【天堂寺家の人々】 天堂寺冬湖 作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、殺される。 天堂寺将馬 有力代議士。冬湖の長男。1人目の犠牲者。 天堂寺和馬 三流彫刻家。冬湖の次男。3人目の犠牲者。 天堂寺由希恵 将馬の妻。2人目の犠牲者。 船村志朗 天堂寺家の執事。失踪した天堂寺夏彦。 雛山理緒 メイド。 天堂寺繭 冬湖の孫であり娘。天堂寺蝶子の忘れ形見。 天堂寺蝶子 冬湖の娘。15年前に病死。 ===================================== 【終局】 DO IT ALL OVER AGAIN 「やっぱり──」 静かに、繭ちゃんは微笑んだ。 「やっぱり──怖い人ですね、あなたは」 そこにあの女の子はいなかった。 穏やかに微笑んで、どこか落ち着きと芯のつよさを感じさせる別の少女が、そこにいた。 あの、絵画の中の少女のような。 あの子はいない。 どこか抜けていて、無邪気で、子猫のようなあの子は。 「いわばきみは3人目の天堂寺冬湖だったんだね。『煉夜の月』を書いたのは、冬湖氏でも 船村さんでもない──きみだったんだ」 木々のざわめく音がする。 蒼い月の光に照らされながら、浩之は静かな瞳で繭ちゃんを見据えた。 「もし船村さんがあの『煉夜の月』を書いたのだったら・・・あの人の目的はそこで成就 していたはずだ。その後の殺人に意味はなくなる・・・あの人は認められたかった。 何も殺人という手段に訴えなくともね。あの人の本当の苦しみは、もうひとりの‘天堂寺冬湖’ でありながら何も為しえなかったことだよ。才能というものはそれほど残酷だ」 僕は黙って、浩之の言葉を聞いていた。 そうだ・・・。 それに、船村さんが『煉夜の月』を書いたのなら・・・彼が自殺などするはずがない。 あの本の中で死んだのは・・・4人だ。5人目の犠牲者など・・・いないんだ。 「その渇望に火をつけたのがきみだ。あの『煉夜の月』を手にしたとき、彼がどういう 行動を取るかを計算しつくした上なのかな」 「あの人は、可哀想な人です」 繭ちゃんは応えた。 「わたしは、選択肢を与えて上げただけ」 「そう、まさにそこだ」 浩之は手を打った。 「きみは何もしていない。最初の一手以外はね。その一手も、船村さん以外の人間にとってみれば まったく意味のないオブジェクトだ。むろん罪に問われることはない。『煉夜の月』を手にとったときの 船村さんの衝撃は・・・想像に難くないな。まさに、彼は──月に狂わされた」 脱帽だよ、と浩之は笑う。 「わたしにしてみれば、あなたの方が脱帽です」 くすっと笑う。 「どうやって・・・どうやって全ての茨を突き抜けて真実へとたどり着けるんです?」 浩之も笑う。 「そうだな・・・」 そして、ゆっくりと背を向ける。 「直感かな」 まあ、と繭ちゃんは笑った。 浩之はひらひらと手を振って、歩き出す。 「わたしを・・・裁かないのですか」 静かに訊く。 「あなたなら──わたしを裁くことができる」 振り向かずに、浩之は応えた。 「それはオレの仕事じゃないよ」 じゃあな、と言って去ってゆく。 その背中を、繭ちゃんは静かに見送った。 「軽蔑・・・しましたか?」 そう呟いて、繭ちゃんは僕を見た。 僕はじっと彼女の藍色の瞳を見つめ、そして訊いた。 「きみは・・・どうして・・・あんなことを?」 言ってから気づいた。 「いや、きみは何もしていないのか・・・」 「うん」 うなずく。 「わたしは何もしてない。ただそうならないかな、って思っただけ」 「・・・どうして?」 そう訊くと繭ちゃんは口元にひとさし指を当てた。 「どうしてかな?」 悪戯っぽく笑う。 少しずつ、いつものあの子に戻ってきているようだ。 「由希恵さんは誰もが罪を犯していた、と言っていた。天堂寺の人間誰もが・・・」 「そうだね」 「それは・・・罪だったのかな、本当に・・・償わねばならないほどの」 「わからないよ」 繭ちゃんはそう言って小首をかしげた。 「わたしは、見ているだけだから」 そうだ。 この子は見ているだけなんだ。 僕らに役を割り振って、その物語を楽しむように。 終局へ向かう物語を。 浩之だけがそれを知っていた。 「わたしの名前、おじいさまがつけてくれたの」 唐突に、そんなことを言う。 「繭・・・って名前?」 うん、とうなずく。 「羽化したら蝶になるように・・・って。ふふ、おかしいね、蝶になるのは蛹なのに。 繭は蚕にしかならないよ」 繭。 この子は名前のとおり、全ての糸をたぐっていたんだ。 「わたしはね、いないの」 「え・・・?」 「ここに、いないんだ。・・・みんなわたしを通してかあさまを見てる。名前でもわかるよね? おじいさまも、大叔父さまも、みんな・・・」 ここに・・・いない。 見てくれる人は・・・誰も。 「どうして・・・『煉夜の月』を書いたの?」 最後の問い。 そう、やりようはいくらでもあったはずだ。 なぜ、この子は、こんなやり方で、全てを・・・。 