Penumbra 2059:3 Matrix in the Shadows (Mark B) 投稿者:水方 投稿日:5月24日(木)00時50分
===== はじめに =============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。日本設定よりも9年後、ほぼ未訳状態の2059年を舞台にしています。
『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていくつもりです
が、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
 なお、この『シャドウラン』こそがオフィシャルという想いは微塵もありませんの
で、実際にこのような雰囲気で『シャドウラン』がプレイされるかは、その卓を取り
仕切るマスターとプレイヤーによる事を、最後に申し添えておきます。
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☆Major Act.6:『光明』  Silver lining.

 01:08 a.m.
 濃紺のクライスラー=ニッサン・パトロールをぎりぎりまで寄せ、停めると同時に両
サイドから乗員を吐き出す。
 発見が早かったせいか、まだプレスも集まってはいない。
 この裏路地を興味深げに覗き込む野次馬も、ほんの数人ほどだ。
 裏路地に入ると、そばに控えた背の高い男がキープテープ(現場保存区画紐)を持ち
上げ、雅史と垣本を通した。
「坂神か。他は?」
 膝を伸ばし、雅史はなお見上げて銀髪の顔を仰ぎ見る。
「岡田とデュースが聞き込み、小村は奥」
 それだけ言うと、坂神と呼ばれた銀髪の偉丈夫は口を堅く閉じた。
「外向きは任せた」
 垣本のセリフも、軽くうなずきを返しただけ。
 十メートルばかり進むと、二人にも現場が見えてきた。
 五人の鑑識が地面や壁にへばりつく中、ヘッドセットを被った女性のみが立ったまま
携帯端末に記録している。
「あ、班長!」
 その手を止めて敬礼をしようとするのを制し、雅史たちは路地の突き当たりまで足を
進めた。
 雑居ビルの裏口らしきコンクリートのステップに、缶ビールが飲みさしのまま放って
おかれている。
 その横で、メタロッカーの『ナッツクラッカー』が雄叫びを上げるラジオデッキ。
 座ぶとん代わりに敷かれていたであろう、二流のポルノグラビア。
 すぐ傍に置かれたオンロードバイク――派手なマーキングと音まわりに改造を加えた
ヤマハ・レイピアは、キーすら差されたまま、重いチェーンをだらりとぶら下げている。
 きっかり3台。
 何も無くなっちゃいない。
 ――その所有者を除けば、だが。
「小村、これは?」
 バイクを指差す垣本に、ショートカットの女性が白いヘッドセットの耳の部分を軽く
叩いた。
 すかさず二人とも皮下スイッチをなで、オクトフォン(喉振動マイク)の入力を受け
入れる。
『ナンバーは偽造ですが、持ち主は割れています』
 雅史と垣本のヘルメットに、小村の声がノイズ付きで届いた。
『それで?』
 雅史は先を促した。
『この周辺が縄張りのゴー・ギャングです。リーダー格の《赤い水星》ことサブロー・
マキウラ他2名』
 端から見れば、黙りこくった男女が三人立ちつくしているようにしか見えないが、こ
うする事で読唇術もアストラルからの盗聴も、ほぼ無効化できる。
『今までに書類送検が二度』
『大したコトはしちゃいない……』
 垣本はそう喉を動かしつつ缶ビールそばに転がっていた薄い三角形のチップを拾った。
『……てわけじゃないと思うんだが?』
 垣本の差し出したチップを見て、雅史の顔が険しくなる。
『BTL(電脳麻薬)か!』
『あぁ、二週間前に見つけたかったな』
 小村の顔に、さっと悔しさが走る。
『リアンに八つ当たりされてね……結局うまく隠されて、いつもの弁護士がお定まりの
コースで丸めたもんだから』
『そういう奴……なのか?』
『ミツハマの重役の息子でぇ――』
 小村はあきれ顔で手を広げた。
『お母さまは某有名シムセンス女優』
『……そういう奴なんです、佐藤班長』
 雅史は首を振った。
『それで、他に無くなったものは?』
「なんにも」
 小村は大げさに手と首を振って言った。
 ――これでないしょ話は終わりか。
 垣本もオクトフォンのスイッチを切った。機密を要するのは失踪者の身元だけらしい。
「『201B』か?」
「おそらくは」
 雅史の問いに、小村が答えた。
 最近このあたりを騒がしている、人体消失にも等しい失踪事件。
 これで11人。互いに何の関連もなく、発生間隔すら秩序がない。
「今回はクレッドスティックが一本落ちてました。それで分かったんです」
「中身は?」
 小村の視線が垣本のほうを向いた。
「3時間前にバー『トリチューン』で使われて以来、差し引かれていません」
 そこで小村は軽く唇をなめた。
「――残金、17万8250新円(現在の相場で約2,192万円)」
 そのセリフで、垣本が天を仰いだ。
「俺たち三人の年俸より多い……」
 勢いをつけて、視線をやや下に落とす。
「……世の中って不公平だと思いませんか、班長っ」
「ぼやかない、ぼやかない」
 なだめるように、雅史は垣本の背を軽く叩いた。
「例え100万新円あっても、使えなきゃただのデータ列さ」
「確かに、ここまで高額だと『俺が赤い水星のサブローだぁっ!』って本人が叫ばない
限り、1新円も出せませんね」
 微笑み混じりに顎を引き、小村も雅史のほうを見る。
「班長!」
 そこに、第四の声が割って入った。
 三人の視線が、その声……鑑識の顔に注がれる。
「ゴミ袋のすき間に、突っ込まれていました」
 鑑識がぶら下げたポリ袋の中には、銀色の短針銃――アレス・バイパーがぶら下がっ
ていた。
「グリップ(銃把)に何か付いてますね」
 垣本の言うとおり、ポリザードナロン製のフレームが衝撃で割れており、その周りが
薄く汚れていた。
「血……違うな、何だろう?」
 その言葉で小村の頭が、びくん、と跳ねる。
「うわ、何これ」
 ――小村、アストラルで《観ている》な。
 さり気なく垣本が小村の体を支えた。
「何が見えた?」
「何にも」
 小村の視線と意識が雅史に引き戻される。
「でも、何か知らない、嫌な感じです、班長」

