『東鳩ラン#6:Chasing dogs (Side D)』 投稿者:水方 投稿日:2月26日(土)06時44分
== はじめに ==============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく
つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく
思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
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★08:11 p.m.
 階段を二階層駆け上がり、そこで向きを変える。
 先ほどまで綾香たちと話していた会議室の前に、セバスチャンが悠然と立っている。
 そこで浩之は、会議室にコートを置いていたことを思い出した。
「ずいぶん長い御用でしたな」
 しかつめらしい顔のまま、セバスチャンは浩之を睨んだ。
「皮肉はいいって……ところで、オレのコートを取りたいんだけど……」
「正直、困っております」
「え?」
「実は、あれから残った三人で乱取りを始めましてな」
「乱取り……」
 葵に頼んだ時間稼ぎが、まさかそんな所まで発展しようとは、夢にも思わなかった。
「んじゃ、オレのコートも……」
「無事に取れると、お思いですか?」
「……いいや」
 淡々と話すセバスチャンに、浩之もただただ首を振るしかない。
「仕方ない」
 どうせコートに大した装備は入っていない。肩をすくめてセバスチャンのそばを通
り抜けようとした。
「お待ちを」
 が、セバスチャンは手を広げて立ちはだかった。
「外に出られるのなら、ワシを倒してから行かれい」
 そして、一歩後ろに飛んで拳を構える。
「ずいぶん古風な言い回しだな」
 対する浩之は手を腰に当てたまま、構えようともしない。
「黙って通せよ。時間が無い」
「ならば、なおの事」
 セバスチャンの拳に気がみなぎる。
「これから行く所が死地である事ぐらい、既にお解りの筈……本当ならばワシも助太
刀したい所じゃが……」
 セバスの皺だらけのまなじりが、うっすらと潤んだ。
「……悲しいかな、この身では後々妨げになることは必定、」
 言い回しもだんだん時代掛かっている。
「せめてワシを倒して、その力を示されよ!」
「……付き合いきれん」
 浩之は両手をポケットに突っ込み、無造作に歩きだした。
 そしてセバスチャンの間合いに入った瞬間、
「かあああああぁぁぁっ!」
 老執事は本気で拳を叩き込んだ。
 が、一瞬早く、浩之の手のひらが彼の胸元に入るや青白い火花が放たれた。
「ぐぅつっ……!!」
 セバスチャンは床に尻餅をつき、胸を押さえる。
 押さえた指のすき間から、白い煙がぶすぶすと立ち上り消えた。
「ほら、倒したぜ」
 そのまま三歩ほど進み、そして浩之はセバスチャンを一瞥して駆け出した。
 老執事を見る眼に、ほのかに感謝の念が浮かんでいたのを、見逃すセバスチャンで
はなかった。


★08:12 p.m.
 プリンタから沸いて出る紙束を、デヴィッド班長は黙々と繰っていた。
 そしてまた一枚めくり、思い直してその紙を元に戻す。
「おい、この『姫川琴音』の記録はあるか?」
 指示を受けたインカム男は、あわててキーを叩き、さらに何枚かの紙束をプリンタ
に吐き出させた。
「……同じ、高校だな」
 プリンタの紙束をすくい、数行流し読んでまた元に戻す。
「長岡志保とですか?」
 いぶかしむインカム男だったが、鋭く睨むデヴィッドの視線が絡まり、思わず首を
すくめる。
 データを漁って一時間半、目立った痕跡が無いことから、デヴィッドは焦っていた。
「メディアで繋がるのは、こいつしかいない……賭けてみるか」
 数分後、デヴィッドから指示を受けた黒コートの増援……本社から派遣されたカン
パニーマン(企業工作員)の3人が、車体を沈みこませた黒いGMC『グランダー』
ヴァンに乗って、『ネクスト・エンターテイメント』を飛び出した。
 目的地は、郊外の再開発地域。
 姫川琴音がロケを行っている、その場所へ。


