『東鳩ラン#7:Ripping dogs (Side B)』 投稿者:水方 投稿日:3月10日(金)23時50分
== はじめに ==============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく
つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく
思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
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★09:40 p.m.
 『シックス』の地下三階、電源管理棟のある一角。
 あらゆる電磁波を遮断し、独特の振動音とともに様々な光が明滅する暗闇の中で、
長瀬源五郎は脚を組んで椅子に座っていた。
「KSD(来栖川警備保障)Sチーム・佐藤雅史さんから入電」
 AI(人工知能)MULTIの声が上から響いた。
「姫川琴音は無事とのことです」
「そうか」
 長瀬が顔を上げると、コンソールの光を受けて眼鏡が鈍く光った。
「それと、先ほど坂下好恵さんからの信号をキャッチしました。浩之さんと合流した
ようです」
「で、浩之たちは何処に向かっている?」
「まだわかりません」
 短く答えた後、数瞬の間を置いて、
「ですが……現在の進路をR91号に折れると、『ワカッタ・ソフトウェア』に着き
ます」
 先ほどとはいくぶん調子を変えて、MULTIが言葉を続けた。
「この近隣で、唯一、公式にAIを持っているところです」
 長瀬は背もたれに倒れこみ、天井に向かって一息、吐いた。
「……レンラク・コンピュータ、か」
 JIS(日本帝国)を、世界を牛耳る八大メガコーポの一角。来栖川財閥と言えど
も真っ向からは立ち向かい得ない巨大な獣。
 そいつ相手に、浩之たちだけで大丈夫なのか。
 ふと頭をよぎった疑念を、長瀬は即座に打ち消した。
 いや、だからこそ、来栖川ではなく浩之たちが必要なのだ。
 この世界には存在しない者。
 闇に生き、影で行う者。
 シャドウランナーが。


★09:41 p.m.
 受話機を静かに本体に戻し、綾香は椅子の背に体重をかけ、うんと背筋を伸ばした。
 背もたれがゆるやかな楕円を描き、体重を分散させる。
 伸ばしきって止め、戻してはもう一度伸ばしきって止める。
 ストレッチの要領で五回繰り返し、最後にその反動で大きな机に上体を伏せた。
 マホガニーのほどよい冷たさが、ほてった頬の熱を奪い取った。
「この時間から仕事(ビジネス)とはね……」
 壁にかけてある時計の針を見ながら、綾香は独りごちる。
「ま、相手が海の向こうじゃ、仕方ないか」
 そのまま、意識をしばし遠くへ飛ばす。
「あいつ……浩之たちも、仕事(ビズ)に入ったかな」
 好恵にコートを渡すよう頼んだのも、葵にクレッドスティックを投げたのも、全て
とっさに思いついた謎かけであった。
 今日の午後に場末のサービスステーションが襲われ、従業員である新田のおやっさ
んと、「リラックス・コクーン」と呼ばれる休息設備が奪われたと聞いて、最初こそ
頭の中に疑問符を五、六個並べたものの、志保の報告、長瀬の事情説明、そして慌て
ふためいた浩之の姿を見た綾香は、おぼろげながら「大変な事」だと言う事には気づ
いていた。
 そして、感情のおもむくままにまくしたてた中の、爆弾ワード。
 マルチ。
 それが何であるか、あらためて考えてみると……わからない。
 その代わりにあるのは、ほのかな安らぎと、ほのかな期待。
 浩之の言う『空白』に関係する重要なもの。
 好恵の言う『来栖川製の人型ロボット』にとどまらない何か。
 長瀬の言う『きっかけ』
 どうであっても良い……が、


 白衣をだらしなく着た、髭のおじちゃんのズボンに、五、六歳の少女がすがりつく。
 その小さな手に、ありったけの力をこめて。
「……おともだちが、ほしい」
 そしてホワイト・アウト。


