東鳩ラン#5:『Running dog(アバンタイトル)』  投稿者:水方


== はじめに ==============================================================
 この話はTRPG『シャドウラン』(米FASA/富士見書房)の世界観を使用し
ています。『シャドウラン』を知っている方には『にやり』とするように作っていく
つもりですが、知らなくても、ちゃんと楽しめる……ようでしたら、作者はうれしく
思います。
 当然ですが、文中にある固有名詞や人名などは全て架空であり、実在の名称その他
同一のものがあったとしても何ら関係ない事をお断りしておきます。
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◆アバンタイトル


「んじゃ、オレ寝るし」
 脱いだコートをぽい、と放り出し、オレはいつものようにコクーンにもぐりこんだ。
「三十分したら起きる。……出るのなら今出ろ。鍵開いてるところで不意討ち食らい
たくはない」
 志保のやつ、コクーンの使用説明書を読んでやがる。夢中になってるようだし、こ
のままにして置いてやるか。
 メインスイッチを入れ、タイマーの数字を『三十分』にし、最後に黒い始動ボタン
を親指で押す。
 左手で黒プラスティックのヴァイザーを頭にすっぽりとかぶせると、ヴァイザーの
中心に渦巻がきらめき、『指紋認証:確認済』の文字が浮かび上がる。
 次いで、首筋に小さな痛みが走る。その痛みが生暖かいしびれとなって体じゅうに
広がる頃には、オレの周りは何色もの渦巻が取り巻いていた。


 オレは、いつものように丘の上に降り立っていた。
 目の前にはなだらかな草原が広がり、オレのすぐ後ろでは、名も知らぬ大きな樹が
青空へと伸びている。
 そして、その樹の根元に、ちょこなんと足を投げ出して座る小さな姿。
 緑色の髪が風にそよぎ、二つの瞼がゆっくりと開く。
 視線を受け止めると同時に、オレ達は共に頬をゆるめる。
「浩之さん、おはようございます」
「おはよう、マルチ」
 そのままマルチの横に腰を下ろし、樹に寄りかかる。
 マルチは足を揃えて左手を付き、オレの顔を見上げる。
 ----座っても立っても、見下ろすのはいっしょか。
「何か、楽しそうですね」
「ん?あぁ、いま傍に志保のヤツがいるんだ」
「え!そうなんですか」
 驚いた顔が、満面の笑みに変わる。
「じゃあ、今日は志保さんともお話できるんですか?」
 !
「あ、いや、その……アイツには事情を話してないんだ」
 しどろもどろになりながら、マルチの瞳を見据える。
 志保の『封印』を解いていない今、マルチの顔を見て、志保自身が思いもつかない
事になるかもしれない。
「そのうち、ちゃんと紹介してやるよ」
「本当ですね!」
 マルチは両手を合わせた。その微笑みはなお崩れない。
「約束ですよ」
「……約束だ」
 オレはそう言って、緑色の髪を撫でる。
 実のところ誤魔化しているだけなのかもしれない。
「幸せですぅ」
 マルチは、頬を染め目を潤ませて、じっと頭を動かさずにいる。
 そこで、昔のことを思い出した。


 オレ達を襲ったPTSD----『心的外傷後ストレス障害』は、マルチにも手加減は
しなかった。
 『あの事件』の後で、失われた右腕を直し電源を入れようとしても、マルチは目覚
めようとしなかった。いや、電源は一瞬は入るのだが、すぐに強制遮断がかかってし
まうのである。
「どういうことだよ!」
 見舞いに来た長瀬源五郎に、オレはベッドから半身を起こして声を荒げた。
「……マルチの意思決定プロセスの中で、君が腕を断たれて倒れた事による因子が、
恐怖要因となって固着している。つまり、『君が死んだのかもしれない』という恐れ
で、現実を直視しようとしないのだ」
 そこで言葉を切り、オレの目を厳しい目で見据える。
「あの子も、『こころの痕』を負ってしまったんだ」
 即座に言い返す。
「んじゃオレが元気になった姿を、マルチに見せりゃいいんじゃないか?」
「目覚めてもいない子にどうやって見せるのだ?」
 長瀬の目尻のしわが、いっそう深く刻み込まれる。
「メモリ内を走査したのだが、いくつもの記憶ブロックが寸断されている。強制的に
マルチを目覚めさせる事は出来るが……その場合、元の『こころ』が保てる確率は、
極めて低い」
「じゃぁ、マルチはずっと『死んだ』ままなのかよ!」
「いや、それは違う」
 長瀬の目に、きらめきが走る。口調こそ静かだが、そこに込められた思いはオレと
同じだ。
「いまはわからない。が、あの子だって『こころ』を持った以上、きっと立ち直ろう
とするはずだ」
 きらめきは、一粒の玉と化して左頬を滑り落ちる。
「時間をくれないか、藤田君。君といっしょに、あの子を目覚めさせたい」
「おっさん……」
 オレも、ゴクリと息を呑む。
「協力するぜ。いつまでかかるかわかんねぇけど、きっとマルチをまた元どおりにし
てみせる」


