
  俺はその気持ちの良い音に聞き惚れると、ボンネットの上から音も無く降りた。
  ふわりと、路面を走った微風に前髪を嬲らせて、漂い始めた血臭を肺一杯に溜め込む。
  仰げば、上空で息巻く強風が闇色の雲を素早く流している。
  静止している筈の上弦の月が、まるで夜空を疾駆しているように見えた。
  胸が騒ぐ。
  呼応するように痕が悲鳴をあげた。
「くっ」
  あまりの激痛に膝をつく。
  吐く息は喉を焦げ付かせるほどに熱いというのに、夜気にまじると沫のように消え
去る。
  風の音が近かった。
  人の命を狩れば狩るほどに、風鳴りが近づいてくる、耳元を抜けていく…。
  そして俺は……。
「!?」
  そこまでだった。
  後頭部に冷たい銃口をつきつけられて、俺は現実へと意識を舞い戻らせた。
  立ち上がろうとして。
「動くな」
  冷徹な声音が抑止する。
  その声を聞くなり戦慄が身体中を走った。
  驚くべきと云うしかない、完全に気配を断って背後に立った男。
  振り向けない。
  振り向けば躊躇なく引き金は引かれるだろう。
  ただの人間なら臆することも無い。
  だが相手は……。
  ぽつり、鼻先に冷たいものが落ちる。
  雨の雫。
  さあっと月光を遮る雲の影が、小波のように打ち寄せて、辺りが闇に包まれた。
「尾行ですか?」
  双眼を瞑りため息を一つ。
「長瀬さん…」






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


まずいっ、なぜか長瀬刑事が出張ってる(笑)。
そろそろ柏木家の面々も出さなければ…。


『機婦の耳』 NTTTさん
  機婦の耳って何だろう?考察の上に考察をかさねた結論は、ようするに。浩之は阿
  呆であると、そういう事ですね(違います?)。

『鬼狼伝』  vladさん
  五十二って、もはやライフワークの域に達してますね。毎回楽しく読ませてもらってま
  す。女性陣を差し置いて続く男達の熱き戦いがどう収束するか、非常に気になります。