「戻ってこないなんて……許さない」


★09:42 p.m.
 混雑気味の幹線道路を、『塚本印刷』のロゴの入った16tトレーラーがひた走る。
 そのコンテナの中での熱気が落ち着いた頃、浩之が切り出した。
「とりあえず、向こうの状況だな。……いいんちょ?」
『まかしとき!』
 智子の声は、あいかわらず弾んでいた。
『ちょっと潜って調べてくるわぁ』
「気をつけて下さいね」
 葵が心配そうに付け足す。
 何者であろうとも恐れはしない彼女も、電網世界(マトリクス)は守備範囲外だ。
……相手が拳で殴れないから。
『大丈夫や。じゃ』
 スピーカーからの声が切れた後も、浩之はなお目を離さない。
「……坂下」
『何だ?』
「ワカッタ・ソフトウエアに行ったことは?」
『一度……二ヶ月ほど前』
 躊躇無く答えが返ってきた。
『なんつーか、規則ずくめで居心地悪い場所だった』
 うんざりした調子で後を続ける。
『送り状の宛て先コードが一桁違うってだけで、親会社にまで確認が行ってね、ピリ
ピリした空気の中で、二十分も待たされた』
「ありがちよね〜。実体よりも書式が大事なんだ、連中には」
 ウィンドーから身を乗り出して、志保が調子を合わせる。
 浩之はダイナマイトのドアノブ近くにもたれた。2ドアのせいもあって、志保とは
頭二つ分くらいは離れる。
「後、どれ位で着く?」
 今度はちょっと遅れて、返事が帰った。
『正門まで三十分てとこか……ETV(到着予定時刻)は10:10 p.m.』
「志保だったら?」
「んー……」
 志保は頭をひねって、浩之を仰ぎ見た。
 首筋に繋がったケーブルが少し揺れると、サーブ・ダイナマイトの中央ディスプレ
イに市街図が写し出され、あっという間に目的地までの妥当解が示される。
「たいして変わんないよヒロ」
 もちろん、志保はディスプレイなど見る必要はない。
「通る場所を選ばないのなら10:00 p.m.って言うけどさ」
「どうするの?」
 あかりが近寄ってきた。
「……ちょっと、止めてくれないか」
 組んだ腕をほどいて、浩之は坂下に呼びかけた。


★09:48 p.m.
 マトリクスのダークサイド"Shadowland"の外れ、ダウンタウンの雑居ビルを思わせ
るアイコンの屋上に、眼鏡をかけた藍色のキツツキ----智子のアイコンが実体化した。
「やっぱ、あかんなぁ」
 そのまま、ぺたんと尻をつく。
 保科智子カスタマイズ済みの『検索』ユーティリティ「どこやねん」で公共データ
ベースを漁ってみたものの、大した情報は出てこなかった。
 やはりセキュリティに関る情報は、会社のホストに潜り込まないと手に入らない。
「拝みに行こか」
 軽い調子で言っては見たものの、目は笑っていない。
 数瞬だけ足元を見やり、そして智子は思いっきり地を蹴って飛び立った。


★09:49 p.m.
 走るトラックの荷台から、黒いサーブ・ダイナマイトが後ろ向きに滑り降りた。
 同時にダイナマイトの後輪が猛烈に回る。
 タイヤの周りから白煙をあげて、ダイナマイトは急加速でトラックを追い抜いた。


 黒いダイナマイトを横目で見やり、坂下の運転するトラックは進路を左に折れて、
別の幹線道路を上っていった。

「……いいのか?」

 先ほどの浩之との会話が思い起こされる。

「何がだ?」
「巻き込んで、しまった事に」
 車を止めてから浩之は助手席に潜り込み、きついながらも優しさを漂わせる眼差し
で好恵を見た。
 いつもの眼差しだ。
「……こんな事、ばかりなのか?」
 好恵はキャップのつばを上げ、浩之の方に向き直った。
「『仕事(ラン)』の話か?」
 いくぶん、浩之の眼差しが険しくなった。
「ああ」
 一人あたり6,145新円。
 好恵がフルタイムで仕事を入れても、ゆうに二ヶ月はかかるであろう金額。
 一夜の値段にしては高いが、命の値段にしては安すぎる。
「正直な話、キレイな仕事ばかりじゃない。……廃ビルでのクリッター(覚醒種)退
治、新製品のサンプル奪取、後ろ暗い事情がある奴のボディガード……」
「葵と、いっしょに?」
「彼女は格闘の師匠だ。おかげで何度も死線を潜り抜けられた。……そしてシャーマ
ンのあかりとデッカーのいいんちょ、この四人がメインだな」
 浩之はそこで一息ついた。
「時々志保のヤツも絡む。箱根超えのときはずいぶん助けられたよ」
「箱根?」
「ちょっとワクチンをな……」
 そこまで言って、あわてて口をつぐむ。
 たゆたう沈黙を打ち破るように、好恵が口を開いた。
「何をしていようが、そんな事は気にしない、が……」
「が?」
「なぜ『番号なし(SINless)』になった?」
 好恵は身を乗り出し、シフトレバーのグリップをぐっと握り込んだ。
「葵といい、おまえといい、わかっているのか?」
 さらに身を乗り出す。
「もう現世では存在しない身なんだぞ。何ですき好んでそんな道を選ぶんだよ」
「……何でだろうな」
「藤田!」
 とぼけた調子で返した浩之の胸ぐらを、好恵はコートごと左手でひっつかんだ。
 堅く重い防弾素材が、好恵の握力でぐずぐずと皺寄る。
 ぎりりとねじ上げられて、それでも浩之の眼差しは変わらない。
 ひとしきり睨み合った後でぽつりと、
「気が、済んだか」
 浩之が言うと、好恵はやっと力をゆるめた。
「……くそっ」
 いらだちをなおも押さえられずに、好恵は運転席にどかっと体を戻す。
「ひとつ、言っておく」
 コートの胸元を戻しながら浩之が言った。
「葵ちゃんやいいんちょや、あかりのヤツが SINless になったのは……」
 視線は好恵を向いたままだ。
「自分自身で選んだ事だ……もちろん、オレもな」
 6年前の『あの事件』で負った、こころの『痕』。
 『儀式』を受け、いつもどおりの日常を取り戻せても、それは見せかけに過ぎない。
 いつか、みんなの本当の自分自身を取り戻させる。そのために浩之は SINless を
選んだ。
 あかり、智子、葵の三人がその後を追いかけた、本当のところは、浩之にもわから
ない。
 ただ、それが同情でも愛情でも無く、自身の心の中にわだかまった何かを消すため
に、SINless になったことは、浩之にもうっすらとわかっていた。
 もちろん、それはSINerである他のみんなも同じだ。
 たとえ記憶が虚空に消えても、かたちの無いわだかまりと、みな向かい合っている
のだから。
「この依頼から、下りるか?」
「とんでもない」
 好恵は再び浩之のほうに向かい直った。
「お前はともかく、葵の拳は……昔のままだった」
「?」
「最後まで見届けるさ」
 その一言で、好恵は心の中の迷いを断ち切った。
「荷物をきちんと相手に届ける。プロだからな」
「……ありがとよ」
 浩之は好恵の手に自分の手を重ねた。
「だが、坂下には別の仕事をやってもらう」
 そして、二言三言会話を交わしてから、浩之は車を降り、みんなの乗るダイナマイ
トへと向かった。


