『東鳩ラン Another Side #2』 投稿者:水方 投稿日:6月8日(木)00時35分
== はじめに ==============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく
つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく
思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
 なおこのお話しといっしょに、当図書館収録の『東鳩ラン』をお読みいただくと、
より一層お楽しみいただけるかと考えます。
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◆アバンタイトル

 2月2日、木曜日。
 長瀬源四郎の運転する黒塗りの高級車、ミツビシ・ナイトロードの後部座席で、来
栖川綾香はにっこりと顔をほころばせていた。
 その姿を見ると、源四郎の心も安らぐ。
 日本帝国内では十指に入る来栖川財閥の未来をになう後継者。
 この年からびっちりと詰まったスケジュールの中の、唯一の安らぎ。
「今日が初めてですな」
「うんっ」
「返事は『はい』ですぞ綾香様」
「はいっ」
 源四郎に指摘を受けても、綾香の笑みは変わらない。
 楽しくて仕方がないのだ。
 ナイトロードはやがて中央研究所に到着し、中央門を通り抜けた。
 玄関には、先客がいる。その二人にぶつけないように源四郎は車を停めた。
「恵璃おねえちゃん!」
 源四郎が後部扉を開けるのと同時に、綾香が後部座席から飛び出した。
「こんにちわ」
 その姿を見て、恵璃も目を細めて笑う。
 肩口まである黒髪が、さらりと揺れた。
「ああ、遊ぶ前に……」
 新田は膝を突いて綾香と目線を合わせた。
「これ、左腕につけてね」
 手に持った白い腕時計を綾香に渡す。
 とまどい気味の綾香を見、恵璃が綾香の腕をとり、左腕に腕時計――トリコーダー
をはめてやる。
 恵璃の腕にも同じ機械がはまっているのを見て、綾香は顔をほころばせる。
「おねえちゃんといっしょ!いっしょ!」
 その姿に、恵璃も微笑んだ。
「帰る時には外すから、無くさないようにね」
「はいっ!」
「いい返事だ……恵璃、向こうの中庭に行きなさい。疲れたら2番のレストルーム使
うといい」
「2番----ん、わかった」
「ねぇ、何して遊ぶ?」
「そうねぇ……」
 腕を組んだ状態から、恵璃は右手の人差し指をこめかみにやった。そして左手で右
ひじを包み込む。
 動きが止まった恵璃の顔を、綾香はじっと見つめる。
「とりあえず、中庭まで駆けっこしよっ!」
 目を開き、恵璃はわずかに口の端を上げた。
「はいっ!」
 言って、綾香は前を向き、一目散に駆け出した。
「こらぁ、待てってばぁ〜」
 恵璃もあわてて後を追った。


「久しぶりです」
 頭を下げる新田の姿を見て、源四郎は車の後ろから新田のほうに歩み寄る。
「大きく、なったの」
「6つになります」
 ちょうど十才違いの新田の姿をちら、とだけ見やり、源四郎は改めて恵璃の後ろ姿
を観察した。
 洗いざらしたカーペンターを着て、きびきびと活発に動く様は、もう一人の綾香を
ほうふつとさせる。
 肩口まであるゆったりとした黒髪と、ほっそりとした立ち姿を見ただけなら、新田
恵璃の姿は芹香と見間違えそうになる。
 だが、源四郎は恵璃の硬い微笑みを見逃さなかった。
「――滅多に、笑わない子で。妻が亡くなってから」
 先手を取って新田が切り出した。
「ほう。さぞ辛かろう」
 源四郎は新田の方に顔を向けた。
「いつも静かにしてます、本を読んだりして。――綾香様と出会ってからですよ」
 新田の顔が柔らかくなった。
「笑ったりして、感情を出すようになったのは」


