雪のイノセント 投稿者:睦月周
雪のイノセント



 けぶるような粉雪。
 街は淡く白く染まり、街灯のあかりを照らしてぼんやりと輝きをはなっている。

 さく、さくと小さな靴が小さな音を立てる。
 小高い丘の道はなだらかで、地面は白い膜を張ったようだった。小さなブーツの足跡が残る。

 私の少し先で、拍子をとりながら歩くその子は、零れそうな笑顔を満面に浮かべながらくるりと私
の方に振り返った。タータンチェックのコートがあわせて揺れる。

「すごいねお父さん、すごいねえ──」

 その子──娘は、嬉しそうにはしゃいでひらひらと降りゆく粉雪を体いっぱいに受け止めようと、両
手を広げてくるくると踊るように回った。
 とたんに足下がふらついて、よろめくように倒れこむ。

「ほら、あんまり動いちゃ駄目じゃないか」

 私はあわててその背中を抱きとめると、諭すように言った。

「ごめんなさい……」
「せっかく先生に無理を言ってこうやって外に出してもらったんだ、少しでも長く楽しまないと損じゃな
いか?」
「うん。でもよく先生許してくれたなぁ」
「誕生日プレゼントだよ。ずっといい子にしてたから、私と先生からのね」

 私の不器用なウインクに、娘はくすくすと微笑んでうなずいた。
 しばらく歩くと、やがてぽっかりと見晴らしのよい場所に出た。街が一望できる、小さな隙間だ。

「わあ……」

 娘が感嘆の声をあげる。
 そのまま娘を自分のコートの中に引き入れながら、私たちはぼんやりと白く染まってゆく街並みを
見つめた。

 街は音もなく、灰色から白へとゆるやかにそのベールを変えてゆく。
 ただ静かに。
 恍惚に似た表情でその光景を眺めていた娘が、顔を少し上げて、ぽつりと言った。

「わたし……雪って大好き」
「どうして?」
「だって、雪が降ったら……なにもかもすごく綺麗になるんだもの。中庭の芝生もベンチも、ドレスを
着たみたいにすごく綺麗で白くて。──ええと、こういうの、ゲンソウテキ、って言うんだよね?
──だから好き」
「……そうか」
「ふふ、お父さんは寒いの駄目だもんね。雪は苦手だよね」
「はは、そうだね」

 私はうなずくと、娘の髪をくしゃくしゃと撫でた。
 娘はくすぐったそうに目を細めて、もたれかかるようにして私に身をあずけた。

「……でも」

 小さな唇が上下に震える。

「でも、今日お父さんと見た雪が、わたし……今までで一番、綺麗だと思うよ」

 静かに呟く。
 私は今度は何も答えずに、ほんの少しだけ娘の髪を撫でる手に力をこめた。
 ざらついた私の手に、娘の小さな手が、そっと添えられる。

「お父さん、ありがとう」

 囁くような声。

「わたし……今日のこと、絶対に忘れない」











「すごいすごい──うわあ、雪ですよ浩之さん、うわあ〜」

 はしゃぐような声がする。
 なんだかひどく懐かしいものを胸に感じて、わたしは瞼を閉じた。

「そうかマルチ、お前雪は初めてだもんな」
「はい。話にはきいてましたけど、これが雪なんですね。白くて冷たいですー」

 小さな体をいっぱいに広げて、その子──マルチは、嬉しそうに粉雪の舞う夜空を見上げていた。
かたわらの青年、藤田君も、目を細めて愛おしそうな視線を向けている。

「わたしもデータとして理解したつもりでいましたが……実体験はやはり違いますね」

 私の少し後ろを歩くもうひとりのメイドロボット、セリオもその端正な顔にわずかな驚きをたたえて、
言った。

「セリオさ〜ん、ほらほら来てください、すごく綺麗ですよー」

 元気に手を振るマルチを見て、微妙に口元をほころばせながらセリオが向こうへ歩いていく。
 そんな二人を横目に、藤田君が私の方に向き直って軽く頭を下げた。

「すいません、なんか仕事、お邪魔しちゃったみたいで」
「いや、ちょうどセリオのメンテナンスも終わったところだったしね。大丈夫だよ」

 そう言うと、安心したように藤田君が笑みを返した。
 気持ちのいい反応だった。いい青年だと思う。今どき珍しいんじゃないだろうか。

「それより、こうやってわざわざ顔を見せに来てくれる方が嬉しいよ。ラボの連中も、マルチが帰った
らとたんに元気がなくなるんでね。毎日来てもらいたいくらいさ」
「そりゃ、あそこはマルチの『実家』 みたいなもんだし、長瀬さんはやっぱりマルチの『親父さん』 で
しょう? 娘や妹がいなくなってみたいで、やっぱ寂しいですよね」
「はは、まあそうだね。藤田君、ラボに来るときは気をつけた方がいいぞ。君はずいぶんスタッフに
恨まれてるからね」

