夏夜の子守唄(19) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖    作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、殺される。
天堂寺将馬    有力代議士。冬湖の長男。1人目の犠牲者。
天堂寺和馬    三流彫刻家。冬湖の次男。3人目の犠牲者。
天堂寺由希恵   将馬の妻。2人目の犠牲者。
船村志朗     天堂寺家の執事。失踪した天堂寺夏彦。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の孫であり娘。天堂寺蝶子の忘れ形見。
天堂寺蝶子    冬湖の娘。15年前に病死。


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【終局】 DO IT ALL OVER AGAIN


「やっぱり──」

 静かに、繭ちゃんは微笑んだ。
「やっぱり──怖い人ですね、あなたは」
 そこにあの女の子はいなかった。
 穏やかに微笑んで、どこか落ち着きと芯のつよさを感じさせる別の少女が、そこにいた。
 あの、絵画の中の少女のような。
 あの子はいない。
 どこか抜けていて、無邪気で、子猫のようなあの子は。
「いわばきみは3人目の天堂寺冬湖だったんだね。『煉夜の月』を書いたのは、冬湖氏でも
船村さんでもない──きみだったんだ」
 木々のざわめく音がする。
 蒼い月の光に照らされながら、浩之は静かな瞳で繭ちゃんを見据えた。
「もし船村さんがあの『煉夜の月』を書いたのだったら・・・あの人の目的はそこで成就
していたはずだ。その後の殺人に意味はなくなる・・・あの人は認められたかった。
何も殺人という手段に訴えなくともね。あの人の本当の苦しみは、もうひとりの‘天堂寺冬湖’
でありながら何も為しえなかったことだよ。才能というものはそれほど残酷だ」
 僕は黙って、浩之の言葉を聞いていた。
 そうだ・・・。
 それに、船村さんが『煉夜の月』を書いたのなら・・・彼が自殺などするはずがない。
 あの本の中で死んだのは・・・4人だ。5人目の犠牲者など・・・いないんだ。
「その渇望に火をつけたのがきみだ。あの『煉夜の月』を手にしたとき、彼がどういう
行動を取るかを計算しつくした上なのかな」
「あの人は、可哀想な人です」
 繭ちゃんは応えた。
「わたしは、選択肢を与えて上げただけ」
「そう、まさにそこだ」
 浩之は手を打った。
「きみは何もしていない。最初の一手以外はね。その一手も、船村さん以外の人間にとってみれば
まったく意味のないオブジェクトだ。むろん罪に問われることはない。『煉夜の月』を手にとったときの
船村さんの衝撃は・・・想像に難くないな。まさに、彼は──月に狂わされた」
 脱帽だよ、と浩之は笑う。
「わたしにしてみれば、あなたの方が脱帽です」
 くすっと笑う。
「どうやって・・・どうやって全ての茨を突き抜けて真実へとたどり着けるんです?」
 浩之も笑う。
「そうだな・・・」
 そして、ゆっくりと背を向ける。
「直感かな」
 まあ、と繭ちゃんは笑った。
 浩之はひらひらと手を振って、歩き出す。
「わたしを・・・裁かないのですか」
 静かに訊く。
「あなたなら──わたしを裁くことができる」
 振り向かずに、浩之は応えた。
「それはオレの仕事じゃないよ」
 じゃあな、と言って去ってゆく。
 その背中を、繭ちゃんは静かに見送った。

「軽蔑・・・しましたか?」
 そう呟いて、繭ちゃんは僕を見た。
 僕はじっと彼女の藍色の瞳を見つめ、そして訊いた。
「きみは・・・どうして・・・あんなことを?」
 言ってから気づいた。
「いや、きみは何もしていないのか・・・」
「うん」
 うなずく。
「わたしは何もしてない。ただそうならないかな、って思っただけ」
「・・・どうして?」
 そう訊くと繭ちゃんは口元にひとさし指を当てた。
「どうしてかな?」
 悪戯っぽく笑う。
 少しずつ、いつものあの子に戻ってきているようだ。
「由希恵さんは誰もが罪を犯していた、と言っていた。天堂寺の人間誰もが・・・」
「そうだね」
「それは・・・罪だったのかな、本当に・・・償わねばならないほどの」
「わからないよ」
 繭ちゃんはそう言って小首をかしげた。
「わたしは、見ているだけだから」
 そうだ。
 この子は見ているだけなんだ。
 僕らに役を割り振って、その物語を楽しむように。
 終局へ向かう物語を。
 浩之だけがそれを知っていた。
「わたしの名前、おじいさまがつけてくれたの」
 唐突に、そんなことを言う。
「繭・・・って名前?」
 うん、とうなずく。
「羽化したら蝶になるように・・・って。ふふ、おかしいね、蝶になるのは蛹なのに。
繭は蚕にしかならないよ」
 繭。
 この子は名前のとおり、全ての糸をたぐっていたんだ。
「わたしはね、いないの」
「え・・・?」
「ここに、いないんだ。・・・みんなわたしを通してかあさまを見てる。名前でもわかるよね?
おじいさまも、大叔父さまも、みんな・・・」
 ここに・・・いない。
 見てくれる人は・・・誰も。
「どうして・・・『煉夜の月』を書いたの?」
 最後の問い。
 そう、やりようはいくらでもあったはずだ。
 なぜ、この子は、こんなやり方で、全てを・・・。
 全てを、零にしようとしたんだろう。
「・・・なんでだろうね」
 くすっと笑う。
 その頬を、静かにつたう雫。
 涙。
「わたしも・・・だれかに必要されたかったのかなあ。見てもらいたかったのかな・・・」
 必要とされたい。
 見てもらいたい。
 認めてもらいたい。
 ──ここにいると。
「そうか・・・」
 僕は初めて分かった。
 どうしてこの子に惹かれたのか。
 あの不思議な、狂おしいほどの親近感の意味が。
 この子は、僕なんだ。
 次の瞬間、僕は無意識に彼女を抱きしめていた。
「・・・くるしいよ」
 それでも僕は背に回した手をゆるめなかった。
 ゆっくりと、唇を合わせる。
 静かに、時が流れる。
 暖かい夜風が吹き抜ける──。

