例えるならば、その闇は漆の碗である。 他を寄せ付けない不思議な光沢と、幾重にも重ねられたかのような深い黒、 このような例えが通用するのであれば、その夜闇は漆の碗だった。 だとすれば、その闇の中にただ一つ爛々としているそれは碗の内側である。 視界を変えるように碗の中を覗くと閃くように現れてくる、朱、朱── ──桜だ。 それは巨大な桜の樹だ。 一瞬の命を狂おしいほど鮮やかに咲かさんと、沢山の花びらが勢いを競うよ うに、まさに華々しく咲き乱れている。 その下には。 その下には、辺りの闇と見まごうばかりに美しい髪を持った女が、半ば倒れ 込むように背を幹にもたれかけていた。 幹に寄りかかりながら、放心したようにぼんやりと口を開けて上を──咲い ては散りゆく気狂いの華を──見つめているのである。 奇妙な光景であった。 そして、より奇妙なのが、 彼女が──彼女を外側と例えるのであらば──漆の碗の内側を、桜の下でひ っそりと咲く緋色の花を、そっと抱いていることである。 桜も夜も何も知りはしないし、 勿論知ろうともしないのだが、 それは、 その朱い碗の内側は、 彼女の妹だった。 そう、 彼女が殺めた、 彼女の妹だった。 ・ 哀らしい──娘である。 異人と恋に落ちたばかりに、 異人達に荷担したあまりに、 実の姉に屠られることになった哀しい娘である。 女は桜を見上げ、 風に吹かれゆらゆらとゆらゆらと降り落ちる花弁を見ながら思う。 今際の際に煌めく生命という名の炎は美しいと。 そしてそれだけは、どんな生物にも平等に美しいと。 そう、信じていた──と。 けれど、それはただのまやかしで。 そう、 だから、 だから彼女の、 彼女の妹の、生命の灯火は、 まるで、まるで美しくなど無かったのだ。 燃え上がる筈の己が血流は凍り付き、 ただただ哀しく、ただただ痛く── 全く、少しも、口先の否定もできないほどに、美しくなど、無かったのだ。 信じていた物が欺瞞であったことに気が付かされて、 彼女は何も考られなくなり、 神楽を謳うことも出来ない。 ただただ、呆けたように桜の木を見上げるばかりである。 暫くして、 腕に抱いた、散った桜が冷たくなった頃に漸く、 つぅと頬を雫が伝った。 矢張り。 華も闇も何も知りはしないし。 当然知ろうともしないのだが。 その雫は、 娘の身体から流れ出たそれと、 宙より舞い落ちるそれとを映しだして、 朱く朱く、 朱く朱く──── …了…http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2013/