未完の調書 投稿者:夕鶴
どうも初めまして、こちらには初めて書き込みをさせていただきます。
つたない文章ですが、読んで貰えると嬉しい限りです。



8月初旬、深夜
柏木賢治の突然の死亡、夜を徹しての遺体の回収作業。
地元警察からも何人かの刑事が現場に立ち会った。
彼らの見解は「飲酒運転による事故死」以外は考えられなかった。
しかし、この見解にちゃちを入れた男がいた、刑事課の長瀬源三郎である。
長瀬は警部である自分の階級を使って、鑑識課に再度遺体の鑑識を依頼した。
もともと柏木賢治氏の死亡は、事故死扱いだったので刑事課の管轄ではなく交通課の管轄である。
無論、署内では長瀬の行動をけむたがった者もいた。
しかし、長瀬はただの事故死だとは思ってなかった。

一夜明けて、柏木家
賢治氏の死亡通告が入る。やり場のない悲しみに染まる遺族の顔、その中でなにも表さない無機質な
瞳をしている女性がいた。柏木家の長女、柏木千鶴である。
柏木賢治氏の葬儀はすぐに行われた。社葬、私葬を含めた合同葬儀で、取り仕切っていたのは鶴来屋
現副社長の「足立」という男だと後日知ることになる。
無論、長瀬も地元の警察官として葬儀に参列した。
遺族のなかで、特異な娘を見かけた。喪服を着てはいたが娘の瞳は現実を直視していない、
何処か無機質で人形のような冷たい瞳をしていた娘。
あきらかに娘は、他の悲しみに暮れて疲れた瞳をしている遺族とは違った存在であった。

それから数週間後
事故死と片付けられていた柏木賢志氏の事件に新たな局面が生まれる。他殺の疑い。
長瀬の独断で行われた事故の再調査で、遺体から少量の睡眠薬が検出されたのだ。
この通告を受け同署は、柏木氏の事件は交通課から刑事課に移され、事件の再調査が始められた。
賢治氏の自殺ではないかという声も上がったが、他殺のセンの方が有力であった。

8月下旬
「ただいま留守にしてます、ご用件のある方は発信音のあとにメッセージを入れてください・・・」
機械的な留守電の声の後に、「ピィー」という発信音が鳴った。
「もしもし・・・、柏木千鶴です。・・・」
留守電と間違うくらい機械的な声で千鶴は、叔父である柏木賢治の死を耕一に告げた。
悲しみという感情すらも麻痺したような声で・・・。

9月初旬、朝
柏木家に続く道を一台の国産車が走っていた。いき場所は勿論「柏木家」である。
賢治氏の事件で地元警察は柏木家長女「千鶴」と現社長「足立」に容疑を定めていた。
他殺の疑いが出てから、警察はなにもしなかったわけではない。
過去の似たような事件の見直し、賢治氏がいなくなって利をこうむる人間を見つけだした結果
「千鶴」と「足立」に容疑者になりうる者を絞ったわけである。
他殺のセンが有力になった時点で、両者を重要参考人として引っ張ろうという声もあったが
マスコミに対する立て前で今頃容疑者になりうる者への聞き込みをしているのである。

しかし、長瀬はこの事件にはまだ裏があると感じていた。刑事の長年のカンというヤツであろうか。
それと共に長瀬は相棒の柳川が最近変わったように感じていた。コンビを組んでまだ数週間ではあるが
柳川のことは赴任当初から感じていた「同族のにおい」もあり、同族の変化は簡単にわかるのである。
「柳川君、きみ最近なにかあったかい?最近元気がないようだけど」
長瀬は自分のいだいた疑問を聞いてみた。無駄とわかりつつも・・・。
「いえ、別になにも・・・」
この疑問を聞いてみても柳川はいつもと同じ答えをするのだ。そして、このセリフはいままで何回か
言ったセリフである。
「そうかい・・・。おっ、そろそろ柏木家だな・・・」
この何気ない一言に柳川が反応したのを、長瀬は見逃さなかった。
柏木家を数メートル前に車は停車した。



