目が覚めた。 私は、重い頭を降りながら上半身をあげる。カーテンから、眩しい朝日が漏れている。けれど、私の「心」は薄暗く曇 っていた。いつもと同じ、けれど一向に慣れない朝。 ──何でこんなに辛いんだろう…。 私は、やっぱりいつもと同じように自分に問いかけてみる。 そして、いつもこう答える。 ──前世の記憶の所為。 いやだ…。私はそう考えてから、自己嫌悪に陥った。 何でこう考えちゃうんだろう。どうして、誰かに責任を押し付けるんだろう。 悪者を作ったって、その人が傷つくだけなのに。何でだろう。 目頭が熱くなって、目に見える物がぼやけてきた。私は思いっきり目を擦ると、ベッドから抜け出た。 ──いつもいつも、いやな朝。 そして、嫌な自分。 お台所に行くと、もう梓お姉ちゃんが朝御飯の支度をしていた。ちょうど、今はお味噌汁を作っている。 私は、あまり気を散らせないように声を掛けた。 「おはよう。梓お姉ちゃん」 すると梓お姉ちゃんは、勢いよく振り返って、 「遅いぞ、初音」 と、ジト目で見ながら言った。 私はぺこっと頭を下げて謝ると、食器棚からお茶碗とお椀を出してきた。こう言うのは、いつも私の仕事なのだ。 私がお茶碗とお椀を抱えて梓お姉ちゃんの所に戻ってくると、梓お姉ちゃんはまだこっちを向いていて、 「悪いな。…ったく、千鶴姉もこのくらい出来ればいいのに…まあ、無理な話だけどさ」 と、いいながら苦笑していた。 …私は、そんな梓お姉ちゃんの言葉を聴いてぎこちなく微笑むと、 「…梓お姉ちゃん。余所見していると失敗するよ」 と、呟いた。でも、梓お姉ちゃんが失敗する所って言うのは、あまり見たことがない。 ──でも。 「解ってるって、大丈夫大じょう──あ…!!」 梓お姉ちゃんは、私の目から見ても解るほどに、お味噌の加減を間違えていた。余所見をしていて、お玉に取った分 があまり解らなかったのだ(私と話しもしていたし)。その上、梓お姉ちゃんは絶望的なことを続けた。 「…味噌の加減を間違えた上…出汁を取るのを忘れていた…」 いつもの朝とは違う出来事だった。笑えないけれど。 朝御飯。私は、依然程じゃないけれどこの時間が嫌い。──耕一お兄ちゃんがいないだけで、こんなに暗いんだもん。 …それは良いとして、今朝はいつもよりも千鶴お姉ちゃんが嬉しそうだった。梓お姉ちゃんが言うには、お味噌汁が 失敗したので、それの揚げ足が取れるから…だって。私にはよく解らない。 「へぇぇぇ。梓ぁ…。今日のお味噌汁、不思議な味ねぇ」 千鶴お姉ちゃんは、梓お姉ちゃんを横目で見ながらそう言った。…でも、その後お湯で薄めたり、出汁を入れたりした からあんまり「不味く」はないと思うんだけど。 千鶴お姉ちゃんにそう言われて、梓お姉ちゃんは、 「うっ、うっさいなぁー。あんまり変わらないだろっ!」 と、出来るだけ強がって言ったけど、千鶴お姉ちゃんは聞こえないみたいに、 「梓。貴女、いつも私に『味音痴』とか『亀』とか『料理下手』とか言うけれど、貴女も大したことないじゃないの。全く、自 分を棚に上げてよくいうものねぇー」 と、何だか嫌味を言うように言った。 梓お姉ちゃんは顔を真っ赤にして、 「ふん!私はたまたまだろ。千鶴姉はいつもじゃないか」 と、怒鳴った。 「あーら。そう?」 千鶴お姉ちゃんは、さっきまでの嫌味さを消して、何だかいい人になって言った。 「でも、私だって『たまたま』かもしれないわよぉ?」 何だかいやな予感がして、私はおろおろと二人を見比べた。