Penumbra 2059:3 Matrix in the Shadows (Mark A) 投稿者:水方 投稿日:3月10日(土)19時03分
===== はじめに =============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく
つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく
思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
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☆Major Act.3:Remember her warm.

 昼の強い日差しが、灰色の壁を照らす。
 その白さをまぶしく思いながらも、祐介は温かさを感じないまま、作りつけの
堅いベッドの上で三角に座っていた。
 トレイに並べられた料理は、そばまで引き寄せていながら口を付けていない。
 右手奥には、申し訳程度のついたてに隠れたポータブルトイレが片隅に置かれ
ており、左手向こうは荒い格子状に組まれた鈍いあずき色の鉄棒が一面を埋めて
いる。
 KSD(来栖川警備保障)の留置場の中。
 トリデオ(3次元TV)で見るよりも、はるかに清潔で、快適で、それでいて
居心地の悪さをどうしても感じずにはいられない、嫌な作りの部屋。
 もっとも居心地の悪さについて、祐介はさして関心をはらってはいない。
 いずれ、もっと居心地が悪い場所に行かなければならないのだから。
 高い塀に囲まれた刑務所か。
 ここと同じような部屋の中に、わずか十三段の階段と台がしつらえてある空間
――処刑台かに。


 長瀬祐介とて、この第六世界を安穏と過ごしていたわけではない。
 数ヶ月ばかり前の事である。
 彼が通う学園での、いつもと変わらぬ一日を半ばまで過ごした時。
 クラスメイトである女性が、授業中にいきなり猥語を叫び出し、暴れた。
 そして同じ学園で教師を勤める叔父から、ある頼み事を受けることになった。
 その日から、祐介は目まぐるしく変わる渦に引きこまれた。
 祐介がどのような体験をしたのかについては、ここでは語らない。
 ただ、そのせいで祐介は、否応なく《覚醒》することとなった。
 己が体内に秘められた、未知の力に。
 それが、彼女たちと出会うきっかけにもなった。
 妄想ばかりの灰色の『自分』を、希望という名の色で染め上げてくれた女性。
 新城沙織に、藍原瑞穂に、そして――月島瑠璃子に。
 学園の生徒会長――月島拓也を相手に立ち回ることになっても、祐介の胸の奥
には、常に彼女への想いが力となって静かに炎をあげていた。

 それが、こんな結末になるなんて。

 深夜、瑠璃子からの連絡を携帯で受け、胸騒ぎを感じた祐介が廃ビルの奥へと
駆け込んだ時、その瑠璃子はコンクリの壁にもたれていた。
 ぺたんと尻をつき、足をだらしなく前に投げ出し、
 そして――鮮血を胸一面にあふれださせて。
 頭は力なくうなだれ、かつては清々しさしか感じなかった青い髪が、ぼろきれ
のように光りなく打ち捨てられている。
「こうするしか――なかった、んだ」
 ほこりと落書きで埋めつくされたコンクリートの壁に寄りかかり、拓也はぶつ
ぶつとつぶやいている。
 その両手には、幅広いナイフ。
 刀身からはねばついた血が拓也の手を染める。
 自分の妹を殺すなんて。
 誰からも守りたかった愛しき者を守りきらなかったなんて。
 何よりも口惜しい事なんじゃないのか。
 何よりも許せない事なんじゃないのか。

 それなのに、ああ、それなのに。

 拓也の眼は天使のように優しかった。
 あらゆる事から解き放たれ、至福の時を享受していた。

 それが、祐介には許せなかった。
 だから、拓也を刺した。
 瑠璃子を刺したナイフでもって。


 ふりそそぐ温かな光に構いもせず、長瀬祐介はじっとベッドに座っている。
 自分には過ぎた事だったのだ。
 人から、愛されるなんて。


■Penumbra - Leaf world in 2059 -□
Section 3:Matrix in the Shadows


☆Major Act.4:Professional with empressement.

