夏夜の子守唄(16) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖    作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、殺害される。
天堂寺将馬    有力代議士。冬湖の長男。最初の犠牲者。
天堂寺和馬    三流彫刻家。冬湖の次男。3番目の犠牲者。
天堂寺由希恵   将馬の妻。2番目の犠牲者。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の孫。天堂寺蝶子の忘れ形見。
天堂寺蝶子    冬湖の娘。15年前に病死。
天堂寺夏彦    冬湖の弟。数十年前に失踪している。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     僕。浩之の相棒。
姫川琴音     浩之の助手。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香    警部。
松原葵      綾香の部下。


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【煉夜】 UNDER A GLASS MOON

                    ※

『煉夜の月』
                           天堂寺冬湖


(中略)

 全てはイニシエイションなのである。
 愛し子らの血を捧げることによって娘はこの現世の徒となるのだ。
 あの可憐な唇が私の名を刻む、その瞬間を夢見て私は狂喜にうち震えた。
 あれは、私だ。
 いつか無くした、私の半身だ。
 娘が目覚めることで初めて、私は私になれる。

(中略)

 罪悪感はない。
 自分の手が血で濡れていることにもはや何の疑念もない。
 どろりとした感触だけが今や私に現実を教えてくれる。
 他の全ては虚無である。

(中略)

 満月に照らされながら、私は娘に血を捧げ続ける。
 その瞼はぴくりとも動かない。
 なぜだ。
 必要ではないのか、私は。
 目を覚ませ。
 笑え。
 必要だと言ってくれ。
 私を抱いてくれ。
 私は、ここにいる。

(中略)

 血が足りない。
 そう思った。
 そう思いたかった。
 もう少しの血があらば、娘は目覚める。
 私を必要としてくれるものが、生まれる。
 私は存在を許される。

(中略)
 
 煉獄。
 私にとって煉獄の夜が来る。
 すべてがその業火の中で焼かれる夜。
 その灰の中から新たな私が生まれる夜。
 煉夜。
 煉夜は来る。

(中略)

 そして私は短刀を首に当てる。
 滑らす。
 熱い。
 しかし痛みはない。
 滝のように血が溢れる。
 視界が曇る。
 娘の顔がぼやける。
 ああ。
 笑った。
 たしかに唇は動いた。
 私は許された。
 窓を見る。
 月が浮かんでいる。
 血のように赤い、煉夜の月。
 月は見ている。
 知ってくれている。
 私という存在を。
 その証を。
 これは終わりではない。
 始まりである。
 なぜなら、私はここにいる。

         ※

「・・・天堂寺和馬は、冬湖になりたかったのね。だから、冬湖氏が自殺した後、
その世界を引き継ぐように・・・あるいはその遺志を含まれていたのかもしれないけれど、
『煉夜の月』を現実において完成させた・・・」
 嘆息まじりで、来栖川さんは続けた。
 今、僕らは応接間に戻っている。
 和馬さんの死体を処理したあと、全員で戻ってきたのだ。
「でも、どうして和馬さんは僕らに冬湖さんのことを調べてくれなんて依頼したんでしょうか?」
「誰かに、見ていて欲しかったんじゃないでしょうか?」
 控えめに、姫川さんが言う。
「自分のやろうとしていることを・・・」
「さながら、わたしたちは月ってわけね。天堂寺和馬の役振り通りに、見ているだけ、の」
 自嘲気味に来栖川さん。
「これが・・・浩之の答えなわけだ」
 苦笑して、来栖川さん。
 だが、浩之は──。
 
「違うよ」

 そう呟いた。
「え?」
 思わず誰もが疑問の声をあげた。
「浩之、どういう意味?」
「確かにオレらは月だった。ただ見ていることしか出来なかった。だけど、オレらがそうするように
役を割り振ったのは和馬さんじゃない。別の人間だ」
「それじゃ・・・」
 自分の声が震えるのが分かる。
「そう」
 浩之は僕の目をしっかりと見て、言った。
「和馬さんは自殺じゃない。殺された。犯人は別にいる」
 誰もが耳を疑った。
 和馬さんの死で、事件は終わったはずだった。
 脱力感が支配していただけの場の空気に、ふたたび緊張が走る。
「浩之、誰なの──?」
「今から離れに来てくれるか。全てはそこで話す」