★08:13 p.m.
 無言で扉をくぐる老執事の姿に、三人は一瞬だけ動きを止めた。
 そして、綾香の視線が急に鋭くなる。
「あいつ、外に出たのね……」
 そのまま廊下に出ようとする綾香を、
「来栖川綾香様!」
 セバスチャンは一言でその動きを止めさせた。
 つられて好恵と葵の動きも固まる。
「立ちはだかっている敵の正体については、うすら感づいておられましょう!」
 そして綾香のそばにゆっくりと近づいた。
「だからって……」
 汗もぬぐわぬまま、老執事に向かって拳を振り上げ、だだっ子のようにその胸板を
二度三度と打つ。
「何もしないのは、許せないっ!」
 セバスチャンは黙ってその拳を受け止めた。
「藤田浩之と……『番号なし』と行動を共にするのは、天が許してもこのセバスが許
しませんぞ!」
 直後、綾香の平手が老執事の頬を打った。
「何て事言うの!」
 セバスチャンは毅然として綾香の顔を見る。
 そこで、はじめて、彼のまなじりが薄く濡れにじんでいるのがわかった。
「来栖川綾香様の御為(おんため)とあれば、このセバス喜んで鬼になりましょう」
 その顔を見て、綾香の目も潤んできた。
 老執事の心の中の、相反する気持ちが、やっとわかったから。
「こらえて、くだされ」
 後は言葉にならない。
 拳を振り上げたままセバスチャンの胸にもたれ、綾香はひとしきり泣いた。


★08:15 p.m.
 『シックス』の玄関を出た所、左脇に人の気配がし、浩之はつい、と立ち止まった。
 黒く塗った、見覚えのあるスポーツカーがあった。
 そばに近づき、助手席側のウィンドーを二度叩く。即座にロックが外れたので、す
き間から体を滑り込ませる。
 赤と黒のケーブルを首筋に差したまま、志保がぼうっと彼方を見やっていた。
「あ……ヒロっ……」
「まだ、リグっていたのか?」
「うん……これ外して、また泣き喚いてしまうのが恐くって……」
 いつもの志保らしくない……という思いを、浩之は一瞬で外に弾き飛ばした。
「また、恐い目に会ったんだな」
「やめて」
 志保の頭にやろうとした手は、乱暴に払いのけられた。
「だから嫌なんだ……ヒロ、誰にでも優しいから……」
「……済まん」
 浩之は顔を落とし、助手席の深いバケットに潜り込んだ。
「謝るなよ……あたしが悪いんだし」
「お前は悪くないよ……邪魔したな」
 しばらく考え、浩之は車外に出ようとした。
「待って!」
 車中に残った左腕を、志保の左手がつかんだ。
 かすかに、濡れていた。
「今なんかやる事あるんじゃないの?」
「……まあな」
「だったら、やる!」
 もたげた志保の顔に、もはや迷いは無かった。
「こんな気分でずっといるなんて堪えられない!早いとこケリつけて、いつもの志保
ちゃんに戻らないと!」
「その意気だ」
 浩之は改めて助手席に座り直した。
 無理して空元気を出そうとしているのが痛いほどわかるが、浩之には慰めてやれる
時間がない。
「……あかりが今目標を追っている。大至急、身の安全を確保したい」
「ん、わかったぁ!」
 志保は声を張り上げた。
「じゃ、行っくよぉ!!」
 直後、サーブ・ダイナマイト、いや『志保』は、猛烈な加速で『シックス』の門を
くぐりぬけた。
「シートベルトぐらい締めさせろい!」
 バケットに体を半分以上めり込ませながら、それでも浩之は一言返す。
「大丈夫、今の志保ちゃんは安全運転の鏡だからね〜」
「どこがだ……!」


★08:19 p.m.
 青信号を待つGMC『グランダー』の中で、男達はモニターを見ている。
「ターゲットはこいつだ」
 デヴィッドから得た志保のアップの静止画像二枚に続いて、シムセンスから抜き出
した琴音の画像をモニターに流す。
「小娘じゃねぇか」
「お前好みだな」
 下卑た笑いを飛ばす同僚に一瞥をくれた運転者は、程無くして信号が変わると急加
速でヴァンを進めた。


★08:20 p.m.
 やがて、綾香の泣き声もおさまった。
 葵も好恵も立ち尽くしているだけだった。
 好恵は、綾香に何もできないから。
 そして葵は、浩之とともに歩めなかったから。
「……セバス」
「はい」
 綾香は涙をぬぐい、老執事の顔を見上げた。
「今後の予定は?」
「午後10時から、取引先との商談がございます」
「……そうだったわね」
 そして無力感に囚われる二人のほうを向いた。
「ありがと、おかげでいい運動になったわ」
 すぐタオルに顔を埋めたのは、汗をふくだけではないだろう。
「んじゃ、これで解散ね」
「……」
 スーツを小脇に抱え、二人を残し部屋を出ようとしたその時、ふいに振り向いた。
 いつもの、あの小憎らしくも蠱惑の眼差しをたたえて。
「あいつのコート、持って帰ってね。またあいつに渡しといて」
「……ああ」
 先に好恵が動き、浩之が残した濃緑色のコートを手に取った。
 かなり重い。防弾素材だと即座に見取った。
「それと、葵」
「……はい」
「あいつにこの間、ヤックおごってもらったの。……しゃくだからその分返すわ」
 綾香はぽんとクレッドスティックを放り投げた。
 ぱしん!と小気味良い音を立てて、葵はそのスティックを受け取る。
「渡しといて。釣りは要らないって」
 それだけ言うと、綾香はセバスと共に部屋を後にした。
「……何でぇ」
 一声残して好恵は葵を見やる。
 葵も、好恵をまっすぐ見つめている。
 それで、充分だった。
 二人は腕でぐいと汗をぬぐうと、勢いよく部屋を飛びだした。