 自動ドアの開く軽い破裂音で、塚本千紗は帳簿から顔を上げる。
 かすかに蒸し暑い外からの風が、むっとした湿気とともに軽く辛い香を届ける。
 この香りは――間違い無い。
「坂下さん!」
 白いシャツにブルゾンを引っかけた好恵が立っていた。
 帳簿を勢いよく閉じ、千紗はとてとてと出入り口に向かう。
「よっ」
 右手を挙げてあいさつをしようとした好恵に対し、
「にゃ、久々ですぅ〜」
 千紗はその胸元へと飛び込んだ。
「……ふふ、甘えん坊だな」
 満更でもない様子で、上げた手を千紗の頭に被せ、やさしくなでる。
 数十秒ほど、好恵から立ち上るアリュールの芳香を堪能して、
「一週間ずぅっと連絡出来ないなんて、いったいどこに行ってたんですか?」
 好恵のブルゾンの胸元を直しながら、千紗は好恵の視線を追いかけた。
「ちょっと依頼が入ってね。それにかかりきりだったんだ」
「ずいぶん遠いところまで行ってたんですね」
 好恵を見上げる眼差しが、拗ねた目つきに変わる。
「――まあ、ね」
 実際にはこの街からさほど離れていない周辺を探索していたのだが、さすがに
千紗にはそう言えず、口の端をわずかにつりあげてたまま微笑みを張りつかせる。

 時折入る、長瀬からの依頼については、千紗にはないしょにしてある。
 誰に対しても優しく、何に対しても懸命になる千紗の事だから。
『そんなに危ない事して、怪我したらどうするんですか!』
 ――きっと、真剣に怒るに違いない。

「でも、今日戻ってこれて、よかったです」
 千紗はいつものやさしい眼差しに戻った。
「明日の搬入物がありますしぃ」
「明日?あ、ああ。イベントだね。朝六時だっけ?」
「ええ。しかも今回はぁ――」
 千紗の眼が猫のように細くなる。
「――マロゥダーのほうですぅ☆」
「お、そりゃ盛況だなぁ」
 好恵は素直に喜んだ。
 塚本印刷にはトラックが二台ある。2tクラスのイスズ=ルノー・ドウェルフ
と、4tクラスのダイムラーミツビシ・マロゥダー。
 大型トラックで搬入とは、今頃奥のほうは同人誌の印刷製本で、てんてこ舞い
に違いない。
「『ブラザー2』の千堂さんのところも、前回の何倍も部数を上積みしてくれた
んです。久し振りに目が回るくらい忙し……」
 千紗の口上は奥からの怒鳴り声に阻まれた。
『おい、次はどれだ?原稿の台割が一丁見当たらないぞ!』
「……はうぅ!!」
 その言葉に、弾かれたように千紗はきょろきょろと周りを見回す。
 帳簿の下敷きになっていた、茶色い大判の封筒を手に取ると、中から二つ折り
になった紙がひらひらと落ちた。
「あ!――ここですぅ……」
『早くこっちに持ってこい!』
「あうー」
 ぱたぱたと足音高く奥へと駆け込む千紗の姿に、好恵は苦笑いを浮かべた。


『塚本印刷』とステンシルの張られた自動ドアをくぐり、三歩進んで立ち止まる。
「……いつから見てた?」
「もちろん、最初からだ」
 路地の影から良く通るテノールが走った。
 視線を向けると、好恵とほぼ同じ高さの目線に丸眼鏡が浮かんでいた。
 好恵の姿が、金色の輪の中に二つの像を作っている。
「――覗きとは趣味が悪いぞ、大志」
「それは失礼な」
 声と共に、緑色の髪の青年――九品仏大志が顔を出した。
「睦まじき乙女たちの姿を、眼の保養とさせてもらったに過ぎん」
 にやにやと口の端をつり上げ、独特の笑いで答える。
「皮肉か?」
「いや、本気だ。それより同志――」
「わかってるよ」
 ブルゾンの胸ポケットから、短いちくわ状のエクスチェンジャーをつけたまま
のクレッドスティックを取り出し、大志に向けて差し出す。
 既に左手に握っていた大志のクレッドスティックを、無造作にもう一端に差す。
「……うむ、確かに」
 自分のクレッドスティックをポケットに戻してから、ようやく好恵にクレッド
スティックを戻す。
「ちゃっかり持っていくんだな」
 クレッドスティックに表示された額面に、少し片眉をつり上げる。
「価格相応の情報だと思うが?」
「……確かに」
 好恵が一週間で『ランチボックス』を探し出せたのも、全ては大志が回してく
れた情報のおかげだ。
 データの沃野から有価情報(pay data)を拾い出す、マトリクスの中の冒険者
――九品仏大志のおかげ。
「では、失礼」
 そのまま、大志はくるりときびすを返す。
「あっさりしたもんだな」
「吾輩にも仕事がある」
 横を向いて好恵に答える大志の首筋から、鈍い金色の端子――データジャック
が飛び出す。
 その端子に手のひらを被せ、目尻がほんの少しだけ上がる。
「今からマイブラザー和樹に示してやらねばならん。明日の即売会の売り上げと、
あなたからいただいた新円を合わせれば、最高の作品を上梓できる、とな」
 大志の瞳がぎらり、と熱を持って輝く。
「そっちのほうはよくわからんが」
 汗ばんだ髪を掻き上げ、好恵の視線も厳しさを増す。
「――それで千紗ちーが楽になるのなら、いい」
 借金まみれの塚本印刷の中で、千紗は会社の、家の存続のために精一杯頑張っ
ている。そんな千紗を、好恵は少しでも手助けしたかった。
 だからといってあからさまに新円を出して、それで解決する問題じゃない。
 自分の出す金など多寡がしれているし、千紗にもプライドというものがある。
 だから、こんなまわりくどい方法を取っていた。
「今度の本の冊数を増やさせたのは、大志なんだろう?」
「発注の際、印刷数の末尾にゼロを足しただけだが」
「おいおい」
「三百だ五百だと、小さい足場に踏みとどまっているからだ――マイブラザーは
世界を変える身だぞ」
 大志の口の端がつり上がり、驚くほど白い犬歯が飛び出す。
「――心配せずとも良い。先行投資が利益を産み出す土壌であるのは、商取引の
始まった紀元前後から変わらぬ真理だ」
「バブルが弾けなきゃいいけどな」
 つい見入ってしまったトリデオ(立体TV)ドラマの一節を唱えた。
「たとえ弾けても、最後に勝てばいいのだ」
 テノールだけを残し、大志の姿は薄暗がりの中に消える。
「変わらんな」
 首を振り振り、好恵はまた歩きだした。

