愛は静けさの彼方に 投稿者:真船 投稿日:3月6日(火)02時49分
 先輩が壊れた。

「ひーろゆきー、おんし相変わらず目つき悪いのぅ。ほれ、笑ってみれー。キャハハ」

 物静かでおとなしかった先輩が、ものの見事に壊れた。

「みれーみれー落ち葉拾いー。キャハハハー、ピコピコ」

 端整な顔立ち、流れる黒髪、白いドレスも美しく、大口開けて笑っている。

「ヘイ、マークス。お前ビビッてんじゃねぇのか。
 何言ってやがる。俺はこの手で何百人も敵兵の首をねじり切ってきたんだぜ。
 りーりーりー、江戸屋猫八。キャハハハハ」

 俺がこの事を知らされたのは昨日の夜だった。

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 晩飯をカップラーメンですませ、リビングでくつろごうとした時、電話が鳴った。

「はい、藤田です」
『あ、浩之? 私、綾香』
「おう、どうしたこんな時間に?」
『あ、あのね、ちょーっと困った事が起きてるのよ』
「困った事?」
『う、うん』
「なんだよ、言ってみろって」
『今日ね、お屋敷でパーティーがあったのよ』
「それで?」
『退屈だったんでお酒ばっか飲んでたら、つい飲み過ぎちゃってね』
「しょーがねーなー、まったく」
『で、ほら、姉さんの日頃の運動不足を解消してあげようと思って組み手の相手をさ
 せたのよ』
「な? 先輩に? 何考えてんだ!」
『仕方ないじゃない、酔ってたんだから。もちろん私も本気じゃなかったんだけど、
 運悪くいいのが一発入っちゃって』
「先輩を殴ったのか」
『ハイキック』
「ハイキック!?」
『後頭部に』
「後頭部に!!」
『冗談のつもりだったのよぅ』
「当たり前だ!!」
『でね、すぐ目を覚ましたのはいいんだけど・・・』
「まさか、後遺症が・・・?」
『その、ちょこっとおかしくなっちゃって・・・』
「おかしくなった? もっと具体的に言えよ」
『う、う〜ん、説明しづらいわね。とにかく明日、家に来て欲しいんだけど』
「分かった。まったくお前って奴は何でこう・・・」
『アハ、ハハハ。じゃ浩之、明日ねっ』

 ツーツーツー

 切りやがった。しかし大丈夫かな先輩。ひどい事になってなければいいんだが・・


 次の日、来栖川家を訪れた俺は先輩と対面した。

 ひどい事になっていた。
 ひどい事どころの騒ぎではなかった。

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 先輩は上機嫌で歌っている。
 その歌声は美しく、朗々と響き渡る。
 船乗りを惑わすサイレンの魔女のごとく。

「これは はのしるをす−うー アブラムシ
 これは はっぱのいろがーわるくーなる はだにー」

 だがダメだ。せっかくの美声も『かだん』の歌じゃ台無しだ。

 俺は先輩を抱きしめた。

「先輩・・・俺が必ず元に戻してやるからな」

 せっかくの良いシーンに突っ込みを入れる奴がいた。

「どうやって?」

「てめー綾香っ! 事の元凶がずいぶん無責任な言い方だな」
「そう言わないでよ。わたしも色々試してはみたのよ」
「と言うと?」
「こうなった時と同じショックを与えてみたり」
「また蹴ったのかっ!」
「セリオのスタンガンで電気ショックを与えてみたり」
「スタンガン!?」
「しかも軍事用」
「軍事用!!」

 ひょっとしてコイツ、先輩の事嫌いなんじゃないか?

「いや〜ん、二人とも何話してるの〜、仲間はずれなんて酷いわ〜」
「いや、仲間はずれにしてるわけじゃ・・・」
「なんやとワレ! あたいのどこがフランス人だ! ボンジュール・ムシュー。
 さあ浩之、ジュテームって言ってごらん」
「ジュテ・・?」
「スペインの雨はおもに荒野に降る。ロシアの核はおもに中国に降る」
「中国?」
「岡山とか、ってそれは中国地方やんかー。いややわーお客さん、私こう見えても昔
 ゴッチ道場に行ってたのよ」
「ゴッチ?」
「カール・ゴッチは私に言ったわ。セリカ、君のブリッジはサヤマより素晴らしい。
 キャハハハ。ゴッチーゴッチー、ねームーミン、ゴッチ向いてー」

 嗚呼、こんなの先輩じゃない・・・

「聞いてよ浩之。綾香ったらひどいのよ〜。さっきなんか私を裸にしてムチで殴った
 のよ〜。ピシィピシィって」
「ムチで!? ほんとか、綾香?」
「ジョークよ、ちょっと試しただけ」

 ジョークか? それが。

「よかったわ〜」

 よかったんスか!?