★08:38 p.m.
 浩之が行き先を告げずとも、志保は目的までの道を最短コースで突っ走っていた。
 どうやら『シックス』で好恵のトラックから運行データを得たようだ。
 そして、赤かったダイナマイトのボディーも黒いつや消し塗装がなされ、ナンバー
も変わっている。
「おい、一体どれだけ『ひみつ装備』が増えたんだ?」
「企業秘密」
 志保はにべもない。
 そしてガレキだらけの中にダイナマイトを割り込ませるや、急角度でターンを決め、
助手席の浩之を吐き出した。


★08:39 p.m.
 GMC『グランダー』はガレキだらけの道を進み、ロケ地へと侵入した。
 その直後、鋭いホイッスルが二度、暗闇を切り裂いた。
「止れぇ〜」
 次いで、赤い『ニンジン』(サインスティック)を持った男が二人、近づいてくる。
 あわててヴァンを止める。
 男達はKSD(来栖川警備保障)の制服を着込んでいた。
 ----なんだ、警官か。
「迂回してくれませんかねぇ?」
 ヘルメットからはみ出た赤っぽい髪の毛が『ニンジン』の下でばさばさと揺れる。
「……ここ、いまロケ中なんですよ」
 もう一人、栗色の髪のほうが、丁寧な調子でヴァンの男達に呼びかけた。
「それは百も承知だ」
 助手席にいた男がウィンドーを開け身を乗り出した。
「『ネクスト・エンタープライズ』営業二課のベルモント八田という」
 男はそう言ってコートの奥に手を突っ込んだ。
 即座に、制服姿の男二人が拳銃を構える。
 セーフティ(安全装置)は抜きざま外した。こいつは本物だ。
「……悪かった。社員証を取るつもりだったんだ」
「ゆっくり動いてくださいよ。銃の扱いには慣れてないんです」
 栗色髪のほうが不安そうに言う。そのわりには銃身はブレていない。
 ベルモントはゆっくりと懐から手を抜いた。
 次いで、人差し指と親指で革ケース入りの社員証が引き出された。
 銃を構えつつ、赤毛のほうが左手で社員証を受け取った。
「……確かに」
「ふぅ、あせらさないで下さいよぉ」
 栗毛頭が銃を下ろす。
「こっちは、同僚のジャン=リュックと、ポール真木川……姫川琴音君の偵察でね」
 わざと重い調子で、顔を赤毛に寄せる。
「彼女はなかなか見所のある新人のようだし、今度ウチで使う企画にも、と思って」
「あ、今は近づかないほうがいいですよ」
 今度は栗毛のほうが顔を寄せた。
「ナイショなんですけどね……あの子、少しだけ魔法が使えるみたいなんですよ」
「ほう!」
 ベルモントは運転席のジャンと顔を合わせた。
「それで、……ほら、何だかんだ言っても予算無いから、あの子、SFXで駆りださ
れちゃったんですよ。我々はその監視役です……魔法ですからね」
「何でも、スタジオ設備、優先的に貸してもらえないらしくってね……スタッフのほ
とんどがメタヒューマンでしょ?上に煙たがられているらしいんです」
「なるほど」
 ベルモントは大仰にうなずいた。
 自身もかなりメタヒューマンには偏見を抱いているだけに、そういう気持ちは実に
よく分かる。
「……しかし、我が社はそんな事はありません」
 自分の心中などおくびにも出さずに、あくまでも柔らかい口調で二人の警官を丸め
込もうとした。
「スタッフが腕っこきなら、我々といっしょに組んでもいい。……とにかく、その姫
川琴音には早く逢いたいですな」
「でしたら、済みませんが車を降りて下さい」
 栗毛のほうがヴァンから離れ、手招きした。
「そのへん、ケーブルやら何やら埋めてるみたいなんですよ。撮影に影響があったら、
こっちが『上』にどやされますから」
 ベルモントとポールは顔を見合わせた。
 結局、運転席のジャンを残し、エンジンをかけたままにして、二人はヴァンを降り
栗毛の警官といっしょにガレキの中に入った。


