== はじめに ============================================================== この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく 思います。 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他 同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。 なおこのお話しといっしょに、当図書館収録の『東鳩ラン』をお読みいただくと、 より一層お楽しみいただけるかと考えます。 ============================================================================ ◆アバンタイトル 2040年を迎えてすぐ、来栖川中央研究所に新しく第7研究室がつくられた。 その時から、新田大悟郎は主任研究員として籍を置いている。 新田は休む事を知らなかった。 研究室設立で、文字どおり馬車馬のごとく働かなければならなかった。 それだけにしては鬼気迫る働きようであったが、その真の理由を知るものは、研究 室の中で上司の長瀬しかいない。 1月20日、金曜日の夜遅く。 外に出て一服吸っていた新田の視野に、白い影が動いたのが見え、新田は今までい た研究棟の屋上まで登った。 そこには、白いドレス姿の少女……来栖川綾香がいた。 何故ここにいるのか尋ねる新田に、綾香はしっかりと答えた。 「星……流れ星、待ってる」 「じゃぁ、その願い事、聞かせてくれないかな……おじさんのほうから、天の流れ星 さんに頼んでおくからさ」 新田がやさしく言うと、綾香はその小さな手に、ありったけの力をこめた。 「……おともだちが、ほしい」 その言葉に答えられぬまま、冷たい風が二、三度吹きつける。 くしゅん! 綾香のくしゃみで、ようやく我に返った新田が研究室まで連れていき、同僚のココ アを拝借して暖を取らせた。 黒服の警護サービスに綾香を引き渡すまで、新田の心の中にはずっと、先ほどの綾 香のセリフがたゆたっていた。 そして、新田はおもむろにワークステーションに向き、一心不乱にキーを叩いた。 綾香とセリオとが紡ぎだす糸は、実にその時にまで遡る。 ---------------------------------------------------------------------------- "TO HEART" in 2053: Track #1 『東鳩ラン Another Side #1』 ---------------------------------------------------------------------------- それから三日後、1月23日、月曜日。 この日、来栖川綾香は5才になった。 「おめでとうございます」 居並ぶ執事やメイドといった使用人から、お祝いの言葉をもらう。 取引先の社長や重役からは、高価な人形や宝飾品を送られる。 でも、綾香の心は完全には満たされなかった。 三日前のUCAS大使を招いてのレセプション以来、両親とまともに会っていない から。 「お誕生日おめでとう、綾香」 その一言だけで、いいのに。 今日も仕事が忙しいといって、綾香が寝る前には帰ってこれないと、メイド長から 聞かされたとき、綾香の頭の中に電光が走った。 だったら、あたしの方から、会いに行こう。 姉の芹香と違い、綾香は思い立ったとき即座に行動に移す。 部屋の前を行き交うメイドたちをやり過ごし、外に出る黒塗りの車に近づく。 幸い、後部トランクは開いていた。 足音が近づいてきたので、いそいそと綾香はトランクルームに潜り込む。 「なんじゃ、開いたままではないか」 ズン、という重い音とともに、トランクが閉まり、綾香の視界が真っ暗になる。 その場で泣き出さなかったのは、ひとえに恐怖心よりも探求心のほうが大きかった からである。 はじめての出来事に、事実綾香は心を躍らせていた。 (アクション・シムセンスみたい) リムジンにふさわしくトランクの中にまで空調が行き届いており、心地よい風を綾 香に吹きつけていた事が、なおいっそう彼女の心をリラックスさせていた。 「どちらまで?」 「中央研究所」 門を護るガードマンに対し、運転している熟年の執事は短く答えた。 後に彼は、姉からセバスチャンという愛の名を授けられることになる。 「セバスチャン」長瀬の運転するミツビシ・ナイトスカイは、流れるような加速を 幹線道路で存分に示した後、来栖川中央研究所に入って優雅に車を停めた。 「ようこそ」 門衛が出す端末に、セバスチャン自身のクレッドスティックを差し込む。 