千鶴お姉ちゃんはにっこり笑っていて、梓お姉ちゃんは 真っ赤になっている。今度は、助けを求める気分で楓お姉ちゃんを見た。けど、楓お姉ちゃんは関心がないみたいにご 飯を食べている。…あ、でも、お味噌汁は全部飲んでるや…。 「…いや、それはないね」 梓お姉ちゃんがいきなりそう言ったので、私は驚いてそっちを向いた。 ──ああ、どうしよう。 私が困っていると、梓お姉ちゃんは、言ってはならないことを口走ってしまった。 「成長途中のミスと、『年増』のミスと。どっちが絶望視されると思──」 その言葉は、予想通り途中で止まった。 私は慌てて千鶴お姉ちゃんの方を見る。さっきと同じ笑顔の中に、何か黒くて冷たい物が蠢いている気がした。 そして、千鶴お姉ちゃんは『死刑執行』と同意の科白を吐いた。 「あ ー ずー さ ー ちゃ ー ー ん 。 も う 一 回 言 っ て み る ぅ ー ?(にっこり)」 そして素早く立ち上がると、梓お姉ちゃんの頭を掴んで、廊下に引っぱり出そうとする。梓お姉ちゃんは慌てて、 「わっ、千鶴姉!じょ、冗談だよっ。わっ、止めろぉーっ。はなせよぉーっ…」 と、言ったけれど、千鶴お姉ちゃんは無視をして、 「さ、今日の晩御飯は盛大に焼き肉パーティね」 と、何だか凄いことを言った。 「わーっ!!やめぇーっ!共食いかいいいいいいいっ!!」 「さ、血の雨を降らせましょうっ!」 「うぎゃぁぁぁぁっっ!たすけてぇぇぇぇぇっっっっ」 …私は、そんな光景を呆然と見ていた。 やがて、二人の姿が見えなくなってから、 ──晩御飯。私が作ることになるのかな。 と、思っていた。 二人がいなくなってから、少し経った。 私は、落ち着きなく楓お姉ちゃんの方を見る。何でだろう、楓お姉ちゃんと二人でいると、何だか苦しかった。 ──何でだろうも何もない、かな。 解っている。私は、楓お姉ちゃんとエディフェルにヤキモチを妬いているんだ。 …でも。私なんかより、楓お姉ちゃんの方がずっと、耕一お兄ちゃんには相応しい気がする。 だって、楓お姉ちゃんはずっと待っていたんだもの。ずっと、ずっと昔から…。 そして、私は楓お姉ちゃん──エディフェルから、次郎右衛門さんを奪っていたんだから。だから、楓お姉ちゃんの方 がいいに決まっている…。──でも、でも。 ──私、どうすればいいの…。 私が、重い頭でそんなことを考えていると、楓お姉ちゃんはすっと立ち上がった。 思わずそっちに顔を向ける。いつもは優しく映るはずの楓お姉ちゃんの目が、今──最近は、冷たく映る。そして、そ の瞳のまま、楓お姉ちゃんは言った。静かに。 「初音……もっと自分に素直になりなさい。他人のことばかり気にしていると、そのうち潰れてしまう…」 そしてくるっと振り返ると、食器を流しにもっていった。 ──そんなこと…解ってるよ。 私は、心の中で言い返した。 解ってる。解っているんだけど…。 どうしても、素直に考えられなかった。考える分だけ、苦しくなった。 学校は、殆ど集中できていなかった。 一日中、楓お姉ちゃんの言った科白が頭に張り付いていて、離れなかった。 ──自分に素直に──。 無理だよ、そんなの。 気が付くと、私は家に帰ってきていた。 勉強なんか、全然頭に入っていない、そもそも、今日誰と話したかすら…。私は、誰も帰ってこないうちに部屋に行き、 ベッドの上に転がった。 楓お姉ちゃんの科白と耕一お兄ちゃんの笑顔が、心を覆った。 私は、ご飯を食べ終わると急いでお風呂に入った。 