 『何かこう、自分が壁に取り囲まれているような、そんな感じ』
 あの廃墟で、琴音がつぶやいたセリフが、雅史の頭の中を繰り返し打つ。

「すぐ調べて」
「はい」
 一礼の後、鑑識は雑踏の中に消えた。


☆Major Act.7:『儀式』 Ritual.

 同じ頃、当のサブローたち三人は、暗く冷たいコンクリートの床に横たわっていた。
 彼らの周りを取り囲むように、七つの名も知れぬ白茶けた塊が煙を上げており、苦く
酸っぱい香りを打ち捨てられた廃ビルの部屋に満たしている。
 その煙を割るように、黒いフードを被った小柄な影が浮かび上がる。
 ぶつぶつとつぶやきながら、影は小刻みに震える。
 苦い香りが、濃さを増して中央の三人を取り囲む。
 そして、影は両膝を床に落とし、手を大きく広げてのけぞった。
 黒いフードがばさり、と落ち、茶色いつややかな髪が広がる。
 彼女――太田香奈子の顔から汗が飛び散る。
 そして、その眼は、はるか彼方、虚空に浮かぶ扉の向こうを見つめていた。
「……○▼※凵I∀!!」
 常人には決して理解できぬ無秩序な叫びで、長々と続いた呪文の最後を締めくくった。
 そばに控えていた相棒が三人の近くに寄り、四本の腕でサブローを抱える。
《ギィ!》
 相棒が短く発すると、薄れ行く煙の向こうから、さらに二体の姿が現れた。
 顔には大きな緑色の網と太く折れた触覚が二つ突き出し、口からは巨大な顎を生やし
ている。
 そう、アリ人間――人のように二本足で立つ、四本腕のアリ。
 相棒と二体のアリ人間は、三人の首筋に手のひら大の麻酔パッチを張りつけた後、軽
々と持ち上げて奥の廊下へと消えていく。

 香奈子はけいれんを起こしたかのようにぴくぴくと体を跳ねるに任せる。
 儀式は終わった。
 この結果が出るまでには、未だ数日はかかるだろう。
 その間は麻酔が効いている。目覚めた時が――もう一つの目覚め。
 今回も失敗はしていない。
 いや、むしろ――今回こそは『戦士』が得られるか。
 香奈子は、声を出さずに笑っていた。
 歓喜と昂揚が、彼女の細い体から発している。
 いつもの儀式が終り、いつにも増して近づいているのが、分かったからだ。
 《女王》の存在が。


 友のその姿を物陰からじっと見つめ、瑞穂はやるせない思いにとらわれる。
 かつて友といっしょに通った、あの学校で起きた、あの事件。
 あれで、香奈子は変わってしまった。
 もう元には戻らないのか。
 ずっと、あのままなのか。
 その答えに結論が出せないまま、瑞穂は香奈子のそばにいる。
 香奈子が望むまま、香奈子と共に生きている。
 ――いつか、香奈子が戻るかもしれない。
 儚く、悲しく、そしてあまりにも痛い希望。
 その希望を捨ててまで、この第六世界に生きていたくはない。
 それだけが瑞穂の存在理由だった。

