迷風奏B 逢魔が時来たりて(下)  投稿者:遊真

  
  
   迷風奏  ―― 逢魔が時来たりて(下) ――



  紅い風が吹いている。
  否、それは半開きの窓から吹き込んだ風によってはためく、血のついたカーテンだった。
  バタバタバタと……。
  やけに耳について五月蝿い。
  一度それに視線を這わした後、俺は右手を眼前まで持ち上げた。
  どろりと粘ついた液が五指にまとわりついて離れない。
  握り締めると、ぐちゅっと音を鳴らして血沫が弾けた。
「ひいぃぃっ――――!!」
  悲鳴の方が心地よい時もある。
  掌を裏返しにし、横へスライドさせて視界からどけると、腰が抜けたまま動く事
のできない、女が映る。
  女の足元に倒れているのは医者だ。
  それだけしか俺には解らない、奴にどんな人生があったかは解らない。
  いずれにせよ、終止符を打ったのは俺だ。
  その素晴らしさに内の<俺>が身悶えする。
「災難だな」
  ベッドから転げ落ち、ずり落ちたシーツを掴んだままの女を見下ろして俺は笑った。
「………や、止めて………」
  身体全体で震えて、首をがくがく振って、何をこの女は願う。
「……止めて、だと?」
  何をだ。
  俺が一歩近づくと、後ろへずり下がる。
「犯す事か?」
  医者の死体を踏み越える。
  後退する女の背中に、背凭れの無い三脚の椅子が当たり、甲高い音を立てて床を
転がる。
「殺す事か?」
  ぐしゃり、椅子を踏み潰す。
  壁に遮られて、女はもう退けない。
  頭上で、カーテンが風を孕んで流れている。
  女の髪もまた同じように流れた。
  窓の外に向けて助けを呼ぶという行為もできぬほどに女は混乱していた。
  もっとも俺に背を向けたら途端、ぐしゃ、だが…。
「安心しろ…」
  後はもう距離をつめるだけだ。
  首を横に一度曲げてから、俺は血塗れた右手を伸ばした。
  ひっと身を竦める女の上、目障りなカーテンの裾を掴み、思い切り引っ張る。
  レールが歪曲して、カーテンが剥がれた。
  それを、女の頭にかぶせると、狙いを定めて頚部を掴んだ。
  うげっ、と蛙の鳴き声のような悲鳴があがる。
  布一枚下の顔がどれだけ恐怖に震えているかを考えるだけで快感が走る。
「俺は、人類全てを狩り尽くすつもりだ。お前はただ、その一人でしかない」
  夢想であることは間違いない。
  人は、それほどに馬鹿じゃない。
  俺ができる事といえば、この隆山一帯を恐怖に陥れる、精々そのぐらいであろう。
  姿が割れれば、後は数百人の死体と共に死ぬるだけだ。
「お前は不幸じゃないさ」
  ゴキリッ。
  首の骨が、枯れ枝を折るように鳴り、右腕を通じて、脳天が痺れた。
  断末魔の悲鳴は無かった。
  もしかしたら既に気絶していたのかもしれない。
「うわあぁぁっ!!!!」
  人とは誘蛾灯に群がる蛾のようなものなのだろうか?
  好奇心猫を殺す、の言葉通りに、無駄死にをするべき者が鬼のいる部屋に迷い込んだ。
  振り返る。
  長瀬の連れの刑事。
  新米の、まだ若い刑事。
  名は忘れた。
「や、柳川さん、こ、これはっ……どういう事なんですかっ!」
  自分で閉めてしまったドアに背中をへばりつけて、擦れた声を上げる。  
「残念だな」
「なっつ、なっ……なっ………」  
  恐怖で舌が回らないらしいが、感心な事に右手が腰の辺りを探っていた。
  巡査官の時は携帯していたのだろう、非常時の時は携帯していたのだろう。
  だが、男は刑事で、殺人容疑者の捕らえられた今は平時だ。
  銃など持っている筈がない。
「死ぬよ、君は」
  宣言と共に、強烈な鬼気を送る。
「うわわわわわわわわわあぁぁぁーーーっ!!!!!」
  汗、涙、尿、穴という穴から体液を排泄して、狂う、叫ぶ。
  ドアノブをがちゃがちゃと捻って、自らがドアを塞いでいることに気づいていない。
「殉職、二階級特進、おめでとう、警部殿」
  横殴りのブローが新米警官のこめかみを抉ったかと思うと、次の瞬間、頭は見事
に吹き飛んだ。
  白い壁にべちゃりと、飛び出した眼球が張り付く。
  前のめりに倒れる首なしの死体を横に避けて、俺はドアを開けた。
  誰もいない廊下。
  俺は胸ポケットから布を取り出すと、眼鏡に飛び散った紅い雫を拭き取った。
  紅く染まった右手をポケットにつっこむ。
  

  この惨劇は全て、お前の責任だ。
  俺に止めを刺せきれなかった、人間としての甘さが招いた惨劇だ。
  見ているだろう?
  聞いているだろう?
  
  柏木耕一。

  止めてみせろよ。

  絶え間なく流れる俺の迷風奏を……。



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  どもっ、遊真と申すものです。
  以前こちらに作品を載せた事があるんですが、まあぽっと書いて、ぽっと消えたから新規
といっても過言はないでしょう。
  ということで、始めまして、を付け足して置きます、はい。

  迷風奏(めいふうそう)は千鶴ED後に、じたばたと足掻く柳川を描いた長編(のつもり)
です。
のっけから、かおり嬢が死んでしまうようなダークな味は、柳川の真骨頂でしょう。

ついでに迷風奏は造語です。語呂の良さと隠語を三つ取り入れて作ったタイトルです。