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            "TO HEART" in 2053: Track #2
            『東鳩ラン Another Side #2』
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 3月1日、木曜日。
 二人が研究所で遊ぶようになって、今日で5回めになる。
 とはいえ、研究所の中に大した遊戯施設があるわけでもないが、どんなものでも自
分の遊び道具にしてしまうのが子供の特技である。
「本部よりアンヌへ」
「こちらアンヌ、恵璃お姉ちゃん、応答願います!」
 今二人は、手元のトリコーダーを通信機に見立てている。
「新田さん……」
 コップ片手に微笑む新田に、若手の根岸研究員が声をかけた。
「あの娘『セブン』見てるんですか?」
「ワシのディスクを勝手に見ておるようだな。ちゃんと自分で棚に戻しているが」
「49話完全版?」
「もちろん」
「それなら納得。――どうです?あれにビデオシーバーの機能を組み込みます?」
「ばかもん」
 新田は根岸の脇を小突いた。
「メモリはともかく、通信用の空き帯域がどこにあるってんだ」
「あ、やっぱり」
「メインへのデータ転送に支障をきたすようなら、本末転倒だろうが」
 二人だけでなく、第7研究室のメンバー全員がつけているこのトリコーダーは、人
間の行動や心拍数のみならず、様々なデータをメインコンピュータに送っている。
 第7研究室の研究課題『汎用人型奉仕機械』……俗に言うアンドロイドを作るため
の基礎データである。
「……済みません」
 しょげ返る根岸に、今度は優しく肩を叩いた。
「なに、気にするな」
 顔を上げると、新田が笑っている。
「余裕があったら、ワシが組み込んでいたさ」
 その時、ふいに恵璃の表情が硬くなり、新田目がけて駆け寄った。
 綾香はきょとん、としたままである。
「どうかしました?」
 たまたま通りがかった警備員が、新田のそばに近づく。
「いや、いい……行ってくれ」
 根岸が警備員の腕をとり、新田たちから引き離す。
 恵璃は新田の服をつかみ、小刻みに震えている。
 釈然としない様子で首を振り、警備員が建物の隅に消えた。
「もう大丈夫だ」
 そう言って身体から引き離すと、恵璃はこくん、と大きくうなずき、まだきょとん
と立ちつくしている綾香の元に戻った。
「相変わらず、ですね」
「ああ」
 恵璃が怖がったもの。
 それは警備員の持つブローニング・マックスパワー――拳銃のみならず銃器一般が
まとわり付かせているもの、つまり硝煙とガンオイルの鼻を差す匂いであった。
 『激怒の夜』、病院で母の死を見取り、母の遺体を連れ去ろうとしたKSD警吏達
の身体をつかみ『ママを連れてかないでー!』と泣き喚いた、新田恵璃。
 その時の、KSD警吏たちの発する匂いが、頭にこびりついているのだと、新田は
知っていた。
 知っていて何もできなかった。
 だから、今、恵璃に対して最大限、共に居ようとしている。


 家へ帰る綾香を見送った後、新田は恵璃といっしょにデータの解析をしていた。
 ディスプレイの赤い折れ線が、二人分かなり激しく揺れていた。
「はん?二人して踊っていたのか?」
「うーんと……」
 腕を組んだ状態から、恵璃は右手の人差し指をこめかみにやった。そして左手で右
ひじを包み込む。
 動きが止まった恵璃の顔を、新田はじっと見つめる。
 亡くなった妻が考えていた時も、まったく同じしぐさだったから。
「……あ、転送ごっこしてた。『転送!』しゅわわわぁ〜って」
 恵璃はそう言って、しゃがんだ状態から身体を伸ばし、小刻みにくねらせたあとで
パントマイムのごとくポーズを固めた。
 なるほど、見方によったら初代の転送シーンに見えなくもない。
 データを早送りする新田の顔が微妙にほころぶ。
「で、綾香ちゃん転けたんだ」
「うん、でも泣かなかったよ」
「やはり、二人につけさせて正解だな」
 新田は小刻みにうなずいた。
「機械のこと?」
「ああ、お前が綾香ちゃんに対して、面倒を見てるのがよく分かる」
 正確には、そういうしぐさをした場合の、身体の動きや視点の方向が、であるが、
対象に気をはらってないと現れない、細かいデータがよく現れている。
「だって……お姉さん、だもん」
 恵璃は胸をそらした。
「そうだったな」
 新田は恵璃の頭をゆっくりと撫でる。
 白いヘアバンドの下で、長い髪の毛がさらさらと音を立てた。


 3月22日、木曜日。
 二人が研究所で遊ぶようになって8回めのことである。
「ね、大きくなったら何になりたい?」
 レストルームに入るや、綾香が恵璃にこう切り出した。
「え……」
 とっさに言葉を返せず、いつものように考え事のポーズをとりながら、恵璃は綾香
の目をまじまじと見つめた。
「綾香ちゃんは、何になりたいの?」
「一番!」
「一番?」
「うん、父様が言ってた。何でもいいから、一番になれ、って」
「そうかぁ……」
「恵璃お姉ちゃんは?」
「まだ、わからないけど――」
 恵璃はそこで、綾香の肩に手を置く。
「綾香ちゃんのそばで、お仕事できたら、それがいい」
「わぁっ……!」
 綾香の顔がいっぺんにほころぶ。
「だったら、ずっといっしょだね!」
 にこにこと笑う綾香の顔を見て、ほんの少し寂しくなる。
 父である新田大悟郎から、二人で遊ぶのもあと二回だけ、と聞かされていたから。
 その後、綾香にはUCAS(カナダ・アメリカ合衆国)はニューヨークでの留学が
待っている、と。
 ――また、寂しくなるな。
「どうしたの?おねえちゃん?」
「え?ううん、何でもない」
 あわてて恵璃は綾香の手を取った。
「喉渇いたね。ココアでももらおうか」
「う……はい!」
 言って、二人は手を繋ぎ、レストルームを出た。