 そこで、オレの手は止った。
「……?」
 マルチは小首を傾げている。
「あ、いや」
 再び撫でつづけながら、オレの想いはさらに先に走る。


 最終的な道筋を付けるのに、約半年を要した。
 結局、人間と同様に『こころのケア』を行わない限り、マルチ復活はあり得ない。
そう判断した長瀬たちは、マルチの深意識下ともいえる部分へのアクセスを行う事で、
『ケア』を行うと、オレに告げた。
「それはいいけど、何でこんな中に?」
 『番号無し』となったオレは、来栖川のとある事務所で、大人サイズの揺りかご…
…『リラックス・コクーン』を叩いた。
 待ってましたとばかりに大きく息を吸う長瀬を、片手を差し出して止める。
「難しい話はナシな」
 長瀬はがっくりと肩を落とした。
 ……まったく、技術者ってなんでこう、ウンチク振る舞うヤツが多いんだろ。
「ごく簡単に言うと、君が眠った状態でないと、あの子の深意識下ともいえる部分に
アクセスできないんだよ。あの子も『眠って』いるんでね」
「それじゃ、オレは眠りを覚ます王子様、と」
「いや、覚まさせるんじゃない、夢を見続けさせるんだ」
「夢を?」
「『夢を見る』というのは、情報の整理、ニューロネットワークの再リンク、修復、
消去……AIにも必要なのさ。言っとくが、一度二度で済むほどあの子の『こころ』
は治っていないぞ」
「ああ、何度でもやってやるさ」
「それに、連続してやっても効果が無いんだ。一度やってから、ニューロネットワー
クの再リンクを行うのに、約一月かかる」
「そんなにかかるのか?」
「CPUのスピードが追っつかん。もっと速くする手段もあるが……いま横槍は入れ
られたくはないし」
 そこでオレの顔をちら、と見た。
「……下手をすれば何年にも渡るだろうが、それでもやってくれるか」
 オレの答えは、いつも一つだ。
「ああ、最後までやってやる」



 さわさわさわ。
 いつの間にか、オレの頭を心地よい感触が通り過ぎた。
「きもち、いいですか」
「ああ」
 小さい手をゆっくりと動かし、マルチが撫でてくれていた。
「……今日は、浩之さん、ずっとこのままですか?」
「ん、話す事ならいっぱいあるぜ。この前、あかりといっしょに子どもを探した時の
話とかな」
「ああ、あかりさん……また、いっしょにお菓子作ってみたいです」
「それが金にならなくて、いいんちょに秋葉原でこきつかわれた話とか」
「いいんちょ……保科智子さんですね。ゆっくりとおしゃべりしたいです」

 その瞬間、オレの頭の中に沸き上がった気持ちが、ようやく言葉になった。

「……マルチ?ひょっとして……みんなに、会いたいか?」
「はい」
 まん丸い緑色の瞳が、オレの顔を写している。
「会って、いっぱいお話ししたいです……わわっ」
 後は言葉にならなかった。
 オレはマルチを引き寄せ、力一杯抱きしめた。


 ……ついに、その時が来た、と。
 抱き寄せた手で何度も何度も頭を撫でているうち、耳の奥で電子音が響いた。



 涙が残っている。
 眠りながら泣いていたらしい。
 黒いバイザーを上げると、頭を振る志保が目に入った。
「お、寝てたのか志保。そろそろ帰るぞ」
 言いながらそっぽを向く。
「ヒロ、首の後ろ赤いよ?」
「ん?あぁ……」
 β−フェニルなんちゃらとかいう睡眠導入剤の注射跡が、ぷっくりふくらんでいた。
 さすが志保、こういう所はあなどれん。
「虫にでも食われたかな」
 それでも一声付け加えて、放り出したコートを一動作で着込み、ドアの鍵を外す。
「ねぇ、コクーンの電源落とさなくていいの?」
 いちいちうるさいヤツだな。
「人が離れると、勝手に切れるんだよ」
 嘘だ。
 今頃、あのコクーンは全能力を上げて『マルチに夢を見させて』おり、電気もそれ
なりに消費しているはずだ。
 その電力をまかなうため、そしてそれ以前のデータを長瀬のおっさんに送り届ける
ために、わざわざこんなもったいぶった手段を講じているのだ。
「それでも付けっぱなしは環境に悪いよ」
「いつから環境保護派に宗旨替えしたんだ?」
 マトリクスと呼ばれる巨大なコンピュータ・ネットワークに繋がっている限り、
『電子の魔法使い』デッカーが入り込むのを押さえるすべはない。
 そこで長瀬のおっさんは、マトリクス的にスタンドアローンな状態で、マルチの再
生を行おうと画策した。それが、この『コクーン』だ。電力だって、地下のディーゼ
ルエンジンによる自家発電だから、電力消費量からバレる気づかいはない。
 バイトで疲れた体を癒す。ここまで堂々とやれば、かえって気づかれないだろうと
いう判断である。
 ピックアップに乗り込む前に、タンクの横をちらと見ると、薄汚れた業務日報が差
し込んである。それを手にとってちらと見る。
 黄金色の光ディスクが挟んであるのを確認し、日報ごと頭の上のキャプボックスに
押し込む。
 ピックアップに乗り込み、エンジンを始動させる。
「どういう意味よ?」
 志保はあわてて助手席に飛び込んだ。どうやらこいつには気づいていないらしい。
 車を発進させてすぐに、道の反対側から一台のRVがスタンドにやってきた。
それをバックミラー越しに見ながら、「……やぱしお客さん、いるんだ」
 志保が納得したようにつぶやいた。
「観光客とかな」
 上の空で応対し、オレは元来た道をひた走った。



 もう少し、もう少しで、マルチが元に戻る!



                             (本編に続く)