「セキュリティ照合……オッケーです」 「当然じゃ……で、旦那様は?」 「予定通り、14:30に」 「わかった」 セバスチャンはクレッドスティックを元どおり内ポケットに収めると、玄関を通り 過ぎ車庫のほうに車を寄せた。 そして車を停め、キーを抜く。 まだ1時間近く時間がある。 セバスチャンは福利厚生棟に向けて足を進めた。 そこで軽く汗を流すのが、《覚醒》によって魔力を技量に乗せることができた、魔 力鍛錬者----フィジカル・アデプト、セバスチャンのいつもの習慣であった。 空調も止まり、人の気配がしなくなったので、綾香はトランクを開けようと上に押 し上げた。 だが、内側からオープナーノブをひねっても、なおトランクは開かない。 セバスチャンが鍵を抜いたおかげで、盗難防止用の電磁ロックがかかってしまった のだ。 何回も何回も試すうちに、綾香の手が痛くなった。 それでも、綾香は試すのをやめなかった。 「相変わらず元気ですな」 「おう、久しぶりじゃの」 トレーニング・ルームの一角、ベンチ・プレスで180kgのバーベルを上げるセバ スチャンに対し、長瀬主任が近づいた。 「リムジンが通りがかったのが見えたのでね。寄ってみました」 「研究のほうは進んでおるか?」 「まだまだ基礎データが足りません」 長瀬はそう言って、左腕につけた腕時計を見せた。 いや、腕時計にしてはアンテナが三本も出ている。 「ロボットのコントローラか?」 「『いいも悪いも使い手しだい』……って、古いですね」 長瀬主任は苦笑いを浮かべた。 「私の行動を記録するトリコーダです。こうやって日々の行動をサンプリングする事 によって、基礎データを充実させようとしてるとこで」 「ふん、お前さんのデータなんて、どうせココと家とを往復するだけではないか」 バーベルをスタンドに戻し、セバスチャンは状態を持ちあげた。 それだけで、彼の胸筋や腹筋が、並々ならぬ堅さと柔らかさを持つのがわかる。 「ええ、ですから、対象数をもっと広げるべく、今日やっと決裁を取ってきたとこな んですよ」 眼鏡の奥の瞳が、羊のように優しく笑っていた。 「とりあえず、もっと活発に動き回る娘に、つけさせました」 閉じ込められた。 その考えに至ったとき、ついに恐怖感が綾香の心を押しつぶした。 「出してー!」 綾香はトランクに手を、足をがんがんとぶつけた。 「ここから出してー!!」 なおもがんがんと手足をぶつける。 「はあ、はぁ……」 次第に息が苦しくなる。 なまじ空調を効かせるだけあって、トランクルームの密閉度は高い。 しかも綾香はめちゃくちゃに動いたせいで、代謝量があがっている。 「ここから、出して……」 綾香の声もだんだんと弱く、細くなる。 そして、意識すらも暗闇に投げ出されそうになったとき、 バチッ! 目の前に火花が散った。 そして、光が戻った。 トランクルームの重い扉が跳ね上げられたその向こうに 「大丈夫?」 自分と同じくらいの背で、カーペンターを着た少女が、驚きの眼差しを浮かべていた。 綾香は一動作でトランクルームから飛び降りる。 そして、地面の堅さを実感した、その後、 「うぅわあぁぁ〜ん……!」 泣きじゃくりはじめた。 カーペンターの少女は胸ポケットからハンカチを取り出すと、ひざまずいて綾香の 顔を優しくぬぐった。 「さぁ、こっち、行こ」 少女はなおぐずる綾香を連れて、研究棟の方に向かった。 手を引かれる綾香は、彼女がはめている腕時計のような物体が、何色にもきらめい ているのを見て、次第に落ち着いた。 「誰の事じゃ?」 「恵璃……といっても、知らないですかね。新田恵璃」 「おぅ、あの新田の!」 汗をふきふき、セバスチャンはそばのサーバからミネラルウォーターを注ぎ、一気 にあおった。 「ぷぅは〜う。----あの娘、ここにおるのか?」 「昨日、新田のヤツが叔父の家から引き取ってきたんですよ」 「5、6才くらいじゃなかったか?」 「6才です。……今日が誕生日で」 「綾香様と同じ日じゃったな」 そこで、セバスチャンと長瀬主任は目線を遠くにさまよわせる。 新田が仕事に没頭する、もう一つの理由。 それは、昨年世界中に吹き荒れた、メタヒューマンに対する徹底的な差別そして弾 圧------後の世に『激怒の夜』(Night of the rage)として知られる暴動で、愛する 妻を失ったためである。 新田の妻は、アイルランド出身のエルフだった。 勤務開けの帰宅途中、人間たちが激情に任せて略奪や破壊を行う場に出くわした。 その姿を見て、彼女はKSD(来栖川警備保証)に連絡しようとした。 それだけ。 ただそれだけで、彼女は一抱えもあるブロックを足にぶつけられ、動けなくなった ところを数人が寄ってたかって棒や拳でめちゃくちゃに殴られたのである。 鎮圧のためにKSDが来るまでに、彼女は息を引き取っていた。 後に残るは、一人娘の恵璃だけだった。 