迷風奏@ 宵闇  投稿者:遊真


  ああ、風が鳴ったな…。
  低く、哀しく、風が鳴ったな…。
  風洞から吹く風、ヒューヒューと連続的に、断続的に、永続的に、鳴って、鳴って、
泣いて……。
  胸の真ん中の風洞は塞がることがないんだな。


  ああ、風が鳴ったな…。
  このまま…。


  このまま逝くのもいいかもしれない。




      迷風奏 @  ―― 宵闇にて ――



  ………。
  ………。
  ………。
  ………。
  風が鳴っている。
  潮騒のうねりのように、近く、遠く、強く、弱く。
  風が鳴っている。
  それに呼応するかのように、胸に空いた穴が悲鳴をあげた。
「くっ!?……ああぁっ……」
  口から漏れた苦鳴は、奥底に沈んでいた意識を一気に底上げした。
  それで…。
  それで俺は目を覚ます。
  ゆっくりと、だが確実に瞼を開いていくと、そこは薄闇に包まれた世界だった。
「……ここは……どこだ……」
  別にどこだっていいじゃないか。
  そう俺の中の冷めた部分が云う。
  振り切る様にして、首を巡らすと、自分が水辺の岩場に横たわっている事を悟った。
  下半身の痺れは、湖水の冷たさで麻痺しているのだろう。
  ゆるやかに打ち寄せる波が、水面を上下させていた。
  そして……。
「洞穴か……」
  背後から射し込む光りは洞窟の出口であろう……。
  黄昏色が斜めの線になって漏れている。
  夕刻。
  ただし何月何日の夕日を自分が拝んでいるのかは到底解り用もない。
  だいたい、ここは現実の世界なのだろうか…。
  己の生死さえもおぼつかない、不安定な自分。
「…………」
  無言のまま水に浸かっていた右手を出す。
  雫を払い、開いたり閉じたり、その動作をあくまで客観的に観察して…。
「生きて……いるのか?」
  答えを導き出す。
  その後に続く、重く吐き出すような言葉は……。
「何故?」
  何故、俺はこうまでしぶとく生きているのだ。
  無制限に膨れて抑えることのできない殺意、そしてそれに突き動かされるままの
大量虐殺。
  巷を騒がした悪鬼である、この俺が…。
「何故?」
  答えの代わりに、岩天井から落ちた雫が、湖面と接して微かな音をなす。
  そんな些細な音が、再び俺の胸を穿った痕に響く。
「っ!……くっ……そぉ………」
  癌細胞のような再生力を発揮して<鬼>である俺は、致命傷であった筈の傷を
ふさいでいた。
  肉の盛り上がったそれに指を這わして、俺は虚ろに洞窟の奥の方、光りの届かぬ
真の闇を見詰める。
「……ふざけるなよ……」
  まずは緩く、低く、退廃的に一言。
  やがて……。
  唐突に吹き荒れる、怒り。
「ふざけるなっ、ふざけるなっ、ふざけるなあっ!!!!」
  傷は塞がれても、痕は塞がらない。
  どうしようもできないっ。
  また俺は無力を曝け出して生きていかなければならないのかっ。
  それが、神が俺に与えた判決、地獄ということかっ。
「ふざけるなあぁぁっ!!!!!」
  紅に瞳孔が縦に裂けた。
  犬歯が異常に発達する。
  なにより爆発的に身体中の筋力が隆起する。
  渾身の力で水面を叩くっ。
  水面がくだけた。
  静寂を突き破る爆音が、洞穴をぶるぶると震わす。
  膨大な量の水柱が、水煙となって辺りを闇の黒から飛沫の白に変える。
  やがて霧のように細かに宙を舞う水滴の中。
  俺は……。
  俺はだらりと弛緩して水の上に浮いていた。
  天井をみつめたまま……。
  揺れながら。
  やがて完全に静が動を包み込んで、常態を取りもどすと。
「……貴之……」
  友の名を呼ぶ。
  最後の絆の名を呼ぶ。
  ……。
  帰らなけらば…。
「……あいつ……待っているんだろうな……」

  
  風が鳴いている。
  今はまだ止みそうにない……。