俺は、ゆっくりと初音ちゃんから唇を離した。でも、躰は離さずに抱きしめたままで居る。俺はそのまま、ぐっと初音ち ゃんを抱き上げた。すると初音ちゃんは少し驚いて、 「…え?」 と、頬を赤く染めたまま俺に尋ねた。 俺は優しく微笑みながらこう答える。 「初音ちゃんがずっと近くにいてくれるといいな…と思うんだよ」 本当はそれだけの理由ではなく、下半身を見られたくないという理由もあるのだが…。 取り敢えず俺にそう言われた初音ちゃんは、今度は顔中を赤くして俺の胸に顔を埋めた。俺はそんな初音ちゃんの 頭を優しく撫でながら、家に帰るため空に──。 ──跳ぼうとしたときだった。後ろに「鬼」の気配と、ものすごい力を感じた……。 俺は躰が凍り付くように感じた。『ものすごい力』と俺は言ったが、その「力」はさっきのオリジナルの比ではなかった。 俺程度、触れれば消滅させられるんじゃないかというほどの…『強すぎる力』。 俺は恐る恐る──本当に恐る恐る!──後ろを向いた。そこには──。 「「──!」」 俺と初音ちゃんは、それを見て思わず息をのんだ。 そこには、紫で身を包み込んだ……おそらく男であろう……人間──否、鬼が居た。今のは比喩というよりも確実な 事実だった。肩まで垂らした紫の髪の毛、薄い紫の眉、きつい紫の瞳、艶やかに笑みを浮かべる紫の唇、厚く躰を覆 う紫のローブ、指に塗られた妖しい紫のマニキュア……。 それら全てが、一種異様な美しさと怖ろしさを醸し出していた。俺はそれを、唖然とした表情で観察していた。 そのとき、男の紫色の唇がまるで妖しい生き物のように蠢き、言葉を紡いだ。 「なかなか…面白い人材ですね…」 その「声」は明らかに男のものだというのに、醸し出している雰囲気や口調のタイミング、それ以上に見た目から、ま るで女性の声を聞いているような錯覚に陥った。俺と初音ちゃんは何故か異様な脅えに見回れ、一言も発すること が出来なかった。男は続ける。 「ですが……まああの男があまりに弱かったのも原因ですからね…。せっかく私が力を貸してあげたのに…」 男はそう言うと、俺の目をちらりと見た。すると納得したように手を打つと、 「そうですか。ひょっとして貴方、どうしてさっきの男が復活したり増殖したりしたか不思議に思っていますね…?それ はですね……」 そう言い、そして自分の唇を指さした。 「……私が、彼を取り込んであげたから何ですよ──」 そして、艶やかな唇をゆっくりと開く。するとその中には……。 「──この、私の機械仕掛けの躯の中へ…!」 本来赤く染まった肉があるところを全て、ある意味で美しいメタリックの機械達が除いていた。それは個々に勝手に 蠢いて(!!)いて、まるで何か──獲物を求めて居るかのようだった。 俺は、恐怖以上に何が何だか解らなくなって、混乱していた。 ──こいつは誰だ。 俺の頭で唯一統合されている疑問がそれだった。だが男は俺にかまわず、ぺらぺらと喋り続けた。 「これがどういう原理か…まあそれは良いでしょう、話が長くなりますからね。まあ簡単にいっておくと所詮私も作られ し存在でしかないと言うことでしょうか…。マスターの果てしない魔術の結晶がこの私。そしてマスターからいただいた 力で作ったのが彼…そんなところです。ただ、私も一つ失念していました。機械の躯では、魔王への進化が出来ない …ボディが耐えられないということです。──私もまだ浅はかということでしょうか。まあ良いでしょう、話を詳しくしてい きましょうか…。始まりは、あなた達が初めて私たちの世界に来た頃ですね」 男はそう言うと、薄く笑いながら遠い目をした。そして語り出す。俺達には、口を挟める雰囲気すらなかった。 「あのとき貴方や彼(タケダテルオ)が来たのは、確かに全くの偶然でした。そして、貴方は彼にうち勝ち許の世界に 戻ります──ですが、彼は戻りませんでした。いえ──正確には戻さなかったのです。