みどりの日 投稿者: 槇村
 注:このSSはPS版THの来栖川芹香お嬢様のネタばれを含みます。
 『みどりの日』

 今日は祝日です。
 確かみどりの日、だったと思います。
 そんなことを考えながら、いつも通りひとり食堂で朝食をとっていると、
「あっ、いたいた、姉さん」
 ドアから顔をのぞかせた綾香が私の方へやってきました。
 おはようございます、綾香。
「ん、おはよっ、姉さん。・・・私にも軽くお願いね」
 綾香が私の隣に腰掛けながら、給仕をしてくれているメイドさんに声をかけています。
 私と違って、綾香はとても運動神経がいいです。今朝もきっと、早起きして格闘技の
練習をしていたのでしょう。私はいつも、彼女の猫のようにしなやかできれいな動作を
見て、うらやましく思ってしまいます。
「ねえ、姉さん。今日ヒマ?」
 いつのまにか先に食べ終わっていた綾香が私の方をのぞき込んで聞いてきました。
 今日は休日ですから学校はありませんが、おじいさまが薦めて下さったお稽古ごとの
先生がいらっしゃいます。
「じゃあ、さぼっちゃえば問題ないわね」
 私が答えると綾香は嬉しそうに言いました。
 でも勝手に休んだりしては先生方やおじいさまに迷惑をかけてしまいます。
「いいの、いいの。たまの休日ぐらい自分の好きなことに時間を使わないとね」
 私なんかいっつも逃げ回ってるんだから、と笑いながら私を見つめています。
 好きなこと・・・、魔術の儀式だと準備だけで半日はかかってしまいます。
きっとその間にセバスチャンが呼びに来てしまうでしょう。
「あのねえ、姉さん。屋敷の中にいたらさぼる意味なんかないじゃないの。だいたい
こんな天気のいい日にどうして部屋の中で魔術の儀式なんかしようとするのよ」
 綾香があきれたような顔で額を押さえながら言いました。
こんな顔をしていても、彼女のころころとよく変わる表情はとても魅力的です。
「とにかくここじゃなんだから、話の続きは姉さんの部屋でね」
 姉さんも早く食べちゃいなさいよ、とまだ半分ほど残っている朝食をさしました。
 なんだか綾香がとても楽しみにしているように見えたので、私もすこし急いで食べる
ことにしました。

 10分後。
「実はねえ、ここにプールの優待券があるのよ」
 私の部屋についてきた綾香は、扉を閉めるとすぐに振り返ってそう言いました。
 プール?
「姉さんも知ってる? アクアブルーって屋内プール。そこの券なんだけど」
 そう言えば、しばらく前に来栖川ガスが出資して大きなプールを作ったというお話を
クラスの人たちがしていたような気がします。
「これ、姉さんにあげるから行って来たら?」
 泳ぐのはあまり得意ではありませんが、綾香と一緒なら楽しいかもしれません。
「あ、私? 私はいいわ。何回か行ったことあるし」
 綾香はひらひらと手を振りながらそう言ってから、にっこりと笑って
「今日は彼氏誘って一緒に楽しんでらっしゃいよ」
と言いました。
 彼氏・・・、浩之さん?
「そうそう、あのちょっとお調子者なカ、レ、シ。姉さん、彼とデートなんかしたこと
ないんでしょ?」
 デート?
 綾香の言うとおり、浩之さんとは学校で休み時間や放課後にお話しするだけでした。
でも、もし浩之さんと一緒にプールに行けたら、きっととても楽しいと思います。
「姉さん、確か泳げなかったわよね? ちょうどいい機会だから、ついでに彼氏に特訓
してもらってらっしゃい」
 体を動かすのは得意ではありませんが、まったく泳げないわけではありません。
 私は綾香にそう言いました。
「まあどっちでもいいけど。とにかく誘ってみたら? 電話番号知ってるんでしょ?」
 知っています。春休みに降霊会にお誘いしたときに調べました。
「はい、私の携帯貸してあげる」
 電話のところへ行こうとした私の前に綾香が小さな携帯電話を差し出してくれました。
 私はありがとうと、ひとこと言ってから電話を受け取りました。
「………」
『はい、藤田です』
「浩之さん? 来栖川です。」
『もしもし』
「もしもし」
『もしもーし?』
 私の声が小さすぎて聞き取れないみたいです。
「来栖川です」と今度は大きな声を出すように意識して言いました。
『えっ、あっ、先輩!?』
 良かった。今度は聞こえたみたいです。
『どうしたんだ、いきなり』
「いま、お暇ですか…?」
『えっ?』
 もしかしたらご迷惑だったかもしれません。
 浩之さんにはお友達も多いし、もしかしたら今日はお忙しいのかもしれません。
『ひま、ひま、ひま、超ひま』
 浩之さんはとてもはっきりとした口調で答えてくれました。
 勇気を出して声が小さくならないように気をつけながらお誘いしました。
アクアブルーのことは浩之さんもご存じだったようで、一度行きたいと思っていたんだ
と言ってOKしてくださいました。
 それからプールの前で待ち合わせることにしてから電話を切りました。
 カチャ、ツーー。
「さあ、ほら。姉さん、ぼーっとしてないで早く準備しなきゃ」
 切れてしまった電話を見つめていた私を綾香がせかします。
「彼氏に見せるんだから気合い入れていかないとね。水着も選ばないといけないし」
 そうでした。プールに行ったら水着に着替えないといけません。
「うん、まずは水着から選んじゃいましょう」
 そう言うと綾香は私の手を引いて水着を選びだしました。
・・・・・・
「さすがは私の姉さんだけあってスタイルは抜群よね」
 試着してみた私を見た綾香にそう言われて、恥ずかしくなってしまいました。
 いま着ているのはお父様に買っていただいたものですが、一度しか着たことなかった
のでサイズが合うか心配でしたが大丈夫でした。ですが・・・
「………」
「え? 恥ずかしいです、って? だーいじょうぶ、大丈夫。すごく似合ってるから。
それなら彼氏だって絶対、喜んでくれるわよ」
 綾香がそう言って保証してくれましたが、その表情がなんだかいたずらを仕掛けた
ときの笑顔のように見えるのは気のせいでしょうか?
「それより今度は服、決めないと。時間、あんまりないんでしょ?」
 そうでした。遅れてしまって浩之さんをお待たせしては申し訳ありません。
 そして綾香と一緒に今度はお洋服を選ぶことにしました。
「うーん、普段の姉さんっておとなしい感じの服が多いし・・・、かといってあんまり
派手な服って似合わないのよね・・・」
 綾香が両手に持った服を私の前にあてがいながら、まるで自分がデートに着ていく服
を選ぶみたいに悩んでいます。
いえ、きっと自分の服なら綾香はこんなに悩んだりしないでしょう。
「姉さんはどれがいいと思うの?」
 浩之さんが喜んでくれそうな服は私にもわかりません。
 だから私自身、気に入っている服を選びました。浩之さんにも気に入ってもらえたら
とても嬉しいです。
「そうね。全体的にシックな感じにまとまってるし、春らしくて明るいいい色ね。うん、
それでいきましょう」
 綾香にも気に入ってもらえたみたいです。
 出かける準備が整いましたが、時間もだいぶたってしまいました。
でも今度はセバスチャンに見つからないように、お屋敷を抜け出さないといけません。
「さて、姉さん。ここからが本番よ。いい? 作戦の手順はこうよ。………」
 綾香はあらかじめ考えてくれていたらしい手順を真剣な顔で説明してくれました。
 作戦というのは綾香がセバスチャンを引き留めている間に私が気づかれないように
抜け出して、屋敷の近くで待ってもらっているタクシーに乗って待ち合わせの場所に
向かうというものでした。
「じゃあ今から電話でタクシーを呼んでおくから、絶対に失敗しちゃだめよ?」
 はい。ありがとう、綾香。
 ほんとうに綾香は優しいいい子です。
「ん、いいのよ。姉さんだってたまにはデートに行くぐらいの自由はないとね」
 私がお礼を言うと、綾香は照れたようにあわててそう言いました。