 少し冗談めかして言うと、藤田君はぎょっという顔をした。

「あんまり脅かさないでくださいよ」
「はは、すまない。でもね、やっぱりマルチもセリオも、私たちにとっては大事な娘だし、妹なんだよ。
君が言ったようにね。娘が幸せだとわかっていても、まあ、親というのは複雑なものさ。ほら、セリオ
の場合は、来栖川オーナーのお嬢さんのところだろう? あれはまあ、女同士だしね。というわけで
大事な愛娘を見事射止めた君に、ラボ連中の恨みが一身に浴びせられるわけだ」

 藤田君は少しうそ寒そうな表情をして、身をすくませた。
 私は苦笑する。まあ、大事な娘を任せているんだ、これくらいからかっても罰は当たらないだろう。

「……はは、冗談はこれくらいにしておこう。……ありがとう藤田君、大事にしてくれているようだね」

 そう言うと、藤田君は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
 視線を向ける。
 白い粉雪を身にまといながら、嬉しそうにくるくると回っているマルチ。穏やかな表情を浮かべて、
てのひらで雪を受け止めているセリオ。

「あんなに楽しそうに笑っている。幸せなんだろうね、君との生活が」
「あいつはいつもニコニコ笑ってますけどね」
「そうだね。だけど、あの子の笑顔はずっと素敵になったよ。研究所にいたときよりもね。『親父』 と
しては少しくやしい気もするが、その何倍も嬉しいさ」

 零れそうな笑顔。
 私の『娘』 はこんなにまっすぐに育って──たくさんの愛情をもらって、たくさんの愛情を返して生
きている。

 私の手を離れても、ちゃんと誰かを愛し愛されることの喜びの中で生きている。
 親の欲目なのかもしれないが、眩しいくらいに素敵な娘に育ったと思う。それが今の私にはたまら
なく嬉しく、誇らしく、……少しだけ寂しい。

「男親というのは難儀なものだね」

 苦笑しながら言うと、藤田君は、え? という顔で私を見た。私は曖昧に笑って首を振った。視線の
向こうで、ぶんぶんと元気よくマルチが手を振っている。

「浩之さあ〜ん、博士〜」

 藤田君がおう、と声を返す。
 私も手を振り返すと、息せききってマルチが走りよってきた。セリオも後からゆっくりと歩いてくる。

「どうだマルチ、冬はいいだろ」
「はい、わたし春も夏も秋も大好きですけど、冬もすごく好きになりました」
「いいか、ホントの雪ってのはまだまだこんなものじゃないぞ。雪だるまとか雪合戦とかかまくらとか
……後はスキーだな。冬はイベント続きだからな」

 マルチの頭をくしゃくしゃと撫でながら藤田君が言う。
 わああ、と目を丸くして驚くマルチ。

 私はぼんやりと目を閉じた。
 粉雪が舞い、私の肩やコートの裾を、そっと撫でる。

「……マルチ」
「はい?」
「セリオ」
「はい」

 私は訊いた。

「……雪は、好きになったかい?」

 少しの沈黙の後、

「はい!」
「……とても」

 元気な声が返ってきた。

「そうか」

 と私はうなずくと、くるりと背を向けた。そのまま手を振って歩き出す。

「長瀬さん? 駅はまだ……」
「少し野暮用があってね。ここで別れるよ。……藤田君」

 振り返りながら言う。

「はい?」
「改めて言うのもなんだが、マルチを……よろしくな」

 僅かな戸惑いの後、藤田君は「はい」 と力強くうなずいた。有り難う。いい男だよ、君は。

「セリオ」
「はい」
「来栖川さんに、よろしく言っておいてくれ」
「はい」

 セリオもうなずく。
 自分では気が付いていないかもしれないが、君は本当に表情豊かになったよ。実に君らしく、ゆっ
くりとだけどね。でもしっかり、確実に、君は前を向いて歩いている。

 そう、皆、自分の道を歩き始めているんだな。
 マルチも、セリオも、……そして私も。

「じゃあ、また」

 手を振って、私は歩き去った。
 おやすみなさい、というマルチの声が背後でする。嬉しさと寂しさがないまぜになる。

 まったく。
 まったく、男親っていうのは、難儀なものだ。

 私は冗談まじりに雪に当たるように、アスファルトに薄く積もった雪を蹴り上げた。












 さく、さく、とブーツが音をたてる。
 小高い丘の道はなだらかで、地面は白い膜を張ったようだった。やがてぽっかりと見晴らしのよい
場所に出る。

 街が一望できる、小さな隙間だ。

「すまない。少し遅れてしまったね」

 私はそこにぽつんと佇む小さな墓碑に向かってそう笑いかけると、手にしていた花をそっと置いた。

「よかったね、雪が降ったよ。はは、私は寒いのは少し勘弁してほしいけれどね」

 口元がほころぶ。自然に目が細まる。


「誕生日──おめでとう」


 街はもう、ぼんやりと白い。

 

 

 




雪のイノセント  雪の日の思い出  シリアス/TH/源五郎

http://www3.tky.3web.ne.jp/~riverf/