 そして、3月29日、木曜日。
 最後だからと、羽目を外したのがまずかった。
 部屋のスプリンクラーが誤動作し、恵璃や綾香の他、5人の研究員が濡れネズミに
なってしまったのだ。
「ああ、派手にやったなぁ」
 後からその部屋に踏み込んだ新田は、あまりの惨状に、怒るのを通り越して笑って
しまった。
「データは無事だ」
 その後を長瀬主任が続き、かろうじて生きているノート端末のLCDディスプレイ
で生データをのぞき込んだ。
「仕方ないなぁ全く。……みんな、トリコーダーを外してここに並べてくれ」
 新田は言いながら、実験机の上をぞうきんで綺麗に拭く。
 そして、目線を下げて恵璃と綾香の方を向く。
「お前たちもだ……あまり人様に迷惑をかけるんじゃない」
 二人に対して、一発づつ、頭をコツン、と叩いた。
「ごめんなさい。……まさか、こうなるとは……」
「いえ、わたしが悪いの。綾香ちゃんは悪くない」
「そのへんでいいだろう」
 長瀬主任が新田たちのそばに近づいた。
「間違いから学べるのが、人間のいいところさ」
「長瀬主任……」
 しばらく押し黙っていた新田が、今度は膝を突いて二人と目線を合わせた。
「もう、二度とするなよ」
「うん」
「はい」
「じゃ、行ってよし」
 そこで新田は根岸のほうを向き直った。
「……っと、この子たちの着替えって何かあったか?」
 新田の目線を受け、根岸はかぶりを振った。
「精密検査用の術着くらいしかないですね……あ」
 何か思いついたようだ。
「ノベルティグッズの中に、子供用のTシャツと短パンがあったんじゃないかな」
「『幕張こみゅパ』か。じゃ、それ二つ持ってきてくれ……ああ、お前が着替えてか
らでいいぞ」
「風邪引いちゃいますよ――先に持ってきます」
 どぼどぼの白衣を脱ぎ、根岸はびちゃびちゃと音をたてて研究室を飛び出た。


 ずぶ濡れになったカーペンターと、高級ブランドのワンピースを共に脱ぐ。
 さすがに、パンツとソックスの替えまではない。
『幕張こみゅにけ〜しょんパレス』と胸元に書かれたTシャツと、伸縮性に富む短パ
ンを見て、綾香は「おそろい〜!」と喜んでいる。
 ちょっとだけ、その喧騒がわずらわしくなり、恵璃は先に着替えてレストルームを
出た。
「来栖川綾香さん?」
 その姿を見て、灰色のつなぎを着た男が声をかけた。
 恵璃は男の後ろを見て、観葉植物を替えに来たのだと納得した。
「え――」
 『違う』と言いかけて、恵璃は動きを止めた。
 あの匂いがする。
 ママを連れて行った、あの匂い。
 とっさに恵璃は大きくうなずいた。
 レストルームの扉にもたれ、綾香を出さないようにしてから。
「そう」
 男はにやにやと微笑み、そして恵璃の首筋に大きなばんそうこうを張りつけた。
 いやいやと抵抗する間もなく、恵璃の意識は灰色の闇に落ちた。


「お待たせ……あれ?恵璃お姉ちゃん、どこ?」
 綾香の目の前のだだっ広い廊下には、人っ子ひとりいなかった。
「研究室に戻ったんだ」
 綾香はそう納得し、いそいそと研究室まで駆け出した。
 おかげで、『連中』と顔を合わせることはなかった。


「来栖川綾香を誘拐した。身代金として600万新円(2000年現在の相場に直し
て約7億1千万円)要求する。なお、KSDが動いた場合の命の保証はしない」
 その連絡は、綾香が実家に帰ってきた後で、音声チップの形にして運ばれてきた。
 『助けてーっ!』と叫ぶ、綾香(実際は恵璃)の声とともに。
「『天国と地獄』だわい……」
 事情を知らされた新田は、研究室で頭を抱えてくやしんだ。