ご飯を食べている間も、殆ど楓お姉ちゃんの科白のことを考えていた。そして今も。 熱いお湯の張ってある湯船につかる。私は、天井を見て溜息をついた。 ──一人ではいるお風呂って、やっぱり嫌なことを考えることの方が多いな…。 (シンジくんじゃないけれど)私はそんなことを考えて、今度は目線をしたに移した。 自分の、たいして魅力のない躰が目にはいる。私は思った。 ──耕一お兄ちゃんだって、楓お姉ちゃんみたいな綺麗な躰の方が良いって思うに、決まってるよね…。 それに、私の胸は小さいし。こんなのじゃ、絶対にダメだよ…。 ──確かに、「あのとき」お兄ちゃんは綺麗だ──って言ってくれたけど…。 そう考えたとき、私は「あのとき」のことを思い出してしまって、顔を真っ赤にした。 私、何を考えているんだろう。でも──私は、思い出し序でに「あのとき」のことを考えた。視線を、おなかの方にもっていく。 ──「あのとき」、本当にこの中にお兄ちゃんが入ったのかなぁ…。 あのときはちゃんと解ったけど、今になって思うとあまり実感が湧いていなかった──。 ざばんっ! 私は、そこまで考えて更に恥ずかしくなり、誰もいないのにお湯の中に潜った。 実感はなくても、恥ずかしいものは恥ずかしいのかもしれない。 …私は、お湯の中にいるにも関わらず、頬が熱くなるのを感じていた。 よる。真夜中。 私は、眠れずにいた。いつもとは違う夜。 ──耕一お兄ちゃんの声が聴きたい。 そんな考えが、私を落ち着きなくしていた。 ──耕一お兄ちゃんの声が聴きたい。 その考えは、私の小さい胸を突き刺しているような気がした。 ──耕一お兄ちゃんの声が聴きたい。 私は、何かを押さえつけるように目を瞑った。けど──。 ──耕一お兄ちゃんの声が聴きたい。 ──我慢が出来なかった。私はベッドから出ると、誰にも気付かれないように、そっと部屋から出た。 ──絶対に、迷惑だよ。 いざ電話の前まで来て、私はそんな不安に駆られた。時間はもう二時、絶対に迷惑だ。 ──それに、ひょっとしたら居ないかもしれないじゃない。 でも、手は動く。受話器を取った。そして、頭の中で耕一お兄ちゃんの家の電話番号が浮かぶ。 私は、もう片方の手を、番号の上にのせた。そして、押さないようにその番号のうえを、指で滑らせる。 ──やっぱり止めた方が良いよ…。 お兄ちゃん、きっと迷惑するよ…。私の頭で、それは響いた。 ──でも、待っていてくれるかもしれないじゃない。 私は、必死に自分に言い聞かせた。 ──もっと、自分に素直になろうよ…。 何度となく反芻してきた科白を、私は力強く言った。その途端、指が、耕一お兄ちゃんの家の電話番号を押していた。 コールがなる。お兄ちゃんは取ってくれるだろうか。迷惑がらないだろうか…。だが、その思考は一瞬で終わった。 一コール目の途中で、受話器が取られた。そして流れてくる、耕一お兄ちゃんの優しい声。それも、 「初音ちゃんかい?」 耕一お兄ちゃんはそう言ったのだ。取ってすぐに、何はともあれ、それを一番最初に! 私は、感動と驚きで震える声を出した。 「こ…耕一お兄ちゃんっ!」 すると耕一お兄ちゃんは、 「ああ、やっぱりそうだった。…ゴメンね、俺も何度となく掛けようと思っていたんだけど、そのたびに決心が付かなくて …。本当なら、俺の方から掛けなきゃいけないのに」 それでも、私は嬉しくて泣き出しそうだった。 耕一お兄ちゃんは、ずっと私のことを考えてくれていたんだ! お兄ちゃんは続けていった。 「そうだ。