実は裏切り者──ルカ・アー クウェルには私たちも手を焼いていましてね。そこで、彼(タケダテルオ)の許の世界にいるルカの先祖……つまりあ なた達を抹殺しようと考えたのです。そうすれば彼は消えてくれますからね。そのため、私は彼を呼び寄せ、取り込み、 彼の記憶を伝ってこの世界まで来たのです。ですが、残念なことに計算が狂いました。あのルカ・アークウェルも来て しまったのです。空間移動の混線か何かですかね?まあ良いのですが」 男はそう言うと言葉を切り、くく…と笑った。 「おかげで随分と作戦に支障がでてしまいました。初めはオリジナルの彼だけでやるところを、コピーを出す羽目にな ってしまったのですから。それも、コピーは随分と性能が悪い上に昔の彼のままでした。つまりは無知、ただ騒いでい るだけになってしまっていたのです。……まあ、無知と言えば彼や私もそうなのですが。特に彼に限っては、私の策を 一部無視して一人で暴走を始めてしまいましたし。…取り敢えず、そう言う偶然や何かも重なりまして、あなた達の勝 ちというわけですよ。私は…そしてマスターは、一応それを称えることにして此処は引き下がることにしますよ。私たち の一部の目標は達成されたのですから。──そう、ルカ・アークウェルはもう私たちの世界に戻ることは出来ないので すから…」 男は長い演説を終えると、ふわっと宙に浮き、そして最後にいった。 「そうそう、この長い種明かしもあなた達を称えてのことですよ。あなた方のおかげで、私たちの目標は達せられたの ですから。──ああ、そう言えば自己紹介が遅れていましたね」 そして礼儀正しくお辞儀をしながら、 「──私は作られし者、『魔王』アダマスト・ドラッグス。以後お見知り置きを。そして…ごきげんよう」 と、優雅に語り、ふっと闇夜に溶けていった…。 俺はその光景を見て、思わず口にした。 「魔王は…既に降臨していたんだな…」 俺達はその後、取り敢えず頭を落ち着けてから家に向かって飛び立とうとしていた。 「やっと帰れるんだね」 俺は飛び立つ前、腕の中にいる初音ちゃんにそう話しかけた。初音ちゃんは複雑そうな表情で頷いた。 「うん…これで本当の本当に、終わりだね…」 俺は、初音ちゃんの言葉を心の底からかみしめながら空に跳んだ。 ちょうど山と家との中間近くまで来たとき、俺はふと思い当たったことがあって初音ちゃんに聞いた。 「初音ちゃん…何で俺に着いてくる気になったの?ひょっとしたら負けちゃうかもしれないのに…」 俺はそう言いながらも、初音ちゃんが居たおかげで勝ったことを思い出してはいた。すると初音ちゃんは、目を細め て微笑みながら答えた。それは、ある意味で凄くこじつけ的な意見だったが、初音ちゃんの口からでたという事実だけ でごく自然なもののように思えた。──初音ちゃんはこう答えたのだ。 「お兄ちゃん…さっき私とスピードをやったでしょ?それの結果を私をお兄ちゃんに、お兄ちゃんをメタオさん達にしてみ たら…最後には勝つってでていたから」 俺はそれを聴いて驚き、慌ててそのことを思い出した。 初戦、初音ちゃんは油断していた俺に勝つ──甘く見ていた一匹のメタオは、二人にぼこぼこにされた。 二戦、始めに勝ったのは俺だが、その後追いつかれ引き分け──はじめのメタオには勝ったが、オリジナル率いる メタオ達には勝てなかった。 三戦目、俺は何とか初音ちゃんに勝つことが出来た──ルカは、メタオには勝てたがオリジナルに負けた。 そして四戦目、真剣勝負で、俺は初音ちゃんに負けた──死闘の末、俺は奴に勝った…。 …俺は笑いながら言った。 「全く…こじつけだなあ…」 すると初音ちゃんも同じように笑い、 「えへへ…本当にそうだね」 と、言う。そこで俺は眼差しを真剣なものにし、初音ちゃんの耳元でそっと囁いた。 「でも……信じてくれてありがとう…」 それを聴いた初音ちゃんは、顔をほんのり赤らめて頷いた。 … Fパートへ続く …