恋心 投稿者:睦月周
恋心



 ぴゅうっと風が吹いて、わたしの頬をそっと撫でる。
 おそらく、人間の体感では震えるほどの寒さなんだと思う。その証拠に、通り過ぎる人々は
首をすくめながらコートの襟を押さえて早歩きでわたしを追い越してゆく。

 よく見ると、路面の水たまりが凍っている。
 わたしの感知センサーも、さっきから0のあたりを越えたり戻ったりしている。
 やはり、寒いのだ。

 わたしは芹香様──わたしのご主人様です──に頼まれた本を古書屋で受け取り、戻る途
中だった。胸に抱えた本は重い。ハードカバーで、ずっしりとした感じがする。

 著者はアルベルツス・マグヌス。
 ・・・わたしの記憶メモリにはない名前だ。さすがご主人様だと思う。
 ちょっと誇らしげな気持ちで、わたしは少し足を早めた。

 別に本は逃げないけれど、一刻も早くご主人様の喜ぶ顔が見たかった。

 そんなとき。

「いかがですかあ〜」

 という声が、向かいの路地裏の方からした。
 見ると、白いダウンジャケットを羽織ったポニーテールのお姉さんが、歯をガチガチ鳴らしなが
ら、それでも必死に笑顔を浮かべて声を張り上げていた。

「チョコレート、どうですかあ? 明日はバレンタインデー。今日限りのセールですよ〜」

 茶髪のポニーテールを風に揺らしながら、そのお姉さんは道ゆく人に必死に声をかけている。
 でも、足を止める人はいない。
 みな急ぐように足早にチョコレートのいっぱい詰まったワゴンの前を通りすぎてゆく。

 バレンタインデー。

 その言葉には聞き覚えがある。

 正確な風習かどうかは知らないが、一度ご主人様が話してくれたことがある。


『ご主人様、お呼びですか?』
『・・・・・・』
『あ・・・はい、味見ですか? ・・・チョコレートですね。では失礼いたします』
『・・・・・・』
『・・・そうですね、適度に甘くて、非常に美味しく出来てると思います』
『・・・・・・』
『よかった、ですか? それはよろしゅうございました』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『・・・あの』
『・・・?』
『つかぬことをお伺いしますが、なぜ突然チョコレートなど?』
『・・・・・・』
『明日はバレンタインデーですから・・・ですか? バレンタインデー?』
『・・・・・・』
『正確には違いますけど、日本では女の子が大好きな男の人にチョコレートをあげる日・・・で
すか? そんな日があるんですね』
『・・・・・・』
『では、ご主人様も誰かお好きな男性に?』
『・・・』
『いえ、申し訳ありませんでした。差し出がましいことを・・・』
『・・・・・・』
『・・・あなたも作ってみたらどうですか・・・ですか? いえ、わたしはそんな・・・』


 メモリの深層に潜る。
 
 大好きな男の人にチョコレートを送る。
 わたしそのときはよく理解できなかったが──今もだが──いつものように静かな表情のま
ま、どこかしら嬉しそうなご主人様の様子がとても愛らしかったのを覚えている。

 大好き。

 よくわからない言葉だ──。


「チョコレートをお探しですか?」


 突然、声がする。

 ぼんやり顔をあげると、そこには満面に笑みを浮かべたポニーテールのお姉さんがコートの
襟を寄せながら立っていた。

 いえ、と思わずわたしは首を振った。
 気が付けば、通りにはもうわたしひとりしかいなかった。

「どう? 大好きな彼氏に愛の贈り物は?」

 悪戯っぽくウインクする。

「いえ、そんな」

 もう一度わたしは首をふる。

 ──贈る相手もいないですから。

 そう言おうかと思ったが、お姉さんがニコニコと嬉しそうにわたしの顔を見つめているので、
何となく黙りこんでしまった。

「難しい恋なのね・・・」

 そんなわたしの沈黙をどう勘違いしたのか、同情を込めた瞳でお姉さんはわたしを見た。
 わたしがメイドロボットだということに気づいていないのだろうか。
 
「じゃあ、わたしが一肌脱ごうかしら」

 あの、とわたしは言った。
 ん? という顔でお姉さんはわたしを見る。

「あの、贈る相手がいませんので、すみませんがチョコレートを買うことはできません」
「じゃあ、あなたは恋なんかしてないってこと?」
「はい」
「──それはおかしいわね」