その夜、県警刑事課
長瀬はタバコを吹かしていた。署内の婦警からは「長瀬さん、禁煙してくだいよ〜」と言われているが
長瀬は一向にやめる気はなかった。
長瀬の机の上には、まだ目をとうしてない書類が山のようにつまれていた。それと同じく灰皿には
吸い終わったタバコが山になっていた。
(どうしたもんかね、こりゃ・・・。)
もちろん山のような書類でも、タバコの山でもない。
(柏木家の長女と現社長の共犯?・・・それはないな。どちらも主犯になりえないからなぁ。
賢治氏の息子か?・・・それもありえないだろう。4日前に隆山に来たっていってたしねぇ・・・)
「・・・ん、・・・さん。・・・・長瀬さん!」
長瀬の思考は、横のけたたましい声によってさえぎられた。
長瀬が横を見るとそこには分厚いメガネを掛けた男が立っていた。
年は長瀬よりも2・3若いだろうか?いかにも神経質そうな男ではあるが、これでも一応長瀬の上司で
あり刑事課の課長、滝沢である。
「あっ、どーもどーも課長でしたか。最近どぉ〜も耳が遠くなりましてね」
相手が上司であろうとも、人を喰ったしゃべり方は変わらないようである。
そして滝沢はというと、なにも気にしないで話し始めた。
たぶん、これが長瀬を扱うコツというヤツなのだろう。
「それでだね、例の柏木賢治氏の件はどうなっているんだね。もうかなりたつじゃないか?
容疑者もわかっているんだろう?」
「まあ、一応は・・・ですがね。まだわからないことがありますんでね。まだ結論はだせませんよ」
長瀬はひょうひょうと言いながら、新しいタバコに火をつけた。
「んっ・・・ゴホゴホ。事件のことはわかったから・・・。ゴホッ、それとタバコは止めてください
署内の婦警が嫌がってますから・・・ゴッホゴホ・・・」
そう言って滝沢は長瀬の側を離れ、課長室に戻っていった。
(一番嫌がっているのは課長なんじゃないかねぇ〜)
長瀬はそう思いながら、タバコを吸い続けた。

翌日、早朝中央公園
「こりゃ〜ひどいねぇ・・・どうやって殺したんだろうねぇ・・・」
長瀬は白い手袋をはめた手で、現場を見てまわった。被害者は4人、いづれも男。殺され方はいままで
類を見ないほど残虐なものであった。
「長瀬さん、朝早くからご苦労様です。」
私服の男二人がおきまりのセリフを言った後、長瀬に敬礼した。
「ああ、君たちもご苦労さんだねぇ〜。こんな朝早くっから」
「いえ、仕事ですから。それよりひどいようですね、鑑識の奴等でもどしたヤツがいたようですから」
人の死体なんてものできれば一生見たくないモンである。
「君たちも見たい?一応、鑑識から被害者の写真貰ってるけど・・・・」
長瀬は不謹慎ともとれることを平気で言っている。二人は絶句した後、首を振った。
そんなもん好んで見たいヤツがいるのだろうか?
「そうかい・・・、とりあえずここは鑑識さんたちにまかせて、我々は聞き込みにでも始めますか」
長瀬のこのセリフで刑事課のお仕事が始まった。

同日夕方、県警刑事課
刑事課内で捜査の経過が話し合われた。まず被害者である4人のうち26歳の男と27歳の男以外に
接点は見受けられなかった。そして行方不明になっている少女の足どりも、下校後少女のセンパイで
ある「柏木 梓」の家から帰ったあとはわからずじまいであった。
とどのつまり耕一の情報でわかったこと以外、なんにもわかってないのである。
この日の捜査会議は今後の捜査方針と「中央公園に非常警戒体制を張る」ということで幕が降りた。
捜査会議中、長瀬はずっとタバコを吹かしながら考えていたことがあった。
(「柏木 梓」・・・・。この事件にも「柏木家」が絡んでいるのかねぇ・・・・)
この会議中に柳川の姿は見受けられなかった。

