七夕の日に 投稿者: ゆき
俺──柏木耕一──は、柏木家にある自分の部屋の中で一人、あることを考えていた。
──遅い。初音ちゃんの帰りが遅い………。
 いつもなら、とっくに帰ってきていてい時間だ。夏の長い日が既に西に傾いているこの時間まで…彼女は学校で何
をやっているのだろうか?勿論、俺の来ることは知っているはずだが…。
 俺はそう口に出しながら、ごろんっ。と寝返りをうつ。
──何だか少し心配だなぁ…。
 ──と、俺が切なげに呟いたとき、からからから…と家の戸が開く音がした。
「…た…ただいまぁ……!」
 そして俺の耳に届く可愛らしい声。…でも何だか少し疲れた感じだ。──何はともあれ、俺は勢い良く跳ね起き、大
急ぎで玄関に向かう。因みに、煩くならない程度に足音もたてておく。
「初音ちゃんっ!お帰──」
 だがしかし、玄関で初音ちゃんの姿を見た俺は、流石に言葉に詰まった。……なぜならば、初音ちゃんは彼女よりも
背の高い大きな笹を汗をびっしょりかきながら抱えていたからだ。ただそれでも、「俺が家にいる」と言うことだけでその
天使の笑み──少し疲れた感じだけど──を絶やしはしない。
「お兄ちゃん、ただいまっ!──」
 初音ちゃんは元気良くそう言ったが、俺が動かないでいるのを見ると心配そうな顔になって、
「──ねえ、どうかしたの………?」
 と、小さく続ける。俺はそう言われてもなお少し固まった後、
「…初音ちゃん、その──結構俺的に羨ましい持ち方をされている──笹はなに?」
 と、ぎこちない笑みを作りつついった。因みに、本当に羨ましい。
 すると初音ちゃんはキョトンとした顔をして自分の持っている笹を見た。そして少し考えた後、呆れたような、それでい
てちょっとだけ怒ったような表情を作り、
「……お兄ちゃん…!今日は七夕の日だよ…?」
 と、表情通りの調子でそう言った。
「…いや…勿論それは重々承知してるけど…だって、そのためと初音ちゃんに会うために今日は大学をサボってやって
来たわけだし…でも──」
 ──それだってその笹は大きすぎる。
「──それより、早く渡しなよ。すごく重そうだよ」
「…え、うん。はい、じゃあちょっと持っていて」
 俺が話を打ち切るみたいにそう言うと、初音ちゃんは俺の気遣いに喜んで微笑み、そして(ちょっと遠慮しながら)俺
に笹を手渡した。受け取るとともに来る笹の重み。っていうか、重さよりも大きさが鬱陶しい。
 初音ちゃんが靴を脱いで家の中にあがると、俺は言った。
「初音ちゃん…良くこんなに大きいのを持ってこれたね…大変だったでしょ…。っていうか、これどうしたの?」
「え、これ?うん、これはね…毎年くれる人が居るんだよ」
 苦笑している俺に向かい、可愛いくすくす笑いをしながら初音ちゃんは答える。
「そう言えば…そんな人もいたかな?」
 あまり記憶にはないが、深く言及しなくとも良いだろう。
「うん。…お兄ちゃん、それよりもほら、早く飾り付けをしようよ」

 取り敢えず笹を庭に置くと、俺達は部屋に入って早速飾りを作り始めた。二人とも畳に寝っころがり、向かい合って折
る。しかし…。俺は初音ちゃんを見て思う。…この折り紙の力量の差を見ると…初音ちゃんの飾りを見てから俺の飾り
を見た日には──おいおい、俺のは子供が作る紙飛行機レヴェルか…?