「さよなら」

 僕は呟いた。
 さよなら、もうひとりの僕。
 必要とされたかった、認めてもらいたかった、あの頃の僕。
 背を向けて、ゆっくりと歩き去る。
 でも忘れないで。
 必要とされない人なんていないんだ。
 自分が必要とする分だけ、必要とされるんだ。
 一方通行の想いなんてない。
 あの日僕がそれを知ったように、きみが分かる日が、きっと来るよ。

 静かに、僕の耳を打つ音。
 毬の音。
 そして、唄。
 唄がきこえる。
 子守唄。
 夏夜の子守唄──。

   ※ ※ ※

『あなたは必要とされてるわ』

 その人は笑った。
 僕が・・・必要とされてる?

『ううん、必要とされない子なんて、いないの・・・だって──』

 そう言うと、そのひとは優しく、自分のお腹のあたりを愛おしそうに撫でた。

『だって、わたしのお腹の中には、もうひとりのわたしがいるから・・・この子はきっとわたしが必要だし、
わたしはこの子が誰よりも大切だもの』

 触ってみて、とそのひと。
 僕はおずおずと手を触れてみる。ひどく、あたたかく、ひどく、優しい・・・。

 それにね、とそのひとは微笑む。

『それに、そんないらない子を、あんなに真剣に探してくれるわけ・・・ないよ?』

 探す?
 僕を?
 誰が・・・?
 僕は振り向いた。
 そこに、彼はいた。
 浩之は──。

 僕を見て、相変わらず無愛想に、

『世話かけやがって』

 そう言った。
 ごめん。
 僕はそれだけしか、応えられなかった。
 浩之は黙ったまま、軽く僕を小突いた。
 それで、全てが分かった。
 言葉以上に。
 必要だとか、いらないとか、そういうことじゃなくて。
 大切なのは、きっと──。

『つまらねえだろ、ひとりだとさ』
 
 そういうことなんだ。

【エピローグ、あるいは蛇足としての日常】


 ゆっくりと夏は過ぎてゆく。
 季節のうつろいはゆるやかに、暖かな風をはらみながら。
 ただ、静かに。
「そんなことがあったんだ」
 柔らかな日差しに目を細めながら、あかりは傍らの浩之に呟いた。
「結構しんどかったな」
 浩之の言葉に、あかりはくすっと笑う。
 変わらない日常。
「──なあ」
 浩之が訊く。
 ん? という感じであかりは浩之を見た。
「お前、今、幸せか?」
「幸せだよお」
 にへっ、とあかりは相好を崩す。
「なんでだ?」
「浩之ちゃんと一緒にいれるから」
 それが答え。
 至極、当たり前の──。
 だからこそ何よりも大切な──。
「そうだよな」
 浩之は呟く。
 風が二人の頬を撫でる。
 当たり前すぎる結論。
 だからこそ見失いやすく──忘れてはいけない答え。
「お前さあ・・・」
「ん?」
「お前・・・やっぱ恥ずかしいやつだよ・・・」
「えっ・・・だって、本当だもん、浩之ちゃんの側にいれて、幸せだよ?」
「そりゃ、オレもそうだけどさ」
 オレも相当恥ずかしいやつだ、と浩之は思った。
「っていうか、お前いいかげんその『ちゃん付け』直せよ。年齢的にそろそろ
耐えられねえモンがあるぞ」
「でも・・・やっぱり浩之ちゃんは・・・」
「まー、別にいーけどな」
 少し憮然とした表情の浩之を上目づかいで見て、あかりはくすっと微笑した。
「じゃ、今度から呼び方変えちゃおうかな・・・」
「今度? 今度っていつだよ?」
「う〜ん・・・あと半年とちょっと、くらいかな?」
「随分中途半端だな」
 訝しげに、浩之。
「んで、なんて呼んでくれるんだ?」
「それはね──」
 あかりは満面の笑みを浮かべて浩之の前に立った。
 体中から幸せがあふれている。
 浩之は、そんなあかりを眩しそうに見やった。


「半年後に、ね。──パパ!」


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 続き・・・ません(笑)
 ようやく完結です・・・長かった・・・。
 色々書きたいこともあるのですが、本当に長くなりそうなので、ここでは
割愛します。
 僕のHPにあとがきのようなものをアップしていますので、興味がありましたら
覗いてみてください。

 では。
 今まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     僕。浩之の相棒。
姫川琴音     浩之の助手。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香    警部。
松原葵      綾香の部下。

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