お詫び…と言っては何だけどさ、一つだけ、初音ちゃんのお願いを聴いてあげるよ」 私はびっくりして聞き返した。 「私の…お願い!?」 「そう。何でも良いよ、俺の出来る範囲なら、何だってしてあげる、聴いてあげるよ」 私は、自己嫌悪に陥った。だって、私は酷いことを考えてしまったんだもの。 ──楓お姉ちゃんのことを、好きにならないで…と。 …なんて嫌な人間なんだろう。私は、何でこんな事を考えちゃうんだろう。 それでも、私は訊きたくて仕方がなかった。泣きたくなったけど──でも、私は…。 「…本当に良いの」 私は、呟くように言った。 「ああ、勿論。何だって良いよ」 お兄ちゃんは、そう言うと受話器越しに笑い掛けてきた。 …私は、自己嫌悪と躊躇いに引き止められながら言った。 「お兄ちゃんの好きな人、誰」 よく、学校で友達と交わす会話の筈だった。でも、でも、今回の科白は、何故だかものすごく重みがあったような気 がした。そして、ものすごい後悔の念。 ──何でこんな事を訊いているの? 凄く、自分が嫌な人間に思えた。 お兄ちゃんは、私の科白を聞いたあと、暫くの間だ待っていたが、やがて話し出した。 「…良いかい、俺は次郎右衛門じゃないし、楓ちゃんはエディフェルじゃない。そして、初音ちゃんはリネットじゃない。 これは解るね」 私は、まるでお兄ちゃんが目の前にいるような錯覚に捕らわれて、その場で頷いてしまった。 「…だったらさ、初音ちゃんが縛られることはないんだよ。だってそうだろ?人のことを好きになることに、制約なんて要 らないんだから。…そしてそれは、俺も同じだよ」 私は、何だか複雑な気分になった。自分は、何を聴きたいのだろう? 「………私は、お兄ちゃんのことが──」 ぼーっとした頭で、私は言おうとしたが、お兄ちゃんはそれを遮った。 「そのことは、お互い本当に会っているときにしようよ」 「え?」 私は、また驚いて聞き返した。 「それってどういう──」 するとお兄ちゃんは、優しく、力強く言った。 「明日さ、そっちに行くよ。初音ちゃんに会いに、初音ちゃんの為だけに」 翌日──本当は今日なのだけど──の学校の帰り、私は昨日とはうって変わって、明るい感じで歩いていた。 今日も学校の授業には集中できなかったけれど、昨日とは違い、耕一お兄ちゃんのことばかり考えていたせいだか ら、私は幸せな気分だった。 家に着いた。うきうきした気分で、そしてちょっぴり不安な感じで、私は引き戸を開けた。 そして、いつもとは違う言葉を発するのだ。 「ただいまっ!耕一お兄ちゃんっ!」 そして、中からもいつもとは違う声が帰ってくるのだ。 「お帰り、初音ちゃんっ!」 今日は、昨日までとは違う、幸せな一日になりそう…。ううん、幸せな一日だよ…。 … 了 … (原案 ゆき 原作 ゆきorM・K 文 ゆき) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- (M・K=え ゆき=ゆき) ゆき:何とか終わりました。ある日の二回目。つまりは改稿です。お楽しみ戴けたでしょうか? え:実は、今回私はノータッチです。いや、改稿に当たっては一応口を挟んだのですけど(笑)。 ゆき:どーも、僕だけで書くと暗くなりがちなんだよね。 え:性格の問題かしら? ゆき:先入観の問題と言ってくれ。 え:因みに、「ある日シリーズ」のコンセプトは「いつもと違う日」です。 ゆき:それでは、またいつか会う日まで!(明日か?) でわでわ・・・