「はい、できた(はぁとまぁく)」
 初音ちゃんは、何回目かのその科白を言いながら顔を上げた。勿論、手の中には綺麗に折り挙がった飾りがある。
今度のはどうやら…織り姫のようだ。難解な折り紙も、すごく楽しそうに作って、速くて、綺麗だからすごい。
「お兄ちゃんもできた?」
 初音ちゃんは折りあがった飾りを他のと一緒の場所に置くと、折り紙を取るよりも先に俺にそう言った。俺は思わず
視線を下げて、自分の折ったものを見てしまう。俺が折ったそれは…いやその…イカの飾りだ(何故だ)。
 俺は顔が熱くなるのを感じながらそれを初音ちゃんに見せる。初音ちゃんは困った顔をして、
「何でイカさんなの…?でも、ある意味ですごいよ」
 と、フォローにならないフォローを入れた。そして少しそのまま黙った後、気を取り直すように、
「そ、それじゃっ…、次はわっかとかをつくろうか」
 と、ぎこちなくいった。

 長めのわっかが三本できたので、俺達はそろそろ飾り作りをやめて短冊作りを始めた。最も、これは線を引いてそれ
に合わせて切るだけだから結構楽だ。すると自然に、お願い事の内容が話題になる。
「……そう言えば、初音ちゃんは何をお願いする?」
 俺がそう言うと、初音ちゃんは少しだけ困ってから、
「ううん…いっぱいあってわからないよ」
 と、誤魔化すように呟いた。ところで、俺は初音ちゃんのこういう仕草を見ていると苛めたくなる悪い奴だったりする。
「例えば、お兄ちゃんができたみたいに今度はお婿さんが欲しいとか?」
 俺は意地悪くそう言い、手を休めて初音ちゃんをじっと見入る。因みに、お婿さんとは俺だぞ。
 初音ちゃんは俺にそう言われると、真っ赤に顔を染めて、
「……もう…そんなこと書けないよ…」
 と、困りながら言った。そして彼女も短冊作りの手を止めて、
「それなら、お兄ちゃんは何をお願いするの?」
 と、反論してくる。だが、俺はあっさりとそれに答えた。
「初音ちゃんとずっと一緒にいたい」
 勿論ジョークではない、本気だ。それが通じたのかどうかはわからないが、それを聞いた途端に初音ちゃんはさっき
以上に顔を紅くする。
「お、お兄ちゃん……。それ、本当の、本当に本気で言っているの?」
 迷うことなく頷く俺。
「それじゃあ、それを本当に短冊に書ける?」
 ちょっと身を乗り出して初音ちゃんがそう言うと、俺は今度は少し迷った。シュミレートされるそのときの映像………
……………。シュミレートが終わると、俺は絶望とともに顔を畳に押し付けた。
「ご免よ初音ちゃん…。気持ちは本気だけど、俺は今更彦星になるのはイヤだよ…」
 そんなものを書いた日には、俺はこの家に帰ってこれるかわからない。いや…あの程度ならばまだいいが、もう少し
突っ込んだ口説き文句でも書くと…うう、気持ちが恐怖に追いつかない。俺の愛の深さもまだまだなのか。
「何だか大袈裟だよ…」
 顔を上げると、初音ちゃんがそう言いながら苦笑していた。

「何か沢山できちゃったねぇ…」
 改めて作った飾り達を見た初音ちゃんは、苦笑しながら言った。確かに、飾りの数は多めだ。
「でもまあいいじゃない。笹はあんなに大きいし、それに飾りが多い方が願い事が叶うんだよ」
「…それもそうだよね」
 俺の他愛無げな一言に、初音ちゃんはにっこりと笑った。
 …ううん。いや…なに…考えてみると俺達は二人っきりだったりするんだよな…。こんなに可愛くて、とことんまで愛
してる初音ちゃんと珍しく二人っきり…。俺はそんな考えに取り付かれると、何だか酷く焦れたような気分になり、思
わず初音ちゃんの名前を呼んだ。別に何を言うわけでもなく。
「ねえ…!初音ちゃ──」
 だがしかし、初音ちゃんが俺の方を向いたところでそれは遮られることになった。
「おーいっ!かえってきたぞーー」
「……ただいま」
