ある夜の出来事 投稿者:水方 投稿日:6月17日(土)23時21分
「こんばんわ」
 そう言っても、目の前のメイドロボは黙ったままだった。
 HM−12「マルチ」タイプのメイドロボは、白フリルを袖口にあしらった濃紺の
ワンピースを着て、左手に白いポーチを抱えたまま入り口に立っている。
 居眠りでずり落ちた眼鏡をちゃんと直し、わたしは席を立った。
 そして彼女に近寄り、手を引く。
 素直にメンテナンスシートに座ってくれた。
 ボタンを押して背もたれを倒し、彼女の視線を天井を向ける。
「受動命令系でおかしいわけじゃない。……こりゃ、知覚かな」
 彼女の右腕を取り、脈を取る要領で保護カバーを開ける。
 きちんと収まっているデータケーブルをつまんで引き出すと、彼女の座る椅子のひ
じ掛けにさしこんだ。
 即座に、メイドロボの内部データがロードされ、検査プログラムが走る。
 ちょっと間を置き、ELディスプレイに損傷報告が示された。
「ああ、やっぱり」
 聴覚の入力レベルが最小限にまで落とされている。
 手元のパッドでパラメータをいじり、聴覚を通常並みに戻した。
「聞こえるかい?」
「……はい、聞こえます」
「他に、おかしい所はなさそうだが――」
 念の為、ディスプレイに示された報告を何枚も切り替えて見る。
「うん、異状ないな」
 念の為に精密検診プログラムを別スレッドで走らせてから、椅子の背もたれを起こ
し、わたしは彼女との対話に入った。
「こんな遅い時間に、どうしたのかね?」
「……2時間19分前、お爺ちゃんが亡くなりました」
「お爺ちゃん?……あなたのご主人のことかな」
 彼女は目をつぶり、こくん、と大きくうなずいた。
 そして、短い静寂。
 彼女の型番からユーザー登録データを呼び出し、過去のメンテナンス履歴と並べて
ELディスプレイに出す。
 この『診療室』からそう遠くない所に住む独り暮らしの老人。
 その人が、彼女のユーザーのようだ。
「身内の方に連絡は?」
「亡くなられてすぐに取りました……遠方に住んでおられるので、明日の朝に家に来
られるそうです」
 彼女の袖口から、わずかにアルコール臭が匂っていた。
「御遺体の処置は――あなたがしたんだね」
「はい」
「聴覚レベルを落としたのも、あなた自身?」
「……はい」
「誰かにひどいことを言われたのかい?」
「いいえ」
 そこで、彼女はわたしの眼を一心に見つめた。
「……お爺ちゃん、耳が遠かったんです」
 彼女は視線を落とし、手元のポーチを引き寄せた。
「そして、眼も」
 ポーチから小振りな眼鏡を取り出すと、そのまま自分の顔の前に眼鏡を持ってきた。
「この眼鏡……私には合いません」
「そりゃそうだろう。あなたの眼は高密度のCCDだ。人間の眼とは構造が違う」
 言いつつ、メンテナンス履歴を流し読む。
 定期的に訪れており、その度に細かい調整を受け新品同様にまで戻している。
 大事に扱われている証拠だった。
「――で、そのお爺ちゃんと同じ状態を味わいたかったのかい?」
「……わかりません」
 彼女の持つ眼鏡を手に取ってみる。
 眼鏡とつるとの結合部分が、心持ち広がっていた。
「ロボットとして、初めて眼鏡をかけた感想は?」
「えっと……」
 彼女が心持ち上目づかいになる。
「『気持ち悪い』でした」
 いたずらを見透かされた子供のように、ほんの少しだけ肩をすくめている。
「……なんでお爺ちゃんはこんなのかけていたのか、わかりません」
「まぁ人間にはいろいろと不都合があってね――と」
 わたしは眼鏡をそばの机に置くと、改めて彼女の顔を見つめた。
「それよりも、何か言いたいことがあって、ここに来たんじゃないのかな?」
 そうやって水を向け、ようやく彼女は状況を話しだした。
 彼女の『お爺ちゃん』、つまり主人は若い頃にいろいろと無茶をしていたらしい。
 そのせいか子供たちからも冷たくされ、一切交流がなかったそうだ。
 株か何かで生活できるだけの収入はあったらしいが、寄る年波には勝てず身の回り
の世話もおぼつかなくなった頃、『お爺ちゃん』は一体のメイドロボを購入した。
 それが彼女。
 以来半年間、彼女は『お爺ちゃん』のそばについていたというわけだ。
 病気だったのか聞いてみると、彼女は長い横文字を一気に発音した。
「……完治することのない病だそうです」
「確かに」
 現代においても、未だ対処療法しか治療できず、直ることのない病気だった。
「でも、お爺ちゃんはいつもと代わりありませんでした。いつもと同じように御飯を
食べて、いつもと同じように『おいしいよ』って言ってくれて……」
 しんとした部屋の中を、彼女の声だけがそよぐ。
「お布団の準備をして、お爺ちゃんが入ってから……『電気、つけてくれないかな。
暗いぞ』って、言ったんです」
 彼女の声が、ほのかに小さくなっていった。
「部屋の明かり、消してなかったのに」
 ポーチを握る手がきゅっ、と硬くなる。
「――それが最後でした」
 彼女はそれきり、小刻みに頭を振って黙り込んだ。
 目についた汚れを落とすための洗浄液が一気に流れ、そして出し抜けに止まった。
「もっと泣いていたいのに……ダメですね」
「――あなたもでしたか」
「え?何のことですか?」
「いえこちらの話です――お爺さん、あなたに優しくしてくれたのでしょう?」
 ワンテンポ置いて、はっきりとした返事が帰ってきた。
「はい」
「あなたのした事が、なってないと文句を言われたこともないでしょう?」
「はい」
「それなら、自分を責める事はありません」
 彼女の口が、丸い輪を作った。
「……わかったんですか?」
「これでもHM開発の末席に名を連ねていますから」