 う〜ん、とお姉さんは首をかしげた。

「恋をしていない子が、わたしに気づくはずないんだけど・・・」
「・・・はい?」
「ああ、いえ、こっちの話」

 苦笑してお姉さんは手を振った。

「本当に? 本当に好きな人はいない?」
「本当です」
「気になる人も?」

 わたしはちょっとだけ反応に詰まった。
 正直に言えば、気になる人はいる。
 でも、それは現実の人ではない。

 わたしの夢の中に出てくるのだ。
 充電するときにシステムをダウンさせる瞬間、たくさんのメモリの記憶が交差してわたしは人
間でいう『夢』を見ることがある。

 それはメモリの一番深い場所に、決して削除することの出来ない場所に保存されている。

 そこにはひとりの男性がいて。
 わたしはその人の隣でまるで人間のように泣いたり笑ったりしていた。
 その人がそっと笑みを返してくれたり、優しく頭を撫でてくれたり、それだけでわたしは、ほうっ
とした気持ちになって、胸がいっぱいになるのだ。

 夢の最後はいつも同じだ。

 その人は少し悲しそうに笑って、

「また会えるさ」

 そう呟いて、わたしを後ろから抱いてそっと首筋にキスをするのだ。

 そこでいつも、『夢』は覚める。

「──お嬢さん?」

 あ、とわたしはまた顔をあげた。
 またお姉さんが、ちょっと悪戯な表情を浮かべてわたしを見ていた。
 何もかも分かっているような、そんな顔で。

「なるほどね」

 そう言ってお姉さんはポケットをさぐると、

「おひとつどうぞ」

 そう言って小さな包みを取り出した。

「いえ・・・」
「大丈夫大丈夫。これはサービスだから。ほら、もらって」

 そう言ってわたしの手にその包みをつかませる。

「そのチョコレートはね、わたしの特別製なの。あなたの想いはきっと届くわよ」

 はあ、とわたしは答えた。
 くすっ、とお姉さんは笑う。
 
 わたしはとりあえず、本と一緒にチョコレートの包みを胸に抱えて、ぺこっとお辞儀をした。

「がんばってね」

 お姉さんが笑う。
 ありがとうございます、ともう一度わたしは会釈をして、踵を返す。

 御利益てきめんよお、と背中越しに声がする。
 もう一度振り返って、わたしはまたお辞儀をした。

 次に振り返ったときには、路地裏にもうその姿は──なかった。


              ※


 その夜、専用PCにコードをつなぎ、システムをダウンさせる前、わたしはそっとてのひらの
中のチョコレートの包みを見やった。

 ──そのチョコレートはね、わたしの特別製なの。あなたの想いはきっと届くわよ。

 昼の不思議なお姉さんの声がよみがえる。

 『夢』の中の人に、どうやって想いが届くというんだろう。
 それ以前に、実際問題としてどうやってこのチョコレートをその人に届けるんだろう。

 からかわれたのだ。

 そう思ってわたしは、静かにシステムをオフにした。


 HM−12 type007 searth
 system all green
 charge OK


 ・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。


 わたしは夢を見た。

 男の人が立っていた。
 後ろ姿だったけど、わたしはすぐに“その人”だと分かった。
 ためらいがちに声をかけると、その人は振り向いた。

 そして、ぽん、とわたしの頭に右手を載せた。
 くしゃくしゃと撫でられる髪。
 わたしは思わず目を細めた。

 それからいつものように夢は続いた。

 いつものように一緒に掃除をした。
 いつものように一緒にゲームセンターで遊んだ。
 いつものようにわたしがスパゲッティを作り、その人はちょっと苦い顔をして笑って。
 いつものようにその人はわたしを抱いて。