同日の夜、中央公園
非常警戒体制の張られた中央公園は、15分ごとに制服警官の巡回があった。
無論、容疑者の発見もあるが、この日の巡回はむしろ「己の身の危険を省みないマスコミ」に対する
巡回だった。当局はこの事件を「凶暴な大型動物によるもの」と公表してはいたが、ほんとのところは
複数の人間による「カルト的犯行」と見ていた。
また二人の警官が公園内を巡回に来た。彼らにとって「容疑者は今夜は絶対に出ない」という見解が
あった為であろうか。彼らはこの巡回の本筋である「中央公園内のマスコミの排除」というものを
おろそかにしていた。彼らの通っている通路の脇にある茂みに「カメラの持った女性」がいたことには
気がつきもしなかった。
(・・・・やっばぁ〜。警官が多すぎるなぁ・・・もう一度現場の写真を撮りに来ただけなのに
出るに出られない状況になちゃったよぅ・・・。見つかったらフィルムは没収なんだろ〜なぁ・・・)
幸い今までは気づかれなかったが、次はどうかわからない。彼女は相当焦っていたのだろう。
「・・・・・・うわぁぁぁぁぁぁ!・・・・・・」
警官の巡回して行った方向から、男の叫び声があがった。
彼女の直感は「一連の事件」のにおいを感じた。
(ちゃぁ〜す!これはスクープのにおいがするわ!スクープ、スクープッ!)
このときの彼女の脳裏には、「早く逃げる」ということは微塵となかったに違いない。
「ジャーナリストの本能」か、はたまた「ただの野次馬根性」かとにかく彼女は警官の行った方向に
向かって爆走した。その執念だけは見事なものである。

その夜、県警刑事課
この日長瀬は宿直だった。けっして広いとは言えない刑事課で長瀬は独りタバコを吹かしていた。
なかなか長瀬の考えはまとまりをえない。勿論、考えていることは今回の事件のことであった。
(男4人は皆殺しで、少女はさらわれたまま・・・。まっ、慰めものにされているだろが・・・。
女をさらい、人を殺す・・・。まるで「雨月山の鬼」だねぇ・・・。)
「雨月山の鬼・・・っか」
そして、もう一つ長瀬が予想していたことがあった。
(おそらく、本庁さんが出てくるだろうねぇ・・・・・。)
田舎とはいえ、いや大都市から離れているからこそ、猟期的な事件は興味を集める。それは都市から
離れていて、興味を持つ人に危害が及ばないからである。
こういう民衆の興味を引きつける事件については、警察内部で早期解決が望まれる。
Pruuuuuuu、Pruuuuuuu!Pruuuu、Pruuuuuuuu!
長瀬の思考を邪魔するかのように、刑事課の電話がけたたましく鳴り響いた。
「はい、はい・・・っと」
めんどくさそうに長瀬は側にある机の電話をとった。
「はい、もしもし・・・・刑事課ですが〜・・・」
電話の内容は長瀬の思いもよらないものだった。非常警戒体制の張られた中央公園で、何名かの警官が
殺されている・・・。電話の相手は相当混乱していたが、このことだけはかろうじて長瀬に伝わった。
「わかりました、今からそっちへ向かうんで。周りを荒らされないようにしておいてくださいね」
そう言って長瀬は電話を切り、署内に残っているものへ連絡して中央公園へと向かった。

翌日、朝
昨日と同じように鑑識が行われた。
ただし、刑事課長が現場検証に来ていることだけは昨日とは違っていた。課長だけではない、この現場
検証にはついさっき隆山についたばかりの本庁の刑事も一緒だった。
この後、署には合同捜査本部が設置される。本庁刑事の下で所轄の刑事が捜査発表する、アレである。
そして、長瀬の姿はここにはなかった。

同時刻、柏木家
「ごめんくださいな・・・・」
そう言って長瀬は柏木家の敷居をくぐった。
「警察の方が、・・・なんの御用でしょうか?」
長瀬の訪問に家の中から出てきたのは、千鶴であった。千鶴は普段着で、とても会社に出向くには
不相応な出で立ちであった。
「・・・まだ叔父さまの件で、聞きそびれたことがあるんでしょうか?」
千鶴の目は昨日のような「焦りや戸惑いの瞳」ではなかった。しかし、それ以前の「無機質な瞳」でも
なかった。この日の千鶴の目は、「人の暖かさを得た瞳」だった。
そしてなによりも、どんなことにも揺るがない態度があった。
(こりゃぁ・・・。どう攻めても、なにもわかりそうにないですねぇ・・・)
「あれ、どうしたんですか?今日は出社なさらないんで?・・・」
「インタビューですか?」
千鶴が間髪いれず答える。こうこられると、はっきり言って長瀬に分はない。
「いえね・・・。今日は柏木賢治氏の事件が当分のあいだ中止されるだろう、ということを言いに
来たんですがね・・・・・・。」
千鶴を揺さぶって何か手がかりを得るのが、無理そうだと感じた長瀬は本題を切り出した。
「そうですか・・・・」
長瀬の言ったセリフを千鶴は短い言葉で受けとめた。千鶴の目は捜査を打ち切られた遺族の持つ怒りや
悲しみ、やるせなさをした瞳ではなかった。しかし、喜びの瞳でもなかった。
「それでは、私はこれで・・・」
「わざわざご苦労様でした、事件が早く解決することを祈ってます・・・・」
柏木家をあとにする長瀬に千鶴はそう言った。
長瀬が帰った後、千鶴は耕一の部屋に戻っていった。昨晩から眠ったままの耕一の横へと腰をおろして
ささやくようにつぶやいた。
「耕一さん、あなたが目を覚ますまで私は一緒にいさせてもらいますね・・・・」