 コストその他の諸問題から、HMX−12にはあった『感情』が、量産機HM−1
2ではばっさりとカットされている。
 今となっては来栖川のメインフレームの奥底に、その『感情』を持った試作機HM
X−12のメモリにあったデータが眠っているに過ぎない。
 それなのに。
 こうやってなにがしかの形で『感情』を表に出すHM−12が、月に二、三件のレ
ベルで報告が上がっていた。
 まさか、わたし自身が目の前にしようとは思っていなかったが。

「あまりうまい喩えではないけどね……あなたをはじめとするメイドロボというもの
は、この眼鏡と同じようなところがある、そう思っている」
「眼鏡と……私?」
「見たところ、この眼鏡は遠視用だね。つまり近くを見るためのものだ」
「そうなんですか」
「回路の故障でもない限り100m先までイメージを結べる、あなたの眼には不要の
だろう。でも、年を取って目のピントを合わせる筋肉が弱った、お年寄りには手放せ
ないものなんだよ」
「……」
「人ができない事を手助けする、眼鏡もあなたも同じじゃないかな」
「……はい、私は人のお役に立つために生まれて来ました」
 製品のROMに、ロボット三原則の次に書き込まれた文章を反復した。
「しかし、この眼鏡をかけたところで、人はバクテリアを識別できるわけじゃない。
ましてや未来がわかるわけでもない」
「……私の視覚センサーでも無理です」
「そう、そんな事はいくら科学が進歩したって出来ない。でも、眼鏡もあなたも、そ
んな目的のために生まれたわけじゃないだろう?」
「……」
「この眼鏡はお爺さんの視力を助けるために使われてきた。あなたも、この半年の間
お爺さんを手助けしてきたはずだ」
「……はい」
 この返事ははっきりとしていた。
「だから、あなたが自分を責めることはない」
 わたしの言葉も、少しだけ強くなった。
「あなたはやるべき事をやったんだ。それは間違いないよ」
 彼女はゆっくりと頭をもたげると、もう一度わたしの眼を見据えた。
「はい!」
 今度は、迷いの色がなかった。


 彼女の許可を得て、彼女のメモリにしまい込んだ、数々の『思い出』を含むデータ
を吸い出した後、ふと思いたって彼女に尋ねた。
「――ひとつ、聞いていいかな」
「……はい」
「この眼鏡、いつごろ買ったのか、覚えてますか?」
「えっと……正確には覚えていませんが、私が来てすぐだったと思います」
「ああ、やっぱり」
「?」
「多分、あなたの顔をしっかり見たかったんですよ」
「え!そうなんですか!!」
「そう思ってたら、これからの生活も辛くなくなるかもしれないでしょ?」
「……そう、ですね」
 真夜中近く、今となっては形見と化したその眼鏡を大切にポーチに納め、彼女はこ
の『診療室』を去っていった。

 今日のわたしがしたことは、やさしさゆえに自分を責める彼女を勇気づけた事。
 おっと、もうひとつあった。
 空っぽになった洗浄液を、補充した事だ。

 HM−12の『感情』のデータを吸い上げ、それをベースに、元のHMX−12の
『こころ』を取り戻す。
 その結果を一枚のDVDに焼き、HMX−12の主人――藤田浩之に送りつける、
その三ヶ月ほど前の出来事であった。


【終】
---------------------------------------------------------------------------
 いつもと違ったタッチを狙ってみたんですが、さていかがなもんでしょうか。
 御意見、御感想、文句その他、minakami@ky.xaxon.ne.jpまで。
 お待ちしております。

http://www.ky.xaxon.ne.jp/~minakami/replay/ss/index.htm