全てを、零にしようとしたんだろう。 「・・・なんでだろうね」 くすっと笑う。 その頬を、静かにつたう雫。 涙。 「わたしも・・・だれかに必要されたかったのかなあ。見てもらいたかったのかな・・・」 必要とされたい。 見てもらいたい。 認めてもらいたい。 ──ここにいると。 「そうか・・・」 僕は初めて分かった。 どうしてこの子に惹かれたのか。 あの不思議な、狂おしいほどの親近感の意味が。 この子は、僕なんだ。 次の瞬間、僕は無意識に彼女を抱きしめていた。 「・・・くるしいよ」 それでも僕は背に回した手をゆるめなかった。 ゆっくりと、唇を合わせる。 静かに、時が流れる。 暖かい夜風が吹き抜ける──。 「さよなら」 僕は呟いた。 さよなら、もうひとりの僕。 必要とされたかった、認めてもらいたかった、あの頃の僕。 背を向けて、ゆっくりと歩き去る。 でも忘れないで。 必要とされない人なんていないんだ。 自分が必要とする分だけ、必要とされるんだ。 一方通行の想いなんてない。 あの日僕がそれを知ったように、きみが分かる日が、きっと来るよ。 静かに、僕の耳を打つ音。 毬の音。 そして、唄。 唄がきこえる。 子守唄。 夏夜の子守唄──。 ※ ※ ※ 『あなたは必要とされてるわ』 その人は笑った。 僕が・・・必要とされてる? 『ううん、必要とされない子なんて、いないの・・・だって──』 そう言うと、そのひとは優しく、自分のお腹のあたりを愛おしそうに撫でた。 『だって、わたしのお腹の中には、もうひとりのわたしがいるから・・・この子はきっとわたしが必要だし、 わたしはこの子が誰よりも大切だもの』 触ってみて、とそのひと。 僕はおずおずと手を触れてみる。ひどく、あたたかく、ひどく、優しい・・・。 それにね、とそのひとは微笑む。 『それに、そんないらない子を、あんなに真剣に探してくれるわけ・・・ないよ?』 探す? 僕を? 誰が・・・? 僕は振り向いた。 そこに、彼はいた。 浩之は──。 僕を見て、相変わらず無愛想に、 『世話かけやがって』 そう言った。 ごめん。 僕はそれだけしか、応えられなかった。 浩之は黙ったまま、軽く僕を小突いた。 それで、全てが分かった。 言葉以上に。 必要だとか、いらないとか、そういうことじゃなくて。 大切なのは、きっと──。 『つまらねえだろ、ひとりだとさ』 そういうことなんだ。 【エピローグ、あるいは蛇足としての日常】 ゆっくりと夏は過ぎてゆく。 季節のうつろいはゆるやかに、暖かな風をはらみながら。 ただ、静かに。 「そんなことがあったんだ」 柔らかな日差しに目を細めながら、あかりは傍らの浩之に呟いた。 「結構しんどかったな」 浩之の言葉に、あかりはくすっと笑う。 変わらない日常。 「──なあ」 浩之が訊く。 ん? という感じであかりは浩之を見た。 「お前、今、幸せか?」 「幸せだよお」 にへっ、とあかりは相好を崩す。 「なんでだ?」 「浩之ちゃんと一緒にいれるから」 それが答え。 至極、当たり前の──。 だからこそ何よりも大切な──。 「そうだよな」 浩之は呟く。 風が二人の頬を撫でる。 当たり前すぎる結論。 だからこそ見失いやすく──忘れてはいけない答え。 「お前さあ・・・」 「ん?」 「お前・・・やっぱ恥ずかしいやつだよ・・・」 「えっ・・・だって、本当だもん、浩之ちゃんの側にいれて、幸せだよ?」 「そりゃ、オレもそうだけどさ」 オレも相当恥ずかしいやつだ、と浩之は思った。 「っていうか、お前いいかげんその『ちゃん付け』直せよ。年齢的にそろそろ 耐えられねえモンがあるぞ」 「でも・・・やっぱり浩之ちゃんは・・・」 「まー、別にいーけどな」 少し憮然とした表情の浩之を上目づかいで見て、あかりはくすっと微笑した。 「じゃ、今度から呼び方変えちゃおうかな・・・」 「今度? 今度っていつだよ?」 「う〜ん・・・あと半年とちょっと、くらいかな?」 「随分中途半端だな」 訝しげに、浩之。 「んで、なんて呼んでくれるんだ?」 「それはね──」 あかりは満面の笑みを浮かべて浩之の前に立った。 体中から幸せがあふれている。 浩之は、そんなあかりを眩しそうに見やった。 「半年後に、ね。──パパ!」 ===================================== 続き・・・ません(笑) ようやく完結です・・・長かった・・・。 色々書きたいこともあるのですが、本当に長くなりそうなので、ここでは 割愛します。 僕のHPにあとがきのようなものをアップしていますので、興味がありましたら 覗いてみてください。 では。 今まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。 【その他の人々】 藤田浩之 私立探偵。 佐藤雅史 僕。浩之の相棒。 姫川琴音 浩之の助手。 長岡志保 人気ニュースキャスター兼情報屋。 来栖川綾香 警部。 松原葵 綾香の部下。http://www3.tky.3web.ne.jp/~riverf/