 ――だって、
 誰一人いない世界で
 生きていたって
 楽しくないじゃない。
 ――香奈子だって。


★Minor Act.3:D+VINE[LUV]

 暗闇の中、荒い息づかいが響く。
 汗みずくの雅史さんの顔、視線が険しい。
 凛々しさ?――違う。
 戦って――いるの?
 その時、雅史さんの背後で何かが動いた。
「くっ!」
 雅史さんの右手から、轟音と閃光がはしる。
 それで、相手は両腕を撃ち抜いた。
「――ぐぅわぁああぁ!!」
 雅史さんが大声を上げ、右手からぽろり、と銃が落ちる。
 雅史さんのわき腹に、茶色い杭が刺さっている。
 いや、違う。
 あれは――。

 ――腕だ。


「雅史さぁん!!」
 その声と共に、琴音はベッドから跳ね起きた。
 パジャマ代わりのTシャツとスウェットには、驚くほどの汗が染み出している。
 ベッド脇のデジタルを見ると、02:32 a.m.
 俗に言う『逢魔が時』。
 ――三日前に雅史と出かけた記憶が、今になって自分を怖がらせているのだろうか。
「違う」
 両腕で自らを抱きしめながら、琴音は短く言葉を切る。
 かつて得た古の力――シャーマンとして目覚めさせた魔力が、その問いに否と言って
いるのだ。
 予知(Divination)。
 琴音もまた、古鋭人――イニシエイトと呼ばれる上位魔術師への道を歩みつつあるの
だろうか。

 手に取ったリストフォン(携帯電話)のフリップ・スクリーンを戻し、琴音はふぅ、
と息をついた。
 勤務中なら邪魔だし、非番ならゆっくり休ませてあげたい。
「私には、何が出来るんだろう?」
 その答えを見つけるのに七分の時間を要した後、琴音は浴室に向かい給湯器のコック
をひねった。
 ――とりあえず、汗ばんだ体を洗い流そう。
 琴音はゆっくりとシャツをたくしあげた。


☆Major Act.8:『帰還』 Return to the Six.

 眩しく差す朝日に照らされ、祐介は幾度目かの朝を迎えた。
 食事すらろくに摂らず、ひたすら思考の迷宮の中をさまよう日々。
 今日もまた、ただ時間が流れるだけの無為を費やさねばならないのか。
 ――よそう。
 何十回となく繰り返す問いに対して、答えはいつも一つ。
 ――自分は、罰を受ける身なのだから。
 その時、廊下に靴音がした。
 ――朝食には、まだ大分早いはずだけど……?
 祐介の推察通り、スカイブルーの制服に身を包んだ警官は手に何も持っていない。
 祐介の部屋の番号を確認したのか、扉の上を見て二、三度うなずくと、警官はベルト
からぶら下げた茶色い筒を扉に押し当てた。
 あっけないほど軽い音と共に、網目の扉が開かれる。
「出なさい」
 祐介は素直に靴を引っかけ、数日ぶりに牢獄の扉をくぐった。
「――取調べですね」
 警官は何も答えない。
 案内された部屋には、スチールの机とパイプ椅子が二脚。
 ドラマで見覚えのある、取調室そのままである。
 その机の上には、祐介の所持品が並べてある。
「これで全部か、確かめなさい」
 祐介は机に近づいた。
 リストフォン、クレッドスティック、レンラクの支払い保証済みクレッドスティック
1本、ハンカチなど小物、そして――銀の指輪がひとつ。
「全部です」
 祐介が警官にそう告げると、警官は今まで塞いでいた扉のノブを握った。
「じゃ、それを全部持ちなさい」
 そして、廊下に出る扉を手前に開ける。
「――釈放です」
「!?」
 とっさに、何を言われたのか理解できなかった。


 とぼとぼと頼りない足取りで、KSD(来栖川警備保障)の玄関をくぐる。
 その足が、つい、と止まった。
 8段ある階段の下に、
 自分とほぼ8メートルの距離を置いて、
 あの姿が、立っていた。

「よぉ」
 声と共に、軽く辛い香りが、祐介の下へと運ばれる。

 坂下好恵がそこにいる。
 それだけで、充分な気がした。

=== To be continued. ===

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