長らく叔父夫婦の家にあずけていた恵璃を引き取るに至った経緯は、長瀬とて詳し くは聞いていない。 ただ、自分が仕事をしている間、目の届く範囲に居させたいとの願いを、長瀬が仕 事にかこつけて認可したに過ぎない。 恵璃の行動、心拍数や代謝量など全てを記録する、トリコーダを彼女につけさせ、 基礎データを取る見返りに。 「それで、恵璃ちゃんは?」 「いまは……」 長瀬主任は白衣のポケットから手帳大の端末を取りだし、対象を『新田恵璃』に変 えた。 「研究棟のレストルームで寝ていますね……たぶん専門紙でも読んでるんでしょう」 「専門紙?6才の娘がか?」 「コンピュータ雑誌です……蛙の子は蛙」 そこで、長瀬はゆっくりと空を仰いだ。 「血は争えませんね」 そのころ、恵璃と綾香は、レストルームに入ってある本を広げていた。 ただ、長瀬が考えるような「おとなしい」専門紙ではない。 「ほら、ここに載ってるでしょ?……これスキャンして、このトリコーダに取り込ん だの」 「『マグロックの構造と外し方』?」 綾香にはいまいち意味がわかってないようだ。 もっとも、いくらトリコーダがセンサー(Sensor)、レコーダー(Recorder)そし てコンピュータ(Computer)の三機能を一まとめにしたものであるとはいえ、それを 取り込んでプログラムを直してしまう当たり、恵璃もただの子供ではない。 「お姉ちゃん……」 「ん?」 「助けてくれて、ありがとう」 言って、また泣き崩れそうになる。 「ああ、泣かないの」 恵璃はまた、ハンカチを綾香にぽんぽんと当てる。 綾香の涙で、もうハンカチはぐっしょりと濡れていた。 「どうした、何騒いでる?」 「あ、パパ!」 恵璃が見上げるパパ----新田の目が、自分の傍らに居る娘にくぎづけになる。 「君……」 「……おじちゃん!」 綾香は新田の顔を忘れていなかった。 そこで、初めて綾香の顔に、満面の笑みが浮かぶ。 その小さな手で、恵璃のカーペンターをぎゅっとつかんで。 「おともだち、ありがとう!」 今まで泣いていた姿なんてどこ吹く風、にこにこと笑う綾香の姿に、新田は小さく 溜め息をついて、恵璃のそばに膝をついた。 「恵璃……恵璃は、どう思う?」 恵璃は新田の顔をまっすぐ見て、 「おともだち」 言って、綾香を引き寄せた。 「……この子、恵璃の『おともだち』」 相手が「おともだち」と認めてくれた事で、綾香はなお喜ぶ。 「そうか……恵璃がそういうのなら、そうだな」 新田は視線をそらさず、そのまま恵璃の頭を優しくなでた。 「この子……綾香ちゃんのことを、しっかり守ってやるんだぞ」 恵璃の顔に、「?」の疑問符が浮かぶ。 「恵璃のほうが、お姉さんだからな」 即座に「?」が「!」に変わる。 「恵璃……お姉さん……」 「恵璃おねえちゃん!」 なおもはしゃぐ綾香を、そして「おねえちゃん」の言葉に興奮した恵璃をおとなし くさせるのに、新田はさらに十数分の時と、二杯のココアを必要とした。 5才の子とはいえ来栖川の令嬢である。 それでなくても彼女には、習い事をはじめいろいろと『行事』がつまっている。 それを新田が、長瀬がどう詭弁を弄したのか、ともかくも綾香は、週に一度、木曜 日の午後だけ、中央研究所に居る恵璃と遊ぶことができるようになった。 既に小学校に行っている姉の芹香と、離れ離れになっていた事もあり、綾香はこの 週に一度の「おねえちゃん」を、楽しみに過ごす日々が始まったのである。 第一話 終 ---------------------------------------------------------------------------- 『東鳩ラン Another Side』をお届けします。 これのどこが『ラン』なんだ、またセリオはいったいどうしたんだ、という方、 今しばらくお待ちください。 全部で5話くらいの構成になるでしょうか。セリオも出てきますし、終盤には『ラン』になる予定です。 なお、今回はメンバー総出演というお話しではありません。 Another Side(別界面)にふさわしく、登場人物を絞ってお送りいたします。 このSSを書くにあたり、わたしの持つ「東鳩ラン世界でのセリオ」をちゃんと描 ければ、と思っています。 本家『東鳩ラン』ほど、明るい話しではありませんが、もしよろしければお付き合 いください。 文中、「トリコーダ」とあるのは、本家『シャドウラン』のアイテムではありません。 この着想は、「スタートレック」(『宇宙大作戦』と言ったほうが通りがいいかな)から 拝借しています。 では、感想、文句その他、お待ちしております。 何かありましたら、minakami@ky.xaxon.ne.jp までお気軽にメール下さい。http://www.ky.xaxon.ne.jp/~minakami/index.htm