 それから離れに全員が集合したのは、30分くらいの後だった。
 浩之、来栖川さん、僕、松原さん、姫川さん、船村さんが中に。
 あとは雛山さんや花田さんらの使用人が5人、警察の人間数人が外で様子を窺っている。
「まずはっきりさせておきたいのは・・・」
 浩之が静かに切り出した。
「天堂寺冬湖の死は自殺ではなく・・・他殺だということだな。この冬湖氏の死が、事件の始まり
といっていい。第一の殺人・・・『煉夜の月』でいう、胸を突かれて死んだ最初の子供の役割だ」
「和馬さんでなくても・・・犯人は『煉夜の月』をなぞらえて殺人をした・・・?」
 僕の疑問に、浩之はそうだ、と応えた。
「『煉夜の月』では4人の人間が死んでいる。3人の息子と、その老父だな。ここではそれが、
冬湖、将馬、由希恵、和馬と重なる」
 浩之は続ける。
「ある意味この犯人は、天堂寺和馬よりもっと『煉夜の月』と深く関わる人間と言っていい。
そして、それを示す最大のフラグメントは──」
 ここにある、と言って浩之は離れの壁のある部分を指し示した。
「これ・・・?」
 不可解な顔をして来栖川さんが顔をしかめた。
 そこには、ベッドから扉まで部屋を半周する、例の壁の擦り跡があった。
 思わず僕は姫川さんと顔を見合わせる。
 彼女も、訝しげな表情をしていた。
「まず、この跡がどうやってついたのか、だ。おそらくこれは手で擦った跡だ。多分15年もの
長い間、な。そしてそうしたのは冬湖氏だろう。指紋も確認させた。そうだろ?」
 そう言って浩之は離れの外に声をかけた。
 刑事の一人が、確かに確認しました、と返す。
「あんたいつの間に人の部下を顎で使って・・・」
 まあまあ、と浩之。
 もう、とまだ何か言いたげに来栖川さんは黙った。続きをうながしているのだ。
「では、次だ。それじゃなぜ、この跡はついたのか。言い換えればなぜ、冬湖氏はこんな跡を
つけねばならなかったのか・・・?」
 ぐるっと僕らを見回す。
 問題の解答を待つ、教師のように。
「答えは簡単だ。そうしなければ、冬湖は行動できなかった。ドアの向こうに食事を取りに
ゆくことも、またベッドへ戻ることも」
「あ・・・」
 姫川さんが声をあげた。答えに気づいたのだ。
 そして、僕もおぼろげながら浩之の言わんとすることを理解した。
「そう──天堂寺冬湖は、おそらく盲人だったんだろう。それも後天的な。由希恵さんや理緒ちゃん
は言っていた。彼はこの離れに籠もりきりだった。決して出ることはなかった、ってな。しかしそれは
人嫌い、という理由ではなく、まったく単純に、彼はここから出ることが出来なかったんだ」
「ま、待ってください」
 納得できない、という顔で松原さん。
「ですけど先輩、その・・・冬湖さんは作家なんですよ。実際、過去15年間に何十という作品を発表
しています。目が見えなければ、作品は書けないじゃないですか?」
「いい質問だ、葵ちゃん」
 そう呟くと、浩之は会心の笑みを見せて松原さんの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「今、葵ちゃんがした質問こそ、今回の──いや、事件を取り巻く全ての事象の根幹となる重要な鍵だ。
そして、その質問の答えでその全てが説明できる──」
 そして、浩之は悪戯っぽく笑った。


「謎は消えた」


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 続きます。あと3回です。
 次回は前・後編みたいに分けようと思っていますので、
 投稿的にはあと2回ということになりますね。

 もうここから怒濤の饒舌浩之君になってしまいますが、そのあたり
 勘弁してやってください(汗)

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