マルチを作った男たち 投稿者:睦月周
マルチを作った男たち



 199×、都内某所。

老人 「はあ、ふう、はあ、ふう……」

 両手にパンパンに張ったスーパーのビニール袋を持った老人が、交差点を横切ろうと
している。
 顔には玉のような汗。明らかに、老人には重い荷物のようだった。

老人 「……っ……」

 袋の重みに足を取られる老人。
 転んだ拍子に袋の中身がばらまかれる。だが、皆通り過ぎるだけで、誰も老人を助け
ようとはしない。
 点滅していた信号が赤に変わる。
 つんざくようなクラクション。ウインドウ越しに、老人に罵声が浴びせられる。

ドライバー1 「バカヤロウ! トロトロしてるんじゃねえよ、このジジイ!」
ドライバー2 「早くどいてくれねえー? 時間押してんのヨ」

老人 「あ、う……す、すみま……」

 老人はおろおろしながら必死に散らばった物を拾おうとする。だがその動作は緩慢で、
とてもすぐに終わりそうにない。
 老人を急かすように、クラクションが鳴りまくる。

ドライバー1 「てめえ! 早くしろっつうの! 轢いちまうゾ!」
???    「もう我慢できん、老人は国の宝だろう!」

 そのとき、そう叫びながら、雑踏から飛び出したひとりの男がいた。
 その男はてきぱきと転がった物を拾うと、丁寧に袋に入れて、老人に差し出した。

老人  「あ、これは、どうも、お手数おかけしまして……」
??? 「いえ、当然のことをしたまでですよ。さ、渡りましょう。歩けますか?」

 老人に肩を貸しながら、男は思った。

??? (このままでは、日本はどうなるのだろう? 高齢化社会、ますますこういう
老人は増えていくだろう。しかし、手を貸すべき若者の数は年々減少している。意識も
低い。どうする、どうすれば……?)


 長瀬源五郎。
 来栖川電工中央研究所勤務の、技術主任。後に、一大ムーヴメントとなるHMシリー
ズを世に送り出した男である。

 この物語は、彼ら来栖川電工の技術者たちが、いかにしてHMX−12、マルチをこ
の世に生み出したかを追う、ノンフィクションドキュメントである……。


 199×、来栖川電工中央研究所。

長 瀬 「うむ、この弾力! やわらかすぎずかたすぎず、絶妙のさわり具合だ。人工
    皮膚でここまで人肌の弾力を再現できるとは……いいぞ、キクチ!」
キクチ 「ヘヘッ、これでも不眠不休であらゆるパターンを試しましたからね。自信作
    ですよ」
長 瀬 「……しかし」
キクチ 「?」
長 瀬 「惜しむらくは、歯をたてたときの後に、弱冠の違和感が残る。やり直しだな」
キクチ 「そ、そんな! 三日徹夜っすよ? これ以上の物は出来ませんよ!」
長 瀬 「それでもやるんだ。一切の妥協をしない。それが、このプロジェクトを始め
    たときの誓いじゃあなかったか?」
キクチ 「…………」
長 瀬 (ポンポン、と肩を叩いて)「お前なら出来るさ、任せたぞ、キクチ」

 去っていく長瀬。

キクチ (苦笑して)「まったく長瀬さん、人を乗せるのが上手いんだからなあ」
シライ 「あの人はこのプロジェクトに賭けてるのさ。俺たちが、あの人に賭けてるよ
    うにな……」

 そう、この来栖川研究所では、汎用アンドロイド、HMの研究が進められていたのだ!

 その製作総指揮を担当するのが、ロボット工学の権威、長瀬源五郎。
 彼の統括のもと、人間にもっとも近いアンドロイドといわれる、HMX−12の開発
が進められていた。

長 瀬 「つまり、これだけの安価で、これだけの機能を提示できるのが、HM−12
の魅力というわけだな」

 長瀬は、居並ぶスタッフを前に、HM−12の基本コンセプトについて説明した。
 スタッフの反応は様々だったが、困惑の色をあらわにしたひとりが、立ち上がって長
瀬に質問を求めた。

ミヤケ 「でも長瀬さん、これだけの予算で、そんな高機能、とても無理ですよ。もう
    少しコストアップをはからないと……」
長 瀬 「高コストで高機能、というサービスはすでにHM−13シリーズで提供する
    計画だ。我々はなるべく多くの人にHMの魅力を知ってもらいたい。そのため
    にはコストダウンは必要なんだ」
ミヤケ 「しかし……」
長 瀬 「なせばなる、だ。千里の道も一歩からさ、やってみる前から弱音を吐いてど
    うする? これに成功したら、夢のようなロボットが誕生するんだぞ、頑張ろ
    うじゃないか!」