 来栖川は事態の解決のために、ツテを頼り裏世界の仕事師・ランナーを雇った。
 そのランナーのおかげで、わずか1日にして恵璃の居場所が判明した。


 翌日、3月30日。
 来栖川綾香は両親、おつきの執事、メイドたちといっしょに、留学のためにUCA
Sはニューヨークと飛んだ。
「見送り、来てほしかったのに」
 綾香の乗る飛行機が、ゆっくりと滑走路を離れ、飛び立った。


 ちょうどその頃、ランナーチームから情報を受けたKSD突入チームがその場所に
踏み込んだ
 そして、激しい銃撃戦の末に恵璃の身体を確保した時、チームは愕然となった。
 既に恵璃はひどい暴行を受け、植物人間と同じ状態になっていたのである。


 もちろん、綾香にはこの成り行き一切は知らされていない。


 来栖川の申し出により最高の設備を誇る来栖川記念病院のICUに、恵璃の身体を
横たえてから2年の間、記録の上では一度も目覚めていない。
 その後、新田恵璃の姿はこつぜんと病院から消えた。


 それから何年も経った、2051年3月31日、金曜日。
「いったい、何?」
 西音寺女学院1年生である最後の日の夕方、来栖川綾香はそう言って、傍らの長瀬
源四郎――今はセバスチャンという愛の名をつけられている、地上最強の執事を見る。
「あの軟弱めが、お見せしたいものがあると申しましてな」
「軟弱……って、7研の長瀬のこと?ふぅん」
 綾香はそれきり黙って、セバスとともに研究所の奥へと向かう。
 暗く硬い廊下を音も立てずに歩く。
 二人とも魔練武闘者――フィジカル・アデプトならではの運足である。
 やがて、突き当たりの部屋に来た。
 部屋の前では、長瀬主任が白衣姿で立っている。
「3回も身分照合があったんだし、重大事だとは思ってるけど」
 そう言って、綾香はずい、と長瀬主任に詰め寄った。
「『見せたいもの』って、何?」
「こちらに」
 扉を開けた長瀬主任に続き、綾香、セバスチャンとその部屋に入る。
「マルチだったらこの間のセレモニーで見……」
 綾香の声が止まった。
 電気をつけると、中央のステージに人が立っている。
 オレンジに近い明るい髪を持ち、綾香並みの背丈で美しい顔だちの人型が、そこに
いた。
 人間ではない証拠に、黒い導電スーツのそこかしこから色々なケーブルが伸び、耳
に当る部分には白いヘッドフォンのようなアンテナがかぶさっている。
 マルチを『可愛い妹』と形容するなら、こちらは『理知的な姉』だろうか。
「御紹介します。HMX−13『セリオ』です」
 長瀬主任がリモコンを向け、スイッチを押す。
 アンテナの先端がチカッ、と光り、セリオは目を開けた。


 きれいな、顔だった。
 そして、どことなく、もやもやとした感情を、綾香は覚えた。


「――はじめまして」
 セリオは一歩、また一歩と歩み出し、5歩目にして綾香の前で止まった。
「――来栖川綾香様、確認。HMX−13『セリオ』と申します」
 そして、右手を差し出した。
「よ、よろしく」
 綾香もその手を握り、握手をかわす。
「温かい、手……」
「燃料電池その他の内部パーツの放熱により、セリオは常に36度の体温を保ってい
ます」
 長瀬主任の説明も、どことなく誇らしげである。
 そこで、綾香は両手でセリオの手を取った。
「よろしく。セリオ」
「――こちらこそ」
 セリオもまた、それに習う。
 静かな時間が流れた。


「完成、したのか」
 セバスチャンこと、長瀬源四郎も、万感の思いをこめてこのメイドロボを見る。
「新田のヤツは?」
「先に出ました」
 言いつつ、長瀬主任は目線を落とす。
 ――あの子に報告するそうです。
 綾香に聞こえないように、唇だけを動かす。
 ――辛い、話じゃ。
 源四郎もまた、唇だけを動かして息子に意を伝える。


 HMX−12『マルチ』の産みの親がこの長瀬源五郎とするならば、HMX−13
『セリオ』の産みの親は、『来栖川のおやっさん』こと、新田大悟郎である。
 その事を綾香が知ったのは、かなり後のことだった。


第二話 終
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 はふぅ、やっとセリオが出てきた。
 感想、文句その他、お待ちしております。
 この話、どこまで人を裏切り続けられるやら(笑)。



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