「あぁ、もう。埒があかないわ。・・セリオ!」
「――はい」

 先輩はセリオに羽交い締めにされ、別室に連れて行かれた。

「我々ー静岡県人はーお茶ばっかり作っているわけではなーい。みかんとか紙とかも
 作ってるんだー。とにかくー、アイシャルリターーーーン・・・」

 先輩の姿が見えなくなると俺達は大きくため息をついた。

「どーしよ、浩之」
「どーしよって言われてもなぁ」
「何か方法はないかしら。強いショックを姉さんに与えるような」
「なぁ綾香、もっとこう穏便な方法はないのか?」
「う〜ん」
「例えば、催眠療法とか」
「やったわ」
「じゃあ食餌療法とか」
「効果あると思うワケ?」
「むー。某温泉旅館の会長さんの料理なら・・・」
「大した穏便な方法もあったものね。でもそれ面白そうだわ、やってみましょ」


 と、いうわけで届けられた。
 某温泉旅館の会長さんの料理が。

「なるほど・・・」
「噂には聞いてたけど・・・」

 それ以上のコメントはやめておいた。俺だって命は惜しい。

「セリオ! 姉さん連れてきて」
「――はい」

 その料理の前に座らされた先輩は、一言で言うとやさぐれていた。

「ケッ、実の姉にこんなもん食わせようなんて綾香も偉くおなりだねー。
 それはそうと、セリどんや、電話貸してもらえんかね」

「――はい」

 セリオが先輩に携帯電話を渡す。

「もしもし。私、来栖川芹香っていいます。今、実の妹にいじめられているんです。
 私はもうどうしていいか・・・えぇ・・・そーなんです・・・ひどい妹で・・」
「姉さん、誰と話してるの?」
「みのさん」

「貸しなさいっ!!」

 無理やり携帯を奪い取ると、綾香は電話を切った。

「ひどいわっ、綾香ちゃん。昨日はあんなに優しかったのに・・・。あなたの手が私
 の胸元をまさぐる度に私は・・・」
「やめなさいっ! 今は浩之もいるんだから!」

 っていうか、否定はしないのね。

「綾香。とにかくこの料理を先輩に」
「・・・そうね。セリオ、姉さん押さえてて」
「――はい」
「うぐぅ、ボク嫌だよ。そんな事する人嫌いです。たすけてー秋子さん」
「姉さん、隠れて私のゲームやってたのね」
「綾香、それって18禁じゃ・・・」
「全年齢版よ!!」
「がお」
「あぁっ、それも姉さんが持ってったの? どおりで捜しても見つからないと思った」
「綾香、それは全年齢版出てなかったハズだが・・」
「ぐっ・・。でも、どうしてアナタがそれを知ってるの?」

「・・・」
「・・・」

「とにかく食べさせようぜ!」
「とにかく食べさせましょ!」

 俺と綾香は二人掛かりで先輩の口に『その料理』を押し込んだ。

「うがぁ、やめろぅ、ショッカー。この場合はさしずめ食ッカー、ってか?」
「黙って食べなさい!!」

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「動かなくなったな・・・」
「動かなくなったわね・・・」

 全てを食べ終えた後、先輩は頭から煙を吹いて倒れこんだ。
 それ以来動かない。そりゃもうピクリとも。

「あんなカレーを食べさせられればな」
「肉じゃがでしょ、あれ」
「・・・」
「・・・」
「まぁ、いいか」
「まぁ、いいわね」

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 先輩は自室へと運ばれた。
 今は静かに眠っている。

 眠り姫は王子様のキスで目を覚ます。

 そんな言葉が、俺の脳裏に浮かんだ。

「せんぱい・・・」

 俺はそっと彼女にキスをする。
 唇を合わせるだけの軽いキスを、美しき眠り姫に。

「・・・」
「先輩?」

 お伽ばなしの通りに、彼女は目を覚ました。

「浩之さん?」

 いつものか細い声で俺の名を呼ぶ。

「先輩、戻ったんだな! よかった! 本当によかった!!」

 不思議そうに俺を見上げるその眼差しは、確かに以前の先輩の物だった。

「・・・・・」
「何かあったのですかって? いや、いいんだ。大した事じゃない。先輩が覚えてな
 いんなら、それでいいんだ」

 俺は強く彼女を抱きしめた。
 先輩は優しく俺の頭を撫でてくれた。

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「じゃあ、俺はもう行くよ。いつまでも女の子の部屋にいるわけにはいかないからな。
 それからな、先輩。酒飲んだ綾香にはもう近づいちゃダメだぜ」

 コクン、と彼女は頷いた。相変わらず不思議そうな顔ではあったが。

「んじゃ、また学校でな!」

 俺は意気揚々と帰宅の途についた。

 先輩はやっぱり可愛いなぁ、なんて事を考えながら。

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「ふ、ふふふ、ふははははは。
 なーんてね、なーんてね。もう浩之ったらすぐ騙されるんだから!
 そこがカワイイんだけどね!! キャハハハハ。
 さて、と。
 取り敢えず、綾香ちゃんにお仕置しないとネ。
 おっしおきおっしおき〜」





 受難の時、未だ終わらず。




                           でもSSは終わる。




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