 そして、いつものように──別れがくる。

 あれ。
 いつもと違う・・・?
 夢が終わらない。

 なんだろう。
 何かを忘れてるんだろうか。
 
 そうだ。
 渡さなければ。
 あれを、渡さなければ。わたしの想いと一緒に。

『あの・・・』

 ん? とその人は呟く。

 わたしは手元を見る。
 当然のように、そこには綺麗にラッピングされたあのチョコレートの包みがあった。

『これ・・・』

 おずおずとわたし。

『受け取ってください。あなたが──大好きです』


 ・・・・・・・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・。


 ぶうん、と音がして、目が覚める。
 システムが再起動した音。充電が終了したのだ。

 変な夢だった。今日はいつにもまして、ひときわ不思議な夢だった。

 ふと、てのひらを見る。

 しっかりと、その中にはあの包みがあった。
 
 やっぱり、夢は夢のままなのだ。


               ※


 その日の朝、ご主人様に許しをもらって、わたしはまた街へ出た。
 その日も寒さがきついのだろう、過ぎゆく人々は口々に、

「寒いねえ」
「寒いなあ」

 そう言いながら、歩きさってゆく。

 わたしも少し小走りになりながら、あの路地裏を目指した。

 公園を抜ける。
 並木歩道を通り、右に曲がる。
 踏切を渡る。
 商店街を過ぎて、三本目の路地裏だ。

 一本目。
 二本目。

 ・・・・・・。

「あれ・・・」

 わたしは、思わず声をあげた。
 いつの間にか、川縁の橋に出ていた。商店街を抜けていたのだ。

 ないのだ。
 三本目の路地裏なんて・・・どこにも。

 手にした包みを胸に当てたまま、わたしは肩を落として、ぼうっと立ちつくしていた。

 なにもかもなかったのだろうか。

 昨日のあのことは、全部わたしのCPUの誤作動なのだろうか。
 あの『夢』のように。
 だとしたら、ここにあるこの包みはなんなのだろう。

 メモリがちりちりと焼け付くような感じがする。

 ひゅうっ、と風が吹き抜けた。
 
 その風は意外につよく、わたしのてのひらから小さな包みをふわっとさらってゆく。

「あっ・・・」

 わたしはコロコロ転がる包みを追って、駆け出した。

 コロコロ、コロコロ、包みは走る。
 やがて、コン、と小さな音がして、止まった。
 
 そこにすっと影がさす。
 お? という声がした。

 ちょっと背の高いその人は、腰をかがめて包みを取り上げると、パンパンと埃をはら
って、すっとわたしにそれを差し出した。

「ほらよ。・・・お前のだろ?」

 しょうがねえな、という感じでその人が差し出した包みを、おずおずとわたしは受け取った。

 その笑顔を見たとき。
 その指に触れたとき。

 わたしはちょっとあの不思議なお姉さんの言葉を、信じることが出来るような気がした。
 記憶が、溶け出すように流れてゆく。

「じゃあな」

 そう言って踵を返すその人を、

「あのっ・・・」

 わたしは必死に呼び止めた。
 ん? とその人が振り向く。

「これ・・・受け取ってください」

 わたしは手にしていた包みをそっと差し出す。少し震える指で。
 やや訝しげな表情のまま、その人は包みを手に取った。

 あの、とわたしはもう一度言う。

 信じよう。信じてみよう。


「初めまして。あなたが大好きです──」


 想いはきっと届くんだと。










■恋心    HM−12のお話    シリアス/TH/HM−12


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 季節はずれですみません(汗)
 ふと、思い立ってしまったので・・・。情緒のない男です(苦笑)


 ではでは。感想は次の書き込みで。

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