 梓と楓ちゃんである。俺はちょっとだけ、一瞬だけ、二人を恨めしく思ったりした。

 それから、俺達四人は飾り付けを始めた。俺が笹をおさえて、飾り付けはみんなにやってもらう。
 全部飾りが綺麗に飾られた頃、千鶴さんも帰ってきた。
 そして、五人で短冊の内容決めと、はりつけをした。
 みんなそれぞれの願い事を書いたけれど、俺と初音ちゃんだけは少し自分に嘘を付いた。二人して書いたのは「平
和でいられますように」。悪くはないけれど、俺は少しだけ心残りだった。

 夜、みんなが寝静まった頃に、俺はそっと部屋に出た。小さな、そして大事な短冊をもって。
 闇の色は、美しいほどに「蒼」かった。黒よりも紺、紺よりも──蒼。そんな闇だった。俺は息を付きながら天を仰い
だ。もう七月だというのに、不思議なほど空は澄んでいる。俺にはどれが彦星だか織姫だか──ましてまだこの空に
映っているのかさえ──わからなかったが、それでえも俺は宙に見とれた。
──川に阻まれた二人。
 けれど、決して会えないわけではなく。
 常に優しい結末は待っている。
 俺は再び歩き出し、笹のところによった。
「あ──」
 俺が綺麗に飾り付けられた笹の前まで来たときに、後ろから小さい声が聞こえた。俺は、にっこりと笑みながら後ろ
を振り向き、
「やっぱり、考えることは一緒かな?」
 そう、初音ちゃんに声を掛けた。声を掛けられた初音ちゃんも元気に頷くと、とたとたと俺の方に走り寄ってくる。勿論
、手には小さな短冊が握られていた。
「…やっぱり…なんだか心残りで」
 初音ちゃんは俺の横まで来ると、恥ずかしそうにそう言った。
──心残り、か。
 辛くない嘘は、それでも心に残ってしまうんだな、と思う。俺もそんな感じだから彼女の気持ちは良く解る。
 …とは言え、こんなに可愛い初音ちゃんを黙ってみているわけには行かないんだな、これが。
「なんて書いたの?」
「…えへへ。お兄ちゃん、そんなに聞きたいの?」
 俺がやはり意地悪い感じでそう言うのに、初音ちゃんは顔を赤らめながらも逆に俺をからかうように言った。そしてそ
れから、ゆっくりと俺の方に短冊を向ける。
『大好きなお兄ちゃんと、ずっとずっと二人で一緒にいられますように』
 それには、そう書いてあった。俺はそれを何度か読み返してから、返事をするように自分の短冊を見せる。
『愛する初音ちゃんと、ずっと離れずに二人で一緒にいられますように』
「また一緒だね」
 それを見た初音ちゃんは、嬉しそうな笑みを浮かべながらそう言った。
「以心伝心だな」
 俺はそう言いながら二つの短冊を、笹のできるだけ高いところに結びつける。同じ場所に、わざと紐を絡めるように
して。それが、俺達をずっと繋げてくれればいいな、と思ったから。そして、二人して同じように、同じ願いが叶うとい
いなと思ったから。
 俺は──俺達は、そんなことを考えながら暫しその笹──かけられた願い達をを見つめる。
「考えてみると…もう七夕は終わっちゃっているんだよね」
 俺の横で、初音ちゃんが残念そうにいった。しかしその声には、何処かしら強がっている印象があった。
「そうだねぇ──」
 俺は、そう言いながら彼女の頭に手を置く。普通に慰めるのもいいかもしれないけれど、せっかくだからいろいろとい
うのもいいだろう。時には直接、時には間接的に。それもいいだろう。
「──だけどさ…こういう願いなら例外を認めてくれるんじゃないかな。ほら、向こうだって一年に一回しか会えないか
ら、多少は俺達の気持ちは分かるだろ。…尤も…俺達の間には天の川みたいなご大層な物はないけどさ」
 そして、初音ちゃんの髪の毛を何となく指に絡ませながらそう続ける。夜に漂う薄い明かりが、初音ちゃんの顔をま
るで泣いているみたいに写す。…いや、本当は泣いているのか?
