その日のお昼頃、俺と初音ちゃんは二人だけで散歩をしていた。てくてくてくてく。春の暖かい日差しを浴びながら、 二人並んで歩く。──そのうち、俺達の前に桜の並木が見えてきた。 それはとても綺麗な光景だった。綺麗なピンク色の花びらは、優しい太陽に照らされ、微風が吹く度にちらちらと落 ちてくる。華やかさ、儚さ、潔さ、端麗さ…など、美しさと呼ばれるものをを全て持ち得ているような光景だった。 俺達は、至極当然のようにその並木道に入った。 「いつ見ても綺麗……」 初音ちゃんが、桜を見上げながらうっとりした感じで呟いた。額に手をかざし、眼を細めながら。 俺も同じように額に手をかざし、そして桜を見る。ピンク色の花びら達もさることながら、その隙間から垣間見える青 空もまた、美しい………。ただ、その美しさは溜息をつきたくなる美しさとは少し違い、何だか微笑みたくなるような… ある意味で「可愛さ」も持っていると思う。それも含めると、まさに日本人好みの花だ。 そのままぼーっと桜を見つめていると、不意に風が吹いた。風が吹いてくる方角から、順番に桜が散っていくのが解 る。そして、俺達の上にある桜も、風に吹かれてちらほらと落ちてくる。在る者は勿体ぶるようにゆっくりと、在る者は 潔く素早く、在る者は風に乗り遠くへ…それぞれ、全く違う行動をしながら地面に向かって落ちてくる。──美しさを保 ちながら。 俺はその桜から視線をはずし、初音ちゃんを見た。──と、初音ちゃんは、落ちてくる花弁を捕らえようとでもしている のか、左手を前に出した格好をしていた。上を向き、落ちてくる花弁を目で追っている。 俺は、その光景が何だか可笑しくて、それとともに不思議で、少し悪戯をしてみたくなった。辺りをきょろきょろと見回 してみて誰もいないのを確認する…よし。 俺はそろそろと初音ちゃんに近寄り、そして── 「何してるの〜?」 ──とか言いながら、初音ちゃんを背中からぎゅぅぅぅっと抱きしめた。思わず躰を震わせ、悲鳴を上げる初音ちゃん。 「ひゃっ──」 そして前に出した手を引っ込めて、右手とともに掴まれている俺の腕に添えた。そして、 「──もう、お兄ちゃんの所為で取りそこなっちゃったよ…」 と、頬を辺りと同じ色に染めながら言った。 俺はそれを聞くと、苦笑しながら謝った。 「いや…ゴメンゴメン。何をやっているのかなぁ…と思ってさ」 すると初音ちゃんは、エヘヘ…と笑いながら、 「あのね、桜の花弁で、オマジナイをしようと思ったの」 と、気恥ずかしそうに答えた。 「オマジナイ…?桜の花弁で?」 初音ちゃんがあんまり可愛くてあたたかいものだから、未だ離さない俺。その体制のまま、初音ちゃんに聞いた。 ──あたたかいし…何よりやわらかいぞ…。 「うん。そうだよ。──えっとね、落ちてくる花弁を左手で取って、それに右手を添えてお願いをすると、叶うんだって」 親切に答えてくれる初音ちゃん。俺はそこで漸く、初音ちゃんを離した。そしてまたしても聞く。 「へぇぇぇ。それってやっぱり、『左手』じゃないとダメなの?」 「うん。左手じゃなきゃダメだよ。……でもね、これって簡単そうに見えて結構大変なんだよ」 初音ちゃんは、そう言いながらまた左手を前に出し、花弁を追いかけ始めた。俺も何だかやってみたくなり、初音ちゃ んに習って左手でそれを取ろうとする。──おお、意外とムズイ。 結局、二人とも花弁を取ることができたのは数分後のことだった。 「これにね、右手の人差し指をあてながらお願いするんだよ」 初音ちゃんは嬉しそうにそう言うと、人差し指を花弁にあて、目を瞑った。俺も苦笑気味に笑いながら、同じようにす る…………。願ったことは──まあ、周知の事実であり、敢えて記すまでもないだろう。……恥ずかしいし。 俺が目を開けて初音ちゃんを見ると、初音ちゃんは頬を染めながら上目遣いに聞いてきた。 「ちょっとお約束な質問なんだけど……なんてお願いしたの?」 「ひみつ〜。初音ちゃんもそうでしょ?」 俺がそう逆に聞き返すと、初音ちゃんは楽しそうに微笑みながら、 「エヘヘ、実はそうなんだ」 と、照れながら答えた。その答え方が何か面白くて、俺は少し笑った。 「これ、そう言えばどうするの?」 俺は、指に未だ残るお願い済みの花弁を指さしながら聞いた。 「え…?あ、そう言えばそう言うの知らない…どうするんだろ」 初音ちゃんも、首を傾げながらそう言う。俺は少し悩んだ後、 「……じゃあさ、俺達で作っちゃわない?」 と、提案した。初音ちゃんもそれに頷き、また俺達は思案し始めた。 *** 「────よし、決めた…食べちゃおう」 俺は、いきなりそんなことを言い、花弁を口の中に放り込んだ。びっくりしたのは初音ちゃんだ。 「お兄ちゃん。それ本気…?」 とはいえ、俺はもう口に含んでいる。──ゴク!無理矢理飲み込んだ。舌には花弁のしっとりした感じが、咽にはち ょっと違和感が残った。 「うん。美味」 大嘘である。だがまあ、自分の秘めたお願いがかかっているのだから、捨てたりするのは忍びない。それなら、内に しまい込んだ方が良いのでは……と、思うのだ。 「…じゃあ、私も…」 それでも心配そうな初音ちゃん。 「無理しなくても良いと思うけど」 俺がそう言うと、初音ちゃんは困ったような顔をして言った。 「でも、せっかくお兄ちゃんが決めたんだし…。──やっぱり、私もやるよ」 そして、意を決して口に入れる。──が、初音ちゃんは何だか辛そうに目を瞑った。 ──ああ、飲み込み辛いんだな。 俺はそれに気がつくと、初音ちゃんに顔を近づけながら言った。 「……それじゃあ、俺が代わってあげるよ…。はい、口開けて」 俺に言われ、素直に小さな口を開ける初音ちゃん。俺はまた辺りに気を配った後、そっと初音ちゃんにキスをした。び っくりする初音ちゃんだが、あまり抵抗はしない。俺はそのまま、初音ちゃんの口の中にある花弁を自分の口に移し、 そのまま飲み込んだ。そして、静かに唇を離す。名残惜しいというのはこんな感じだ。 「ああ、美味しかった☆」 そして、照れを隠すように笑いながらそう言う。初音ちゃんは、耳の裏まで真っ赤にして、 「もうっ。お兄ちゃんのばかぁぁぁ」 と、言いながらぽかぽかと叩いてきた。 俺はそんな可愛い初音ちゃんに叩かれながら、顔の火照りを隠せないことを感じていた。 … 了 …