★08:41 p.m.
 ウォッチャーが動きを止めた。目標はすぐそこにいる。
 近づこうとして、アイリッシュ・セッター姿のあかりは彼方を見やり……そこでの
たうつ火トカゲを見た。
 ----炎の精霊!
 あわてて自分の足下を見る。
 アストラルに輝く飾り文字……識別し易いようにツタ等の生命のオーラを使って描
かれる文字が、ツタで覆われた壁の一角に浮き出ている。
 その文字を読み取るや、ウォッチャーを引き連れ、あかりは自分の体を目指して駆
け戻っていった。


★08:48 p.m.
 ポール、ベルモントそして警官は、オークの怒号に迎えられた。
「何やってるヒヨっこ!ンなのだったらクリフがCGったほうが早いじゃねぇか!」
「すみません、ディレクター」
 ガレキの向こう、透明度の高いフィルムで囲まれた即席の『金魚鉢』の中で、姫川
琴音が謝っていた。
 体中にべっとりと汗をかき、手を突いた壁からもじんわりと染みが広がっている。
「もう一度だ!」
「はい!」
 琴音は精神を集中させ、手の中の小石を鳴らしてぶつぶつとつぶやいた。
 琴音の傍らに転がっている、三つの光沢を持つ球体が、程無くしてふんわりと浮か
び、やがてそこそこの速さでランダムに飛び交った。
「ホレイショ!カメラはァ!」
「バッチシ、回ってまさぁ」
 三脚に固定したヴィデオを横にパンさせながら、ドワーフが親指を上げた。
「どうだ?」
 ベルモントはポールに囁いた。
「……魔力はある。弱いがな」
 ポールはミラーシェイド越しに琴音を見やる。
「中途半端な覚醒者か」
 仲間のメイジを信用しながらも、ベルモントは心中「ハズレを引かせやがって」と
デヴィッドを罵った。
 そう、あれしきの魔力では、せいぜい小物を躍らせるのが関の山だ。


★09:00 p.m.
 気がついた時は、そばに浩之がいた。
 同時に、車の中だと気づく。
「あ、浩之ちゃん」
「大丈夫か」
「うん、……それよりも大変なの。新田さんが連れて行かれた所……」
「どこだ?」
「……『ワカッタ・ソフトウエア』」
「れ、レンラク!メガコーポじゃないのよぉ!!」
「あ、志保……ゴメンね、心配かけて」
「んな事はいいの。ヒロ、どうする?」
「どうもこうも無い」
 あかりの肩を握る手に力が入った。
「何分でたどり着く?」
「一時間、と少し」
「上等だ!突っ走れ、志保!」
「……アンタといると、命いくつ在っても足りないわ」
 言いながらも、志保の口調は軽かった。


★09:24 p.m.
 黒いGMC『グランダー』を見送って、警官二人は手を振った。
 三人にとって、目立った収穫は無かったようだ。
「せっかく、琴音ちゃんの勇姿が拝めたのになぁ……ショボい顔して」
「ああ」
 KSD警吏、佐藤雅史とその同僚、垣本は互いに顔を見合わせた。
 二人が時間を稼いだおかげで、浩之は魔方陣からあかりを連れだす事ができたのだ。
 もちろん、二人を配置につけたのも、MULTIの『バックアップ』成果だ。
「あら、勇姿だなんて恥ずかしい」
 二人の後ろから、バスタオルを被った琴音が声をかけた。
「助かったわ。まさか、あなたがたが来るなんて」
「ご苦労さん」
「あ、ディレクター」
「急場しのぎにしては、使えたぜ」
 『スタートレック52』のスタジャンを着込んだ大柄なオーク……ディレクターの
岩柿は、琴音の頭をわしわしと撫でた。
「でも、こんなのはこれっきりにしてくれよな。こっちにもスケジュールと、プライ
ドってもんがある」
「……済みません」
 グローブのような手のひらの中で琴音はしょげ返る。
「いいって、バイアス(偏見)かかった人間どもを騙せたんだからよ」
 岩柿はそう言って、ガハハと大きく笑った。

第六話 Chasing dogs 終

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