柏木家を訪れた長瀬はその足で、県警内の合同捜査本部へと向かった。長瀬が席について数分後、捜査
会議が開始された。しかし、4名の新たな犠牲者が出た以外、捜査の進展は見受けられなかった。
会議後、捜査本部から出ていく長瀬を課長は呼び止めた。
「長瀬さん、柳川君を知らないかい・・・。自宅の方にも電話しても連絡がつかないんだが・・・。
今日は一緒ではないのかい?」
(柳川君が無断欠勤とはめずらしいな・・・)
「いえ、私は昨日から見てませんね・・・」
長瀬は短く答えて、出口に向かって歩き出した。

同日、夕方
隆山を震撼させた猟期的な無差別殺人事件は、あっけない終焉を迎えた。まず、犯人は事件現場近くの
マンションに住む学生であった。学生のバイト先の店長が、何日も無断欠勤するのを不信に思い訪ねて
いき発覚した。部屋には、学生と行方不明だった少女、そしてもう一人の女性がいた。少女と女性は
半裸で陵辱された痕跡があり、学生は自分のことすらもわからない状況だった。部屋の冷蔵庫から
大量の麻薬が見つかったことから警察は、麻薬中毒の学生のよる犯行ではないか、と発表した。

翌日朝、柏木家
梓たちが出ていったあとの耕一の部屋には、耕一と千鶴が残っていた。長いくちづけをしながら、二人
はいま幸福の絶頂にいると言っても過言ではないだろう。しかし、突然の訪問者はそれをものの見事に
ぶち壊した。
「ごめんくださいなぁ〜、警察のものですけど・・・・・」
もちろん声の主は長瀬である。