 まったく、いつの世であっても、オタクは変わらぬものだ。


☆Major Act.5:Nightcrawler.

「あ、あの……」
 酒場の裏手で猥談に興じていた3人の視線は、その声で一点に集まった。
 茶色いセーターにスタジャンを重ねた、小柄な少女がそこに立っていた。
 場違いな登場人物に、3人のゴー・ギャングたちは視線を走らせた。
 体形は発展中というか成熟したところがどこにも無いものの、それはそれで泣
かせると面白そうな、負のオーラをまとわりつかせている。
 大きな眼鏡の奥で、たれ気味の眼が震えているのが、それに輪をかけた。
「何の用だい、おじょうちゃん」
 リーダー格の赤髪男が革ジャケットに束ねた鎖をちゃらちゃらと鳴らしながら、
ゆっくりとその少女に近づく。
 後の二人は、派手にマーキングしたヤマハ・レイピア(オンロードバイク)に
腰を落とし、にやにやと成り行きを見守っている。
「わ、私を――買ってください」
 赤髪男の歩みが止まった。
「お金が必要なんです」
「何でオレたちなんだ?」
 高みから見下ろしたまま、赤髪男は不審げに問いただす。
「そこいらの『さらりまん』相手のほうが、よっぽどリッチだろうに」
「あの――おじさんじゃだめなんです。その――弱くって。強い人のほうが」
 両手を口の前で合わせ、もじもじとつぶやく。
 その姿に歪んだ欲がぱっと燃え上がる。
「はッ、聞いたかよ?」
「オレの耳はミツハマ製だぜ?聞き逃すかよ」
 3人の中で一番背の低い男が、横ストライプのタンクトップで両手をふきなが
ら近づく。
 そのまま、傷だらけの掌を少女の頭の上にのせ、力をこめる。
「うっ……」
 頭皮をひねられる痛さで、少女は眼をぎゅっとつぶり、顔を歪める。
「よし、合格だ。買ってやる――三人いっぺんだな」
「オレは遠慮しておくぞ」
 いまだレイピアにまたがったままの三人目が、サングラスのまま二人のほうに
顔を向き直る。
「おまえ好みじゃないのか?」
「――育ち過ぎている」
 ぼそりとつぶやいた一言に、二人とも破顔し、ばんばんと互いの身体を叩く。
 その姿が、そのまま大地へと崩れ落ちた。
 少女もろとも。
「!」
 何が起きたのかと近づく三人目は、懐からアレス・バイパー(短針銃)を取り
出して身構える。
 路地の角で、巨大なぼろきれがゆらりと動いた。
「そこかぁ!」
 叫んで二回、引き金を引く。
 銃の反動すら味方につけ、銃弾はやすやすと巨体に命中した。ぼろきれのよう
な汚いコートがぐずぐずに破れ、下からねっとりと黒いぬめりが現れる。
 しかし、その姿の突進は止まらない。
「――ぐウッ!!」
 万力のような手でのど元を締め上げられ、男はたまらず銃のグリップを相手の
頭に振り下ろす。
 深くかぶった帽子が取れ、その奥には――。
「げぇ!ッッッ……」
 驚くほど巨大な目には白い瞳が無く、代わりに深緑の網のような塊が二つ張り
ついている。
 そして、口から突き出た、鎌のような二つの顎。
 その真の姿に恐怖を覚える前に、三人目の意識は暗闇へと落とされた。