(今頃、姉さんたちうまくやってるのかしらね?)
 シャワーで汗を流してから着替えた私は、柔らかいソファーに体をあずけてぼんやり
とそんなことを考えてみる。
 強引につきあわせたといっても長瀬さん相手の組み手は結構疲れる。
 最初は長瀬さんも主人の孫が相手という意識があるのだが、夢中になった私が全力を
出してしまって結局、最後はお互いにかなり本気でやり合ってしまうことになる。
 一応、スタミナや技術の点で私の方がかろうじて優位を保ってはいるが、あの年で
信じられないほどの打たれ強さと一撃の重さは驚異だ。
「お嬢様! 芹香お嬢様!! どこにいらっしゃるのですか?」
 屋敷中に響きわたりそうな大声が近づいてくる。
さっきまで息を切らせていたとは思えない声。もしかしたらスタミナでも負けてるかも。
「綾香お嬢様、芹香お嬢様がどこに行かれたかご存知ありませんか?」
 私に気づいた長瀬さんは、近づいてくると開口一番そうたずねてきた。
 いつも通りビシッとした執事のスーツを着込んでいる。暑苦しくないのかしら?
「さあ? 今朝、食堂で会ったけどその後どうしたかは知らないわよ」
 自分がプールの券を渡したことなどおくびにも出さずにとぼけてみせる。
「…綾香お嬢様」
 それでも何となく気づかれたようだ。でも、今更気づいたところで手遅れ。
「仕方ありません。私は心当たりを探して参ることにいたします。それでは綾香様、
失礼いたしました」
 そう言って頭を下げてから長瀬さんは立ち去ってしまった。
 今から行っても姉さんが見つかることはまずない。それでも彼は探しに行くのだろう。
それでいて姉さんが帰ってきたときには、何事のなかったかのように玄関先で出迎えて
いるのだ。
「姉さんてホント幸せ者よね」
 ソファーに身体を沈めながらつぶやいてみる。
 今夜は久しぶりに姉さんの部屋に押し掛けることにしよう。
きっと今日のことを私に話してくれるだろう。
 言葉少なに、でも幸せそうに、嬉しそうに。



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 はじめまして、槇村といいます。
 PS版東鳩で追加された例のイベントをやって、泳ぐのが苦手な先輩がなぜ浩之を
プールに誘ったのかを考えてみました。
そのときに、『先輩を送り出した後、幸せそうな姉の笑顔を思い浮かべながら、自分
自身も楽しげな笑みを浮かべている綾香』の絵が思い浮かびました。
それで以前から書いてみたかった芹香先輩の一人称で書いてみた結果、こういう形に
まとまりました。
 東鳩のSSを書いたのはこれが初めてなんですが、読んでもらえると嬉しいです。