長瀬は仏壇に線香を供え、
「もうご存じでしょうが、犯人が捕まりました」
仏壇に線香を供え終わったあと長瀬は、千鶴たちの方を向きそう呟いた。
「犯人は麻薬中毒の『阿部貴之』という学生で・・・・」
「そんなことを言いにわざわざきたんですか?」
長瀬が話している途中に耕一が聞いた。
「いえね・・・、実はいまさっき雨月山の水門で水死体が見つかりましてね。その帰りに柏木さんの
お宅に寄ったんですが、その水死体というのがどぉ〜も妙でしたね・・・・」
長瀬の言葉に耕一と千鶴は敏感に反応した。普通朝から水死体などという言葉を聞けば、煙たがられる
のだが、二人の反応は違っていた。二人の目は何かを考えるような瞳をしていた。
その反応を見ながら長瀬はゆっくりと話し始めた。
「その水死体なんですがね、普通の人間なら絶対に出来ないような殺され方で死んでいたんですよ。
まるで一昨日まであった殺人事件みたいにね・・・・」
そこで長瀬はいったん言葉を止めて、千鶴たちの方を見た。
「(・・・・・あの・・鬼なの・・・)」
「(・・・・・・・・・・・)」
二人は小声で何か話しているようだったが、長瀬に聞こえたのは『鬼』という言葉だけだった。
「その・・・死んだ人が誰なのか、もう警察はわかっているんですか」
しばらくして耕一が質問した。
「さっき見つかった死体の身元がすぐわかるわけないじゃないですか・・・」
長瀬は相変わらず人を喰った言い方で答えた。
(・・・『鬼』、・・・・・・鬼ねぇ・・)
そう答えながら長瀬は『鬼』という言葉の意味を考えていた。
「あの・・・・そのことがおじさまの事故とどんな関係があるのでしょうか・・・・・・」
皮肉なことにその言葉は、長瀬を答えに近づく道しるべをあたえたことに千鶴は気がつかなかった。
「いえ、この件と柏木賢治氏の事故には関係はないんじゃないですかねぇ〜」
自分はあくまでも雨月山に行った帰りに、柏木家に寄ったまでと長瀬は答えた。
(鬼・・・、雨月山・・・・・雨月山の鬼?、・・・柏木家・・・・・・・・そういえば・・・・)
長瀬の頭の中で何かが繋がろうとしていた。
「あのぉ〜、この前同伴していた『柳川』っていう刑事を憶えていますかねぇ・・・」
突然長瀬は自分の同僚の話をし始めた。
「あの若い刑事さんのことですか?眼鏡を掛けている・・・」
話の矛先が『鬼』のことから離れ、耕一は何も勘ぐることなくそう答えた。
「えぇそうです、耕一くんーーーーでしたっけ?あなたと初めて会ったときに一緒だった刑事ですよ」
「そういえば今日は御一緒ではないんですね・・・・」
千鶴はふとした疑問を口に出した。
賢治の死後、千鶴に会いにくるときは常に柳川は長瀬と一緒に来ていた。千鶴が疑問に思うのも無理も
なかった。
「実は一昨日の夜から姿を見ないんですよ。彼が何も言わないで休むなんて、珍しいことがあったもん
だって署内でも噂されてますよ」
長瀬の『一昨日の夜』という言葉に、耕一と千鶴は微かだが敏感に反応した。そして長瀬はその反応を
見逃さなかった。
(・・・・・・・・・・一昨日の・・・・・夜?)
さっきから千鶴たちと取り留めのない会話しながら、長瀬は考えを巡らせていた。
この事件の『真実』を知るためだけに・・・。そして手を伸ばせば得られる『真実』を目の前にして、
長瀬の思考は壁にぶつかった。
(なにか・・・・なにかが足りない・・・・・、全てに共通するなにかが・・・・。
・・・『柏木賢志の事故死』、・・・『鶴来屋』、・・・『現社長、足立』、『柏木千鶴』・・・・)
長瀬の思考は、考えれば考えるほど袋小路に迷い込んでいった。
「そういえば、柏木賢志氏の事件のことで、署内の報告書を調べたんですが、なかなか興味深いものを
見つかりました・・・・」
長瀬はそこで一息ついて、また話し始めた。
「鶴来屋の創設者である『柏木耕平』氏なんですがね、30年ぐらい前に誰かを探していたみたい
なんです。警察にも「捜査願い」が出されてましたし、ある興信所にも「依頼」が来ていたようです」
「お爺さまが誰かを探していた・・・?」
「ええ、勿論見つからずじまいでしたけどね・・・・」

Pliiiii、Pliiiiiiii・・・・・・
不意に長瀬の携帯が鳴った。
「長瀬ですが・・・・・、はい。そうですか・・・、わかりました」
長瀬の口調から耕一たちは、何か事件でも起き、長瀬に緊急連絡が入ったんだと思った。
耕一たちに向きなおり一呼吸おいて、長瀬は口を開いた。
「えぇ〜っとですねぇ、先ほど話した水死体なんですが、どうやら『柳川』君らしいんですわ・・・」
耕一たちは、半ば予想していたとはいえ驚きを隠せなかった。だが、その後長瀬が話した内容のほうが
耕一たちを驚愕させた。
「それで『柳川』君なんですがね、なんとか一命を取り留めたそうです。いやぁ、私が見たときには
もう助からないだろうと思ってたんで、『水死体』なんて言っちゃいましたがね・・・・」
(・・・・取り留めた、『柳川』の命を?・・・・・・・あの『殺戮を求めるだけの鬼』の!?)
耕一たちは瞬時に、いままでの惨劇が再び起きるのを感じ取った。
「いやぁ〜、医者たちも驚いてましたよ。絶対に助かりそうにないような状態でしたから、無理も
ないですけどねぇ・・・・」

耕一は、長瀬の声が遥か遠くから聞こえているように感じた。
そして、あの聞き覚えある声が聞こえてきた・・・。
(『・・・・・・・・生きている、のか?・・・・・・また死に損なった、・・ようだな・・・』)
『夢』。あの『何かに耐えながら朝を待つ夢』の中で、殺戮を唆すアイツの声。
(『・・・・ふふっふ、・・・ふっふふ、ふっはははははははーーーーー!!まだ生きている。
まだ狩ることが出来る!人の肉を引き裂き、流れる鮮血を啜れる!そして・・・いい女を犯せる!』)
(間違えない、アイツ・・・殺戮を求める鬼の声だ。)
(『・・カシワギチヅル・・・数少ない同族の女。この女を狩り、血塗れのカシワギチヅルを犯す』)
もう一人の鬼に浸食されている耕一の意識は、まどろみへ堕ちていった。
(・・・・アイツは、千鶴さんを・・・・・狙って・・・・い・る。・・・・伝え・・・な・・いと)
そこで耕一は昏倒した。
薄れゆく意識の中で耕一は『柏木家のちから』という言葉を聞いたような気がした。