 しかし──。


シライ 「チクショウ! 間節がスムーズに動かねえ!」
キクチ 「この程度のCPUじゃ、全間節の同時制御なんて無理ですよ、もう少しスペ
    ックアップを図らないと……」
長 瀬 「いや、これ以上製作コストを上げるわけにはいかない。低コストがHM−1
    2のウリだ。スペックはこのままで行く」
キクチ 「でも、長瀬さん……」
長 瀬 (パンパンと手を打って)「泣き言をいうな、さあ、もうひと頑張りしよう。
    きっと光明が見えてくるさ!」

 しかし、と長瀬は内心思った。

長 瀬 (たしかに、このままじゃ八方ふさがりだ。外部からの情報端末だけでCPU
    の大半を使ってしまう……どうすれば……?」
ミヤケ 「あれっ、主任、どこ行くんすか?」
長 瀬 「ああ、……ちょっと煙草を買いにな」

 公園。
 ベンチに座りながら煙草をふかす長瀬。
 長瀬は悩んでいた。このままではHM−12計画は頓挫してしまう。長瀬は考えた。
考え続けた。
 そのとき。

子 供 「ねえお母さん、見て見て逆上がりが出来るようになったよ!」
母 親 「わあ、マーくん、すごい! ね、練習すればなんでもできるでしょう?」

 その微笑ましい光景に、長瀬の口元がゆるんだ。

長 瀬 (練習すればなんでもできる……か。……ん?」

 ピクッ、と長瀬の眉が跳ね上がる。

長 瀬 「練習……そうか! 練習だ! 練習すればいいんじゃないか!」

 そのままベンチを離れて踊り出す長瀬。

長 瀬 「そうだ、そうだよ! そうすればいいんだ! これでHMX−12は完成す
    るぞ、ヒャッホー!」

 唖然とする親子。長瀬はそれでも踊り続けていた。

 3日後、研究所に戻った長瀬の頬は、すっかりと痩せこけていた。

キクチ 「な、長瀬さん、どうしたんスか!?」
長 瀬 「まあ、まあ。いいからこのプログラムを試してみてよ」
キクチ 「え? まあ、いいスけど……」

 プログラムがインストールされる。
 ぎこちなく林檎を拾おうとする、HM−12プロトタイプ。

シライ 「なんだあこりゃあ。主任、前より動きが悪くなってますよ。これじゃあ使え
    ない……」
ミヤケ 「ま、待て! よく見ろ!」
シライ 「え?」

 最初はぎこちなかった林檎を掴む手が、何度も繰り返すようにしだいになめらかに、
スムーズになっていく。
 食い入るように見る、スタッフたち。

キクチ  「す、すげえッス! 最初はあんなに駄目だったのに、なんで……」
長 瀬  「それはな、このプログラムは学習型なんだ!」
スタッフ 「が、学習型!?」
長 瀬  「そう。最初に多くのデータを入れようとするから失敗するのさ。CPUに
     は基本的なことだけインストールしておいて、その他のスキルは経験によっ
     て拾得させる。どうだい? 逆転の発想ってやつさ」
シライ  「す、すげえ、……」
ミヤケ  「低コストを逆手に取るなんて……なんて人だ……」
キクチ  「今さらながら実感しますね。やっぱりあの人は本当の天才ッス……」


 月日は流れ、HM−12の開発は順調に進み、いよいよマスターアップまでもう少し、
という日が来た。


キクチ 「見てくださいよ、このなめらかな動き! まるで本当の人間みたいでしょう?」
シライ 「ああ。それにこのプニプニした頬。作りものとは思えないな」
ミヤケ 「これなら絶対に売れますね、ねえ主任?」
長 瀬 「…………」
キクチ 「長瀬さん?」
長瀬  「駄目だな」
シライ 「は?」
ミヤケ 「ま、待ってくださいよ長瀬さん、いったいどこが……」
長 瀬 「君らは、本当の人間というのを見ているかい?」
シライ 「え?」
ミヤケ 「本当の……人間?」
長 瀬 「どうやら……分かっていないようだな」
キクチ 「わ、分からないッスよ! どこが人間らしくないって言うんスか?」
長 瀬 「今日の6時、NHK衛星放送第2を見ろ。答えはそこにある」

