天にも登る…… 投稿者:水方 投稿日:5月11日(木)23時10分
「あぁ、姫川さんは座っててよ。お客さんなんだから」
 そう言って、雅史さんは廊下に出ました。
「お茶持ってくるよ。ちょっと待ってて」
 そのまま階下へ。とんとんとん、と規則正しく音が遠ざかって行きます。
 わたしは床にぺたんと座り込んで、その部屋を眺めました。
 淡いベージュの壁紙、きちんと整頓された机、その正面には有名選手のカレンダー。
茶色い椅子に引っかけられた薄紺のカーディガン。
 心がなごむ部屋でした。
 男の子の部屋なのに。
 雅史さんの微笑む顔が目に浮かび、思わず頬が赤らんでしまいます。


 学校からの帰り道、雅史さんはハムスターを飼っていると聞きました。
 そのしぐさや砂浴びの話をしている時の、あの柔らかい笑い顔。
 先日の地区大会の、あの粘り強さを見ているわたしは、その微笑んだ顔にびっくり
しました。
「そんなにかわいいんだったら……見てみたいな」
 ふと口を突いて出た、今から思えばとんでもない言葉でしたが、雅史さんは顔色一
つ変えず、
「じゃ、今からおいでよ」
 同じく柔らかい声で、雅史さんはそう言ってくれました。


 机のかたわらに、小さいコンポが置いてあります。
 いつも、どんなの聞いてるんだろう?
 そう思った時、スイッチが入りました。
 正面パネルに、蒼い「TAPE」の文字が浮かびます。
「わ!うそ、うそっ」
 知らぬ間に『ちから』をつかっちゃいました。
 スイッチを消そうと立ち上がったその時、物悲しいヴァイオリンの旋律が流れてき
ました。
 クラシックじゃありません。
 でも、いい感じです。
 どうやらそれはラジオドラマのオープニングみたいでした。
 そこからは、未来の地球を舞台にした、お話しが始まりました。
「雅史さん、SF好きだったんだ」
 ちょっとだけ、以外でした。


 主人公は裏の世界の住人。
 コンピュータの管理の下、ひとにぎりの特権階級が我が世の春を謳歌する中、主人
公は犯罪まがいの行動をとってその日を生き延びているようです。
 けっこうワイルドで、ちょっと格好いい声でした。
「浩之さんに、すこし似てるかな」
 その主人公さんが、特権階級の人間に捕まってしまいました。
 え?え?
 どこかで聞いたことがある声が耳を打ちます。
 やわらかく、それでいて芯の強さがある声。
 きつい調子になると、その声で身が切られそうになります。
 凛々しさを常にただよわせながら、
『……ただのブロンディさ』
 軽くいなした時の、その色っぽいこと……!
 手を伸ばせば楽にコンポまで届く距離なのに、立ったまま聞き入ってました。


 そして、途中まで聞いて、はじめて気づきました。
 主人公と、その凛々しい声の人が……その、愛しあう展開だったことに。
 うそっ!
 相手は男性よ?同性なのに。
 でも、いやらしくありません。
 そりゃ、コンポからの声はかなり気合いの入った演技でしたし、聞き入っている自
分も、はたから見れば、顔を赤らめてぽーっとのぼせていたことでしょうけど。
 でもそのドラマは、きちんと純愛を描いてました。
 男同士なのに。
 結局、最後の最後まで聞きました。


 カチャ。
「お待たせしてごめんね。姉貴が留守で、ちょっと手間取っちゃったんだ」
 白磁のまん丸いティーポットと、上品なカップが二つ。
 銀色のお盆に載せられて、いい匂いを立ち上らせています。
 そのお盆をテーブルに置いたのを確かめて、わたしは口を開きました。
「佐藤さん」
「ん?」
「……やっぱり、浩之さんの事が好きだったのですね」


 数時間後。
 夕ぐれの中、住宅街の間を、わたしと雅史さんが歩いています。
「でもさ、いきなりあんなこと言われて、びっくりしたよ」
「……ごめんなさい」
 わたしは頬を真っ赤に染めて、顔を伏せてました。
「いや、まさかそういう話だとは思わなくてさ」
 雅史さんが、わたしの顔を覗き込んでいます。

 あの後、雅史さんはきょとんとした顔で----こんなのを『鳩が豆鉄砲食らった』っ
て表現するんですよね、きっと----それから、あの微笑みをうかべました。
 何でも、あの声の人は、二枚目の役で有名なのだそうです。
 雅史さんが子供のときに見ていたTVアニメの悪役がその人で、それ以来その人の
ファンだったとかで、たまたまお姉さんが見ていたそのテープの解説に、その人の名
前が載っていたことで、テープを借りたとのことでした。
 そこから、雅史さんとの会話がとめどなく続きました。
 時の過ぎ行くままに。

「……道理で姉貴の奴、テープ貸す時に妙な顔してたわけだ」
「でも……」
「何?」
「いいお話しでした」
 雅史さんが、ちょっと顔を引き締め、ほんの少し目尻を上げたのがわかりました。
「やっぱり……女の人ってああいうのが好きなのかな?」
 その瞳が、どことなくとまどっています。
 わたしは雅史さんの瞳に視線を合わせ、しばらく見つめました。
 そして、
「……ナイショです」
 言ってから、にっこりと微笑みました。
 つられて雅史さんも笑うのがわかります。


 いい一日。
「ありがとう。素晴らしい一時を与えてくれて」
 あの声の人にお礼を言ってから、わたしはベッドに潜り込みました。

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 文中では明示していませんが、この「テープ」は、細部こそ違え実在します。
 元ネタがわかった方、わたしがそんなのを聞いてるということで驚かないように。

 そして、この「テープ」で凛々しい声を聞かせてくれた声優さんが、もう新作に出
られなくなったことを昨日知り、少しだけ寂しさを感じながら、この話を書きました。

 この場をお借りして、その方の御冥福をお祈りします。
 素晴らしい一時を、常に与えてくれて、ありがとうございました。


http://www.ky.xaxon.ne.jp/~minakami/index.htm