倒れた耕一を部屋に寝かせた後、千鶴は長瀬に柏木家の血のことを話した。
柏木家は代々鬼の血を受け継いでいることを・・・・
そして、刑事である柳川も何故かわからないが、その鬼の血を引いているだろう、ということも千鶴は
長瀬に言った。
「・・・・鬼ですか?」
千鶴の言った言葉を長瀬は鸚鵡返しで答えた。
千鶴の目は以前の無機質な瞳だった。何の感情も持たない人形のような・・・・。
しばらくの沈黙の後、迷いながらも千鶴は静かに話し始めた。
「・・・私たち柏木家の人間には鬼の血が流れてます。鬼と言っても物語に出てくるような鬼ではなく
隆山で起きた殺人のような人を目的もなく殺す鬼です。
柏木家の鬼の血は、強靭な肉体と野生の獣以上の筋力を出せるようになります。」
そこで千鶴はいったん話すのをやめ、長瀬を見た。
「男性の場合はそれから徐々に殺戮の衝動が意識を蝕み始めます。柏木家の男はその殺戮の衝動を
制御できるものとできないものとにわかれます。叔父様はここに来たときから、自分の中の鬼を制御
することができないことに気づいていました。意識を少しずつ鬼に支配されていって・・・・」
「それで、先月の頭に自殺なされた・・・・?」
嘘をついている可能性の方が高い。・・・そうだとすると、鬼の話も嘘なのだろうか?
もし柳川が鬼の血を引いていると仮定しても、柳川だけが無差別殺人の犯人とは言えない。
柳川以外にも耕一だって、柏木家の血を引き継いでいるのである。
もちろん、千鶴が嘘を言っているということも考えられる。
だが、あえて長瀬はその考えを否定した。
「・・・耕一さんは、どうなんですか?」
『鬼のちからは・・』という意味である。耕一が鬼のちからを制御できないということも考えられる。
「耕一さんは・・・・鬼のちからを制御できます」
即答した千鶴に長瀬は疑問をもった。
「なんで制御できる、っと・・・?貴女のお父さんや賢治氏でもムリだったのに・・・・」
「耕一さんはわたしを助けてくれました、あの鬼から・・・・・」
迷いながら千鶴は、一昨日のことを話した。
千鶴が最初耕一を無差別殺人の犯人だと思っていたこと。耕一を殺しそうになったこと。
千鶴を、鬼と化した柳川から耕一が守ったこと・・・・。
そして、耕一が柳川に瀕死の重傷を負わせたこと。
「・・・鬼のちからを持つものは、普通の人より治癒が早いようです。一昨日の夜にあんなに酷い怪我
を負っても、生きていられるというのには驚きましたが・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
長瀬は無言だった。いきなり突拍子のないことを聞かされても、理解できないのは無理もない。
「信じられないのも無理ではありません・・・・。でも、・・・・・・・・・」
「もう一度、賢治氏にお線香をあげさせてもらえませんかね・・・・・・・」
千鶴の言葉をさえぎるように、長瀬は仏壇の方に目をやった。
先程、供えた線香は燃え尽きつつありながら、微かな煙を発していた。
「え、・・・ええ、どうぞ・・・・・・」
突然の長瀬の行動に、千鶴は戸惑いながらもそう答えた。
長瀬は火のついた線香の煙を見ながら、「私の推理は間違っていたようですねぇ」とつぶやいた。
推理が間違っていた・・・・、それは千鶴の話を信じるということになる。
線香を供えた長瀬は、千鶴に向き直り話し始めた。
「すいませんねぇ。終わった事件の被害者にお線香を供えるのは、私の昔からの習慣でして・・・。
これをしないと事件が終わったような気がしないんですよ」
そう言って長瀬は柏木家をあとにした。

耕一が目を覚ましたのは、長瀬が帰った数時間後だった。
日が暮れるにつれ耕一の中に不安と確かな確信が生まれた。それはーーーー
(ヤツは・・・・あの鬼は今夜きっと来るっ!千鶴さんを殺しに・・・・・・)
                                    〜続く