 開発室を去る長瀬。

キクチ 「行っちゃいましたね……。長瀬さん、何を言いたかったんだろ?」
ミヤケ 「あの人の考えてることは、分からないことだらけだぜ……」
シライ 「まあまあ、おっ、もう6時だぜ。テレビをつけてみよう」

 ピッ、とモニターが光る。
 そこには、フリフリの衣装を来た女の子が、羽根の生えた小さなクマのような人形に
叱咤されていた。

ケ ○ 「なにやっとるんやさ○ら! とっくに時間すぎとるで!」
さ○ら 「はにゃーん、だって、昨日は夜まで宿題が終わらなかったんだもん」
ケ ○ 「ほんま、さく○はだらしないなぁ」
○くら 「だってぇ〜」

キクチ 「こ、これが答え?」
ミヤケ 「どういうことだ? 設定年齢にまだ幼さが足りないってことなのか? 長瀬
    さんはそう言いたいのか?」
シライ 「…………」
キクチ 「シライさん?」
シライ 「そうか! 分かったぞ!」
ミヤケ 「?」
シライ 「長瀬さんがなぜこの番組を俺たちに見せたのか。そして、HM−12に何が
    足りなかったのか……それは、人間らしさだ!」
ミヤケ 「ええ?」
シライ 「今のHM−12は自然すぎるんだよ。人間はもっと不自然なものなんだ。ド
    ジもするし失敗もする。だから人間なんだよ!」

 ガラッ、と開くドア。

長 瀬  「そうだ! やっと分かってくれたな、みんな!」
スタッフ 「長瀬さん!」
長 瀬  「我々が作っているのは、完全なロボットじゃない。不完全な人間なんだ。
     可能性にあふれた、ひとりの女の子を作ろうとしているんだ!」
キクチ  「!」
ミヤケ  「……主任、そんなことすら気づかずに、オレ、オレ……」
長 瀬 (ポン、と肩を叩きながら)「いいんだ、ミヤケ、気づいてくれさえすれば。
     さ、マスターアップまで時間かないぞ! ラストスパートだ! みんなの力
     を私に貸してくれ!」
スタッフ 「ハイッ、長瀬さん!」

 それから数日。マスターアップも学校での生活テストも終わり、いよいよHM−12
が市場に出荷される日が来た。その前夜、長瀬は興奮で眠れなかった。

長 瀬 (いよいよだ。本当に皆、HM−12を買ってくれるんだろうか? ロボット
    は社会に浸透するんだろうか……?」
シライ 「な、長瀬さん!」
長 瀬 「ど、どうした?」
シライ 「へ、返品です。メーカーから返品の山です。こんなポンコツつかえねえって!
    どんどん戻ってきてます、開発室が溢れるくらい……」
長 瀬 「な、なんだって?」

 ドアの向こうを見ると、返品されたケースが山と積まれている。
 それが、ぐらり、と揺れ、倒れてくる。

長 瀬 「う、う、うわあああ〜」

 ガバッ、とソファから跳ね起きる長瀬。

長 瀬 「はっ、夢か……。時間は? もう12時!? 出荷はとっくに始まってるの
    か?」

 そのとき、仮眠室のドアが開き、シライが入ってくる。

長 瀬 「シ、シライ、どうなんだ、状況は?」
シライ 「…………」
長 瀬 「……そうか」
シライ (悪戯っぽくニッ、と笑って、ピースサインをする)
長 瀬 「え?」
シライ 「バッチリっすよ、長瀬さん! 予想以上です! 来てください」

 慌てて長瀬が仮眠室を出ると、そこは──

キクチ 「はい、はい、あと20体追加ですね! はい! ありがとうございます!」
ミヤケ 「うっひゃあ、次から次へと発注の山だ!」
シライ 「見て下さい、この箱全部、HM−12への問い合わせの手紙ですよ! やっ
    たんですよ、長瀬さん!」
長 瀬 「そうか……やったのか。私たちは、やったんだな!」

 HM−12が市場に現れると、それは爆発的に広まって社会に一大メイドロボットム
ーブメントを巻き起こした。それは社会現象にもなり、「マルチがんばります」という
言葉がその年の流行語大賞に選ばれたほどである。
 間違いなく、HM−12は時代を作ったのだ!

キクチ 「長瀬さん、マスコミが大勢殺到してますよ、どうします?」
長 瀬 「適当にあしらっておいてくれ、ちょっと出かけてくる」
キクチ 「え? この忙しいのに、どこへ……」
長 瀬 (ニヤッと笑って)「なあに」


長 瀬 「わたしたちの娘の活躍を、見にね!」




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