 信号待ちの中、好恵はふと自分の左手に目をやった。
 浩之の温もりが、なぜかまだ残っている、そんな気がした。


★09:54 p.m.
「サーブ・ダイナマイトがR91号を降りました。坂下さんのトラックは……旧市街
に向かっています」
「旧市街?ふむ……」
 長瀬が首を捻る暇もあればこそ、さらにMULTIの報告が続く。
「どうやら、保科さんも『ワカッタ・ソフトウェア』を探っているようです。既に浄
水公社からの下水道配管図を入手し、保科さんは会社のホストへと侵入を試みていま
す」
「無茶なやつだ」
 長瀬は頭を抱えた。
「時間も無いな……一番弱そうなのは、何処だ?」
「えーっと……あ、下位ホスト、福利厚生棟の回線が開いています。誰か外部に連絡
を取っているんですね」
「そのデータを保科君に送ってやれ」
 長瀬はまた腕を組んだ。
「AIとはいえ、あまり嗅ぎまわるのもまずい。最小限で効率良いサポートに徹する
んだ」
「了解」
 MULTIの声に、わずかながら熱がこもった。
「データ圧縮完了。保科さんにメッセージを飛ばします」


★09:55 p.m.
 巨大なビルの周りに輝く、緑色のフラクタル図形。
 近づけば近づくほど、図形の中にある図形が同じ姿を描いているのがはっきりとわ
かる。マトリクスの中のコンストラクト(構成物)に、これほどの実感を持たせられ
るのは、よほど金と権力のある奴らだけだ。
 まちがいなく、メガコーポのそれだった。
 智子のアイコンが見物人よろしく周りを一周しても、入り込めそうな死角など一切
無い。
「……時間の無駄やぁ」
 とりあえず、建物に侵入するまでのルートは、ここに来る前に立ち寄った浄水公社
の下水管と共同溝のデータをハックし、組み合わせて導き出した。
 本当なら中の様子も知りたいのだが、さすがにそれができるほど甘い相手じゃない。
 一息ついて戻ろうかとしたその時、傍らにアイコンが浮かび上がった。
 白い薄物を身にまとった緑色の髪の少女。
 耳の部分は、これまた白いパーツがウサ耳のごとく外向きに立っている。
「な、何や?」
 言ってから、その顔にひどく馴染みがあるような気を覚えた。
 アイコン少女は無言のまま、一通の封書を差し出した。
 智子がくちばしで受け取ると同時に、その少女はかき消えた。
 後に残るは、封書のアイコンと、かすかな既視感。
 封書を上に放り投げ、羽根先でちょんと突くと、目の前に薄っぺらい便箋が広がっ
た。
 そこには、『ワカッタ・ソフトウェア』福利厚生棟のある電話番号と、それを統括
するホストの転送レート、そしてその回線の場所が書いてあった。
「……イチかバチか、乗っちゃろうか」
 智子はそうつぶやいて便箋を虚空に消し、その場所目がけて飛び立った。


 電話回線はまだ開いており、外部とのやりとりを示す光のパケットがひっきりなし
に飛び交っていた。
 そのパケットを横取りし、解析を終えて元に戻す。
 ほとんど数瞬で行えるのも、智子の使うサイバーデッキの性能と、自身がカスタマ
イズしたユーティリティ「どないやのん」のおかげである。
 その内容を読んで、智子は思わず微笑んだ。
「ツキが笑ってるでぇ」

(to be continued "Side C")
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 やっと、続きを書けました。
 しかし、この期に及んでまだ伏線を出すか、自分(笑)。

http://www.ky.xaxon.ne.jp/~minakami/index.htm