一つのものが消える時、漸く人は何かに気付く 投稿者:ゆき
グシャ・・・・・・
 ちょうど、生卵の底が潰れるような感触と、音。酷くもどかしく、そして心地の良い音だ。尤も、其処か
ら漏れてくるのは黄身や白身ではなく、血液と目玉なのだが………。
 俺──尤も既に『俺』ではないのだが──の家の前にいた元同僚たち数人、既に皆頭を潰されたり、肉を
突き破られたり、臓器を引き出されたりしながらマンションの廊下に転がっていて、そして壁やドアには華
々しい飾りが付けられている。──緋色の。
──外した銃弾が壁にめり込んでいるのはご愛敬として、だ…………。
 おそらくその銃弾は、未だ熱を持っていることだろう。──全ては刹那のうちに行われたのだから。
 俺はそう思うと、小さく息を吐いた。この分だと、暫く俺は生き続けるだろう。それも良い、それも良い
のだが、しかしもし仮に俺が全ての事を終えてしまったら、俺はどうすればいいのだ?
 俺は鬱な気持ちになりながら後ろを振り向いた。見慣れたドアがある。貴之の部屋のドア。もう何度此処
をくぐり、中に入っただろうか……。そして、今この中には可能性が居る──ひょっとしたら、俺を葬って
くれるような可能性が──。
 だから俺はこの中に戻らない。だから俺はアイツ等を殺さない。
 俺は、新たな狩り場を求めて廊下の手摺りから町に向かって飛び出した。

 それから、日本は荒んだ。俺独りのために。
 人間を殺めるために生きる、化け物。そんなのが町を、駆けているのだ。
 一週間で四つ、ダウンタウンが出来た。紅い装飾で飾られた。
 二週間目で、いくつかの自衛団を黙らせた。
 三週間目で、俺は…虚しくなった…………──。

 傷、幾度となく弾痕が出来たはずの体。しかしそれには痕すら残らず。変わり映えのしない、ただ画面が
紅いだけの毎日。これがドラマならば、何と退屈なことだろう。人が死ぬだけなのだ、ただ数だけ。派手な
アクションもない、人間劇もない。ただただ殺戮。
 セックスだってずっとしていればそのうち飽きる。それと似ている。
──悦楽も、快楽もいらない……それならば…俺は何を欲している?
 何か違うものを。──俺の心の中で、貴之の声をした自分の嘆きが聞こえた。

 四週間目。あれから既に一月。
 俺はまた、隆山に戻ってきていた。
 そして今、自分や貴之の部屋があったマンションの屋上に、宙に足を投げ出して座っている…。

──ああ──────────煙草が吸いたい。
 あのむせ返るような職場のにおい。籠もる不快な、そして変わり映えがしない日常の臭い。そんなものさ
えも、今では愛おしい。人も鬼も、結局都合が良いモノを求めるのだ。
 まだ、あいつは来ない。
 唯一俺を殺せる、あいつが。
 だから此処に帰って──
「やっと見つけた」
 俺は、体をびくんと震わせた。それは、この一ヶ月間で一度もなかったことだ。そして、悦びに満ちた気
持ちで振り返る。その声の主……。
「やっと殺しに来たか」
 あの日、貴之の家にやってきた人間の片割れ。
「アズサとか────言ったか」
 俺の姪の独り。漢字までは知らないが、敢えて聞くべきでも──無いだろう。
 それに、今からどちらかは消えるのだ。──それ以外は、俺が赦さない。
「柳川…とか言ったね、アンタ」
 肯定も否定もせず、そして真似るわけでもなく俺に言ってくる。
 冷静だ、いや、寧ろ哀れみに満ちている。
 俺は何を言えば良いんだろうか?
 俺は何をすれば良いんだろうか?
 疑念が頭の周りを舞う。
 それを振り払うため、そして何か事態が進展するように、俺は立ち上がった。
 瞬間──────アズサは宙を舞った、そしてそのまま、給水タンクの上に着地する。
「アンタはもう、終わりだよ」
 アズサがそういう。咬み合わない会話だ。
 だが──俺がアズサに注意を引かれているうちに、屋上入り口のドアから沢山の自衛隊員たちが入ってき
た。わらわらとわらわらと、まるでゴミ──いや、事実塵だ。
「なんのつもり、だ?」
 俺は呆れた。
 こんな連中に、何が?
「アンタは理解っていないんだ。アンタの言う『ゴミ』のような武器が、その体にどれだけのダメージを与
えるかを。なあ、アンタの体には、今どれくらいの銃弾が詰まってる?」
「戯れ言はそのくらいにするべきだな」
 俺は、ぴしゃりと言い返す。
「理解っていないのはお前の方だ。良いか、俺がその気になれば──必ずしもならなくても──こんな連中、
ものの数秒でカタが付く────────」
 しかし、発言権はその瞬間に奪われた。

 形容するのも鬱陶しくなるような音。それも聞き飽きた。
 激しい銃撃。
 数十の銃口から放たれる銃弾が、俺の体を──それも殆どが腹部を貫こうと突っ込んでくる。俺はそれな
りの激痛を受けながらも、よけもせず、防ぎもしなかった。
 面倒くさかったのだ。

 次第に銃撃は少なくなり、数分後に、消えた。
 俺は生きている。
 ぽたぽたと垂れる血液がコンクリートに絵を描いているが、しかし俺は生きている。
「一発も、貫通しない」
 俺は虚無的に、そう呟いた。
 腹は酷く剔られている。
 しかし、はじの方から再生が始まっているのだ、既に。
──巫山戯ている。
 俺は死ねないのか。
「確かに、銃だけでは──」
 そう思ったとき、アズサが俺の目の前に現れた。
「でもあたしなら、これなら、貫ける────!!!!」
 俺は動けなかった。全く、少しも、完全に、間違いなく。
 語りながら俺に拳を放とうとするアズサのその顔が、体が、四肢が────酷く、酷く美しくて、俺は思
わず…見とれていた。
──何だ……こいつ、よく見ると美人じゃないか……。
ずんっ
 鈍い音と、何かが弾ける音。
 体がバランスを無くした。
 俺の四肢は、爪の先まで痺れていた。
 そして頭の奥の方も、ちりちりとくすぐったいほど痺れている。
 でも、俺は目を開いていた。
 アズサの顔を、見つめていた。
「お前がこんなに美人なら……あんなヤツにくれてやるんじゃなかった…………」
 そしてそのまま、アズサの顔を心に抱き、俺は暗闇の中へ──
                   … 了 …