──表面上は、君は泣かないよな…。でも…やっぱり多少は…辛いよな…。
 誰も悪くない。強いていえば俺が悪い、辛さ。──自分のもつ愛すらも、他の人に遠慮してしまう弱い俺。『まだ年齢
が年齢だし』と言い訳しつつ、二人のつき合いはみんなに隠してる。
 彼女は俺に言われたから、安心して俺を愛してくれている。でも、やっぱり不安な時もあるのに。
 俺自身すら自分を疑うのに…初音ちゃんは…。
「…ちょっと寂しいけど、みんなが起き出す前にとらなくちゃね」
 俺が複雑な思いにかられていると、初音ちゃんが寂しげな声でいった。今度は強がっていることを隠そうともせずに。
「せっかく…つけたんだけどな──」
 俺はそのことを考えると、ますます辛くなった。気休めかもしれないけど、それでも俺達の繋がりを肯定する物なのに、
やはりはずさなければいけない。本当は必要ないのかもしれないのに、はずさなければならない。俺は酷くやりきれな
い気持ちになった。──が、いっている途中で、結構いい方法を思いついた。そして、即座にいう。
「──そうだ。あの短冊、他のよりも一足はやく川に流そうよ。そうすれば無駄にならないし、どんな短冊よりも速く海に
着くよ」
 そうすれば。あの二つの短冊を、しっかりと結びつけて川に流せば。誰にも気がつかれないけれど、決して離れなく
てすむ。そして、やはり二人の願いは成就される…だろう。そうでなくても、俺達は哀しくならない。
 俺がそう言うと、初音ちゃんはぱっと顔を明るくして頷いた。
「うん、そうしようよ。二つ一緒に流れていけば、きっと…」
 そしてそう言う。だけど、どうやら恥ずかしくなってしまったようでその先は続かない。──でもね、初音ちゃん。俺に
はその先の科白が、手に取るように解るよ。
「……きっと願いは叶って、俺達はずっと一緒だよ」
 俺も、そう考えていたんだから。
 俺にそう言われた初音ちゃんは、ますます顔を紅くした。桜色が、少し濃いめの桃色に変わる。
「う、うんっ!」
 そんな恥じらいを押し隠そうとするかのように、初音ちゃんは多少大きめな声で答えた。それから、やっぱり耐えきれ
なくなってそっぽを向いてしまう。でも…からだをもじもじ動かしてるのが何とも言えないな…。
 俺はそんな初音ちゃんが可愛すぎて、結局後ろから抱きすくめてしまった。
「あっ」
 初音ちゃんはびっくりして体を震わせるけど、それでもすぐに俺に寄りかかってきた。俺はふっと笑い、それから初音
ちゃんの耳元で囁いた。熱い、夏の夜風よりも熱い吐息だらけの声で。
「辛いの…解ってるつもりだよ。だから俺、精一杯初音ちゃんのこと安心させるように…。自分も安心するように…愛し
てくよ…。だから、初音ちゃんは必要以上に辛くならないで。…さ、速く短冊を流しに行こう」
 初音ちゃんは俺にも解るくらいに顔を熱くして、そして頷いて、それから、
「うん、解ったよ。でも──」
 恥ずかしげに、口を開けた。漏れるのは優しすぎる、暖かすぎる言葉。
「──もうちょっとだけ、二人の短冊をつけておこうよ。一緒に、暫く見ておこうよ…」
 その声を合図に、俺達は顔を上げる。
 するとそのとき。
 ふと空に──二本の光の線が流れたような…そんな気がした。
                       … 了 …

/blockquote>