 路地の向こうから数体の影が走り、意識無く倒れた3人を黒塗りのヴァンへと
運ぶ。
 そして、黒いフードを被った小柄な影が、倒れた少女を運ぶ。
 毎度の事ながら、並み大抵の神経じゃない。
 自分中心に《疲労》(スリープ)の呪文をかけられるのを知っていながら、こ
うやって『贄』を確保してくれるのだから。
 かつて友人であったという、それだけで、人はここまで自分を投げ打てるもの
なのか?
 かつて香奈子――太田香奈子と呼ばれていたその影は、複雑な眼差しを、自分
の腕の中の藍原瑞穂に落とした。
 やがて、頭をもたげて瑞穂を抱えるや、しっかりとした足取りでヴァンの助手
席に乗り込む。
「出して」
 香奈子が短く発すると、帽子をかぶり直した相棒はヴァンを発進させた。

 腕に抱いた瑞穂の温もりを感じながら、香奈子の心は冷徹に冴えている。
 女王のために。
 そう、全ては女王が降臨するその時のために。


★Minor Act.2:Partner wits jump.

「鑑識からデータ、あがったってさ」
 垣本はそう言って、デスクで文書を片づけている雅史に近づいた。
「――どうだった?」
 琴音から贈られたブランドもののボールペンを胸ポケットに仕舞い、丸椅子に
座る垣本と向かい合う。
「班長のお見込みのとおり」
「やっぱり『ライフバンド』だったか」

 あの夜、祐介の言う『現場』で見つけた、血の付いたプラスチックカバー。
 さすがに血が「死んで」いたので、後こそ追いかけられなかったものの、その
パーツの正体にはうすうす気づいていた。
 自分の身体のごく一部を提供し、年会費を払う事で、自分の命を助け出してく
れる救急救命会社――ドク・ワゴン(Doc Wagon)サーヴィス。
 その会社と契約者を結ぶ、腕輪型の専用通信/位置探知マーカー『ライフバン
ド』が壊れるような目に逢った場合、緊急要請と見なして、重武装の屈強な警備
員と魔法使いが初動反応部隊(FRTs:Fast Response Team)を結成し、救急要員
とともに現場へと駆けつける。
 その間、わずかに十数分。
 たとえ戦場のただ中であっても、契約は放棄されない。
 年会費は高いものの、命には代えられないこのサーヴィスは、会費と身体組織
を提供してくれる者には分け隔て無く接してくれるために、SINer(市民)だけ
でなく SINless(番号なし)も重宝している。

「――じゃ、相手は生きているかもしれない」
「どうやって確かめます?」
 垣本は頬杖を突いて、頭一つ雅史に寄る。
「プライバシー保護にかけてはスイス銀行以上のセキュリティを誇るんですぜ」
「正攻法で行くさ」
 雅史はそう言って、さっきまで書いていた文書をクリップボードにはさみ、垣
本に差し出した。
「……『定款26条C項適用による身元紹介』……班長、上から決裁つきで降り
てくるのに一週間はかかると思いますが」
 案文を流し読みしながら、垣本は言葉だけ飛ばす。
「やらないよりはマシさ」
 そこで雅史は席を立った。
「じゃ、垣本副長。査読とハンコは頼んだよ」
 一休みしようとコーヒーメーカーに紙コップを置いた雅史の背後で、受信専用
無線がきいきいと金切り声をあげた。
《コード30発令。佐藤班はCクラス待機解除、ただちに現場に向かってくださ
い》
「落ち着く暇も無いってのは、嫌な話だな」
《――通報班は『201B』事件との関連を示唆しています》
 二人は顔を見合わせて、苦笑いを浮かべる。
 最近、市内を騒がせている、人体消失にも等しい失踪事件『201B』の関連
とは――今夜も徹夜、というわけか。
 それでもほんのわずか落ちたコーヒーをぐい、とあおると、雅史は紙コップを
潰して足元のくず籠に捨てる。
「行こうか、副長」
 二人の目線が険しくなった。
「了解」
 ヘルメットを二つ手に取り、垣本は雅史の後を追いかけた。


=== To be continued. ===

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